02. 異世界の人
永遠に続くかと思われた平地を抜け、木々が
脚の影を踏み、歩を進める。
こうして動いている時は
先の展開が判っていようが、歩み続けているのだから、この丘の頂上にも辿り着いてしまった。
背中の荷物をどっかと草の上に下ろし、汗ばむ脚は黒い土の上へ投げ出す。大きく息を吐き、代り映えのしない景色を眺める。
「このまま世界一周になりそうだな」
腕から力を抜き、地面に寝転がる。見飽きた大空が目に映った。
初めの場所から此処まで、確かに進んではいる。平地は抜けたし、この丘陵地もいずれ終わるだろう。
しかし、どこまで行けばこの世界の住人に会えるのだろうか? ともすると、このまま進んで辿り着く先は、世界をぐるっと回った出発地点かも知れない。
……とんだ世界一周旅行である。
◇◇◇◇◇
やけに冷たい風が、疲れた身体に心地良い。
暫く目を瞑っていたが、地面が僅かに揺れているように感じ、上体を起こす。汗で湿ったシャツが、パキパキと音を立てた。
吐き出す白い息が天に昇る様子を、たっぷり三呼吸は眺め、跳ね起きる。
鳥肌が立つ腕は霜に覆われ、寒さに震えている。捲り上げていた袖を一気に下ろし、足元に置かれたリュックを背負う。
辺りを見回すが、何も見当たらない。視線を上げ、空を見ると、二つ先の丘の上空に雲が集まっていた。
あそこで何かが起きている。
――逃げるべきか、行くべきか。
「はっ」
愚問だなと自嘲し、走り出す。
照り付ける陽射しに、凍る大気。この現実離れした現象を引き起こせるものなど、魔法をおいて他に無いだろう。
少なくとも私は、そのような気象現象を知らない。何しろ、先程までは寒さと無縁の土地であったのだ。
確かに、やろうと思えば現代科学でも再現は可能だろう。それでも、此処は異世界なのだから、やはり魔法であって欲しいと思った。
徐々に霜を踏み壊す感触は減り、凍った地面が更に固くなってきた。
息を荒くしながらも速度は緩めず、次の丘を登る。
◇◇◇◇
登り坂が終わる頃には、集まった雲が薄れていた。肺を刺すような冷気も、和らいでいる。耳や指先は未だに冷たいが、どうやら魔法は終わってしまったようだ。
仰ぎ見る空から、丘の中腹へと視線を下げると、そこには
直立二足歩行しているから、サヘラントロプス=チャデンシスだろうか?
……いや、紫がかった赤色のワンピースから覗く腕は、毛を剃っているのかも知れないが、それでも猿人には見えない。
それならホモ=ハビリスと言いたいところだが、身長が一・六メートルはあるから、これはホモ=エレクトスだろうか?
……丘の下へ向かって、何かを叫んでいる。言語を使用しているから、原人でも無さそうだ。
腰まで伸びる白髪を
……これらの特徴を持つのは、ホモ=サピエンスである。
笑顔で手を振ると、水の塊が飛んで来た――。
◇◇◇
彼女の立つ数百メートル先から、サッカーボール大の水が五つ発射された。着弾まで約二秒だったから、音速は超えていない。そして、慣性の法則は働いていなかった。
何故そんなことが判るのかと言えば、この身を以て体感したからである。
水の塊が、私の体を
空中に固定された私は、初めて身に受ける魔法に抵抗の術も解らず、闇雲に
無益に時は過ぎ行き、やがて目の前に少女が到着する。
「Pnv nh yfv grfvwn?」
少女が下から私の顔を覗き込み、鈴を転がすような声で何かを尋ねている。混乱する頭の中で、思い当たる言語を総当たりするも、何を言っているのかさっぱり解らない。
状況を考えれば、私の身分や敵対の意思を確認しているのだろう。問題は、返答方法である。
この異文化で、それも身振りだけで伝えるなど果たして可能だろうか? 思い悩んだ末、諦めた私の口を衝いて出たのは、情けない懇願だった。
「ま、待って! お願いします助けてください。必ず役に立ちます!」
目を見開き、後退る少女。この反応を見るに、知らない言語で
外国語慣れしていないとは、余程閉鎖的なコミュニティに違いない。若しくは、敵対する国の言語と聞き間違えたのだろうか?
