旅の終わり
まるで駆け落ちだな。なんてジェッサが珍しく冗談混じりに言ってきた。
しかし俺にはどうやって返したらいいんだか分からない……
オルザンから逃げるようにして俺たちは、結局村には戻ることがなかった。
途中の小さな街で宿と、それにジェッサに合う服と長衣を買った。
オルザンで血の池に落ちたからだろうか、あいつの身体は半分が人間の肌と化していた。
深く浸かったとことそうでないところ。右腕と顔の上半分は今までの獣人のままだった。異様なその姿……なんというか、ジェッサは今や獣の皮を被った人間といった方が分かりやすいかもしれない。
だからこそ、フードで顔も隠せる長衣が必要だったんだ。
とりあえず身を隠して、これからどうしようか、なんて。それに他愛のない話を月夜の中で語った。
ジェッサが言うには、あの血のような水に落ちてしばらくすると、浸かった部分がむず痒く、そしてだんだん熱く火照ってきたんだそうだ。
そして、身体から毛が抜け落ちてきた。黒豹族の特徴でもある漆黒の毛が。
今のあいつの肌は、黒豹族の毛の色を受け継いでいるのかどうかは分からないが、やや褐色がかった健康的な色をしている。
そうそう、しっぽもいつの間にか消えていた。おかげで歩く時にちょっとバランスが取りづらかったそうだ。
「治す薬とかはあるのか?」
「普通に考えてみろガンデ。獣人が人間になる病気なんて過去に存在したか?」
砂塵で埃っぽいベッドの上で、ジェッサは膝の上で眠っているチビを心地よく揺らしていた。
俺が人間、拾ってきたチビは獣人、そしてジェッサは半獣人……いくら駆け落ちみたいな逃避行とはいえ、この取り合わせは実に奇妙極まりない。
俺もくつろごうとブーツを脱ごうとした時だった。
……左足のだけ、脱げない。
しかも三日三晩の行軍で疲れた時のようにパンパンに腫れ上がっている。おまけに足首から下の感覚も無いし。
ってこれ、オルザンから逃げ出す時に根っこの切っ先を踏んづけてからか!
「ガンデ、見せてみろ」
同じくそれを不審に思ったジェッサと二人がかりで、なんとかブーツを脱ぐことができた……が。
冷や汗が背中から止めどなく流れた。
普通に傷で腫れたとかならまだ分かる。けど俺の足はそんな生易しい腫れ方じゃなかった。
それはオルザンの血の色に染まり、今にもはちきれんばかりに足の甲の血管が脈打っていた。
まるで、この部分だけ別の生き物に変わってしまったかのようだ。
ジェッサの人間と化した口元が焦りの表情を見せた。ああそうだ。俺もオルザンの怒りとやらに侵されたようだ……って。それ以外説明しようがなかったんだ。
大急ぎで医者らしきジジイに見せた。オルザンに行ったなんて口が裂けても言えないから「戦場で槍の切っ先を踏んづけたからかな」ってうそぶいて。
「あー、こりゃ切るっきゃねえかな」酒の匂いにまみれた赤い鼻のジジイが俺の足をみるや否や一言。
そりゃ思いっきり絶望したさ。まだ俺は傭兵稼業を続けたいんだ。こんなところで足を無くしちまったらこれからどうするんだって。こんなのでマトモに戦えるワケがない。引退しろってか? そりゃないぜ。
「これを放っておいたらどうなるかは分からない。けど……」
ジェッサは俺の熱くなりつつある手を、ぎゅっと抱きしめた。
「お前は生きなければならない……それだけは分かってくれ」
叫ばないように、舌を噛まないように布を噛まされた。目の前には真っ赤に焼かれたデカい肉切り包丁が。
「あー、用意はいいか?」けっ、呑気なジジイだ。
俺はといえば、まだ目の前の現実が受け入れられず、ただただ冷や汗まみれになって怯えていた。
「ガンデ、目をつぶれ」
俺はジェッサの言われるがまま、しっかり目を閉じ……
ふと、柔らかな感触が、俺の唇にかぶさった。
え、これって、ジェッサ……キス!?
「親父、やってくれ」
その直後、ドン! と左足首に例えようもない激痛と衝撃が走り、
俺の意識は……瞬時に消えた。