case12.高遠清博という男
「お前、まだ詐欺紛いのことしてんのか。」
「あん?」
「詐欺してんのかって。」
「詐欺って何だよ。」
「自覚ねぇのかよ。憂鬱気分吸うなんておかしいだろ。」
「そのおかしいのを、身をもって体験したくせに。」
「そりゃそうだがなぁ。」
診療所を出て、とある居酒屋。
時間は夜。場所は東京。とある駅前通りを少し外れたところの店。こじんまりとした雰囲気がかえって良い。客層も落ち着いた中年ばかりで静かだ。折り入った話をするには最適だろう。
チェーンの居酒屋なんて猿の監獄かと思うほど大学生がうるさいからな。よくもまぁ酒が入ってるからといってあんなに騒げるもんだ。
それで今は友人と一対一で飲みに来ている。
三十二歳男性。早生まれだから俺より一個下。大学以来の友人。大学に入ったばかりで友達も何も作る気が無かった頃に、講義のグループワークで一緒になって、それから少し話が弾んだ後に、
「…良かったら、お昼一緒に食べない?」
「…あぁ、いいね。」
といって向こうから一歩踏み出したのがきっかけで親睦を深めた。お互いに代返したり代返したりして支え合った。深夜にキャンパスの会館に忍び込んで二人で宴を催したこともある。危うく守衛に見つかって退学を喰らうところだった。悪友とも言える存在。二十歳越えてクラブに誘ってきたのもこいつ。お陰でいい黒歴史になった。卒業後もちょくちょく会っていたが、俺も仕事が忙しくなってからは疎遠に。室崎は公務員試験に受かって区役所勤め。
まぁ黒魔術を習得してからは、しこたま実験台にさせてもらったが。
「あんな危ないこと、よく仕事にするもんだ。」
「別にいいだろ。」
「良くねぇよ。俺ぶっ倒れたの、忘れたか。」
「そんなこともあったな。」
鬱ボールの戻し入れが出来るようになった頃、面白半分で室崎に四個矢継ぎ早に入れたことがある。二、三個で様子がおかしくなり、四個目でぶっ倒れた。
バッタァン
「マジかぁ?大丈夫か?おい。」
「うぅ…うぐぅ…」
室崎の顔は真っ青で白目を剥き、口の端から泡が出て過呼吸になっていた。
「あれ?これマジでやばいやつか?ガチで?マジのガチで?嘘?どうしよ?え?え?」
すぐに吸い出してやれば良かったのだが、俺もかなりテンパった。救急車を呼んでからはただ見守ることしかできなかった。この教訓があって、むやみに戻し入れはしないようにすると誓ったのだ。
「マジで死ぬかと思ったからな。動くどころか声も出ねぇし目も見えねぇ。人殺せるぞ、ありゃあ。」
「だからあれからは気を付けてるよ。悪かったな。」
「ったく。」
気を付けるで許してくれるのがこいつの良いところだ。ちょっと他人に甘いというか、ネジが外れてる。普通なら絶縁でもおかしくない。黒魔術もあっさり信じてくれたし、実に都合が良い。だから今日もこうして会ってやっている。
「それで、何の話だ。」
改めて、今日呼び出された意図を問いかける。
「はぁ?」
はぁって何だよ、おい。
「いやだから、用があって呼び出したんじゃないのか。」
「あぁ、いや、別に?ただどうしてるかって、気になっただけだ。そうか、結局それで稼いでんだな。」
「悪いか?」
「いや?お前らしいといえば、お前らしい。」
そう言うと室崎はジョッキを傾けてビールを飲み干す。
何も用ねぇのかよ。なのに呼びつけやがって偉そうに。俺だって忙しいっての。
俺もカシスオレンジを飲み干す。
「無くなったな、すみませーん。」
「はぁーい。」
奥から店員が出てくる。恐らく二十代前半の若い女性。茶髪でチークが濃い。胸はそこそこ。
「俺、ハイボール大ジョッキで。お前は?」
「カシスソーダ。」
「それと、ポテトフライも一つ。」
「かしこまりました。」
パタパタと戻っていく。可愛いかも?
