開業日
その後――セシリーナたちはシュミット村の広場の一角にある建物を買い上げて、その物件で旅行会社の事業所を開業した。会社の名前は、アベルたちと話し合って世界中を自由に旅をするという願いを込めて『ワールドツーリスト社』とした。意味がわかりやすくて覚えやすい、ということを第一の念頭に置いたネーミングで認知を広げやすいように意識している。
建物の外壁に『ワールドツーリスト社(World Tourist Company)』と大々的に掲げられた木製の看板を見上げながら、アベルとケルヴィン、ヒース、そしてセシリーナは拍手とともに歓声を上げていた。
「おおお、良い出来じゃねぇか! 立派だな」
赤銅色の煉瓦造りの二階建ての建物――ワールドツーリスト社の事業所――を見上げて、アベルが満足そうに歯を見せて言う。ケルヴィンが片眼鏡を押し上げる。
「当然でございます。なにせ、旅行会社としての趣が存分に出るように我がサージェント商会が贔屓している建築家とデザイナーの力を結集して作り上げましたので。お客様が足を運びやすいよう、あまり煌びやかになりすぎないように古き良き見た目も取り入れております」
「なるほど、趣向を凝らしてあるわけだ。形から入ることも大事だからね」
ヒースが顎に手を当ててうんうんとうなずいている。
ケルヴィンの言うとおり、本当に素晴らしい出来だ。
(これからここでお仕事させてもらうのが、とっても楽しみ!)
こうして開業まで漕ぎつけられたのも、みんなの力添えあってこそだ。セシリーナは、ワールドツーリスト社の建物の扉を背にして改めてみんなに頭を下げる。
「――みんな、こんな立派な会社を始めることができたのは、本当にみんながいてくれたおかげです。きっとこれから大変なこともあるだろうけど、どうかこれからもみんなの力を貸してください」
自分ひとりでは、到底ここまで来ることはできなかった。会社を立ち上げることすら難しかったと思う。アベルが、ケルヴィンが、ヒースが、それぞれに力を尽くしてくれたから自分ひとりの思いつきから始まったこの壮大な計画を形にすることができたのだ。
深々と頭を下げるセシリーナに、アベルとケルヴィン、ヒースはお互いの顔を見交わすと、それぞれにセシリーナに言葉をかける。
「まあ、なにはともあれ無事にスタートを切ることができそうでよかったと思うぜ。これからが正念場だからな、気合入れて行こうぜ」
と、アベルが拳を握ってセシリーナを鼓舞して、
「お嬢様のお力になることができて、執事冥利に尽きるというものです。これからも一従業員としても執事としても、お嬢様を精一杯お支えする所存ですよ」
と、ケルヴィンが落ち着いた表情で微笑み、
「まずは第一歩というところだね。これからどう世の中が変わっていくのが楽しみだ。社長、お手並み拝見させてもらうよ」
と、ヒースが綺麗な口元を楽しそうに持ち上げた。
(改めて気づいたけど、この三人と一緒に仕事するってすごいことなのかも)
世間一般に知れ渡っている名家の嫡子が勢ぞろいの絵面だ。彼らを一歩引く思いで眺めていると、案の定と言えばいいのか、通りすがった村の人たちが歓声を上げた。
「おや? そこにいらっしゃるのはアベル様ではないですか? 王都から足を運んでくださっていたんですね」
小さいころに村で暮らしていたアベルの姿を見つけて、村の気の良いおじさんが畑を耕していた鍬を背負ったまま歩み寄ってくる。また別のところでは――
「あら、ケルヴィン様! 村に顔を出してくださったの! 今年はケルヴィン様がおっしゃられたとおり日照りが強かったから、例年より苗に水を多く与えたら果物の育ちが良くってねえ」
村の元気印のおばさんたちが、ケルヴィンを取り囲んで世間話を始める。また、さらに別のところでは――
「ねえ、まさかあの方、ヒース・クラーク様じゃない!?」
「え、あの教皇様のご子息の? どうしてこんなところにいらっしゃるのかしら、とにかくお近づきにならなきゃ――!」
ヒースが、村の若い女性たちにここぞとばかりに話しかけられて辟易していた。
(すごい……。なんという三人の人気っぷり……)
あっという間に蚊帳の外になる自分に唖然としていると、誰かに後ろから肩を叩かれる。誰だろうと振り返ると、村の若い男性がにこやかに笑んでいた。
「セシリーナお嬢様にお会いできるなんて、今日はいい日になりそうです。それでお嬢様、またなにか新しいことをなさるのですか? 新しいお店を作られたようですが……ワ、ワールドツーリストカンパニー、と書いてあるのでしょうか?」
男性が、首を傾げながら我が社の甲板を見上げている。
――よくぞ、よくぞ気づいてくださいました……!
これはさっそく営業のチャンス、とばかりに鼻息を荒くして熱く説明しようとすると、アベルがすっと間に割って入った。
「セシィ、せっかくご説明させてもらうなら興味のある人に建物の中に入ってもらったほうがいいんじゃないか? ゆっくり座って話せたほうがいいだろ」
アベルの気軽な提案に、ケルヴィンが言葉を添える。
「そうですね。美味しいお茶もご提供させていただきますよ。室内にはパンフレットやその他資料もたくさんご用意させていただいておりますので、ご説明もしやすいかと」
次にヒースがケルヴィンに便乗するかのように、つかつかと建物に歩み寄ると閉じられていた木製の観音開きの扉を景気よく開け放った。
(わ、あぁ……!)
室内に品良く置かれているアンティークな調度品がこれでもかと目に飛び込んでくる。窓際と壁際にぐるりと設置された本棚に、受付用の長机に椅子が横並びに用意されていて、さらにお客様との打ち合わせ用の向かい合わせの席が数席と、そして執務用の机がバックオフィスと言わんばかりに部屋の後方に並んでいる。それらの調度品はすべてマホガニー材でこしらえた高級家具であった。
(ケルヴィン、きっとこだわってそろえてくれたんだ。本当になにからなにまで準備してくれて彼には感謝しかない)
面と向かってお礼を伝えたいけれど状況はそうはいかず、とりあえず感謝の気持ちが伝わるようにケルヴィンに目線を向ける。彼が軽く会釈してからふっと微笑んでくれた。いつも執事として冷静沈着で表情を崩さない彼の自信満々な笑みが可愛い。セシリーナはつい小さく吹き出してしまう。
(ケルヴィンって、意外に可愛いところがあるんですよね)
彼が時折見せてくれる少年時代のフランクだった自然な表情に、懐かしさと同時に、大人になってお互いの立場が変わり今はそれがあまり向けられなくなってしまった寂しさもまた感じてしまうのだ。
ヒースが、大道芸人ばりに大仰に両手を広げて鷹揚な声を張った。
「さぁてお集まりの皆様、さっそくですが弊社のオープン記念日に足を運んでくださり、ありがとうございます! 弊社は世界初の旅行事業を主目的とする業態で、これから皆さまに観光というものをご体験いただくにあたり、それがより良くなるようお手伝いさせていただくサービスをご提供する会社となっております。――それでは私からのご説明はここまでとさせていただき、弊社社長セシリーナ・シュミットよりご挨拶がございます」
「え、ええっ」
いきなりマイクが振られたとばかりに狼狽するセシリーナに、ヒースが軽く片眼を瞑ってみせる。その仕草は周囲の女性たちが卒倒しかねないほどイケメン極まるものだったけれど、セシリーナにとっては、しっかりやれと言わんばかりの圧力でしかなかった。