聖騎士の家系
セシリーナは、分厚い企画書を抱きしめながらアベルとケルヴィンの顔を交互に見る。
「アベル、ケルヴィン。改めてお伝えさせていただきたいんですが、ふたりともここまで力を貸してくれてありがとうございます。ふたりがいなかったら新しい会社を立ち上げるなんて大それたこと、私ひとりじゃ成し遂げられなかった。本当にふたりがいてくれてよかった……!」
お礼を伝えているうちに感謝の気持ちがあふれてきて、目頭がじんわり熱くなってくる。アベルが照れたふうに後ろ頭をかいた。
「まあ、企画が上手くまとまったのはおまえが頑張ったからに他ならないんじゃねぇの。俺たちはその手助けをしただけっつーか……」
「そうですよ。完成まで漕ぎつけることができたのはお嬢様が私たちの先頭を走って先導してくださったからです。お嬢様、よく頑張りましたね」
ケルヴィンが優しく目を細めて微笑む。ふたりのあたたかい言葉に、セシリーナはうっかりにじみ出てしまった目頭の涙を手のひらで押さえながら「うん……!」と頷くのが精一杯だった。
出来上がった事業企画書には、背景と目的、企画の概要、企画の内容、企画によって期待される効果、今後のスケジュールや費用等がざっくりと書かれている。この企画書を持って父親にプレゼンテーションを行い、賛同を得られればきっと予算を捻出してもらえるはずだ。
ケルヴィンが片眼鏡を押し上げる。
「それでは本日はもう遅いですので、今日はしっかりと睡眠をとって明日シュミット伯爵と企画の会議を行いにまいりましょう。朝一番にアポイントを取ってありますので間違いなくお話を聞いていただけるはずです」
アベルが長椅子から立ち上がる。
「アポありがとな、ケルヴィン。それじゃ、今日は俺も伯爵家に一晩ご厄介になるわ。明日の朝一の会議に出席させてもらうからな。明日が一番の勝負だ、セシィ、ケルヴィン、おまえら気ぃ抜くなよ」
おやすみ、と歯を見せて快活に笑って、アベルが部屋を後にする。
(アベル、お仕事がいろいろあって忙しいと思うのに今日はここに泊まってくれるんだ)
眠るまえにお礼を言わなきゃ、とセシリーナはひそかに心に誓う。ケルヴィンも静かに立ち上がると、セシリーナに片手を差し出した。
「ほら、お嬢様。お手をどうぞ。お嬢様も早くお休みください。なにせ明日の主役はあなたなんですからね」
「もう、ケルヴィンっていつまでも私のこと子ども扱いですよね」
「仕方ないでしょう。あなたは手のかかる人なんですから。私は、あなたのそういう天真爛漫なところにずっと惹――」
ケルヴィン……?
しまった、とばかりにケルヴィンが自分の口を手で塞いだ。
「……いえ、なんでもありません。それではお嬢様、もう深夜ですのでお部屋までお送りいたします。不埒な輩が出るといけませんから」
やっぱりケルヴィンって私のこと子ども扱いだなあ。それだけ執事として主人という立場にある自分のことを大事にしてくれているんだろうな、とセシリーナは納得しながら、ケルヴィンに手を引いてもらうままに自分の居室を目指して歩き出した。
そうして自分の部屋に到着してケルヴィンと分かれたセシリーナは、慣れた自分の部屋でひとりになったからか、気が抜けてしまってその場にぺたりと座り込んだ。出来上がった分厚い企画書を両手にしっかりと持って。
(やった、ついに実現するかもしれないんだ、私の夢が……!)
ひとりになったことで、気持ちが落ち着いたからかじわじわと実感が湧いてくる。自分がこの計画を遂行することで、少しでもこの世界の経済に貢献できたらと思う。前世の記憶を持ってこの世界に転生した自分が、少しでも女神様のご意向に貢献できたら恩返しになる気がするから。
(女神様、どうか見ていてください。女神様にいただいた第二の人生、今度こそいろいろ邁進しながら長生きしてみせます!)
そうして自分の周囲にいる人たちみんなが幸せな人生を送れたらいいな――セシリーナは、そう思いながら立ち上がり何気なくバルコニーから見える中庭に視線を向ける。
(あれ……? あれって、アベル?)
夜空の美しい中庭の一角で、いつもよりも幾分ラフな格好をしたアベルが、一心不乱に剣の素振りをしていた。彼が剣を振り上げるたびに、月明りの受けて刀身が白銀色にきらめいている。世にも美しいこの世界でたった一本だけの聖なる力を秘めた剣――聖剣だ。
(……アベル、こんな時間まで剣の稽古をしてるんだな)
いまでもとても強いのに、彼はさらに研鑽を積んでいる。努力家の彼らしい姿に、こんな素晴らしい人に自分の事業計画に参加してもらえたのだから絶対に成功させようと心の奥から気合が湧き上がってくる。
(そうだ、アベルにちゃんとお礼を伝えよう。彼に最初に事業計画の話をして、彼が賛同してくれたからこそ私は一歩を踏み出すことができたんだもの)
セシリーナは夜着にショールを羽織ると、部屋を飛び出してアベルのいる中庭を目指した。
代々聖騎士を輩出する家系に生まれてさらにその聖騎士の座の跡継ぎになるということがどれだけのプレッシャーであるのか、自分はアベルと一緒に育ってきたからわかっていたつもりになっていたけれど、きっと本当にはわかっていなかったのだと思う。
深夜、中庭でひとりで一心不乱に素振りの練習を続けるアベルの孤独な背中を見て、セシリーナは彼の努力を真に知らなかったことを恥じる思いだった。
薄手の夜着にショールを羽織っただけという油断した出で立ちで、中庭の木の後ろに隠れてアベルの背中をこっそりと見守っていたセシリーナは、夜風が吹き抜けた瞬間に身震いして小さくくしゃみをしてしまった。しまった……、と思ったときにはもう遅く、セシリーナの気配に気が付いたアベルは素振りの手を止めてこちらに駆け寄ってきた。
「セシィ? どうしたんだ、なにかあったのか? こんな時間にうろうろ出歩いていたらケルヴィンにどやされるぞ」
背の高いアベルはセシリーナを見下ろして苦笑いしてから、自身の服装を見下ろして後ろ頭をかく。
「……すまん、部屋着で出てきたもんでおまえに羽織らせてやれそうな上着がない。その恰好じゃ風邪ひいちまうよな。部屋まで送っていこうか?」
おろおろと提案してくれるアベルに、セシリーナはつい、ふふっと笑ってしまう。むしろ自分のほうが勝手に夜に中庭にやってきて稽古をしていたアベルの邪魔をしてしまった形なのに、謝ってくれるなんて彼はなんて優しい人なんだろう。なんだか考えなしに彼のところに来てしまった自分が申し訳なくなってくる。
セシリーナは居住まいを正して、アベルに恐縮しながら頭を下げる。
「アベル、私のほうこそお稽古の邪魔をしてしまって、しかも心配までかけてしまってごめんなさい。ケルヴィンに送ってもらって一度自分の部屋に戻ったんだけれど、バルコニーからアベルが中庭でお稽古をしている姿が見えたから、どうしてもお礼を言いたくて、考えなしに部屋を飛び出してきちゃって……」
「お礼? それならもうたくさん言ってもらっただろ。むしろ、本当にお礼を言いたいのは俺のほうなんだよ。……俺のことを、必要としてもらえたからな」
え……?