バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

おまけ

 担任は女性だったが、少し変わった人で、男のような立ち居振る舞いをする人だった。
 4月の終わり頃だっただろうか。担任が国語の授業で、ある列の後ろの席から順に児童を指名して教科書を朗読させていた。一番前の席はOさんである。前から2番めの児童が朗読を終えた時、Oさんは自分の番になると思ったのか、椅子から立ち上がろうとしたように見えた。が、担任はOさんを指名せず、自分で教科書の残りを読み上げ、それで授業は終わりとなった。
 その日の昼休み、担任が給食を食べ終えた頃に、意を決したようにOさんが立ち上がり、担任の机に行き、何かを訴え始めた。担任は興味が無さそうにそれを聞き流しながら、テストの採点を始めていた。Oさんは再度何かを強く訴えた。初めて担任の手が止まり、Oさんを見ると、こう言った。
「ごめん、悪いけどあなたが何を言っているのか全然分からない。多分、他の人も同じで聞き取れないと思うけど」
Oさんは担任を睨んだ。担任は暫くOさんを見つめた後、こう言った。
「私の言っていることは分かる?」
Oさんは頷いた。
「字は書ける?」
Oさんは強く頷いた。
「じゃあ、ここにあなたが言いたいことを書いてくれる?」
そう言って担任はOさんの前に紙と鉛筆を置いた。Oさんは、右手が不自由と見えて、体全体で紙を抑えるように前のめりになって、左手で書き始めた。書き終えたものをOさんは担任に見せた。担任はチラとそれを見ると、
「ここ、読めないから書き直して」
と言った。Oさんは再度何かを書いてそれを担任に見せた。
「授業にちゃんと参加したいの? でも、あなた授業に付いて来れてないでしょ? あなたの5年生迄の成績見たけれど、酷い評価だったよ?」
Oさんが何かを言おうとしていたが、担任はそれを制して、
「書いて」
と言った。Oさんは紙に何かを書き、担任に見せた。
「先生に質問してもちゃんと教えて貰えなかったの? そう…。中学迄にちゃんと勉強できるようになりたいのね?」
頷くOさんを前に、担任は暫く宙を見つめていたが、やがてこう言った。
「先ず、あなたがどこまで勉強が分かっているのか私には分からないので、確認させて下さい。1年生のテストから順にやって貰うけど良い? で、分からないところからやり直しましょう。でもここは普通の学校で、普通の教室だからあなただけに特別な対応をする訳にはいきません。全部自分で勉強して下さい。分からない所は持ってきてくれれば、そこは教えます。それで良ければやってあげるけど、どう?」
Oさんは頷いた。担任はこう続けた。
「あともう一つ問題があるね。あなたの発音。あなたが譬え勉強がちゃんとできるようになっても、その発音だと何を言っているか他の人には全然分からない。それを直さないと、ちゃんと相手して貰えないと思うよ。先生の方でちょっと知り合いに当たってみます。ただ、あなたのためだけにやる訳にはいかないから、学校全体でやれるかを相談してみます。駄目だったらお母さんと相談して、個人で習いに言って下さい」
Oさんは、担任にお辞儀をすると自分の席に戻っていった。

 担任は割とすぐに動いてくれたようで、翌日にはOさんにテストの束を渡し、
「授業はもう聞かなくていいから、これを解いて、終わったら休み時間に持ってきなさい」
と言っていた。
 Oさんはテストを担任の所に返しに行き、また新しいテストを貰ってそれを解く、ということを数日間やっていたようだった。やがて、テストの替わりにドリルをやり始めていた。時々休み時間に担任のところに行き、質問等をしているようだった。私が初めてその様子を見た時、Oさんが手にしていたのは3年生のドリルだった。またOさんは、放課後等にも仲の良い女子に分からないところを教えて貰っていたようだった。

 Oさんはその後ずっと授業には参加せず、ドリルをやり続けていたようだった。3学期のある日私がOさんの席の前を通りがかった時、Oさんが解いているのが6年生のドリルであるのが見えた。ちゃんと、追い付いたのだと私は知った。

しおり