63話 知らぬ存ぜぬ
「それからボクは、馬だったり運河だったりをとにかく乗り継いで、早急にヨアヒム殿下へ救援を求めようと……エルゲラ辺境伯領で会えたのは、幸いでした。どうか姉を助けてください。お願いします!」
アダンはヨアヒムへ平伏した。
カーサス王国のことに、ヘルグレーン帝国が関わるのは越権行為だが、ヨアヒムはファビオラの正式な婚約者だ。
「父も母も、王家へ抗議をしています。でも、レオナルド殿下が知らぬ存ぜぬと嘘をつき通し、姉は行方不明の扱いになっているのです。ボクが見張りをつけていた屋敷には、シトリン嬢が駆け付けてくれたのと同時刻に、王家の紋章がついた馬車が乗り入れたと報告がありました。姉は間違いなく、そこに監禁されています」
呼吸も忘れて訴え続けたアダンは、咳き込んだ。
ヨアヒムは跪いて、その背をさすってやる。
「ファビオラ嬢は私の大切な人だ。必ずや王太子から取り戻そう」
力強いヨアヒムの声に、涙がにじむ。
「ありがとうございます。やはり、ヨアヒム殿下を推してよかった」
「私を、推して?」
「あなたはボクの憧れなんです。いつだって、あなたみたいになりたいと、頑張ってきました」
ぐい、と拳で目尻を拭うと、青いアダンの瞳が、赤いヨアヒムの瞳を真っすぐ捉えた。
「ボクは当時のことをよく覚えていないけれど、姉は何度だって教えてくれました」
「もしかして、それは……」
「ヨアヒム殿下は、オーズですよね?」
にこりと笑ったアダンの顔は、幼かったポムを彷彿とさせる。
ヨアヒムはくしゃりと髪をかき上げ、少し顔を赤らめた。
「ファビオラ嬢には、求婚するときに打ち明けようと思っていた」
「じゃあ、それまでボクも、黙っています」
人差し指で、しーっと、アダンは唇を押さえる。
どうやらアダンは、恋するヨアヒムの味方のようだ。
背後からは成長を見守る、バートの生暖かい視線を感じる。
「一緒にファビオラ嬢を助けに行こう」
ヨアヒムは握った拳を、アダンへ突き出した。
パッと顔を輝かせたアダンが、同じ動作をして合言葉をいう。
「幸運あれ!」
◇◆◇◆
「エバ、まさかと思うが、パーティの火事について、関わってはいないよな?」
「知らないわよォ。お兄さまったら、外務大臣の娘にデレデレしちゃって、私をほったらかすんだもの。退屈でしょうがなかったわァ」
「だからって、約束の場所から動いたら駄目だろう!」
「ちょっと飲み物を、取りに行ったの。すぐに戻ったんだけど、今度はお兄さまを見失っちゃってェ」
「私はエバを探して、あちこち走り回っていたんだ」
「じゃあ、すれ違ってしまったのねェ。それで? 外務大臣の娘とは、うまくいきそうなのォ?」
説教がうるさくて、エバは話をすり替える。
ホセが顔を赤くして、話しやすかっただの、可憐だっただの、やたら令嬢を褒めるのに、エバは上の空で相槌を打つ。
(当たり前じゃない。レオさま狙いだったのが、お兄さまに照準が変わったんだもの。気に入られようとして、いいところしか見せないわよォ)
腹の底でホセを馬鹿にしながら、エバは肝心の質問をくりだす。
「あの火事で、誰か死んだのォ?」
「火元と思われる休憩室には、二人の令嬢がいたらしいが、バルコニーから助け出されたそうだ。内部はほとんど全焼したというから、救援が遅れていたら大変なことになっていただろう」
ホセは神妙な顔をしているが、エバは舌打ちしたい気分だった。
(殺しそこなったんだわ! 悔しいィ!)
あの日、パーティ会場に現れたレオナルドは麗しく、やっぱりエバの王子さまなのだと感じた。
ふらふらと吸い寄せられるように近づくと、その隣に目障りなファビオラがいるのに気づく。
しかも、あろうことかレオナルドの色であるピンクで全身を固め、銀色の宝飾品をこれでもかと装着していた。
いよいよレオナルド殿下も婚約者を決められたのか、と貴族たちが噂する中、二人は息の合ったダンスを披露する。
さらには、時おり顔を近づけて、ひそひそと内緒話までする始末。
そんな光景を見せつけられて、黙っていられるエバではない。
(レオさまと別行動になった瞬間を狙って、あの部屋に閉じ込めてやったのよォ。銀髪ごと燃え落ちればいいと思って火を放ったのに、生き延びたなんて腹が立つわ!)
だがホセが言うには、ファビオラはその後、行方が分からなくなったらしい。
(このまま、見つからなければいいのよ。そうすれば、レオさまの隣は、永遠に私のものなんだからァ!)
