バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

第28話

 目指す大陸への道のりは、予想していたそれのざっと十倍──いや正直にいうと数十倍、長かった。
 収容籠の中にいる動物たちはすっかり無口になり、定期的にレイヴンが与える栄養素を文句も言わずに摂取、あとは短い睡眠を取る以外、ただ波の立てる音を聞き、風の音を聞き、クジラたちの声を聞き、静かに過ごしていた。
 オリュクスでさえもだ。もしかすると彼は、会話する機能を失ってしまったのかも知れない──レイヴンは内心冗談でそんなことを思い、そしてその後我ながらぞっとするのだった。
 これは、この道行は、動物たちに対する虐待行為にあたるのではないのか──?
 ともするとぼくの動物管理能力に問題ありという査定が下り、下手をすると降格そして減給という憂き目を見ることに、なるのでは──
 レイヴンは触手が震えるのを感じ、そんな自分の状態をどこか冷めた目で眺め、我ながら相当いかれ始めてるな、と呆れたりもする。
 時折、鳥たちが遠く近く姿を見せてくれるのが、唯一の現実感というものだった。
 まあ中には、あのワタリアホウドリが言っていたようにレイヴンを見つけるなり「おのれ、タイム・クルセイダーズか!」と怒鳴りながら嘴をかッと開け文字通り飛びかかってくる者もいたが、他の、ちゃんと正しいことを見極めてくれている鳥たちがすかさず間に入ってくれてことなきを得るのだった。
 とにもかくにも、長い、ひたすらに長い道のりだった。
 だがそろそろ、やらなくてはならないいくつかのことがレイヴンにはあった。
 まずは、動物たちの感知帯機能操作だ。レイヴンは動物たちの遺伝情報上に、気温感知設定の変更をコードした。平たくいえば「低気温を感じても寒いと判断しない体」を構成するように仕向けたのだ。
 動物たちの体温を上げる方法もあるが、そのやり方ではこれから上陸する大陸の自然環境に対して影響をもたらすことになる。その大陸を覆いつくす氷を、溶かすことが考えられるからだ。レイヴンは地球が嫌いだが、それでもよその星の自然環境に必要以上にテコ入れしてはならないというルールだけは、ここ地球においても無論死守するつもりでいた。
 動物たちには遺伝子レベルの外套を着せた上で、大陸の上を歩かせようということだ。
「レイヴン」ほどなくしてオリュクスが呼びかけてきた。
「ん、起きたのかい、オリュクス?」よかった、会話できる──いや当たり前だ。一瞬そう思いつつ返事をする。
「うん。ねえ、あれ、何?」オリュクスは興奮したような声で訊く。「あの白いの」
「あれはね」
「うわ、本当だ」コスも大声を挙げる。「いっぱいある」
「水に浮いているの、あれ?」キオスも。
「皆、おはよう。あれは氷。南極大陸から滑り落ちた棚氷が砕けて、ぷかぷか漂っているんだ」
「氷?」
「初めて見た」
「ぼくも」動物たちは今や大騒ぎを復活させている。
「ねえ、あの上に乗れる?」オリュクスは、この願いに全人生を賭けてでもいるかのように訴える。「レイヴン!」
「ははは」レイヴンは笑い、そして自分が必要なことをもう済ませているという自信に頷き答えた。「ああ、いいよ。プレ上陸といこう。待たせたねオリュクス。コスも、キオスも」
「やったあ」
「わあい」
「いやっほう」
「ただし海に落ちてしまわないよう、くれぐれも気をつけて」レイヴンは氷の上に着地しながら声を大にして注意喚起した。「もちろん落ちてしまったらすぐに助けるけれど、この前のクジラさんだけでなく、海棲動物に飲み込まれたら救出が非常に困難になってしまうからね」
 そう言いながらも彼は収容籠の鍵をオフにし、先ずはオリュクスの遺伝子を再活性化させ、寒さに強い動物として蘇らせた。
「うわあ──っ」オリュクスは世界の果てまでも届きそうな、まるでシロナガスクジラの放つ声のような歓声を挙げたかと思うと、早速駆け出した。「やったあ──」
「オリュクス、気をつけるんだぞ」レイヴンはたちまち大忙しになった。
 コスとキオスも氷の上に降り立つや否や、オリュクスを追って駆け出す。
 レイヴンもまた殻の速度を最高度に上げ動物たちを追う。
 なんと、オリュクスは氷の端っこに辿り着いた瞬間、ぴょーんとそこから大気中にジャンプをし、隣の氷へと飛び移ったではないか!
「あっ──」レイヴンはがつんと衝撃を喰らいすんでのところで眩暈を起こしそうだったが、もちろんそんな暇はなかった。「これ、オリュクス!」
「なにやってんだあいつ!」コスも走りながら叫ぶ。
「やっぱり、もう!」キオスも。
 ぼくは、ああ、動物の管理責任者としての、資質が、ああこれは、査定に、ああもう駄目なのか──
 レイヴンは超高速でオリュクスを追いながら、それこそ眩暈を起こしそうなほど絶望的な思惑に苛まれた。

しおり