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11.最後に選ばれませんよ。

 カスケード侯爵邸に向かう馬車の中、私は尋問を受けている。

「あんたねえ、何者なの? 私がヒロインなのよ。本当はお弁当を作ってきたら、殿下は美味しいね、食事よりも君が僕の為に美味しい食事を作ろうと悩んでいた時間が愛おしいんだって言ってくれたはずなのよ。あんたさえいなければ⋯⋯」
 目の前にいるマリア・ルミナス男爵令嬢の瞳はギンギンに決まっている。
 
 自分がヒロイン。
 私は被害者。
 自分は何も悪くなくて頑張っているのに認めてくれない。

 全ては離婚を希望する依頼者の言葉だ。
 私は前世でそういう依頼者に沢山会ってきた。

 疑問を呈したら逆ギレされ、訴訟案件になる。
 私は前世の経験を生かし、彼女を依頼者だと思い接する事にした。

「分かります。マリア様のおしゃる通りです。なぜ、アラン皇太子殿下は貴方様の献身をご理解できないのか、私には分かりかねます」

 思っても見ないような事を言いながら依頼者に寄り添う。

 本当は、はっきり彼女に言ってやりたい。
 この世界の主役は自分だと勘違いしているのではないかと。

 しかし、それは自分に返ってくる特大ブーメランだ。
 
 パートナーと離婚したいと私に依頼してくる人間は皆似ていた。
 全ては相手のせいで、自分は被害者なのだと⋯⋯。

 それは私の思考回路と一致する。
 私は悪くない、いつもパートナーや子供の為に最善を尽くしてきた。

 そこには客観的視点は一切なく、責められれば反発し切れるだけ。
 
 離婚をするような人間は問題がある。

 人を見る目がなく、自分のことしか考えていない事に気がつかない。
 離婚を3度繰り返し離婚弁護士までした私がそう思っている。

「あんた私の言うこと信じていないでしょ。私はねヒロインなの。悪役令嬢のレオナ公爵令嬢の嫌がらせにも耐えて、ひたすらにアラン皇太子に寄り添う健気なヒロイン⋯⋯」

 客観的に見て、目の前のマリア・ルミナス男爵令嬢は非常に痛々しかった。
 しかし、彼女の振る舞いを見て自分を顧みた方が良さそうだ。

 私も自分の置かれた状況に悲劇のヒロイン気分になっていた。
 突然現れたアラン皇太子を運命の王子様のように慕っていた。
 10歳以上も歳下の男の子にときめいて、運命を感じるだなんて恥ずかし過ぎる。

 目の前のマリア・ルミナス男爵令嬢もヒロイン症候群に罹っているようだ。
 
 私は表立って自らの妄想を披露してしまっているマリア・ルミナス男爵令嬢を不憫に思った。

 私は彼女の手を強く握り思いの丈を伝えた。

「誰もが自分の人生のヒロインなの。でも、時に誰かの悪役にもなる。そうやって人と人とは傷つけあって生きていくの。あなただけじゃない、私も私の人生ではヒロインだったりするのよ」

 「ヒロイン」という薄寒い言葉を吐いた途端、脳裏に浮かんだのは澄んだ瞳で見つめるアラン皇太子だった。

 アラン皇太子には女を妄想に駆り立てる何かがあるのだろう。
 彼との妄想はおそらく帝国中の幼児から私のような年増の女まで皆がしている。

(完全におかずにされているわ。アラン皇太子殿下⋯⋯)

「何、訳のわからないことを! あんたは名もない脇役なのよ! 私のアランに手を出さないで」
 手を振り上げてきたマリア嬢の手首をそっと握った。

「誰もが誰かにとっては名もないエキストラです。私も貴方と変わりません。アラン皇太子の前では名がある登場人物でいたい気持ちも分かりますわ」

 あまりに頭のおかしい依頼者を目の前にして、私の頭はかなりスッキリしていた。
 思わず本音が出てくる。
 アラン皇太子の前ではありのままの自分でありたい。
 あのアメシストのような澄んだ瞳に映るのは、自分でありたい。

