3.私を惑わす恐ろしい男。
「カルマン公女の聡明さは伺っております。この度、彼女と婚約できることを光栄に思います」
レナード・アーデン侯爵18歳。
金髪碧眼の王子のようなルックス。
アカデミーの卒業式でも主席で代表挨拶をしていた。
成人すると同時に侯爵位を継いだ男だ。
爵位は成人してからでないと継げないのに、皇帝は少年でもなれるなんてアンバランスだ。
未来の少年皇帝誕生による帝国の混乱を防ぐためにも、彼との婚約は阻止するべきだろう。
今まで何もかも思い通りになってきた姉だ。
一つ計画通りにいかないことがあれば、きっと慌てて自分の計画を見直すだろう。
そして、自分がまだ見ぬ子の人生まで利用しようとしていた愚かさに気づけるかもしれない。
彼女は私の姉でワガママだが謎の賢さもあるのだ。
「カルマン公女との呼び方をされると、姉を想起する方が多いと思います。私のことはミリアとお呼びください」
私もカルマン公女だが、帝国でカルマン公女といえば姉だった。
私が社交界の出入りも最小限にしていたのに対し、着飾った姉はいつだって社交界の華だった。
「ではミリア、私のことはレナードと呼んでください。呼び捨てにしてくださって構いませんよ。夫婦になるのですから」
レナードは顔だけでなく、とんでもなく声も良かった。
私はその声で名前を呼ばれることにゾクっとしてしまった。
なんだろう、彼との縁を切るつもりなのにサイラスを裏切っている気持ちになり苦しい。
「待ってください、呼び捨ては早いです。レナード様」
私は名前を呼ばれただけで、彼に心を侵食される気がして距離をとるために「様呼び」を提案した。
「では、ミリア、慣れたら私をレナードと呼んでくださいね」
彼も「ミリア様」と呼び直してくれると思ったのに、呼び捨てにされてしまった。
なんだか、彼に呼ばれる度にクラクラしてくる。
寝不足のせいだろうか、私はちらりと父の方をみた。
「もう、ミリアは君に夢中のようだ。お邪魔なようだから、あとは若い2人で仲を深めなさい」
父はご満悦な顔をして席を外した。
父の思いがけない対応に一瞬、何が起きたかわからなかった。
「違う、私はレナード様とは⋯⋯」
私が父を引き止めようとすると、後ろから急に両肩を掴まれた。
「私とは婚約をする気はなくて、恋人と一緒になりたかったのですか? ミリア」
耳元で囁かれる言葉にゾクッとした。
振り向くと、目の前に座っていたはずのレナード様は私の後ろに回っていた。
「婚約の話を断ってくださるということですか?」
私は、レナード様が私の恋人の存在を知っていることに驚きつつも尋ねた。
「まさか、私とミリアは婚約して、2年後あなたが成人すると共に結婚しますよ」
彼の美しい碧色の瞳に私だけが映っている。
とびきり目が腫れてブスな私だ。
「良くこんな醜い女と結婚しますね、父親が美しいのに自分がブサイクに産まれたら子に恨まれますよ。母親に似る確率だって高いんですよ」
私は肩に置かれた彼の手を外しながら言った。
「蜂の巣から蜂蜜を盗もうとして、目を刺されてしまっただけですよね。蜂蜜はお肌にも良いですよ」
私を振り向かせて頬を覆いながら、彼が蜂蜜のように甘い声で言ってきた。
手が大きくて私の頰が包み込まれてしまう。
彼からクラクラする香りがして、頭に靄がかかっていく。
「私がそんな、愚かな行動するように見えますか?」
私は頭にかかった靄を振り払い、彼のありえない推測に思わず大きな声をあげた。
彼は口を手で押さえながら笑うのを堪えているようだった。
彼の仕草すべてが、今まで見たどの人間より優雅だ。
きっと、泣きはらしたことなんてバレている。
帝国貴族は泣くことを恥としているから、それに気がついていないフリをしているのだ。
何でも言ってくるサイラスとは違う大人の対応。
腰にくる甘い声に、お洒落な会話にときめいている自分を殴りたくなる。
今朝、恋人と逃げようと思っていたのに、他の男にときめくなんて最低だ。
「私達、挨拶しかしたことないと思うのですが、私の恋人のことまで知っているのですか?」
私は彼と挨拶をしたことはあったが、踊ったことさえなかった。
なぜなら、彼と踊りたい女がたくさんいたからだ。
