68話 限りなく黒に近い
「そこを深く考えたことは、なかったですね」
トマスが指で、トントンとテーブルを叩き出す。
その隣では、閃いたとばかりに、ダビドが手を叩いた。
「影を使って襲わせた、女子生徒のうちの誰かだろうか? 幸いなことに、現実では死んでいないが――」
「そうではないでしょう」
ヨアヒムはダビドの案をすぐに却下する。
「『二度目』に殺されたファビオラ嬢は、その令嬢に直接、ロープを引っ張られて死んでいます。だから『一度目』も、他の誰かにやらせたわけではないと思います」
「つまり……?」
「その令嬢のそばにいて、亡くなった者が一人いますよね」
がたん、とダビドが蒼白になって立ち上がる。
該当するのは、ラモナしかいない。
「まさか……当時のエバは、9歳だぞ」
「二人が同時に水に落ちた、と言っていましたが、一人はそれを理解できず静かに沈み、一人はそれを知っていて溺れまいともがいた。この差をどう考えますか?」
黙り込んだダビドに代わり、トマスが発言する。
「エバ嬢がラモナ殿下を舟から突き飛ばした。子どもだったから力加減が分からず、うっかり自分も池に落ちてしまった。これが真相でしょうか」
「おそらくはそうですね。時間が経ちすぎているので、再捜査は難しいでしょうが、私は護衛騎士の中に目撃者がいたと思います」
王族の護衛をしていている全員が、ラモナから目を離したとは考えにくい。
だからエバが手を出した瞬間を、見ていた騎士がいたはずだ。
「子ども同士の些細な喧嘩にしては、結果が重すぎます。だからあえて、事故として片付けたのでしょう。9歳の少女が抱く殺意を見抜けなくても、仕方がありません」
ヨアヒムの推察を聞いて、ダビドは膝の力が抜けたのか、どさりと椅子に座り込んだ。
そして宙を見上げ、ぼそりと呟く。
「どうしてだ……私たちはエバを、我が子同様に、可愛がっていたのに……」
「その令嬢は、主に嫉妬心に突き動かされているように感じます」
ヨアヒムに言われて、ダビドが顔をくしゃりと歪める。
思い当たる節があった。
「当時のレオは、ラモナを溺愛していた。将来は結婚するんだ、と言い張って周囲を困らせていて……」
「ファビオラ嬢が襲われた理由と、同じですね。もしかしたら今回の火事についても……と疑ったのですが、その令嬢が自宅謹慎中ならば、犯行は難しいでしょうか?」
それには、事情を知るトマスが答える。
「火事があったのは、宰相直属の部下の屋敷です。協力者さえいれば、潜り込むには最適だったでしょう。エバ嬢が何かしでかしても、宰相に忖度して揉み消してくれるでしょうから」
「そのパーティに王太子殿下は、自分色のドレスを着せたファビオラ嬢をエスコートして、参加したのですよね」
それをエバが目撃したら、間違いなく逆上するだろう。
三人が視線を交わす。
放火をした決定的な証拠はないが、限りなくエバが黒に近い。
ヨアヒムが話をまとめる。
「結論が出ましたね。ファビオラ嬢の安全を確保するには、その令嬢を遠ざけるだけでは足りません。嫉妬心を生み出す原因となる王太子殿下にも、距離を置いてもらう必要があります」
「……レオを、北の塔に幽閉する」
ダビドの言葉は重たかった。
「先ほど、レオはファビオラ嬢の死に様を、『知っている』かもしれないと言っただろう?」
トマスに話をふるダビドは、苦笑を浮かべている。
その顔は泣いているようにも見えた。
「私もそうなんだ。ペネロペの死に様を『知っている』。だから時を巻き戻したんだ。神様の恩恵の力で――」
トマスがぎょっと目を剥く。
危機に陥った王族に発現する力について、具体的な効果を知ったのは初めてだ。
伝承の中にも、おぼろげにしか書かれておらず、トマスはファビオラが予知夢を見るまで、あまり信じていなかった。
だが実在すると、ダビドが証言する。
「本来ならば、国の一大事に使うはずの、一度きりの力だ。それを私は、愛する者を失くした悼みに耐えきれず――」
ダビドがぐしゃりと、両手で前髪をかき上げた。
現れた眉間には、深い苦悩が刻まれている。
「やり直しの人生の中で、私はペネロペの死因となるものを、徹底的に排除した。だから、死期を過ぎた今も、ペネロペは生きている。おそらくレオも、ファビオラ嬢が死んで、時を巻き戻したのだろう。……ファビオラ嬢が見た不思議な夢というのは、実際にあった人生なのかもしれない」
