推理
「摩耶くん、お手柄だよ」
ステージ上で黙考している摩耶の元に、島崎がやってくる。元俳優の友木明広を塔岡侑理殺害の重要参考人として、全国指名手配するための申請手続きを終えたところだ。
「わたし、大したことしてないですよ」
摩耶が顔をあげて答えると、島崎は続ける。
「確かに塔岡侑理の身辺を洗えば、いずれ我々も友木明広に辿り着いていたと思う。でもこんなに早く彼の名前が挙がったのは君がきっかけだっただろう?」
「はあ……」
「何か腑に落ちないことでもあるのかい?」
島崎は摩耶の顔を覗き込む。
「密室の謎が、やはり気になるんですよね」
摩耶は友木明広犯人説には、今ひとつしっくり来ないものを感じていた。
「うーん、それは友木に事情聴取を行って、本人の口から聞き出せばばいいことなんだけどなあ」
「島崎さん、わたしにもう少し時間をくれませんか?」
当初は乗り気ではなかった摩耶ではあったが、いつの間にか謎解きに夢中になっていた。
「分かった。君が納得するまで付き合うよ。そもそも俺が君を事件に引っ張り込んだわけだしね」
実は島崎自身も友木犯人説は半信半疑だった。摩耶が本気モードになるのを待っていたのである。
「で、これからどうする?」
「外階段の上り口をもう一度見たいです」
「了解。じゃあこっちから行こう」
二人はライブハウス客席の出入り口へ向かう。
「警部、俺たちは念のためもう少し調べて来ます」
島崎は岩美に声を掛けると、摩耶を伴いライブハウスを出た。
摩耶と島崎はビルの外へ出ると、再び外階段の前にやってきた。見張りには先ほどと同じ警官が立ってる。
「ご苦労さん。階段とその周囲を少し調べさせてもらうよ」
島崎が警官にひと声掛けた。警官は上り口に張られた「立入禁止」のテープの片側を剥がし、階段を通れるようにしてくれた。
摩耶は上り口から階上を見上げたり、何かを確かめるように数段上っては下りるを繰り返している。
「んーー!」
その傍らで、島崎はビルの前の道路に向かい大きく伸びをした。
「それにしても……」
彼は道を行き交う人々を呆れ顔で見る。
「どいつもこいつも、スマホの画面に夢中になりながらよく歩けるもんだよ。ぶつからないよう、こっちが気を使わなくちゃいけない。摩耶くんもそうなのかい?」
背中を向けたまま摩耶に尋ねる。だが反応がない。
「摩耶くん?」
島崎は振り返る。摩耶はいつにない真剣な面持ちで島崎の顔を凝視し、微動だにしない。
「――それだわ」
「え?」
島崎の反応を聞くまでもなく、摩耶は階段を上り始めた。
「お、おい。摩耶くん待ってくれ」
後を追う島崎。見上げると、メイド服のスカートがはためいている。島崎は思わず目線を逸らすと、
「摩耶くん、スカート、スカート!」
声高に注意を促す。
「あっ!」
慌ててスカートの裾を両手で押さえると、
「……島崎さん、見ました?」
摩耶は頬を紅潮させながら島崎を見下ろす。
「い、いや、見てないよ。うん、ほんの一瞬しか」
島崎はつい正直に言ってしまう。が、今の摩耶にとっては、そんなことを気にかけている場合ではなかった。
「今回は大目に見ます」
そう言うと、摩耶は二階の扉を開き、建物内へ入る。島崎も後に続いた。
摩耶は通路の左手、ステージへ向かう方へ行きかけたが、何かに気付いた様子で振り返り、反対の右手の通路を進む。控え室の入り口の方だ。
行き止まりで足を止めると、摩耶は左手の控え室の扉には見向きもせず、正面のスチール製のロッカーを観察した。控え室の扉は閉じられており、見張りの警官はすでにいない。
ロッカーの扉を開こうとするが、施錠されており、開けることは出来なかった。
(このロッカーがどうしたと言うんだ?)
