親方の贖罪
俺とジールが初めて出会うちょっと前のことだ。親方はジールに、相手になってくれないかとお願いされたそうだ。
「え、相手って……」
「いやいや違う、そういう意味での相手じゃないから」ジールは恥ずかしげに手を振って俺の話をさえぎった。
つまりは……なるほど。それ以上は言わない方がいいかな。
「おやっさんね、もうその頃にはかなり身体が弱ってたみたい。そのせいかすっかり覇気も抜けちゃっててね……」
俺には見せなかったそんな姿。
確かに死ぬ何年か前には、あの丸太みたいな腕はすっかり細くなってたし、頭の側面にかろうじて残ってた髪も真っ白になってたが……口より手が早いのは相変わらずだったし、それに事あるごとにバカだのマヌケだの口が悪いのもいつも通りだった。
「そりゃ息子には見せたくないよ、自分の弱さはね。ラッシュだってチビに変なとこ見せたくないでしょ? それと一緒よ」
うーん、そうなのかな?
チビには俺のダメなところは散々見られているような感じはするけどな。
やばいヤバい、脱線しそうになった。
「あのバカ犬を厳しく育てすぎちまった。だから私に外の世界を少しずつ教えてあげられないか? ってね」
「外の世界?」
「一緒にお酒飲みに行ったでしょ? あんた全然ダメだったけど」
そうだったのか……あれは親方の差し金か!
「ほら、ラッシュって近寄り難かったからさ。来る日もくる日も汗まみれで練習してるトコしか見たことなかったから、私も危険なイメージしか持ってなかったし、けど……」
ふと、ジールは俺の手のひらをとった。
人間の手のひらとは違う、いわゆる肉球って部分だ。しかしジールにしろルースにせよ普通の獣人はこの部分はそこそこ柔らかい。
「こんなにガッチガチになるまで修練し続けてたんだしね……」
ああ。俺の肉球というか手のひらは岩のように硬くなっている。
毎日自分の何倍も重い鉄の棍棒を振って、そして水平に構えたまま維持して……いつからか、皮が裂けマメが潰れて血だらけになったって、その痛みすら意識できないほどになっていた。
「とはいえ人間しかいないギルドだったしね、ずっとひとりぼっちだったラッシュの背中を見て、さすがのおやっさんも反省してたみたい。だから同じ獣人の私にこっそりお願いしたんだ」
つーか、なんでトガリにそれを言わなかったんだ親方。
「口論になったとき、ラッシュは私を殴れる?」
「え、それは……ちょっと無理だ。親方も女性ってのは俺らとは違う存在なんだって常々言ってたし」
ジールはなぜか勝ち誇ったかのような顔で「そういうこと」って答えてきた。
よく分からねえけどそういうことか。トガリやルースは殴れるけど、ジールやロレンタ、それにタージアやパチャはなんか……うん。そもそも身体の材質からして違う感じするもんな。まあもちろんマティエのヤローは別だが。
けど、親方はそんなことをジールにお願いしてたのか……でも反省って。
「俺の求める傭兵にしたかった、そして俺以上にしたかった。けどそれでよかったのかって悩んでたの。戦うことに対して無垢になるべく厳しくしすぎた。生き方も、読み書きも、数のかぞえ方も、それに……」
なぜだろう、あいつの言葉の端々に涙が混じっているように聞こえた。
「俺が死んで自由になれたとき、あいつをどうやって生きていかせればいいんだ……って」
自由という言葉が、俺の胸に深く深く突き刺さった。