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032 喉を通らぬ思い

 笑顔で返したものの、驚くほど食欲がなくなってしまった。
 こんなダイエットはダメだよなぁ、と思いながらもどうすることも出来なかった。

 騎士団によってランド様からの手紙は一度だけ届いた。
 
 『あとでちゃんと説明させて下さい』

 走り書きの様なその手紙は、ランドがどれだけ忙しいかを物語ってはいた。
 でも――

「そうじゃない。そうじゃないんだよ、ランド様。そういうことじゃなくて、私が欲しい言葉は……」

 自分が好きなのは私だけだとか。
 愛しているから心配しないでくれ、とか。
 そんな感情的なモノが欲しかった。

 その言葉さえあれば、信じることが出来るのに。
 いくら大丈夫だってみんなに言われても、頭では分かっていても。
 それでも不安が私を支配していた。

 ソファーに座ったまま私は、その手紙をくしゃりと握る。

「ミレイヌ様、さすがに食事をなさりませんと倒れてしまいますわ」
「うん、分かってるけど……」

 今日でランドが帰宅しなくなって、二日目だ。

 城の中で事情を聞かれたりと、大変なことになっているということだけは報告を受けていた。
 だけど人伝に聞いたところで、いろんなものがこみ上げてくるこの胸の中のモヤを払うことなど出来なかった。

 辛うじてマリアンヌがっ持ってきてくれた焼き菓子だけは、味を感じることが出来た。
 あんなに食べることが好きだったのに。
 何もかも味がしないのだ。

 ただ何を食べてもつかえるように苦しいだけ。

「美味しくなくて」
「それはそうかもしれませんが、昨日から焼き菓子一つだけというのはダメです。もし倒れでもしたらどうするのですか?」

 シェナは食堂まで行く気力すらなくなってしまった私に、私が好きそうな良いにおいのする食事たちを持ってきてくれた。
 シェフ自慢のお肉料理や、この前一緒に作ったドレッシングのかかった色とりどりのサラダ。

 そしてよく見れば、私が教えたあのダイエットスープもある。

「みな、ミレイヌ様を心配しております」
「うん、うん……分かってる。分かってるんだよ? でも……」

「まったく。らしくありませんね。いつものミレイヌ様はどこに、消えてしまわれたのですか?」
「だって……。頭ではゴシップだろうって分かってるよ? でもさ、でもさ……」

 今まで言いたくても言えなかった言葉を口にしようとした時、ボロボロと涙が溢れてきた。
 ずっとずっと、自分でも気にしないようにしていたコト。

「でもなんですか? そんな風に何も言わず、ただ泣いていたって誰にも通じません! 黙っていてどうするのです。思いは口にしないと誰も分からないですよ? 言いたいことはちゃんと言わないと」
「だって」
「だってじゃありません《《お嬢様》》」

 真っすぐなシェナの瞳。
 もうシェナとは本当に長い付き合いだ。
 私が結婚なんてする前から、ずっと私に仕えてくれて、今の私も過去の私も知る唯一の人。

「またお嬢様っていう」
「そんな風にみっともなく泣く方に、奥様など言えませんからね」
「厳しいよ、シェナは」
「フツーです」
「もー」

 そこまで言って、ほんの少し気が緩む。
 私は小さく笑ったあと、上を見上げてからやっと溜め込んでいた思いを口にした。

「ランド様は、私のことちゃんと好きなのかな?」
「初夜がないからですか?」
「そうじゃないの……。この結婚はあくまでも家同士が決めたものよ。そこに二人の感情は本当はなかった」

「……」
「でも気が付けば私はずっと、ずーっとランド様は好きで。ランド様しかいなくて。ランド様と結婚出来て幸せだった。でもさ。ランド様は? ランド様は同じじゃないよね?」

 ランドはどこまでも優しい人。
 いつも私を見て気を遣ってくれていたけど、私と結婚して幸せだったのかな。

 あのゴシップ誌じゃないけれど、貴族間の結婚なんて結局はそんなものだ。
 もちろんそれで幸せになれた人もいっぱい知っているし、逆に不幸になってしまった人も知っている。

 だからこそ怖い。
 私だけが舞い上がって、私だけが幸せで、ランドの本音を置き去りにしてしまったんじゃないかって。

「どうしてそんなこと思われるのですか? 例え初夜がなくたって、周りの者からすればお二人は仲睦まじく見えましたよ」
「それが造られてモノじゃないって証拠は? 無理してないって証拠なんてどこにもないじゃない」
「だーかーら、どうしてそう思うのかって聞いてるんです」

 シェナは急に私の両頬をつねって、びろーんと伸ばす。

「いひゃい」
「ちゃんと質問に答えない口は必要ありませんね」
「やらぁ」
「ではもう一度聞きますよ? なぜですか?」

 そう言ってシェナは手を離した。
 私は両頬を摩る。

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