釈明の方法さえ思い当たらず、最早
「Pnv dūf hrfncebgng, eb yf mnxh? dn gēf xbfvzvrf om jvyfēgh, pneoūg gēf pneēfvz nb ugevfvaāg, vrg pnv nh pnev xbgvrf ue ghzf?」
何を言っているのか、全く解らない。緊張と期待の見える表情から推測するに、これは重要な問い掛けだろう。
とは言え、内容が解らない上に、否定したところで何かを説明出来る訳でも無い。
――取り敢えず、
「Jvyfēgn ugebqnf ucghirav jhfqvranf venhpvran uggāyhzā ue xentba」
少女は安心したように破顔し、不意に拘束が解かれた。警戒し、こちらへ向けていた傘も下ろされた。
傘は
……どうにか正解を引けたな、と
自身の荒い息に気付き、何とか整えようと大きく息を吸った。
◇◇
帽子の
これだけなら、よく見るコーカソイドだが、特徴的なのはその毛髪だった。絹のように白く、腰まで伸びている。頬に触れる辺りには黒色の髪も見えるが、
男達が続々と集まって来た。彼らの髪色も全体的に白く、揃いの制服を着ていた。ブーツに長ズボンにシャツにコート……コートである。この暑い土地でコートを羽織り、更にはスカーフまで巻いている。
明らかに、普段この辺りで活動していない人々だ。彼らは私を見ると、皆一様に驚き、杖を構えた。
また磔か……痛くは無いが、やられて嬉しいものでも無い。そう思って両手を上げていると、少女が声を張り、何かを言った。
「eā lrqmng, jrefbanv hni hbqbzn jergbgvrf. crfcēwnzf, pvņš ce jenivrgbgnvf grfvwn, vrg pvņš hrfncebg gūfh pnybqh, oa gēf pvņh ugirqīfvz om jvyfēgh, fnv nvrfāgh. cmghevrgvrf jerg pvņh jvrxyāwītv」
私に向けられていた杖が下ろされる。ゆっくり近づいてきた一人が、
台座は大雑把に装飾された金属製で、玉の上部には対となる冠があった。金属とガラスの間には、傷付かない様にベージュの革が挟まれている。
ガラス玉の中は空洞で、液体が入りそうだが、注ぎ口は小さい。上部にストローを差し込む程の穴があるだけだ。ブラシは入りそうに無く、どうやって洗浄するのか不思議である。
差し出されたガラス玉を受け取ろうとすると、手を引っ込め、首を横に振られた。
……私にくれる訳ではないらしい。
首を傾げると、彼は玉に手を
ガラス玉は私の手に当たり、その触れた箇所からはタールのように黒い液体がドロリ垂れ、底に落ち始めた。
驚いて手を離すが、直ぐに上から手を重ねられる。そう言うものかと合点し、私は大人しく黒い液体を出し続けた。
手に濡れる感覚が無いことを不思議に思い、観察する。黒い液体は、ガラスの厚みを通り抜け、その内側で発生し垂れているようだ。
頭にひんやりとした冷たさを感じる。前髪に目を向けると、黒髪の色が薄れ行く最中だった。正確には無色透明な毛髪が白く見える訳だが……。成程、彼女達の髪が白いのは、これが原因か。
三分程経つと、私の手から黒い液体は垂れて来なくなった。ガラス玉は、上方まで満たされている。黒い水銀にも見えるこの液体は、きっと魔力と言うものだろう。
初めて会った少女が、いきなり水の塊を飛ばして来たことも、魔力に変化する、この黒髪が原因だったかも知れない。
◇
身体検査を終え、荷物を預けた後、彼らに連れられ丘を下り始める。気遣っているのか
言葉は通じなくとも、彼ら七人の指揮官が例の少女であることは明白だった。先頭を歩く彼女は、傘を差して日除けにしている。
あれは魔法の行使に必要な道具だと思っていたが、敢えて傘の形をしているのは、どうやら日焼け対策の為らしい。
こうして道中は賑やかになり、更に丘を下った先には、翼竜の、ケツァルコアトルスがいた。