第11話 夏輝の本気とご褒美
さらに半月ほどが経過し――夏輝と明菜の仲は、というと本人たちはあまり変わってないつもりだったが、周囲の評価は変わってきていた。
さすがに隠していても、いい加減明菜が天文同好会に所属している――正しくは何かは知らないが夏輝といつも一緒にいるのが露見し始めていた。
そうでなくても、目聡い生徒は学級委員として一緒に仕事をしている夏輝と明菜のやり取りからその関係性を察している。
実際、はたから見たらそうだよな、と思われても仕方ないとは夏輝自身ですら思っていた。
実際に付き合っているわけではないのだが、仲が良いのは否定できない。
先日明菜に励まされたことで――あれは励ましてくれたのだと思う――夏輝自身、気持ちは少し楽になっていた。
あの時の明菜の冗談――かは分からないが――はともかく、少なくとも彼女とこの先も高校生活を続けるなら、もう少し真面目にすべきだとは思えている。
その一環として、夏輝は一つ決意した。
「今度の期末試験、まじめに全力出すよ」
「お、ついに来たね。これで変わんなかったら恥だよー?」
「う」
さすがにそれはないと思いたい。
といっても、一年以上続けてきた『手抜き』をうっかりやる可能性はある。
さすがに自分がそこまでドジだとは思いたくないが。
「じゃあ、私から一つご褒美をあげましょう。上位者名簿に名前載ったら……そうだね。ぎゅーって抱きしめてあげる」
「は!?」
「あれ。それじゃ足りない? じゃあ……膝枕とほっぺにキスもつけてあげます」
「いやいや、そういう意味じゃないから。ってか、なんで明菜さんがそういうことになるの!?」
「夏輝君の本気見る代償?」
「なぜに……」
がっくりと項垂れる。
時々明菜の距離感が分からなくなる。
「うん、まあご褒美あるとやる気でない?」
「……内容に依るけどね」
「あれ。私では不服?」
「そうじゃなくて! そういうのは普通好きな相手にするものじゃないの!?」
「膝枕はともかく……ハグやキスなんて、普通の挨拶じゃないの?」
「それどこの文化!?」
「おじーちゃんからそう聞いたけど」
忘れていた。
明菜は北欧人の祖父を持つ。
おそらくその祖父から挨拶のようなものだとでも聞いたのだろう。
欧米ではそういう文化もあると聞いたことはあるし、実際洋画などではそういうシーンも見たことはある。
「日本人は普通はしないの! 全く……」
「でも私はクォーターだからいいのです。というわけで頑張ってね、夏輝君」
本気ではないと思いたい。
ちゃんと全力で挑むと約束した以上そこはやるが、ご褒美については考えないことにした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ねえ夏輝君。これ、やりすぎって言わない?」
「俺も……ちょっと予想以上だった」
一学期の期末試験。
その上位者名簿が掲示板に貼り出された。
貼り出されるのは、一学年合計二百五十人の中で、合計点で上位二十人のみ。
文句なしに学業におけるトップランカーの一覧となる。
その二番目に『秋名夏輝』の名前があったのだ。しかもトップとの点差は、わずか二点。
ちなみに『那月明菜』の名前は五番目だ。
「私も今回頑張ったんだけど……それ以上って。っていうか能ある鷹は爪を隠すを地で行きすぎではないですかね、夏輝君」
確かに今まで以上に勉強した。かなり本気で。
これだけ勉強したのは実は初めてかもしれない、というくらいだったが……。
予想を超えていたのは事実だ。
「そんなにご褒美欲しかったの?」
「違う、そんな
「私、何のご褒美かなんて言ってないけど?」
思わず顔が紅潮するのを自覚して、夏輝は逃げるように教室に戻った。
だが、そこでも歓声が上がる。
「お、学年次席が来た。っていうか夏輝、すっげぇな。いきなり次席とか」
「つかどんだけよ。俺とかならカンニング疑われそうだけど、お前、絶対そういうことやらないタイプだしな」
「すごいよねぇ、夏輝君。勉強教えてもらえばよかった。ね、次の定期試験前に、勉強手伝ってくれない?」
わらわらとクラスメイトが集まってくる。
一瞬、その輪に入るのを
突き飛ばした本人――明菜は、「ね、大丈夫でしょ?」とでもいうように笑っていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「さて。というわけでご褒美ターイム」
クラスメイトに捕まって、やっと地学準備室に来た夏輝を迎えたのは、やけにハイテンションの明菜だった。
「ちょ、ま、待てって……」
「待たない♪」
明らかにノリノリで、いきなり明菜は夏輝に抱き着いてきた。
今は夏服。
大きすぎるということはないが、年相応のやわらかい感触が、そのまま胸に押し付けられる。
少なからず暑さで汗をかいているはずなのに、それでもなおどこかいい匂いに全身が包まれた。
そしてそのまま――頬に柔らかい感触が触れる。
「?!!?!?!?!?!?!?」
女子に免疫のない思春期の高校生男子でこれに耐えられる人間がいたら、お目にかかりたい。
夏輝は茹でダコ同然の状態になって、力が抜けていく。
「もう、大丈夫だよね、夏輝君」
「え……」
「中学までは知らない。けど、ここにいるみんなは、みんな夏輝君がすごい人だって、少しずつ知り始めてる。でも、それを
「明菜、さん……」
脱力した夏輝は、そのままずるすると明菜に引っ張られ、打ち合わせ用の椅子に座らされ、隣の椅子に明菜も座った。
やや呆然とした様子で、夏輝は明菜を見る。
「今だと夏輝君のファーストキス奪えそうなんだけど、いい?」
「!?」
一瞬で意識が覚醒した。なんてことを言い出すのか。
「ちょ、まて、それは……」
「ダメかな。私も初めてよ」
「え……」
「中学生だった私は、清い交際をしてたのです。まあ今思うと、あの人だいぶエロかった気がするから、それも不満だったのかもしれないけどね」
明け透けに言う明菜に、夏輝は半ば呆れる。
「まあとにかく」
頭をつかまれると、いきなり引き倒された。
「はい、膝枕」
「ちょ、まって、さすがにこれは」
動こうとするが、頭を抑えられるとさすがに動けない。
「ちょ、あまり動かないで。さすがにくすぐったい」
今日の明菜は薄いストッキングのみで、スカート丈は膝上だ。
つまり膝枕は、ほぼほぼ素肌に触れているに近い。
下手に暴れるとストッキングを傷つける恐れもあり――つまり夏輝にできたことは、迂闊に動かないで凍り付いたように静止することだった。
「うん、それでいいの。言っとくけど、膝枕も初めてよ、私」
「いいのか、俺で……」
「悪かったらしてないから」
それはそうなのだろうが。
だとしてもこれは――自惚れてもいいのだろうか、と思ってしまう。
頭に伝わってくる感触はとても柔らかく、そして暖かい。
動かない夏輝の頭に、明菜の手が添えられる。
少しだけ冷たいその手は、羞恥から顔が紅潮し、頭が火照ったようになっていた熱を、じわじわと
精神が弛緩し、思考能力自体が低下していた。
だから――思わず口をついて言葉が出ていた。
「明菜、俺のこと好きなのか……?」
あまりの心地よさに、意識が判然としない。
だからその言葉も意識して言ったものではなく、むしろ夢の中の出来事の様ですらあった。
「うん、そうだよ。大好き。夏輝君は?」
「俺は……とっくに……好……」
意識が落ちる、その一瞬前。
唇に柔らかい感触が触れたような気がした。