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二人の距離

 アベルが急に寂しそうな声音で言って、自嘲気味な笑みを浮かべた。いつも快活で自信に満ちた彼のイメージが強かったセシリーナは、彼の初めて見せる弱々しい表情につい心配になってしまう。これ以上踏み込んでいいものか迷ったけれど、ここで引いたらずっと心配なままだと思いいたって遠慮がちに問いかける。

「……あの、なにかあったの? 私でよければ、力になれたらと、思うんだけど」

 なんだか上手い言い回しが見つからなくて、しどろもどろになってしまう。アベルは、はっとしたように目を見開いたあと傷ついたふうに視線を伏せた。
 ――あ、やってしまったかもしれない……!
 セシリーナは慌てて取り繕う。

「あ、ええと、言いたくなければ全然良いんだけど……! 私の勘違いだったかもしれませんし。ただ、あの、なんというか、従業員になにか悩み事があったら相談にのらせてもらうのも社長の務めかなーって」

 場を和ませようと冗談めかして照れながら言うと、アベルが一瞬だけ目を点にしてから、いつものやんちゃな顔で破顔して笑った。

「ははは、なんだよそれ! もう社長気取りなのか? 能天気なおまえと話してると、なんだか悶々と悩んでた自分があほらしくなってくるな」
「そんなに笑わなくても……!」

 アベルがお腹を抱えながら、笑いすぎて目じりに浮かんだ涙を指先で拭う。

「あー、笑った笑った。本当、おまえと話してると元気出るわ。いや、心配かけてすまなかった。おまえに悟られるなんて、俺もまだまだ修行が足りないな」

 そう言ってから、アベルはセシリーナを見て照れたふうに笑んだ。

「じゃあ、ちょっとだけ俺の話を聞いてくれないか。おまえのその底なしの元気を分けてもらいたいからな」

 話してくれる気になってくれたアベルに、セシリーナはぱあっと顔を輝かせる。

「――うん、もちろん!」

 今度は自分がアベルの力になれたらいい――そう心に誓いながら、先を歩くアベルの背中を追いかけて、セシリーナたちは中庭を臨むように造られている一階の白いテラスのベンチに並んで腰かけた。



「……寒くないか?」

 テラスのベンチに並んで座ったセシリーナとアベル。寝静まっている中庭は夜の優しい静けさに包まれていて、時折吹き抜ける夜風が頬に心地いい。夜空を見上げれば降るような満天の星空が広がっていて、空に散りばめられた星の輝きが目に沁みるようだった。セシリーナはアベルが掛けてくれたひざ掛けを両手でたぐり寄せて、隣に静かに腰を下ろした彼に笑いかける。

「うん、ありがとう。突然押し掛けておいて、さらにお手数ばかりおかけして申しわけないかぎり……」
「いまさらなに言ってんだ。おまえに面倒をかけられるのはいまに始まったことじゃないだろ。それに、小さいころから俺のことを見ていてくれた他でもないおまえだからこそ、俺の話を聞いてほしいって、思ったんだ」

 おだやかな声音で話そうとしてくれているアベルの背中をそっと押したくて、セシリーナはなにも言わずに彼の言葉を聞き入る姿勢になる。
 彼が、悩み事を自分に話してくれる気持ちになってくれたことが嬉しかった。彼は自分にとって兄のような存在で小さいころから甘えて頼ってばかりだったから、彼が自分を頼ってくれていることが嬉しかったのかもしれない。
 アベルは、どこか遠いなにかを思いだすように星空を見上げる。

「……俺、さ、聖騎士の跡継ぎだろ。幼いころからずっと立派な聖騎士になっていつか復活するだろう竜王を打ち倒して人びとを守れるように、完璧な騎士になれって言われながら育てられてきたんだ。誰よりも強く賢い文武両道の人間になれるよう、厳しい教育を受けてさ。聖騎士を輩出するローレンスの家に生まれたんだから、それは当たり前のことで、さらに聖騎士の位を継ぐ俺にとって当然の義務だと思っていたんだけどな」

 ぽつりぽつりと話すアベルに、セシリーナは口を挟まずにうんうんと相槌だけ打つ。彼の口ぶりを見るに、その内容が彼にとって言いにくいほどにつらいことなんだろうということが察せられた。
 アベルが、膝の上で指を組んだ手もとに視線を落とす。

「……なるべくその期待に応えようと努力してきたつもりだったんだけど、正直、もういっぱいいっぱいなんだ。どこへ行っても聖騎士としての立派な振る舞いを求められて、実家や王城では聖騎士の位を兄貴たちや一部の同僚たちに妬まれて……。俺は、自分らしくいられる居場所がないんだ、どこにも」

 アベルが最後のほうは振り絞るように言って、両手で顔を覆った。いままで自分の目に誰よりも強く見えていたアベルの姿が、まるでいまの夜の闇に溶け込んでしまいそうなほどに、孤独で寂しげに見えた。その仕草だけで、彼がいままでどんなに追い込まれて生きてきたか伝わってくるようだった。さきほど中庭でひとり稽古していた彼のように、彼はいつも人知れず努力してきたのだろう。立派な聖騎士になれるように、周囲の妬みにも屈しないように。
 ――それが、ローレンス家に生まれて聖騎士の座を継いだ自分の責任だから。
 さきほどのアベルの台詞が脳裏をよぎる。ずっとひとりで頑張ってきた彼。きっとこれからも頑張り続けなければならない彼。彼は、自分らしくいられる居場所がないと言っていた。

(私が、アベルが心安らげる居場所になれたらいいのに)

 なにも特別な存在になりたいのではない、自分といる間は彼が少しでもほっとできたらいいなと思ったのだ。聖騎士としてではなく、アベルが自分らしくいられる場所に。どうしたらいまの彼に心を落ち着けてもらえるだろう。追い込まれてしまっている彼の心に触れられるだろう。

(聖騎士の重圧がどのくらい大変なものなのか、きっと私じゃ本当にはわからない。言葉で励ますことができないのなら、せめて、触れることで私の気持ちが伝わるといいな)

 セシリーナはそう自分を奮い立たせると、顔を覆ったままのアベルにおずおずと手を伸ばして彼の金の髪をそっとなでた。

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