アカデミーでも1年だけ被っていたが、彼はいつも人に囲まれていて私とは話したこともない。
「もちろんミリアとサイラス・バーグのことについては知ってますよ。最初はカモフラージュで付き合ったのに、2人は心を通わせていったのですね。少し、庭園を歩きましょうか。季節も良いですし⋯⋯」
彼がエスコートするように手を差し出してくる。
確かに、私の評判を考えると結婚前に別の男と恋愛関係などという話は広まらない方がよい。
アカデミーの同期にとってはサイラスと私の関係は周知されている。
しかし、社交界には何故だかその噂は漏れていない。
もしかしたら、社交界を牛耳っている姉が私をいつか自分の駒として使うために噂を広めるのを止めていたのかもしれない。
恋人がいることが社交界で広まっていないからこそ、レナード様のような婚活市場Sランクの相手との婚約話を出てくるのだ。
そして、今、私は姉の思い通りの人生を実現するための駒として使われようとしている。
ガーデンのテラスで話していたが、側にはメイドが控えていた。
彼はメイドの噂話にも注意している人間だということだ。
こう言った細やかな気遣いは、サイラスにはない。
私は事あることにレナード様とサイラスを比べている自分に腹が立つ。
レナード様は姉が仕組んだ婚約相手で、私の恋人はサイラスだ。
サイラスは私を裏切るようなことをせず、いつも私を助けてくれた。
それなのに、帝国一のモテ男にふわついている寝不足女の自分が憎い。
「あの、あちらに母が育てているバラ園がありますのでバラを見て回りませんか?」
彼の近くにいると、彼の高貴な王子のような香りに頭がおかしくなりそうだ。
さっきから、狂ったように胸が高鳴っている。
バラの強い匂いで、自分を正気に戻さねばと思った。
「賛成です。ミリアの赤く美しい瞳のような情熱的な赤いバラを見たい気分です」
私の目を射抜くように彼が見つめてくる。
私は紫色をしていない自分の瞳がコンプレックスだ。
彼はまるで私の瞳の色を褒めるような言葉を言っている。
彼の瞳には明らかに動揺した私が映っていた。
彼のペースに巻き込まれてはいけない、愛するサイラスのことを考えないと。
「あの、私とサイラス・バーグが恋人関係と知っている人はいると思います。でも、私たちの馴れ初めまで知っているのはなぜですか?」
私は不思議で仕方ないことを彼に尋ねた。
私とサイラスはアカデミーの同期だ。
アカデミーは後継者教育を目的としているため、女はクラスに私しかいなかった。
そのせいか言い寄られることも多く煩わしかった。
必死にトップの成績を維持しなければならない私にとって、年頃の男の好意など邪魔でしかなかったからだ。
その上、言い寄られて避けようものならクラスの居心地はどんどん悪くなって言った。
入学して、すぐにそんな悩みにぶつかった私に男が寄らないように「カモフラージュ彼氏」をしてくれると言ったのがサイラスだ。
結婚前の貴族令嬢が恋人を持つのはふしだらだとされていたが、私は公爵になる予定だったので女としての評判よりも学習環境が優先だった。
「私がカモフラージュ彼氏に立候補したかったからですよ、ミリア。バーグ令息に先を越されてしまいましたが、追い抜いて今ミリアを捕まえました。」
バラ園に着いたところで、彼が突然私を抱きしめながら言ってきた。
せっかくバラの匂いで彼の香りを消したかったのに、抱きしめられては上手くいかない。
しかも、アカデミー時代面識のなかった私のカモフラージュ彼氏になりたかったなんて嘘に決まっている。
全部、父に言われてやっている芝居に違いない。
こんな風に簡単にたくさんの女を惑わしてきたのだろう。
「離してください。アーデン侯爵。父にに私を落とすよう言われましたか? それともお姉様? ラキアス皇子? 誰かの言いなりになる程度の男に用はありません」
私は彼を突き放すように、わざと彼を名前ではなくアーデン侯爵と呼んだ。
私は思いっきり彼を突き返そうと力を込めたが、全くビクともしなかった。
「私は自分の言いなりにしかなりませんよ」
私をそっと離して見つめてくる彼の碧色の瞳には、周囲のバラに負けないくらい真っ赤になった私の顔が映っていた。