「あんた⋯⋯流石、ミゲル・カスケード侯爵を落とした女ね。普通じゃない。でもね、私だってこの世界のヒロインだという自負があるのよ」

 かなりのキメ顔をしていたマリア嬢はそう言って馬車の扉を開けた。
 ちょうどカスケード侯爵邸に到着したところだったようだ。

 目の前には珍しく私の帰りを待っていたようなミゲル・カスケードがいる。
 一番先に口を開いたのは聖女様であるマリアだった。

「カスケード侯爵閣下、初めましてマリア・ルミナスです。奥様が皇太子殿下にちょっかいを出していて大変なんです。どうか、首輪の手綱をしっかり持っていてください」

 私が彼女に何かしただろうか。
 彼女の心に寄り添うように接してあげたはずだ。

 私にも悪いところがあったのではないかと、ミゲルと向き合おうかと思った矢先に火をつけて帰ろうとするなんて酷い女だ。

 いくら寄り添っても依頼主は根本的に自分勝手。
 そのような事は前世で散々学んできたはずだ。
(なんか、頭にきた! 相談料も受け取らず相談に乗ってやったのに!)

「私の手綱はもう切れてるのよ。時にマリア嬢! 人の足を引っ張る事に気を取られているけれれど、貴方みたいな自己中な女は最後に選ばれませんよ」

 私はマリア嬢を敵に回したようだ。
 彼女は顔を真っ赤にして立ち去ってしまった。
 そして、彼女に言った言葉は自分自身をナイフのように突き刺した。

 前世の私も最後は1人になった。
 私自身が最後に選ばれない女だ。

「首筋にキスマークが付いているぞ。俺の浮気を責めながら、君は何をやってるんだ」
 私の髪を持ち上げながら、ミゲルは私を睨みつけた。

 私は浮気をした覚えはないし、ミゲルに責められる覚えもない。
 結婚して8年、私は彼とカスケード侯爵家に尽くしてきたけれど感謝された事はない。
 いつも跡継ぎも産めない事を責められて、彼の浮気を我慢してきた。
(やっぱり、もう彼とは無理だわ⋯⋯話し合うには、もう、遅すぎる⋯⋯)

「カスケード侯爵閣下、もう、私、貴方とお話しする事はありません。貴方を名誉毀損と婦女暴行で訴えます」

「名誉毀損? 何を言ってるのだ。暴行とは額の傷のことか? 消えているではないか」
「傷は聖女様に治療して頂きました。アラン皇太子殿下に暴行の証人として出廷して貰います」

 私の言葉に咄嗟にミゲルは私の左腕をみた。
 腕の火傷の痕が消えているのをまじまじと見つめている。
 母が私を守ってくれた証などと言い強がっていたが、ずっと火傷の痕を消したかった。
 恐ろしい火事の記憶と、傷物であるという事を私に纏わせる呪いのような火傷の痕だ。

「出廷? 裁判でも起こす気か? 身内の恥を晒すだと?」
「身内の恥という認識はあるのですね。示談の条件は離婚届にサインをする事です」
「名誉毀損や暴行で損害賠償や慰謝料を求めるつもりか? 貴族とは思えない金にがめつい女だな、君は!」
 
 この世界で貴族がお金の話をするのは下品と見做される。
 でも、その下品な話を私がしっかりしてきたから、侯爵邸の管理ができていた事にこの男は気がついてもいない。

「請求は1リオンです。これは名誉を争う戦いですから!」
 私の言葉にミゲルが息を呑むのが分かった。

 1リオンなど菓子1つ買えない金額で訴えを起こせば話題になる。

 そして、アラン皇太子が証人として出廷するならば、尚更だ。
 リオダール帝国中が注目する裁判になるだろう。

 そのような場で見せ物になるくらいなら、ミゲルは必ず示談を申し出てくるはずだ。

 エメラルド鉱山と、人件費削減により捻出した現金があれば財産を増やす事は十分可能だ。

 あとは、もう私の人生に不要な男であるミゲルに退場頂くだけだ。

 ミゲルは私の手を引き、急に抱きしめてきた。
 ムスクのような色っぽい彼のコロンの香りがする。
 昔はこの香りが好きだったが、今はとても不快で吐きそうだ。

「マレンマ、悪かった。俺の正直な気持ちを話すよ。俺が愛しているのは、今までもこれからも君だけだ。もう、君を苦しめることは一切しないと誓うよ。だから、俺を拒絶するような事を言わないでくれ」
 
 低く震える声で、彼は初めて私に謝罪した。



 
 

 

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