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第5話 旦那様の声が聞こえない

『君の中に《魔法の種子》はないかもしれない。でも、もし疑似的な種子を取り込めば彼の役に立つかもしれないけど、やってみるかい?』

 そう誰かに問われたけれど、あれば誰だっただろう。私は魔力無しで、それを憂いていたときに声をかけてきたのは──。
 ふと意識が浮かび上がるのを感じ、重たい瞼を開けると見慣れた天井が目に入った。

「……私、眠って?」
「奥様!」

 真っ先にハンナの顔が飛びこんできた。
 泣き出す姿はこっちが驚くほどで、主治医の話だと私は丸一日眠っていたらしい。

「意識が途絶える前の記憶は、ありますかな?」
「は、はい。旦那様と話をしていたら急に視界が真っ暗になって……」
「その内容は?」

 記憶を遡っても思い出せるのは、侍女がラズベリーのお茶を出してくれて、旦那様がなにか話そうとしたところまでだった。

「旦那様と()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……」
「ふむ。その後、公爵様は何か言われましたか?」
「いえ……」
「……なるほど。やはり、それが引き金なのでしょうね」

 引き金?
 なんのことだろう。小首をかしげる。

「……ところで旦那様はどこに居るのですか? 倒れてしまったことを謝りたいのですが」
「──、──」
「ハンナ? 先生?」

 私の言葉に皆の顔色が変わった。
 この空気は私が旦那様の姿が見えなかった時に酷似している。
 もしかして、この場に旦那様がいたのだろうか。今まで黙っていたから気付かなかったのだろう。
 そう思ったのだが、不意に両肩になにかが触れた気がした。
 だが私の目には何も映らない。
 旦那様の大好きだったバリトンの声も届かない。

「────、──」
「……もしや公爵様の声も聞こえていないのかね?」
「え? 旦那様は、なにか喋ったのですか?」
「奥様……」

 絶望に近い雰囲気の中、私は目を閉じて耳を澄ます。もしかしたら旦那様の声が聞こえるかもしれない、そう思って。
 結果的に声は聞こえなかった。
 ただ無情に時計の針が時を刻む。

 主治医から「精神的なショックが大きすぎて自分を守るために旦那様が見えず、聞こえない状態になっている可能性が高い」と告げられ、今は無理に思い出すことをやめて静養するように勧められた。
 旦那様が見えなくて、声も聞こえなくなってしまった。

(次から次に……どうして?)

 それからハンナの用意してくれたお茶を飲みながら、旦那様との意志疎通の方法を模索した。間にハンナやジェフを挟んで通訳するように話す方法。
 スキンシップや筆談など試した結果、筆談なら旦那様の文字を認識できた。

 それから旦那様は常にスケッチブックを手に持って歩くようになった。なぜそれが分かったのかは二、三日スケッチブックが浮遊しながら屋敷内を闊歩しているのを見かけたからだ。
 どうやら旦那様が私への贈り物、あるいはやりとりするための小道具などは見えるらしい。

 もっとも最初の頃は夜中にスケッチブックが浮遊していたので、ホラーかと思って固まってしまったけれど。旦那様の姿や声が聞こえないのは寂しいものの、今まで以上に私の傍にいる時間を増やしてくることが嬉しいのは内緒だ。

(日に日に旦那様とのやりとりをした紙がもらえるなんて、ご褒美過ぎるのでは!?)

 旦那様が見えなくなって二週間が経ち、私はそんな風に暢気に考えていたのだが、私以外の人たちの考えは大きく違った。
 いつになく屋敷が騒がしい。

 朝から急な来客かそれとも旦那様の部下、あるいは商談相手だろうか。また旦那様が屋敷を離れるのではないかと思うと、胸が痛い。

(この症状が完治するまでは旦那様とできるだけ一緒にいたい……なんて思うのはおこがましいわよね)

 胸に手を押さえ祈るような気持ちでいると、複数の足音がこちらに近づいてくる。
 バン、とノック無しで扉を開き、私の部屋に入り込んできたのは私のよく知る二人だった。

「シャーロット、倒れたって聞いたけれど無事!?」
「シャル無事でしょうね!」

 桃色のフリル付きドレスを着こなすヒロインのアイリスと、黒と赤のラインが強調されるドレスに身を包んだ悪役令嬢ベアトリーチェ。
 私の親友の姿があった。

「アイリス! ベアト!?」

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