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66話 王太子と第二皇子

「ようこそ、カーサス王国へ」



 ファビオラを救出した夜が明けて、早朝。

 正式な書状を携え、ヘルグレーン帝国の使者として現れたヨアヒムを、国王のダビドは丁重にもてなした。

 しかし、すぐにトマスによって、話し合いの場が設けられる。



「まずは歓待の宴が先ではないか?」



 そんな心配をするダビドに、それどころではない、とトマスは顔をしかめて見せた。

 カーサス王国から会議に参加したのは、ダビド、レオナルド、トマス、ホセで、ヘルグレーン帝国から会議に参加したのは、ヨアヒムだ。

 ホセだけは、なぜこの場に呼ばれたのか分からない、という顔をしていた。

 

「まずは書状をご覧ください」



 ヨアヒムがテーブルの上に、一通の封筒を置いた。

 ダビドが手を伸ばし、それを引き寄せる。

 その間もずっと、レオナルドから凝視されているのを、ヨアヒムは感じていた。

 

「これは……」



 紙面を読むダビドが、思わず声を漏らす。

 その狼狽えぶりに、レオナルドとホセも何事だろう、という顔をした。

 予めヨアヒムから内容を聞いていたトマスだけが、冷静だった。

 ダビドは深呼吸をした後に、文章を読み上げる。



「宰相がヘルグレーン帝国で捕まった。罪状は、皇位継承争いへの関与と、側妃殿下の誘拐未遂だ」

「えっ!?」



 がたんと椅子を蹴倒し、ホセが立ち上がる。

 

「そんな……嘘です! 父上はヘルグレーン帝国との友好のために、いつも心を砕いていました!」

「ホセ卿、落ち着きなさい」



 トマスがおごそかに命じる。

 注意を受け、ヨアヒムの前であることを思い出したホセは、頭を下げて座り直す。

 しかし、顔色は悪いままだ。

 

「文面によれば、宰相はそれを認めているとある。……尋問をしたのだろうか?」



 ダビドがヨアヒムに問う。

 やってもいないことを、やったと言わせたのではないか。

 長く仕えてくれたオラシオを信じたい、そんな思いが声に滲んだ。



「皇位継承争いへの関与は、多くの証拠が揃っていますから、言い逃れができないと思ったのでしょう。あっさりと自供しましたよ。側妃殿下の誘拐未遂は、皇帝陛下の目の前で行われたので……現行犯です」

「何という……」



 がくりとダビドが項垂れた。

 ヨアヒムの説明を聞いたホセの金色の瞳には、みるみると涙がたまる。

 そこへトマスが付け加える。



「宰相閣下は数年前から、国庫の金を横領しており、それがヘルグレーン帝国へ流れ、皇位継承争いを激化させた要因になったと分かりました」

「まさか、横領まで!?」

 

 ダビドの口が開いたまま閉じない。

 逆にホセはぐっと奥歯を噛みしめ、体を震わせた。



「ヘルグレーン帝国の法で裁くよりも、カーサス王国の法で裁いてもらいたい、というのが側妃殿下の希望です。この意味は伝わりますか?」

 

 今度は、ヨアヒムがダビドへ問う。

 ダビドはゆるゆると頷いた。



「カーサス王国には死刑がある。もちろん、大赦もありうるが……」

「判断はお任せします。こちらは、交換に応じてもらえれば、それで結構です」

「そう言えば、エルゲラ辺境伯領にて、第一皇子が捕まっていると書かれていたな」



 ダビドがもう一度、書状を確認した。

 ヨアヒムは経緯を話す。



「皇位継承争いが激化した結果、ヘルグレーン帝国にて内乱が起きました。何を思ったか、敗走した義兄上は、無断で国境を突破しようとして……エルゲラ辺境伯領で捕縛されました」



 今度はヨアヒムが溜め息をつく番だった。

 まったく、予想外のことをしてくれた。

 マティアスの件がなければ、もっとカーサス王国に、条件面で強く出られたものを。



「第一皇子が敗走ということは、皇太子になるのは……?」



 それまで黙っていたレオナルドが、初めて口を開いた。

 ヨアヒムは赤い瞳をしっかりと向け、宣言する。

 

「私です。すでに皇帝陛下より、指名をいただいています」

「それはおめでとう」



 レオナルドが口先だけで、おざなりに寿ぐ。

 表情に余裕があるのは、ヨアヒムの婚約者であるファビオラを、己の手中に収めているせいだろう。

 昨夜のうちに、ヨアヒムたちによって救出されているのだが、まだレオナルドはそれを知らない。



「交換については、合意する。細かい条件は、これから詰めていこう」



 ダビドの一声で、この場は取りあえずの解決となった。

 末席で青ざめていたホセへ、ダビドが伯父として話しかける。

 

「これからのアラーニャ公爵家は、ホセが背負っていかねばならぬ。大罪人を出してしまった家門として、多くの非難を浴びるだろう。余りにもつらいならば、爵位を返上してもいい。いつでも相談に来なさい」

「はい……ありがとうございます、伯父上」

「宰相が戻り次第、会わせてあげよう。それまでは公の場へは出ずに、屋敷で身を潜めているように」

 

 オラシオとの最後の面会は、アラーニャ公爵家だけを特別扱いする訳にはいかないダビドの、せめてもの温情だった。

 それまでこらえていた涙をぼたぼたと零し、ホセは先に退席した。

 これから母ブロッサや妹エバに、父の罪を詳らかにするという大役を担って。

 