島崎には摩耶の考えが全く読めなかったが、余計な口は挟むまいと心に決めていた。
摩耶は続けてロッカーの周囲を確かめる。すると、向かって右側、窓側の壁との間に約二十五センチの隙間があった。その隙間から奥を覗く摩耶。ロッカーは通路の端に背中を密着させて設置されているわけではなかった。ロッカーの後ろには奥行き五、六十センチほどの空間があり、何に使うのかよく分からない、ガラクタが、いくつか雑多に置かれていた。
摩耶は体を横向きにするとロッカーと壁の間の隙間に足を踏み入れた。
「おいおい、そんなところ入れるのかい?」
堪らずに、島崎が声を掛ける。
「ギリ行けそうです」
とは言うものの、摩耶は胸元にかなりの圧迫感を感じていた。彼女のバストは「巨乳」というほどではないが、背格好に対して標準以上のサイズを有している。
(もう少し痩せていれば余裕なんだけど……)
先ほど目の当たりにした、小森未夢のスレンダーな肢体が羨ましく思えた。
「ふうっ」
摩耶はロッカー裏のスペースに移動した。
改装後まだ間もないためか、物は散乱しているがホコリなどは溜まっていない。
「そこに何かあるのかい?」
ロッカーの向こうから島崎が呼びかける。
「ガラクタしかありません」
と言いながら、摩耶は再び隙間を横歩きで通路へ出る。要領が掴めたせいか、入った時よりは楽に出ることが出来た。
「収穫はなかったってことか」
島崎が言うと、
「ありましたよ?」
と答える摩耶の表情は明るい。
「え? ガラクタしかなかったのに?」
「いえ、
次に二人は通路を戻り、そのままステージ袖への扉まで進む。摩耶が確認したい場所はもうないらしい。扉を通って再びライブハウスのステージに戻ってきた。
島崎はステージを降り、そのまま客席スペースへ向かう。他の捜査員と共にテーブルに広げた捜査資料を睨んでいる岩美の元へ行くと、警部は開口一番、
「お嬢さんは何か掴んだのか? 友木犯人説には納得いってないようだが」
と島崎に尋ねる。
「さあ」
島崎は両腕を広げ、ステージ上の摩耶に目をやった。彼女は腕組みし、
(事件の解決はもうすぐだ)
島崎は胸が高鳴るのを覚えていた。
「岩美警部」
数分後、摩耶がステージを降りてきた。
「実験をしたいんですけど」
「実験? 何のだい?」
「密室トリックです。誰の目にも触れることなく、外階段を使ってビルの外へ出られるのか」
摩耶が言うと、
「解けたのかい?」
島崎は興奮を抑えられなかった。
「ええと、理屈の上では。実際に上手くいくのかどうかを試したいんです」
「警部!」
島崎は岩美に訴えかけるような目を向ける。
「分かった。協力しよう」
岩美は快諾した。
「では、段取りを説明します」
摩耶は島崎を呼び寄せると、彼にやって欲しいことを耳打ちした。
「それだけでいいのかい?」
「ええ」
言いながら、摩耶はステージへ向かう。
「それじゃあ五分後にお願いしますね」
「了解した」
摩耶がステージ袖へ姿を消すと、島崎は無線機を片手に、腕時計を凝視する。
「いったい何が始まるんだ?」
岩美が尋ねる。
「まあ見ていてください。摩耶くんのことだから、きっと驚かせてくれますよ」
――五分が経過した。
島崎は打ち合わせ通りに、無線機のスイッチを入れた。
「あーあー、聞こえるかい?」
「はい。聞こえます」
島崎がマイクに向かって話しかけると、すぐに応答があった。
「こちらは島崎だけど、君は外階段の見張りをしてるんだよね?」
「はい。何かご用でしょうか?」
無線の相手は外階段の前で立哨している警官だった。
「実は君に頼みがあってね。さっき渡したチラシ、まだ持ってるかな?」
「……はあ、持ってますが」
警官は怪訝な声で答える。
「すまないけど、そこに書いてある住所と電話番号を教えてくれないか?」
「分かりました。少々お待ちください」
すぐにスピーカーからカサカサと、畳んだ紙を広げる音が聞こえた。
「よろしいですか?」
「ああ、頼む」
「ええと、住所は東京都千代田区外神田――」
横で見ている岩美には全く意味が分からなかった。これが密室トリックと、どう繋がるというのだろうか。
「――以上です」
警官は言われたとおり、チラシの住所と電話番号を島崎に伝えた。
「ありがとう。助かったよ、以上だ」
そう答えると、島崎は無線を切った。
