12話 金と赤の贈り物
コンスタンスは包み隠さず、ジュネ伯爵夫妻の腹積もりを、ガブリエルへの手紙にしたためた。
そして最後に、姉を救って欲しい、と切なる願いを書く。
そもそも、伯爵令嬢が思い付きで出した手紙が、第二王子のガブリエルに読んでもらえる保証はない。
だが、現状でコンスタンスが頼れる相手は、ガブリエルしかいなかったのだ。
「お願いします。どうかお姉さまに、手を差し伸べてください」
コンスタンスの懇願は、聞き届けられた。
側付きであるロニーの手に渡った手紙は、違うことなくガブリエルによって開封される。
そしてロニーの名前で、コンスタンスへ返信された。
『今しばらく時間を稼いでもらいたい』
短い内容だったが、そこからは強い意志が感じられた。
「きっとガブリエル殿下が、お姉さまを助けてくださるんだわ。私は私にできることをしましょう」
そう判断したコンスタンスは、シルヴェーヌの嫁ぎ先の候補が挙がるたびに、もっと裕福な人がいるのではないかと横から意見して、ジュネ伯爵夫妻の決断を揺るがせた。
「たしかに、コンスタンスの言う通りだ。この金額では、ガブリエル殿下の話し相手をしていたときの、半分にも満たない」
「あなた、隣国まで含めて、重病人を抱える裕福な家を探しましょう。なにもゲラン王国内に、こだわる必要はないんだから」
欲深いジュネ伯爵夫妻は、見事にコンスタンスに踊らされた。
そして数週間で決まるはずだったシルヴェーヌの嫁ぎ先は、数か月が経っても決まらないでいる。
命運をジュネ伯爵に委ねたシルヴェーヌは、ただ静かに待ち続けた。
乳母や料理長との思い出がつまった庭を、物憂げに眺めながら。
◇◆◇◆
「儂は反対だ。そんな危険を冒さなくても、何か方法はあるはずだ」
「もう時間がない。急がなくては、シルが僕の手の届かない所へ行ってしまう」
国王の執務室から、親子の言い争う声がする。
それを聞きながら、ロニーは作業を続ける。
ガブリエルが公務を手伝うようになってから、こうして国王のもとを訪れる機会が増えた。
それを隠れ蓑にして、ロニーは王妃を出し抜く裏工作をしている。
「しかし、万が一のことがあったら……」
「僕の命を救ったのは、シルだ。だったら、僕の命を懸ける相手も、シルであるべきだ」
「せっかく回復した体なのだぞ?」
「それでも、シルと引き離されたら、僕は生きていけない」
ガブリエルに言い負かされ、国王は肩を落とす。
シルヴェーヌを離宮へ呼び戻すことについて、ガブリエルに一切の躊躇はない。
と言うのも、シルヴェーヌが喜んで離宮を出て行った訳でないのは、分かっているからだ。
帰りの馬車を手配した護衛兵によって、シルヴェーヌが泣き腫らした顔をしていたと、ガブリエルに報告が挙がっている。
「まったく。命を盾にして、父親を脅すんじゃない」
「父上がしっかりとあの人の手綱を握っていれば、こんなことにはならなかったのに」
王妃の前では、堂々とした振る舞いを見せるガブリエルだが、国王の前では、やや若さを見せる。
口調といい、態度といい、息子としての甘えが感じられるそれに、内心では国王も喜びを感じている。
だが、詰られた内容には反省しきりだった。
「それは……申し訳ないと思っている。格下のゲラン王国に嫁いでくれた王妃を、大事にしたかったのだ」
「おかげで伸び伸びと自分の派閥を広げて、今や父上を凌ぐ一大勢力になってしまった。このままでは国王としての威厳なんて、あったものじゃない」
「分かった、分かった。それ以上、責めてくれるな。儂も腹を決めよう」
両手を挙げて、降参する国王。
「シルヴェーヌ嬢との縁を繋いだのは、儂だというのを忘れないでくれ」
「それは……感謝しています」
素直に顔を赤らめるガブリエルに、国王はなんとかその想いを叶えたやりたいと思う。
「まだ、シルヴェーヌ嬢へ気持ちを伝えていないのだろう? 強引に囲い込んで、大丈夫なのか?」
痛いところを突かれ、ばつが悪そうにするガブリエルに、ロニーが助け舟を出した。
「そろそろ、手直しをしたドレスが戻ってきます。それをシルヴェーヌさまへお返しするときに、メッセージを贈られてはどうですか?」
