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魔物たちの気遣い


「どうしよう……。暗くて、寒くて……ぶ、不気味……」

 一人でこんなところにいることなんて、今までなかった。

 両親が死んだ時、私には祖母と二人の幼い弟がいた。
 祖母が死んだ時も、両親の時よりも少しだけ成長した弟たちがいた。
 私は、一人じゃなかった。

 灯りをつけて、二人が不安にならないように、明るく強く、しっかりと自分を保ってきたのに。

 暗闇が──こんなに怖いだなんて。
 こんなに、心細いだなんて。
 知らなかった。
 いや、知らないふりを、気づかないふりをしてきたんだ。

 気づいてしまったら……私まで沈んでしまったら……、あの子たちを守ることができないと、無意識に心に盾を作っていた。

 あの子たちを守って、親の代わりに育てること。
 その目標が、バカ陛下の嫁召喚なんかで失われたんだ。
 この世界、いや、人間界の奴らのせいで……。

 私がいなくなって、弟たちは大丈夫なんだろうか?
 どこか施設に入っているんだろうか?
 ちゃんと、笑えているだろうか?
 私は────。

千歳(ちとせ)……。千都(せんと)……」

 大丈夫じゃないのは、多分、私だ。

「会いたいよ……。……お父さん、お母さん、おばあちゃん──ゼノン」

 自然と飛び出した魔王の名に気づき顔を上げた、その時だった。

「千奈!!」
「!!」

 声が。
 深く低い、焦ったような声が、私の耳に届いた。

 と同時に、私の目の前に降り立った黒い影。

「ま……おう……?」

 突然舞い降りた黒髪の美青年は私には見覚えのない顔をしていたけれど、それでも何となく、わかった。
 いつもフードでほとんどの顔が隠れていたけれど、彼の特徴と一致したから。

 真っ黒い服。
 赤い双眸。
 そして何より、その深く心に響く低音ボイス。

 間違いない。
 この美青年は──魔王だ。

「ど……して……」

 何でここに?
 どうしてここがわかったの?
 色々聞きたいのに声が震えて言葉が出てこない。

「っ……怪我が……。少し、我慢していろ」
「え? っ、きゃぁっ!?」

 言うや否や、魔王は私の背中に右手を回し、左手を私のひざ下へとくぐらせ、一気に持ち上げた。
 所詮お姫様抱っこというやつだ。
 まさか人生でこんなことをされる日が来るだなんて、夢にも思っていなかった。

「戻るぞ」
「へ? え、ちょ、ひやぁぁぁあっ!?」

 どんどん地面から遠くなっていく視界。

 空……飛んでる……!!
「急ぐぞ。舌を噛まないよう、口を閉じていろ」
「は? っ!?」
 魔王の飛ぶ速度が一気に加速した。
 息もできなくなるくらいに速く、視界が次から次へと変わって忙しくなる。

 私は飛んでいる間、自分の目と呼吸を守るため、魔王の胸元に顔をうずめるしかなかった。

 ***


 シュンッ──と風を切って暗雲立ち込める雨の空を飛び続け、開け放たれた窓から侵入したその先は、魔王城の私の部屋だった。

「ついたぞ」
 そう言って私をベッドの淵へと優しく降ろした魔王は、その場にしゃがんで私の右足を手にした。

「!? ちょ、な、何して──っ!?」
「怪我……痛むか?」
「ぁ……」

 私の右足を手に取ったまま、視線は左足にも向けられる。
 じんじんと痛む両膝を交互に見てから、眉を顰める魔王。

 もしかして、心配してくれてる?