グラナド侯爵家は横領の罪を着せられ、連座の絞首刑となり、生き残ったファビオラもやがて、凄惨な死を遂げる。
それが、まさかの現実だった。
あまりの衝撃に、トマスが固まる。
「通常は力を行使した者にしか、巻き戻し前の記憶は残らないのだが、ファビオラ嬢は銀髪の持ち主だ。神様から特別に、愛された可能性はある」
それで啓示として、19歳で死んだ一度目の人生を、夢の中で見せられたのか。
わずか12歳のファビオラに突きつけられた、運命の苛酷さに震える。
そんな中で抗い、生き延びたファビオラに、ヨアヒムは敬意を表した。
トマスが話した予知夢の中には、ヨアヒムは僅かたりとも登場しなかった。
つまりファビオラとヨアヒムが、出会わなかった可能性もあったのだ。
それに恐怖を覚えて、ヨアヒムの背中には冷や汗が流れた。
だが、それを顔色には出さず、トマスとダビドへと宣言する。
「容態が回復次第、ファビオラ嬢をヘルグレーン帝国へ連れ帰ります。そして二人が国境を越えられないよう、すぐに通達を出しましょう」
二人とは、レオナルドとエバを指す。
それだけのことを、二人はファビオラにしたのだ。
「レオが選択を間違えた責任は、私にある。良い手本になれなかった罰を、一緒に受けようと思う」
「ダビド、まさか……」
「すまんな、トマス。学生の頃の夢を、叶えられそうにない。私は宰相を裁き終わったら、譲位する」
「……誰にだ?」
「あれだけ執着しているファビオラ嬢と離されて、レオがまともでいられるはずがない。王太子からは退かせるよ。そして血は薄くなるが、遠い分家から次期国王を選ぼう」
トマスが深く項垂れる。
10代の頃、王太子だったダビドと共に、カーサス王国を護ると決めた。
家族よりも仕事を優先しがちだったのも、ゆくゆくはそれが、家族を護ることに繋がると信じていたからだ。
そうして邁進してきた日々が紡いだのが、この未来だなんて。
気落ちしているトマスの肩に、ダビドが手を置く。
「今までありがとう。これからは宰相として、カーサス王国を護ってくれるか?」
「最後まで、私をこき使うんだな」
くぐもった声のトマスに要職を押し付けると、ダビドは笑った。
夢を語り合った頃と違い、それは深いしわに包まれていた。
◇◆◇◆
「ファビオラが回復したら、お知らせします。それまでは王城で、ヘルグレーン帝国からの使者として、お過ごしください」
宣言した通り、会議が終わるとトマスは、さっさと屋敷へ帰った。
呆然とするヨアヒムを残して。
肩書を持ち出されてしまえば、個人的な行動は慎まなくてはならない。
「ファビオラ嬢を見舞うのを、どうして許してもらえなかったと思う?」
落ち込むヨアヒムの問に答えたのは、付き添っているバートだ。
「隣り合っている寝室の扉を開けてもらった、なんて言うからですよ」
会議室が人払いされた際に、バートも出て行ったのだが、どうやら話が聞こえる位置まで忍び込んでいたようだ。
暗殺者に求められる技術は、高い殺傷能力だけではない。
「あの場面では、ああ言わないと、駄目だったろう?」
「王太子に対抗意識を燃やしたんですよね」
図星をつかれて、またも落ち込む。
バートがそれを慰める。
「グラナド侯爵に敬遠されても、仕方ありませんよ。お二人はまだ、婚約者ですからね」
ひとつ屋根の下にいて、間違いが起きてはいけない。
ヨアヒムはあまり、信頼されていない身の上である。
どんよりとする背中を押し、バートが外出を促した。
「そうやって塞ぎ込んでいるより、城下町に行きましょうよ。ファビオラ嬢のお見舞いの品を探すのはどうです?」
「……分かっているんだぞ、バート。カーサス王国の食事が、口に合ったのだろう」
アダンと一緒に、ファビオラが監禁された屋敷周辺を捜査している間、やたらバートは買い食いしていた。
そのときに屋台で覚えた、豚のかたまり肉のミルク煮の味が忘れられないのだ。
「あれは絶品ですよ。豚肉から適度に脂肪が落ちて、代わりにミルクの旨みとコクが沁み込んで、味に幅と深みを与えているんです。思いがけない相乗効果でした」
「勝手に食べに行けばいいじゃないか」
「ヨアヒムさまから目を離したら、ウルスラさまに怒られるんですよね」
バートの願いを叶えるため、しぶしぶ王都へ下ったヨアヒムだったが、そこで思いがけない運命の出会いをするのだった。