エバは銀髪のかつらを、ぎゅっと握り潰した。
◇◆◇◆
「ファビオラ、元気にしてたようだね」
予知夢の中と同じ屋敷へ閉じ込められて、半月ほどが経過した。
レオナルドは時間を見つけては、ファビオラの様子を確認に来る。
そしてあの夜から、レオナルドはファビオラに敬称をつけなくなった。
それが許されるのは、特別な関係だけだというのに。
「王太子殿下、これを外してください」
ファビオラはレオナルドに、右腕を持ち上げて訴えた。
白い手首には、傷がつかないように布をかませた手錠がはめられ、そこから長い鎖が伸びていた。
鎖の先は、壁に埋め込まれた鉄輪に繋がっていて、ファビオラの行動範囲を制限している。
この部屋の中には、生活するのに困らないだけのものが揃っているが、だからと言って居心地がいい訳ではない。
「駄目だよ。また逃げようとするだろう?」
ファビオラは連れて来られたその日のうちに、脱走を試みた。
屋敷のどこを通れば外に出られるのか、ファビオラは『知っている』。
しかし――その抜け道は、使えなかった。
逃げたのがバレたファビオラは、レオナルドに手錠をかけられ、鎖で繋がれて今に至る。
「あんなところから、外に出られるなんて、僕も知らなかったよ。だから二度目は先回りして、塞がせてもらったんだ」
「二度目?」
ファビオラは違和感を覚える。
以前にもこうして、レオナルドは誰かをここへ、閉じ込めたのだろうか。
考えを巡らせるファビオラをよそに、レオナルドは満足げだ。
「使用人は、口が利けない者ばかりを集めた。ファビオラがここにいると、うっかり漏らされてはいけないからね」
それはお世話をされているときに、ファビオラも気づいていた。
みんな、身振り手振りで、意思疎通を図ろうとするのだ。
「彼女たちは僕に忠実だ。味方にしようとは、思わないようにね」
「そんなことは……」
考えてもいなかった。
きっと彼女たちにとって、仕事を得るのは大変なことだ。
同情してファビオラに手を貸そうものなら、レオナルドから叱責され、最悪の場合、職を失うだろう。
ファビオラの表情から、そう思っているのを読み取ったレオナルドが、ふっと微笑む。
「優しいね。双子の妹のラモナを亡くして、ずっと空虚だった僕の心を、ファビオラは慰めて癒してくれた。あの運命の日から、僕は君を神様には、絶対に渡さないと決めたんだ」
「……?」
また、だ。
レオナルドは、誰かとファビオラを重ね見ている。
ファビオラはレオナルドを避け続けていたから、まともに会話をしたのは数回しかない。
だからレオナルドの言う運命の日など、存在しないのだ。
「もう戻らなくては。次こそ、ファビオラの食べたいものを教えてね。必ず持ってくるから」
レオナルドはファビオラの銀髪に口づけると、屋敷から去った。
執務の合間だけだから、長居はしない。
そのおかげで、ファビオラも耐えられた。
「王太子殿下は完全に人払いをして、いつも私と二人きりになる。……未婚の男女には、許されない行為だわ」
見咎められ、既成事実を問われたら、言い逃れができない。
レオナルドの距離の詰め方が、ファビオラには苦痛だった。
「ヨアヒムさまのときは、こんなことを感じなかったのに」
はあ、と口から深い溜め息がもれる。
予知夢の中でレオナルドは、犯罪者であるファビオラを、衆目から隠すために監禁していた。
ただし、今はそれとは状況が違う。
「こうなってしまったのは、私がパーティ会場で、火事に巻き込まれたせいよね。王太子殿下は私が、神様に連れて行かれると思って、過剰に警戒しているんだわ」
かつて、レオナルドが言っていた。
神様が銀髪を愛するあまり、ラモナの魂を欲した。
そのせいで、不思議な死に方をしたのだと。
「不思議といえば、どうして火事が起きたのかしら。あの休憩室には、他にあんな手燭なんてなかった。誰かが故意に持ち込んだとしか――」
そこでファビオラは思い出す。
パーティ会場で令嬢にぶつかられたとき、その銀髪が気になったのを。
「ウルスラさまの専属侍女として、変装をしていたから分かる。あの銀髪はかつらだった」
カーサス王国では、銀髪は神様の御使いの一族の象徴だ。
ファビオラは父トマスも銀髪なので珍しくも感じず、あまり意識したことはないが、そうでない髪色の人からは憧憬の対象とされている。
さらにはレオナルドが銀髪を好むと知っていれば、気を引くために、かつらを被ってパーティに参加する令嬢がいてもおかしくはない。
「だけど……妙だわ」
令嬢が呼びに行ったはずのメイドは、いつまでたっても休憩室には来なかった。
赤ワインで染まったドレスの裾ばかり見ていて、ファビオラはくだんの令嬢と目を合わせていない。
さらにはパーティ会場の騒がしさもあって、令嬢とはっきりした言葉のやりとりも出来なかった。
――『朱金の少年少女探偵団』のオーズだったら、真っ先にその正体不明の令嬢を疑っただろう。
「シトリンさんと逃げようとしたら、扉には鍵がかけられ、内側からは開かなかった。最後にあの扉に触ったのは、立ち去った令嬢なのよね」
ファビオラは確信する。
あの令嬢が休憩室に火を放ったのだ。
「おそらく、命を狙われたのは私――シトリンさんは、巻き添えを食ったのだわ」
申し訳なくて、両手で顔を覆う。
しゃらりと、鎖が右側で音を立てた。
「あの令嬢の正体は、アラーニャ公爵令嬢だったのね」
ファビオラを殺したがる令嬢が、そうそういるはずがない。
ヘルグレーン帝国でヨアヒムの婚約者になったときでも、罵られはしたがそれだけだった。
これまで直接、ファビオラに手をかけようとしたのは、エバだけなのだ。
「自宅謹慎中なのに、どうやって抜け出したのかしら。変装までしてパーティに潜りこむなんて……」
その行動力をもってすれば、やがてこの屋敷にも来るのではないか。
ロープで首を絞められた予知夢が蘇る。
「鎖に繋がれている場合じゃないわ。なんとかして外さないと!」
しかし、巧妙につくられた手錠には鍵穴もなく、ファビオラに待ち受けるのは絶望だけだった。