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ロレンタの代償

「ごめん……帰者の儀は知っていたんだけど、まさかこんなときにまでやろうだなんて思わなくって」
長老たちが去ったあと、トガリは俺たちに懸命に謝っていた。まあしょうがないとはいえ、どっちかといえば俺のほうが内心焦っていたっていうか。
俺は歓迎会なんぞさっさと済ませてスーレイに行きたかったのに。大きな誤算だ。

さて、帰者の儀のことなんだが……
つまりはアラハスの掟で、一度故郷を去ったモグラ族が再び戻るときに、その者をまた同族として受け入れるかどうか。もしくは修行に出た仲間がアラハスを担う者として相応しいかどうかを見極めるテストみたいなものなんだとか。
もちろんケンカ嫌いなモグラ連中のことだし、いつもは採掘対決とか、宝石の真贋見極めとかをやるそうなんだが、今回は料理だ。

でもって、トガリの母ちゃんなんだが、これがまたアラハスでもトップクラスのメシ作りの腕を持っている(トガリ談)とのことだ。とは言われても……モグラ連中のトップクラスがこの世界ではどのくらいの位置づけなのかが全然分からねえが。
でもって、モグラチームと俺らのチーム。共に相手方の舌を唸らせられる料理を出すっていうのが勝負の内容だ。お互いに約十人前の料理。サポートはあちら側はトガリの親父一人だけだが、こっちは仲間全員使っても構わないってことだ。あちらさんがハンデくれたってわけだな。

でも、問題は。
「あたし無理、基本子どもたちのご飯作ってただけだし」
「ぼ、僕も……そういうのは全然」
「料理なんて全然したことねーよ!」
はいジールとルースとフィン失格。
「まあ、一応……あたいは食事くらい出来るけどさ、でも正直手伝いくらいにしかならないよ?」
「できらあっ! パン以外の料理だって俺っちにまかせろや!」
「わ、私もアスティもそういうのは全然……」
パチャはどうにか。イーグは言うに及ばず。でもって教会コンビはダメ、と。
俺? 力仕事しかできねーぞ。それかジャガイモの皮むきくらいかな。チビと一緒によくやってるし。
………………
…………
……
俺たちにあてがわれた場所は、アラハスの岩山のさらに地下。何百年もかけてトガリの先祖たちが掘り進めていった場所だ。そこには来賓用の宿泊場所と倉庫、そしてデカい台所まで完備してあった。
暑くもなく寒くもなくちょうどいい感じに気温が保たれた部屋だ。ちょっと薄暗いがそれはしょうがないかもな。
「トガリ、なに作るか決めた?」
なんてジールは催促の声をかけたものの、あいつは部屋の隅で壁に向かって腕を組んだまま一向に動く気配がない。もちろん誰の声にも反応しないし。
一人で抱え込むなとは当時親方にも結構口うるさく言われてたんだけどな。けどそれとこれとは話が別かもしれない。でもやっぱりそれが俺にはじれったく思えてしまって。
だから俺なりに、あいつのもとへ行って相談にのることにした。

「大丈夫か、みんなと相談するのも一つの手じゃねえのか?」
「え、ああ……うん」と、あいつは目をこすって俺に答えてきた。つーか寝てたのかよ!
「どうしようか迷ってたうちについ眠気が……僕の大好きだったアラハスのもてなし料理で挑もうかと思っていたんだけど、相手は母さんだ。太刀打ちできそうにもないし」
「じゃあどうすんだ?」
「それが問題なんだ……僕に出来る料理の種類だなんてたかが知れてるし、一体どうすれば……あああ」
また自問自答独り言モードへと突入か。頭にきたから俺は一発殴って黙らせ……
「そうだ! って痛ぁっ!」トガリが立ち上がるのと同時に俺の拳がカウンターで命中した。トガリじゃない。俺のほうが倍ダメージだ!
前にも言ったかも知れないが、ここのモグラ族の頭の骨っていうのは鉄以上に硬く、そして分厚い。
いつもストレス解消にトガリやルースの頭を殴って黙らせるのはいいけど、正直トガリの場合は俺の拳のほうが痛いくらいだし。

トガリを殴った拳に、なんか違和感が……ためしに手を開いたり握ったりすると、指の根元に鈍い痛みが走った。マジかよ……拳やっちまったか。
とはいえ仕方ない、俺の自爆みたいなもんだから……と。だから俺はアスティと一緒に荷降ろしの手伝いをしているシスター・ロレンタを探しに行った。
そう、あいつなら変な力で俺のケガくらいすぐに治してくれるし。

