本編
親が転勤族だった私は生まれてから6回目の引っ越しに伴い、6年の新学期から新しい小学校に通うことになった。初日担任に皆の前で紹介されて、黒板に氏名を書いた。が、恐らくは自己紹介をするタイミングで私は黙って立っていた。やがて担任は、真ん中あたりの空いている席に座るよう私に言った。
この担任は少し変わった人で、わざわざ皆の前で、「前の学校では成績良かったかも知れないけど、こっちは田舎じゃないのでそうは行かないと思うからしっかりと勉強するように」みたいなことを言う人だった。当時教科書は配られる度に数日で全て読んで理解できていた私は、転校で何か影響があるとはとても思えなかった。新しく渡された教科書も見る限り今まで使ってきた教科書と何ら変わるところはないように思えた。
ところで私の髪はかなり強い癖っ毛で、かつ毛量も多かった。櫛が通らないのでそのままでは髪を梳かすことはできず、頭を濡らして髪に水分を十分に吸わせた上で、ブラシで梳かすと初めて綺麗になる始末だった。尤も、そうまでして綺麗に梳かしても、癖っ毛故に髪が乾燥すればボサボサになってしまうのだが。ということで、小学生男子が毎朝そのような面倒なことをする訳もなく、私の頭は基本ボサボサだった。
自己紹介をせずに黙って立っていたこと、田舎?から来たこと、それとボサボサ頭を見て、どうやらクラスの相当数、特に男子は「田舎から馬鹿が来た」と思ったらしかった。甚だしい奴は「かっぺ」呼びしてきた。しかし親戚の相当数が都内23区に住み、年に何回か行き来していた私としては「かっぺ」呼ばわりは何のことやら? という感じでしかなかった。
周りの男子の私を見る目が変わったのは4月の半ば頃になってからだった。採点されたテストが返されてきたので、皆が私が馬鹿であることを確認する為にテストの点を見に来たのだった。実際には100点だったので、
「お前馬鹿かと思ったら、頭良いんじゃん!」
と、お褒め?の言葉を頂いた。以後もほぼ全てテストは100点を取っていたので、馬鹿扱いされることは無くなり、色々と放課後の遊びにも誘ってもらえるようになった。
ある日外部から発音や滑舌を診て指導してくれる先生が来るとのことで、児童全員その人に検査をされた。暫く後に結果の発表があり、クラスでは私とOさんという女子だけが指導を受けることになった。私は自分の発音や滑舌はイントネーション等も含めて綺麗な発声であると自信を持っていたので、正直なところ少しショックを受けた。
一方のOさんは、脳性麻痺がある子だった。テレビや映画で世の中にはそういう人がいる、ということを知ってはいたが、私が実物を見たのはその子が初めてであった。今までの小学校でもそうだったが、そういう問題のある子は親が色々と諦めてしまっている例が多く、身なりもそれなりに乱れていることが少なくなかった。だが、その子はいつも綺麗な身なりで髪も所謂天使の輪が見える程整えられていた。…私とは大違いだ。見た限り、Oさんは片足に若干麻痺があるが、ほぼ問題なく歩けるようだった。麻痺が酷いのは片腕と、後は発音だった。なので彼女が話すと脳性麻痺の人特有の喋り方で、殆ど何を言っているのか分からない状態だった。
発表があった時、男子の一人が
「お前、脳無しと一緒かよ」
と言ってきた。どういうことか分からないので尋ねると、Oさんはそういった様子から「(脳が無い)脳無し」と呼ばれて、黴菌扱いされているらしかった。それから暫く経った頃、その実態を目の当たりにして私は衝撃を受けた。Iという男子が何かを落としたので、それに気づいたOさんが拾おうとしたのだと思う。Iはそれに気づいた瞬間怒鳴っていた。
「触るんじゃねー、脳無しがよぉ。脳無し菌が伝染るだろ。どけよ、どけっつってんだろ!」
過去の小学校でもそういったいじめは色々あったが、障害や病気に起因するようなものは高学年にもなればやらないのが普通であった。また、後に判明するがこのIは学年で唯一私よりもIQが高い奴だった。つまり、「脳無し菌」等というものがある筈がないことを十分判った上で、彼はそういうことをやっていたのだ。また、彼は私にはかなり親切に色々と理知的に丁寧に、遊びであったり私が知らない物事であったりを解説してくれたり、遊びに誘ってくれたりするような奴だったので、尚更驚いたのだった。その後も見ていると、男子の相当数がそのIと同様の対応をOさんにしていた。一方女子はもちろんそんなことは無かった。私はと言えば、Oさんに特別な感情がある訳でも特別な正義感を持っていた訳でもなく、転校生という割と不安定な身分であることもあって、特に何もせず、それを見ていただけだった。
ある日、突然授業中に担任に名指しされて、私とOさんだけが発音の指導を受ける教室に向かうことになった。その教室で指導員から説明を受けたが、私は「き」の発音だけがおかしいと指摘された。どういうことか全く分からなかったのだが、「か行」を読み上げさせられ、
「『き』だけ、発音し難いでしょう?」
と言われた。確かに少し引っかかる感じがあった。指導員は「『く』『い』」という2つの音を始めはゆっくり、段々とそれを速く繋げて発音してみせろと言ってきた。その通りにすると、十分速くなったところで、
