神官
青年が妙に人懐こい笑みを浮かべた。
「初めまして、セシリーナ、ケルヴィン。それからアベルは、久しぶりだね。僕はヒース・クラーク。神官だ」
――ヒース・クラーク、やっぱり聞いたことがある……。
セシリーナは記憶の奥底を思い出す。たしかその姓名であるクラークはこの世界で唯一、王国と並ぶ権威を持つ教会の指導者を務める一族の名だったはずだ。現在、教会の最高位指導者はクラーク教皇でヒース・クラークはその息子であり、次期教皇として名高いため誰もがどこかで聞いたことのある名前だろう。
(凄腕の治癒魔法の使い手だとも聞いたことがあるけれど、まさかまさか、あのヒース・クラークが私の会社に就職希望、なわけですか……!?)
ローレンス騎士爵が紹介してくださったとなると、他の可能性は考えられないわけだ。けれど、まずもって代々教会の最高位聖職者を務めるクラーク一族のひとりで、かつ次期教皇と名高いヒース・クラークその人が面接希望なわけはないはず……?
それにさきほどヒースはアベルと顔見知りふうの声掛けをしていた。なにせクラーク一族は最高位聖職者の座を務めながらも、歴代聖騎士のパーティに加入して神官として聖騎士とともに竜王を倒す役割も担ってきたのだ。
(だから、前代聖騎士の息子であるアベルと、前代神官の息子であるヒースの面識があるのは不思議ではないんだけれど)
それにしたって、ヒースがここにいる理由にはならない気がする。やはり彼は、本当に自分の会社に就活する気でやって来たのだろうか――。
ヒースは、混乱しているセシリーナを楽しむかのようにつかつかと歩み寄る。にっこりと綺麗な顔で笑って片手を差し出した。
「それではセシリーナ社長、とお呼びすればいいかな。不肖このヒース・クラーク、さきほどの社長のプレゼンテーションを拝聴させていただきました。世界経済活性化を企業理念に掲げた御社に大変感銘を受けまして、ぜひとも、わたくしを御社の一員として働かせていただきたく思います。よろしくお願いいたします!」
まさに就活の面談で志望動機を述べるかのごとく、ヒースが声を張り上げる。
(う、や、やっぱり彼がオープニングスタッフ希望者だった……!)
彼ほどの人が自分の会社で働きたいと思ってくれているなんて耳を疑いたくなるくらい信じがたいことなんだけれど、彼の言葉を真正面に受けるならそうらしい。けれど、どうしてもどこか別の目的や動機がありそうというか、うさんくさく感じるのはヒース・クラークの一筋縄ではいかなそうな雰囲気のせいだろうか。
(でも、断る理由はないし……)
むしろこれは願ってもない申し出で、彼ほどの実力と知名度のある人物が加わってくれればもしかしたら教会のバックボーンも得られるかもしれないという打算的な考えが頭をちらつく。自分だけでは決め兼ねて、すでに社員となってくれているアベルとケルヴィンに目線を向ける。まずアベルが腕を組んでヒースを見た。
「ヒース、久しぶりだな。王城内ですれ違うことはあっても、なかなかこうやって話す機会はなかったからな。まずは、俺たちの事業計画に賛同してくれてありがとうな。お礼を言わせてもらう。ただ……」
アベルはそこで言葉を切ってから、真剣に目を細める。
「ただ、おまえほどの多忙な人間が、なぜセシィの会社を手伝う気になったんだ? なにか企んでるとかじゃねぇだろうな?」
「企んでるだなんて人聞きの悪い。さっきも言ったけれど、僕はただ、セシリーナ社長の熱意に惚れ込んで僕もなにがしか協力したいと思っただけなんだよ。……この世界の仕組みを、変えるためにね」
最後のほう、ヒースは呟くように付け加えた。
――この世界の仕組みを、変えるため……?
自分の気のせいだったかもしれないけれど、そう言ったときの彼の表情がさきほどの飄々としたものではなく少し寂しげに見えて、なぜだか彼の申し出を断ってはいけないと思えた。セシリーナは、ヒースが差し出したまま引っ込めようとしていた手を握手とばかりにぐっと握る。
「私も初めての会社経営で事業が上手く軌道に乗るか未知数なんですが、全力を尽くすのでどうか私に力を貸してください! 私のことはどうかセシリーナと呼んでください。これからよろしくお願いします、ヒース!」
小首を傾げて明るく弾けるような笑顔を向けると、彼は一瞬面食らったように綺麗な瞳を見開いたあと、まるで少年のように嬉しそうにほほ笑んでくれた。
(あ、ヒースって、普段は斜に構えた感じだけど、本当はあんなふうに笑うんだ)
セシリーナが感心していると、ヒースが繋がれた握手の手に少しだけ力を籠める。
「こちらこそ。貴方となら、きっと上手くやってゆけると思う。って、雇っていただく身で図々しい言い方だけれど。アベル、ケルヴィン、これから同僚としてお世話になります」
ケルヴィンがため息を吐きながら片眼鏡を押し上げる。
「かの有名なヒース・クラーク様と同じ職場で働けると思うと光栄ですが、これで社員はお嬢様とアベルとヒース様ですか……。とても個性豊かなメンバーが勢ぞろいで今から胃痛がしそうです」
「な、なにそれっ!」
む、とセシリーナが拗ねて頬を膨らませている傍らで、アベルが快活に笑った。
「まあまあ、個性が光るだけにこれから楽しくなりそうじゃねぇか! ときには意見がぶつかることもあるだろうが切磋琢磨していけるといいよな」
うん、と頷き合うセシリーナたちを見渡してシュミット伯爵が手を叩いた。
「――うむ、新進気鋭の若者たちの活躍に期待しているよ。それでは、今日のところの会議はこれで終了でよろしいかな。皆様、お集まりくださりありがとうございました」
シュミット伯爵の手打ちで、今日の会議は大成功を収めて終了した。ヒースという新しいメンバーを加えて、いよいよ明日から旅行会社の業務が始まる。