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3話 孤児院で結ばれる縁

「あら、院長先生、お客様ですか?」



 カトラリーを並べていたクラーラが、人の気配に振り返る。

 さらりと揺れる短い銀髪、印象的な青い瞳、まとう柔らかい雰囲気――どれもがエアハルトの胸に刺さった。

 カチンと固まってしまったエアハルトとその隣のフリッツを、国外からの旅人であるとドリスが紹介する。

 

「二人分、席を追加してちょうだい。彼はあなたのスープがお目当てだそうよ」

 

 フリッツとエアハルトがこそこそ話していたのを、どうやらドリスに聞かれていたらしい。

 顔を赤らめるエアハルトに、クラーラも照れて真っ赤になった。



「たくさん作ったので、どうぞ。こちらに運びますね」

「手伝うよ」



 エアハルトが一歩踏み出すと、先に手伝っていた子どもたちから待ったがかかる。



「お手伝いしたいなら、まず手を洗わなくちゃ」

「こっちだよ、石けんも使ってね」



 子どもたちに連れて行かれるエアハルトの後ろ姿を、フリッツはぽかんと眺めた。



(なんですか、この光景は……僕は何を見ているんでしょう。あのハルが、孤児たちと手を繋いで、洗面所へ向かってるなんて)



 エアハルトの正体は、海の向こうの大国キースリング国ベルンシュタイン辺境伯家の長男だ。

 今はこうしてフリッツと気ままな旅をしているが、故郷へ戻れば大勢がその足元に傅く。

 そんな高貴な身分のエアハルトが、石けんの泡立て方がいまいちであると、子どもたちに指導されているのだ。



「はは……これをカロリーネさまに言っても、信じてもらえないでしょうね」



 フリッツは、いまだ忘れられないエアハルトの姉の面影を、脳裏に浮かべた。

 そんなフリッツも、躾の行き届いた子どもたちからは逃れられない。



「こっちのお兄ちゃんも、ご飯の前には手洗いするんだよ」

「そうそう、手を洗ってから席に着くの」



 小さな手に引っ張られ、フリッツもエアハルトの仲間入りをした。

 二人は並んで手を洗い、クラーラが運んできた大鍋を受け取ると配膳を手伝う。

 子どもたちがお代わり自由と言っていただけあり、大鍋の中にはたっぷりのスープが用意されていた。

 

 用意が終わると、みんなで手を合わせて、今日の糧への感謝を捧げる。

 眼前のスープの芳しい香りに、スプーンを握りしめたエアハルトの表情は緩む。



「なんて素晴らしいんだ。スープにときめいたのは初めてだ」

「ハル、言っておきますが普通の人は、スープ相手にときめかないんですよ」

「透き通った琥珀色の美しさ、口に入れた瞬間に舌へ広がる滋味、飲み込んだ後も続く芳醇な余韻……」

「今日は本当に、どうしちゃったんですか? お天気がいいのに帽子をかぶらずに歩いたのが、いけなかったんですかね?」

 

 主従の会話を、子どもたちが可笑しそうに聞いている。

 スープを作ったクラーラ本人は、頬に手を当て赤くなったのを隠していた。

 たまに来客へ振る舞うことはあるが、ここまで喜んでもらえたのは初めてだった。



「ねえ、お兄ちゃんたち、お名前を教えて?」

「僕はデレクだよ」

「私、チェリー!」



 賑やかな食卓で、次々と子どもたちの自己紹介が始まった。

 順番が回ってくると、クラーラもにこにこして名乗る。



「私は見習いシスターのクラーラです」



 エアハルトはしっかりとその名前を脳に刻み込む。

 そしてスープがいかに素晴らしかったのかを再び褒め称えた後で、自己紹介をした。



「俺はエアハルト。いつか事業を興したいと思っていて、今は旅を通じて見聞を広めているところだ」

「僕は付き人のフリッツです。ハルが変なことをしないよう、見張る役目を仰せつかっています」

 