「え、姉さんですか……外にいましたけど、一体何が」通路で鉢合わせしたアスティに、俺は事の次第を話した。あいつと以前3人で戦ったことだしな、全て知っているし。
……だが、それを聞いたアスティの顔に曇りが見えてきたんだ。
まるで、いけないことでも俺が喋っちまったかのように。
「ラッシュさん、いつか話そうかと思っていたんですが……」
アスティは他の連中の気配のない外へと俺を連れ出し、なにか決心の言葉でもつぶやくかのように、真面目すぎる目で俺を見据えた。

「姉さんに……いや、シスター・ロレンタには二度とあの奇蹟の力は使わせないようにしてください」
え、一体なんでだ……あれって聖女である俺にしか効かないんだろ? そんな便利な力だったらもっと……
だがアスティは大きくかぶりを振って、深刻な顔で俺に言ってきた。
「たしかにあれはディナレ様から与えられた力です、けど奇蹟とはいえ万能じゃないんです。なぜなら……」
ごくり、とアスティは生唾を飲み込んだ。

「あの力は癒やしなんかじゃありません……ラッシュさんが受けた負傷を、代わりに姉さんが負う自己犠牲の力なんです」

驚きのあまり声が出なかった。つまりは、以前ゲイルに殴られてケガしたときに治してくれたあの傷も!?
「なにやってるんですか? こんなところで」
呼び寄せたかのようにロレンタがアスティの間に入ってきた。
一瞬のうちに俺も喉がカラカラになった。声が……出ねえ。
「あ、いや、姉さんにもそろそろ料理の勉強してもらわないといけないかな、って」
「ああ、俺も……」
「嘘でしょ、わざわざそんな話する意味ないですし」
天井にいくつか開けられた穴から、月の灯りが木漏れ日のように通路を照らしている。
その光の差す中、ロレンタは俺にくすっと微笑んだ。
「分かってます、奇蹟のことですよね」
俺は何も言えないまま、うなずくことしかできなかった。
「多用しないように……って、きっとアスティが釘を刺したのかも知れないですが、私は別にその事を全く苦にしてませんよ」
そう言うと、ロレンタは腫れ上がった俺の右拳を手に取った。
「骨は……うん、折れてはなさそうですね」
「姉さん、やめ……!」
抵抗できなかった。ロレンタが俺の心に直接「動かないで」とささやきかけてるような気がして。
拳を小さな白い肌の手が優しく包む。ジールより、ネネルよりずっと柔らかな手のひらだ。
包まれた手の中からほのかな光が見え、そして温もりが拳の痛みを徐々に消し去ってくれた。
「ディナレ様から与えられたこの力は、確かに本当の癒しではありません。聖母さまが自らの顔に深い傷を刻んだのと同じく、私もその傷と痛みを背負うようにともたらされた力なのです」
時間の流れを感じることなく、俺の拳の腫れはすでに引いていた。

その代わりに……
「姉さん、手が……!」ロレンタの手を取るアスティ。
やはり……俺が痛めた場所そっくりそのまま。みるみるうちに紫色に腫れ上がってきた。
「だ、大丈夫です。むしろ私は嬉しいんです」
「そんなわけない! 他人のケガを背負うことにいったいなんの意味があるというんですか……!」
「言葉が過ぎますよアスティ。他人じゃありません。私たちが命に代えても護るべきお方なんです」
「姉さん……」
俺は大急ぎでロレンタの手に、持っていた手ぬぐいを巻いて固定した。

そうだ、いま目の当たりにしたこれこそがディナレ教の力だったとは。しかしそれはロレンタ自身に全て降りかかる災いの力でもある。
だがもし、俺が死にそうなほどの傷を負った時は……

「私の命のある限り、ラッシュ様をお救いします」
「姉さん……」
「ロレンタ、お前……」

こらえた痛みで、額には脂汗が浮かんでいる。
なんで、そこまてしてお前は……
「ラッシュ様。このことは誰にも話さないで下さい。もちろんアスティも」
俺もアスティも、あいつの揺るがぬ心に対してやめろと言うことなんて出来なかった。
できることと言えば……そう、迂闊なことでケガなんてするな、と自分に言い聞かせることだけだ。

月と星はさらに明るさを増してきた。
もうちょい頑張らなきゃな。トガリのためにも、そしてロレンタのためにもだ。

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