 熱心に私の傷を観察する魔王に、私は小さくうなずいた。

「ふむ……仕方ない、か……。──フラン!!」
「──お呼びでしょうか」
「!?」

 魔王が「フラン」と人の名を呼ぶと、そのすぐ背後で黒い霧に包まれて現れたのは、白髪で人の良さそうな笑みを浮かべた初老の女性。

 それだけならばまだ、何か手品でもして現れたのだろうと思い込むこともできたかもしれない。……頑張れば。

 だけど彼女は、明らかに人とは違っていたのだ。
 だって──彼女の肌は、全て余すことなく緑色で、耳もツンと尖っているのだから……。

「すまないが、彼女の足を見てやってくれ」
「かしこまりました」

 女性は綺麗に頭を下げると、私の前まで進み出て、怪我をしている私の両膝に触れた。

「あらあら、結構深く傷ついてしまわれたのですわね?」
「え、えぇ……」
「よく耐えられましたわね」

 女性はにっこりと笑って、私の両膝にその緑の両手をかざした。
 刹那、彼女の手のひらから淡く白い光が溢れ、私の両膝へと吸い込まれていくと、みるみるうちに流れていた血が止まった。
 傷はあるけど、でも、痛みがない……。

「うそ……え……えぇぇぇえええ!? 何!? どういうこと!? 傷はあるのに痛くない!!」
「ふふふ。良かったですわ。私の力では痛みを麻痺させ感じなくさせたり止血をすることが限界で申し訳ありませんが……」

 そう言いながら女性はエプロンのポケットから次々と包帯やカット綿、消毒液にピンセットなどを取り出すと、私の足をきれいに処置し、最後に上半身がすっぽり入りそうな大きめのふわふわのタオルを、私の頭からかぶせた。

「彼女──フランはホブゴブリンでな。この城で侍女をしている」
「侍女!?」

 使用人、居たの!?
 今まで見たこともないのに……。

「ホブゴブリンって……それに侍女って……。でも、今まで一体どこに……?」

 私の問いかけに、フランと呼ばれていた女性が目尻の皺を濃くして優しく笑った。

「人間がここに来た際には、私たちは姿を見えなくしております。彼らを驚かせないように、そして敵意がないことを示すために。それに魔王様から、人間の、しかも魔法のない世界から強制的に召喚されたお嬢様がお嫁様になったと聞いて、私たちは決めたのです。お嬢様がこの世界に慣れるまでは、姿を現さず、陰からのサポートに徹しようと」

 それじゃぁ、ずっと屋敷の人達の姿が見えなかったのは──いないんじゃなくて……私を怖がらせないため?

 厨房に人がいないのに美味しい料理が出てくるのも。
 朝起きてそのままにしていても、夜にはベッドが綺麗に整えられて、ぽかぽかしているのも。
 服の洗濯だって……。

 全部、姿を消して、私に気づかれないようにしていたっていうの?

 心にじんわりとした温かいものがこみあげてくる。

「……私……突然に無理矢理召喚されて、幼い弟たちと離れ離れになって……。でも、人間界《あちら》では私を気遣ってくれる人なんていなかった」

 ひとつ、また一つと、言葉が沸き上がってくる。

「異世界人と王が結婚すれば国が反映するなんてお告げのせいで婚約させられて……。その婚約相手は国庫から勝手にお金を出して、毎日けばけばしい恋人に貢ぎまくるし、ダンスも恋人と踊って私はほったらかし。自分の居場所のない世界でこれから生きていかないといけないことに、ずっと絶望してた」

 憤って、絶望して、諦めて……。
 だけど──。

「私……魔王に嫁いでよかった」
「っ……」
 魔王の赤い瞳を見上げて笑った私に、なぜか魔王が言葉を詰まらせた。

「フランさん、お気遣い、ありがとうございました。あの、もう私、大丈夫ですから……だから、そのままでいてください。これからも、よろしくおねがいします」

「お嬢様……はい。こちらこそ、よろしくおねがいいたします」

 フランさんと微笑み合うと、彼女は「それでは私はお風呂の準備をさせていただきますわね」と頭を下げてから、また黒い霧に消えた。
 ……普通にドアから出入りしてもらうように今度言っておこう。



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