 変なことってどんなこと? と子どもたちから質問されて、律儀にフリッツが答えている。

 それをエアハルトが、そんなことはしない! と必死に訂正しているのが笑いを誘っていた。

 院長やクラーラなど、大人の女性しかいない食卓は、どことなくお淑やかになるものだ。

 だが今日は、いつもは行儀のよい子どもたちも、エアハルトやフリッツにつられてよく喋った。



「賑やかでいいですね、院長先生」

「たまには、羽目を外すのもいいでしょう」



 ぽんぽん会話が飛び交う昼食会は、予想以上に楽しいものとなった。

 エアハルトたちは皿洗いを手伝った後も、ほかに男手のいる仕事はないか? と尋ね、重たい荷物を積極的に運んだ。

 ドリスとクラーラから、もう大丈夫と言われて、次は作業をしている子どもたちの元へ向かい、手伝えることがないか尋ねて回る。



「違うよ、ここを使うんだよ」

「こうすると、力がなくても簡単なの」



 薪にするため、古い木箱の分解をしていた子どもたちに助力を申し出たエアハルトは、逆にくぎ抜きの正しい使い方を子どもたちに教わった。

 初めて手にするくぎ抜きの機能的な構造に感心しているエアハルトを見て、フリッツも子どもたちも笑い声をあげる。



「エアハルトお兄ちゃん、くぎ抜きを知らなかったんだね」

「ハルがくぎ抜きを使う場面が、これから来るとも思えませんが」



 楽しくてどんどん釘を抜くエアハルトの横で、一番年かさの少年デレクが軽快にのこぎりを引いていた。



「のこぎりも引いたことないの? じゃあ、やってみる?」



 のこぎりは扱いの長けた者しか触れないアイテムだと聞いて、俄然やる気になるエアハルト。

 レンガが積まれた作業台にバラした木枠を載せ、足で押さえてから刃を立てる。



「これ、は……難しいな」



 力を込めると刃がぐねぐねと曲がり、デレクのように真っすぐ切れない。



「真っすぐじゃなくても、薪のサイズになりさえすれば大丈夫。ただ、真っすぐ切れるようになると、作業が早く終わるよ」

「そしたら遊ぶ時間が増えるんだよ!」



 合の手を入れるデレクの隣にいる少女は、先ほど食堂でチェリーと名乗っていた。

 亜麻色の髪や顔が似ているから、二人は兄妹なのだろう。



「なるほど、もうその齢で効率を考えているわけか。素晴らしいな」

「ハルはさっきから、そればかり言ってますね。この孤児院が、それほど気に入ったんですか?」

「今日は学びが多い。大通りを歩くだけでは、くぎ抜きものこぎりも、扱えるようにはならなかった」

 

 デレクからこつを伝授してもらい、角度や力加減に気を付けたら、エアハルトも真っすぐに切れるようになる。

 

「見てくれ、真っすぐだ!」



 子どもよりも喜んでいるエアハルトと、それに歓声を送る子どもたちで庭は騒がしい。

 そこへ手袋をつけたクラーラがやってきた。



「エアハルトさん、ありがとうございます。煮炊きに使うので、少しもらっていきますね」

「俺が運ぼう。木のトゲが刺さるといけない」

「まあ……それは、お気遣いいただき……」



 クラーラは革の手袋をつけた手を、もじもじさせる。

 木のトゲが刺さらないように手袋をつけているのだが、せっかくのエアハルトの厚意を断るのも申し訳なく思っているのだ。

 そんなクラーラとエアハルトの周囲に、なんとなく甘酸っぱい空気が流れ出し、それを見たフリッツが遠い目をする。



「ハル、ここは僕が引き受けますから、あなたはさっさと薪を運んでください。失恋したての僕に、この雰囲気はちょっときついですよ……」



 ぶつくさと零しながらも、エアハルトの手にあるのこぎりを譲り受け、今度はフリッツがデレクに弟子入りする。



「エアハルトお兄ちゃんより、体力がなさそうだなあ」



 などとデレクに品評されながら、フリッツがへっぴり腰でのこぎりを使い始めた隣で、エアハルトは逞しい腕に木片をどっさり抱え込む。



「厨房へ運べばいいのか?」

「お願いします。今から石窯に火を熾すので」

「夕食の準備だろうか?」

「それもありますが、明日のスープの下ごしらえをします」



 スープと聞いて、キランとエアハルトの瞳が輝く。

 

「それはぜひとも、見学させて欲しい!」



 くすくすと笑うクラーラについて行き、エアハルトは厨房に陣取った。



「俺に手伝えることがあれば、なんでも言ってくれ」

「そのときは、お願いしますね」



 手元を覗き込み、興味津々なエアハルトのために、クラーラは説明しながら調理をする。



「これは、一度茹でて血を落とした牛骨です。今から石窯でこんがり焼きます」

「香りづけのためかな?」

「ひと手間かかりますが、仕上がりが全然違うんですよ」



 焼いている間、クラーラは玉ねぎの皮を剥く。

 それをエアハルトにも手伝ってもらった。

 皮を捨てようとしたエアハルトに、クラーラが声をかける。



「玉ねぎの皮は、洗って使います」

「え? 一体、何に……?」

「いいだしが取れるんですよ」

「まさか、昼食のスープにも入っていたのか?」



 こくりと頷くクラーラに、エアハルトは顔を明るくする。



「隠し味ということだな!」

「うふふ、そうなりますね」



 柔和に笑うクラーラの顔に、エアハルトは目が吸い寄せられる。

 エアハルトの隣で、こんなに自然体を見せてくれる人は、なかなかいない。

 誰しも、エアハルトの地位に敬意を払い畏縮するか、その財産を狙って媚を売る。



(クラーラも俺の正体を知ったら、態度が変わってしまうだろうか)



 それがとても悲しく思えて、エアハルトの心が萎む。



(せっかく繋がった縁を、大切にしたい)



 今はただの旅人としてクラーラに接しようと、エアハルトは決めた。



「クラーラ、石窯から香ばしい匂いがしてきたぞ」

「そろそろいいかもしれません。次はこれで、牛骨を叩き割るんですよ」



 可愛らしいクラーラが持ち上げたのは、まったく似合わない厳つい金づちだった。

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