「……あの人の監視の目を、潜り抜けられるだろうか」
ガブリエルは、その挙動を王妃の配下に見張られている。
コンスタンスへの短い返信すら、ロニーの名前で出さなければならなかったほどだ。
「こちらの計画に、勘付かれる危険は冒せない。なにか、暗号のようなものを使おうか?」
「シルヴェーヌさまにも伝わる暗号って、どんなものでしょう?」
ガブリエルとロニーが首を傾げていると、国王が口をはさむ。
「何を難しく考えているのだ。愛を伝えるのに打ってつけな、万国共通のアイテムがあるだろう」
◇◆◇◆
「お姉さま、お届け物ですよ」
シルヴェーヌの部屋までコンスタンスが抱えてきたのは、かなりの大きさの長方形の箱だった。
どうして伯爵令嬢が、配達員の真似ごとをしているのか。
シルヴェーヌが不思議に思うのも当然だが、王妃の監視をすり抜けるため、宛て先がコンスタンスに変えられていたのだ。
「送り主はガブリエル殿下です。こちらに置いておきますね」
ローテーブルにそっと箱を置くと、にっこり笑ったコンスタンスは出て行った。
ガブリエルの名前が出た瞬間、シルヴェーヌはカチンと固まってしまう。
ずっと、思い出さないようにしていた名前だったからだ。
「ガブから、私に?」
おずおずとシルヴェーヌは箱に近づく。
何か離宮に、私物の忘れものでもしただろうか。
刺繍糸で縁取られたリボンを、しゅるしゅると解く。
そして、箱のふたを持ち上げて――。
「……っ!」
シルヴェーヌは息を飲んだ。
全体はまだ見えていないが、この金色のレースには覚えがある。
「まさか……」
震える手で中身を取り出すと、それはあの夜、青いインクで汚されたはずのドレスだった。
インク壺が転がり落ちるまでに、胸元から足元まで、たっぷりとインクが染み込んでいたのに。
「何もなかったみたいに、綺麗」
令嬢たちに取り囲まれることもなく、扇を投げつけられることもなく、シルヴェーヌの存在を否定されることもなく――。
素敵な王子さまとダンスを踊り、幸せな時間を過ごしたお姫さまのドレスだ。
あの夜に汚れたドレスは、いつの間にか回収されていて、ロニーが預かっていると聞いていた。
シルヴェーヌを不憫に思ったガブリエルが、手直しを依頼してくれたに違いない。
ガブリエルとの楽しかったダンスを思い出し、うっとりとドレスを眺めていたシルヴェーヌだったが、その裾に何か小さなものが包まれている。
「あら? これは何かしら」
手のひらに収まるほどの、ころんとした箱だった。
それほど重くもない箱を持ちあげ、四方八方から眺めるが、中身の想像がつかない。
何の気なしにふたを開けると、ドレスの色にも負けない強烈な赤が、シルヴェーヌの眼に飛び込んできた。
「これ……ガブの瞳の色」
中に収められていたのは、指輪だった。
金の台座に嵌められた大きなルビーが、圧倒的な存在感を放っている。
「でも、どうして指輪なんて?」
ガブリエルがブリジットとの婚約を解消するために画策していることも、コンスタンスがシルヴェーヌを助けて欲しいと懇願したことも知らないシルヴェーヌは、いきなり贈られた指輪に戸惑いしかない。
ここで、ガブリエルとコンスタンスの間に、齟齬が生まれていた。
ガブリエルは、てっきりコンスタンスとシルヴェーヌの間で話がついていると思っていたし、コンスタンスは、ガブリエルからシルヴェーヌへ何らかの説明があるだろうと思っていた。
「もしかして、退職金の代わりだったりする?」
だからシルヴェーヌは、少ない可能性の中から、もっとも妥当と思われる解答を導き出した。
「こんなにもガブを思い出させるドレスと指輪を贈ってくるなんて、罪作りな王子さまね。でも……嬉しいわ」
シルヴェーヌは指輪をつけてみる。
いろいろな指に嵌めてみたが、左手の薬指が一番ぴったりだった。
「ありがとう、ガブ。私、この指輪があれば、きっとこれから先も頑張れる」
ガブリエルが求愛のつもりで忍ばせた結婚指輪は、シルヴェーヌにとっては過去を懐かしむ品になってしまった。
それを知らぬガブリエルは、シルヴェーヌがどんな反応をしただろうかと、悶々として過ごしたのだった。