「稼げてんのか、それ?」
「まぁそれなりに。前の会社よりちょい多いくらいかな。」
「そんなにかよ。ぼったくってんのかお前。」
「うるせぇな。客来るからいいだろうが。次からお前でも金取るからな。」
「やらねぇよ、二度とな。」
「あぁそうかい。」
机の上のつまみをポリポリ齧る。特にコメントできない普通のしょっぱい味だ。
「お待たせしました。ハイボールと、カシスソーダと、ポテトフライですね。」
ジョッキを受け取り、
ぐび、ぐびぃ
一気に半分ほど飲み干す。
いかんいかん。甘いとジュースみたいに飲んじまうな。セーブしないと。
すすっ
お互いにポテトフライに手を伸ばす。お互い意地汚いから、一本ずつ取らずに三本くらいずつ掴む。
「む?!」
こ、これは、付け合わせのソースに、ケチャップとマヨネーズ?!そしてマヨの上に、た、食べるラー油が乗っている?!
いや、食べるラー油は美味しい。俺もたまに食べる。マヨネーズとラー油の相性が良いのもご存じ。だがポテトフライにおいてはいかがなものか。無難にケチャップの方が良いのでは?マヨラー油は油っぽさが強い。さらにそこに揚げ物の油を加えると、しつこ過ぎる味わいになるのでは…?俺がもう少し若ければありえた選択肢かもしれないが、いやしかしせっかくなら…
べっちょ、べちょ
あんぐり、あんぐあんぐ
俺の思慮を馬鹿にするかのごとく、室崎が掴んだポテトフライを両方のソースに付けて食いやがった。ソースが混じったじゃねぇか。もう知らん、俺もやってやる。
両方に付けて口に放り込む。
んぐ、んぐ
「ところでお前、彼女は?」
まだ俺が食ってる途中だろうが。
だが分かったことは、ポテトフライには何をつけても美味いということだ。
「いねぇよ。」
「まだか。三十越えたんだから、そろそろ焦れよ。」
「うっるせぇって。お前はどうなんだ。まだよろしくやってんのか。」
「よろしくって何だよ。やってるよ。」
室崎は社会人になってからマッチングアプリを始めた。タダ飯を奢り続けて紆余曲折あって三年、ようやく妥当な相手を見つけて付き合った。顔写真を見せてもらったが、うん、いや俺は良いと思う、好みって人それぞれだし。相手は二つ下で、百貨店でコスメを販売しているそう。その影響で室崎に美意識が生まれて、肌を大事にし出した。付き合いたての頃は俺におすすめとかいう化粧品をいくつも送ってきやがったから、しばらくブロックしていた。
「今もってことは、結構長いな。よく続くもんだな。」
「あぁ、その話もしなきゃだったな。」
「あ?」
「結婚する、来年の三月かな。」
「ふーん、おめっとさん。」
「何だよ、反応薄いな。」
特に何も思わない。年齢的には結婚しててもおかしくない。相手がいればなおさらだ。世間じゃ当たり前のことだ。
そのはずだ。
「呼んでやるから、祝儀よこせよ。」
「百円でいい?」
「ざけんな、二十万寄越せ。」
「ほざけ、なら行かねぇわ。」
「いいから来いよ馬鹿。」
「うるせぇよ。」
そんなこんなでくだらない話を続けて三時間弱、お開きという頃合いになった。
「もういいか?」
「いいよ、もう。」
十分食って飲んだ。酔いもちょうどいい、ちょっと気持ち悪いくらい。これ以上無理する意味も価値も無い。
「会計するか、すみませーん。」
「ゴチになりまーす。」
「後で半分出せよ。」
「ちぇっ。」
五千円くらい取られた。東京の人間は冷たい。
店の外に出る。夜はすっかり更け込んだ。夜風が火照った顔に染み渡る。
「そこそこ美味かったな。」
「そうだな。」
「俺、駅はあっちだ。」
「俺はこっち、じゃあな。」
乗る電車の線が違うから帰りは別々になる。
室崎に背を向けて歩き出す。
まぁ久し振りに友人に会うのも悪くはない。特に何かあるわけでもないが、暇潰しというか、自分を見つめ直すにもちょうどいい。
「あ、おいちょっと、高遠。」
「?何だよ。」
唐突に呼び止められたので振り返る。
室崎は酔いで顔を赤く目を虚ろにしながらも、ちょっと真剣な顔つきで、
「大丈夫、だよな?」
「あ?」
大丈夫、だと?