「父上、僕も失礼していいですか? 公務が立て込んでいるのです」



 会議のせいで、ずいぶんと時間を取られてしまったレオナルドが、離席の許可を取る。

 なるべく早く仕事をこなして、今日はファビオラに会いに行きたい。

 

「レオは……」



 ダビドが言い淀み、トマスをちらりと見た。

 行方不明中のファビオラについて、トマスはレオナルドに、聞きたいことがあるのではないか。

 それならば今は、絶好の機会だ。

 だが、トマスは――。



「私もこのあと、家に帰らせてもらいます。妻や息子と一緒に、ファビオラを看病したいので」

「ファビオラ嬢が、見つかったのか!?」

 

 良かったな、とダビドが破顔して喜ぶ。

 その隣ではレオナルドが、眉根を険しく寄せた。

 

「誰を看病するって?」

「ファビオラですよ。ようやく助け出せました」

「嘘だ!」



 ダン、とレオナルドがテーブルを拳で叩いた。

 普段あまり見せない姿に、ダビドが目を剥く。

 トマスはそんな激高するレオナルドを、軽くいなした。



「嘘ではありません。今頃は、右腕から手錠も外れているでしょう」

「っ……! どうしてあの屋敷から連れ出したのだ! ファビオラは僕が護ってやらないと、神様に殺されるんだぞ!」

「レオ、まさか……」



 まさか監禁までするはずがない。

 そう楽観視した過去の自分を、ダビドは責める。

 レオナルドが匿っているはずだ、とトマスが糾弾したときに、どうして強く追及しなかったのか。

 そのせいで、ファビオラが見つかるまで、日数がかかってしまった。

 その間、トマスやパトリシア、アダンはどんな思いで過ごしただろう。

 悔いるダビドを余所に、トマスは聞き分けのない子に言い聞かせるよう、レオナルドに念を押した。



「ご承知の通り、ファビオラはこちらにいる、ヨアヒム殿下の婚約者です。レオナルド殿下は、二度と近づかないでください」

「ただの婚約者だろう? いつでも解消できる関係じゃないか」



 ふん、と鼻を鳴らしたレオナルドへ、ヨアヒムが言い返す。



「私はファビオラ嬢との婚約を、解消するつもりはありません」

「僕はファビオラと、あの部屋で二人きりで過ごした! どうだ!? これは立派な既成事実になるぞ!」

「ファビオラ嬢はヘルグレーン帝国に滞在している間、皇城にある私の部屋の隣で暮らしていました。そこは皇子妃の部屋なので、もちろん寝室が繋がっています」

「な、なんだと……」



 この発言に衝撃を受けたのは、レオナルドだけでなくトマスもだった。

 嘘は許さない、という硬い声音で、レオナルドを差し置いて、トマスがヨアヒムを問い質す。

 

「ヨアヒム殿下、通常はそうした造りの部屋には、両側から鍵のかかる扉があるはずです」

「……申し訳ありません、グラナド侯爵。私がファビオラ嬢に頼み込んで、開錠してもらいました」

「っ……!」



 トマスとレオナルドが、同時にひゅうと息を吸う。



「ですから、既成事実を持ち出すならば、私が先です」



 堂々としたヨアヒムに、レオナルドは唇を歪める。

 トマスは両手で顔を覆い、机に突っ伏してしまった。

 苦々しい思いを込めて、レオナルドはヨアヒムに毒づく。



「……ファビオラが死んでしまうかもしれないのに、よく平然としていられるな」

「むしろ王太子殿下と一緒にいたほうが、危ないのではないですか?」

「何を根拠に、そんなでたらめを……っ!」

「誰が休憩室に火を放ったのか、徹底的に調べてみましたか?」



 ヨアヒムはアダンから火事の状況を聞いて、真っ先に放火を疑った。

 消防団を総括するヨアヒムならではの、勘だった。

 

「すべての原因を神様に押し付けている限り、ファビオラ嬢はまた狙われるでしょう。私からしてみれば、王太子殿下の考え方は、甘いと言わざるを得ません」

 

 命を狙われることに関して、ヨアヒムは一日の長がある。

 敵意を向けてくる大本の相手を倒すまでは、暗殺者は後を絶たない。



「私なら、ファビオラ嬢が危険な目に合えば、必ず犯人を突き止め、それ以上の危害が及ばないよう善処します。檻の中に閉じ込めて、外敵から護っているつもりかもしれませんが、それでは何の解決にもなっていませんよ」

「っ……!」



 痛いところをつかれ、レオナルドは声も出ない。



「そんな護り方しかできないのならば、いつかファビオラ嬢は、本当に殺されてしまうかもしれません。私なら――相手が神様であろうとも、ファビオラ嬢のために戦います」



 ヨアヒムが帯剣の柄に手をおいた。

 それで神様を切りつけると言わんばかりに。

 ヨアヒムの発する威圧に、レオナルドが押されて黙る。

 

「レオ、自室に戻りなさい。今回の件については、後ほど処罰を与える」



 ダビドの重たい声が、場を仲裁した。

 レオナルドは、悔し紛れにヨアヒムを睨みつけ、退室していく。

 ダビドは護衛騎士に、レオナルドを見張るよう言いつけた。

 そして会議室から人払いをして、ヨアヒムとトマスに対して深々と頭を下げる。


「すまなかった。全ては私の、至らなさのせいだ。……レオナルドへの制裁は、二人の意見を汲みたい」

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