「はい、今出来たのが正しい『き』の発音です」
と言われた。確かに目から鱗であった。「き」以外の「か行」の音を私は、口を縦に使い舌を下ろした状態で喉の奥で発音していたのに対し、何故か「き」だけは、舌の前半分を上口蓋に付け、舌の後ろ半分の両脇から息を逃がす感じで発音していた。私はその間違った「き」の発音と、正しい無声軟口蓋破裂音としての「き」の音を使い分けて発音できたので、指導員が驚いていた。普通は正しい発音ができるようになると、それまでどうやっていたかを忘れてしまうのだそうだ。ということで、私は20分程で全指導が完了してしまったらしく、もう来なくて良いと言われて教室に戻った。
帰りがけにチラとOさんが見えた。指導員が2人付き、何やら色々と説明を受けているようだった。そしてその後も時々授業を抜けて指導を受けに、何ヶ月も通っていたようだった。
半年位経った頃だろうか。保護者向けと思われる学級通信というプリントにOさんの母親らしき人の寄稿が載っていた。
「親の私でも時折娘が何を言っているのか分からないことがあり、何度も聞き返したり時には紙に書いてもらったりして漸く分かることがありました。娘も随分ともどかしい思いをしていたようでしたが、正直障害があるので仕方がないと諦めていたところもありました。ところがある時娘が何を言っているのかが随分と聞き取り易くなっていることに気づきました」
という感じの発音指導に対する感謝の言葉が載っていた。そういえば、1学期の頃はOさんは常にノートと鉛筆を持ち歩いて時々何かをそこに書いて同級生の女子や担任に見せていることが多かったのに、冬になる頃にはノートを持ち歩いていなかったことを思い出した。あの指導員はかなり優秀だったんだろうなと思った。
3学期に入ったある日の放課後、私は教室に残って何かをやっていた。日直の日誌でも書いていたのか、本でも読んでいたのか、あるいは翌日迄の宿題をやっていたのか、とにかく数人しか残っていない教室で、机に向かい何かをやっていた。ふと、右前方を見るとOさんが自席でTさんと言い争っている様子が見えた。Tさんはこれも私から見たらちょっと変わった子だった。そこそこ可愛いのだけれど、私が転校したての頃、もう一人の女子と二人連れで私の席にやってきて、その子と一緒に本人である私を目の前に色々と私の品評会を始めたのだった。お陰で一番最初に名前を覚えた女子になった。「あんまりイケメンじゃないね」と言われたことは今でも覚えている。その後私も時々Tさんと話をしたり、彼女のことをからかったりする関係になったが、人と言い争いをするような子とは思っていなかったので、ましてや相手がOさんだったのでかなり驚いた。どうやら、Oさんが彼女に何か泣き言のようなことを言ったのに対し、Tさんが強く「そんなことは無い」と否定していたようだった。
やがてTさんが
「そんなことは絶対ないから、じゃあ、私が証明してあげるよ」
と言って教室内を見回し、私に視線を据えると
「多分彼なら大丈夫」
と言って、Oさんの手を取って私の席迄やって来た。一体この子は何を始めるつもりだろう? と見ていると、やおら机脇のフックに掛けてあった私の帽子を手に取ると、いきなりOさんの頭に被せてしまった。Oさんの不安気な表情が見えたが、驚いた私は
「何でそういうことするかな???」
と叫んでいた。Tさんは私に構わずOさんに、
「ね、大丈夫でしょ?」
と言い、それを聞いたOさんからは不安気な表情は消えていた。ほぼ私を無視してTさんは私の持ち物を色々とOさんに擦りつけていった。唖然としてそれを眺めている私に対し、Oさんの表情は段々と明るくなっていった。Tさんは、私が
「何したいのかな、もう!」
と言っても全くお構いなしだった。終いにはTさんは、私の上着をOさんに着せ、ランドセル迄背負わせてしまっていた。そこまで来て漸く私に向かって
「ほら、みんな脳無し菌まみれだよ、明日からもう使えないよ」
とか言ってきた。
「本当に何したいのかな、止めてくれないかな??」
と返す私を無視して、TさんはOさんに
「ね、ちょっと嫌がってるけど、本気では嫌がってもないし全然怒ってないでしょ?」
と言っていた。Oさんはと言えば、何が楽しいのか知らないがにこにこ顔になっていた。彼女らはひとしきりそうした後、私の席から去っていった。本当に何をしたかったのか、さっぱり微塵も理解できなかった。幸か不幸か、その教室に残っていた男子は私だけだったので、後日そのやりとりを言い触らされたり、私が男子から揶揄される心配もなかった。
それから数日経った頃、教室の入り口でOさんと出くわした。面倒なので、彼女に先を譲ったところ、少し驚いたような表情の後、ニヤけた横顔で彼女は教室に入っていった。それを見た私は、何でOさんがニヤけたのか意味が分からず気味が悪かったので
「気持ち悪い奴だな」
と思った。
多分、卒業式の日だったと思う。何故かOさんの母親と名乗る人が私のところに来てお礼を言って来た。本当に何が何やらさっぱり分からなかった。そもそも何に対するお礼なのかも全く分からなかった。私は生返事の後軽くお辞儀をして、そそくさとその場から逃げ去った。
私はその小学校の皆とは違う中学校に通ったので、その後のOさんのことは知らない。