「何が?」
「…いや、いい。何でもない。」
室崎は目を伏せる。何なんだよ。
「何かあんならメッセ送れよ。じゃあな。」
「あぁ、また。」
もう一度背を向けて歩き出す。
今度は振り返らなかった。
プァーン
電車の中、今一度考えてみる。自分という存在を。
大丈夫、では、ない。何も大丈夫ではない。
冷静になれ。黒魔術で生計を立てていることのどこが大丈夫だというのだ。フリーランスのクリエイターよりよっぽど不安定だ。いつ黒魔術が使えなくなるかと思うと気が気でない。使えなくなったら、本当に自分はどうなってしまうのか。考えたくもない。こんなこと、前例も先達もない。だから誰にも相談できない。親にも言えない。そもそも親には前の会社を辞めたことも言っていない。
「俺会社辞めるわ!大丈夫、黒魔術で稼ぐから!ほら見て、憂鬱気分を吸い出せるんだよ!」
頭がおかしくなったと思うに違いない。即行精神病棟送りになる。そもそも連絡を取っていない。仲が悪いわけではないが、特段良くもない。最近何をしてどんな調子なのか何も知らない。新社会人の頃までは盆と正月には帰省していたが、段々と余裕が無くなって帰らなくなった。親類の法事も、いつ行ったか思い出せないくらい行ってない。両親はマメだからきちんとやってそうだ。共働きだったがもう定年になり、母親は再雇用でしばらく働き続けたが、それももう終わったはず。
「家族、ねぇ…」
分からない。酒のせいで考えがまとまらない。
電車を降り、家までの帰り道。
空を見上げる。曇っていて星は無い。
何となく、空に手をかざしてみる。皺と骨と血管が痛々しく、ムダ毛にまみれた手。
俺も歳を取った。結婚に焦る時期もあったが、吹っ切れた。さっきと同じ理由。恋人ができたとして、現状をどう説明する?黒魔術に納得できることを婚活の条件に追加しろと?
「面倒過ぎる、なんでそこまでしてやらなきゃいけない。」
俺の手では何も創れず、残せなかった。
今はもう、ただ人の憂鬱を弄ぶことしかできない。
手をポッケに突っ込んで歩き出す。
思うに、この黒魔術は俺だから身に付いたのではないか。誰にも大した関与ができず、周りにも自分にも舐め腐った考えしかできない自分だから。
他人を馬鹿にする力。一人で生きるしかなくなった人間に、宿るべくして宿る。そんなふうに考えられる。
ぶんぶんぶんぶん
頭を思い切り振る。
「やめだ、やめ!」
難しく考え過ぎた、俺の悪い癖。
「今が楽しければいいじゃないか!」
案外人生なんて何とかなるさ。
「もっと適当に生きてる人だっているんだし!」
生活保護でも生きてはいけるんだし。
「食い扶持あるだけ俺はマシさ!」
それに色んな客を見るのは楽しいぞぉ。
「憂鬱を吸ったり戻したりを信じるなんて馬鹿かよ!」
それでも俺を頼るしかない可愛い奴ら、おぉよしよし。
「全く俺がいないと何もできないんだから!」
そうだ俺は正義の味方。
「皆んなを幸せにするラッキーボーイ!」
だから、
「早く来てくれ!」
誰でもいい、
「俺を助けろ!」
せいぜい、
「俺を楽しませろ!」
『狂いに狂う人間がぁ!』
はぁ、はぁ
ちょっと、興奮してしまった。足がふらつく。
「んにゃ、これもぉ、楽しいかぁ。楽しめるぞぉ、俺は、何でもぉ。」
ふらふら、おっとっと
陽気な千鳥足で帰路につく。
夜も更けに更けた頃、横浜のとある路地で。
一人の男が自分の在り方に悩み、そして、結論を濁す形で帰着した。