そのわずか一、二分後のことだった。
客席スペース奥の扉が開き、「戻りました」と言いながら摩耶が入ってきた。
「実験は成功したのかい?」
島崎が尋ねる。
「結果はこれから確認します」
「これから?」
「はい。島崎さん、もう一度無線で下のお巡りさんに訊いてもらえませんか?」
「今度は何を訊くんだい?」
「この数分間の間、外階段を誰かが通らなかったかについて」
「え? ああ、分かった」
島崎は再び無線機のスイッチを入れると、先ほどの警官を呼び出した。
「はい、何でしょうか?」
摩耶に言われたとおり、島崎は外階段を通った者について尋ねた。すると警官は驚くべき回答をした。
「いいえ、誰も見てませんが」
「本当に? 間違いない?」
しつこく念を押す島崎。だが警官の答えは変わらなかった。
「……了解した。何度も悪かったね」
力なく言いながら、島崎は無線を切ると、振り向きざまに摩耶に質問を浴びせた。
「摩耶くん、これはどういうことだ? 君はどうやって建物を出たんだ?」
摩耶は確かにステージ袖から姿を消した。当然、外階段を使って外へ出たのに間違いはないはずである。
「もちろん外階段を下りたんですよ?」
「そんな馬鹿な。見張りの警官が見ていたはずだ。彼は持ち場を離れていたのか?」
「いいえ。階段のところに確かにいました。手に持ったチラシを食い入るように見ていましたが」
「あ……」
島崎の頭を衝撃が走った。
盲点だった。正に島崎自身が、外階段に死角を作っていたのだ。摩耶はその死角を利用したのだ。
「た、確かに、この方法なら人目に付かずにビルの外へ出られる……」
「いや――」
ことの成り行きを見守っていた岩美が割って入り、反論を口にする。
「昨晩とは状況が違いすぎる。外階段の周辺にいたのは一人や二人じゃなかった。狭いスペースだが、十人近くはいたはずだ。その全員が何に気を取られて死角が出来たと言うんだね?」
「これです」
摩耶はポケットから出した物を二人の刑事に向けた。
「スマホ?」
岩美が呟く。
(どいつもこいつも、スマホの画面に夢中になりながらよく歩けるもんだよ)
島崎はつい今しがた、自分が口にした言葉を思い返していた。
「警部、スマホですよ。昨晩、外階段の周辺にいた者全員がスマホの画面に見入っていたんです! 思いもよらない死角が出来ていたんだ!」
興奮が抑えられない島崎がまくし立てる。
「しかしだな、その場にいた全員が、偶然スマホを凝視してたからたまたま死角が出来た、なんてのは強引過ぎる理屈だぞ」
逆に岩美は冷静に指摘する。
「偶然ではありません」
摩耶はきっぱりと答えた。
「偶然じゃないだって? あり得ない」
岩美の強面に赤みが差す。
「いいえ、犯人の思惑どおりだったんです。全て説明します」
摩耶は言葉を切ると、岩美と島崎の顔を交互に見る。
「ああ。ぜひ聞かせてくれ。犯人はいったいどんな魔法を使ったというんだ?」
岩美は身を乗り出した。
「夕べ、このビルの周辺にいた人たち全員には、ある共通点がありました。アイドルグループ・アマテラスのファンという共通点です」
摩耶が静かな口調で推理を語り始めた。
「それもライブチケットが手に入れられなかったにも
岩美と島崎は互いに顔を見合わせた。
二人とも思い当たらない様子だ。
「SNSですよ」
摩耶は話しながらスマートフォンを操作し、SNSアプリの画面を開くと、二人に向けた。
「昨日の夜、アマテラスのメンバーのほとんどがステージに上っていました。建物の外にいたファンの人たちは、会場内のファンを羨むと同時に、淋しい思いをしていたと思います。そこへひとりのメンバーがSNSに投稿する。ファンなら皆、メンバー全員のアカウントをフォローしているでしょう。当然、その場にいた全員が一斉に彼女の投稿に注目したことでしょうね」
昨晩の外階段に、死角が生まれた瞬間だった。
岩美と島崎は言葉を失っていた。
「犯人は……小森未夢、なのか?」
島崎はようやく言葉を絞り出した。
「物的証拠はありません。これはあくまでもわたしが立てた仮説に過ぎないですから。ただ……」
摩耶は辛そうな表情を見せる。
「ただ、なんだね?」
岩美が優しい声を掛ける。
「小森さんのご家族について、そう、特に戸籍を詳しく調べてみてください」
それだけ言うと、摩耶は二度と口を開くことはなかった。