50話 越えられない壁
「ようこそ、ポーリーナさま」
大きな帽子をかぶったポーリーナが、皇城内にあるファビオラの部屋を訪ねてくれたのは、あのお茶会の日から数日後だった。
きょろきょろと周囲を窺っていたので、隠れながらここまで来たのだろう。
ファビオラはすぐに扉を閉めて、ポーリーナを匿う。
「どうぞ、おかけになって」
「……ありがとうございます」
温かいお茶でもてなすと、ファビオラはすぐに女の子の絵が描かれた缶を、テーブルいっぱいに並べた。
ポーリーナはそれを見て、息を飲み、ふっくらとした頬を赤く染める。
「っ……! こんなに種類があるんですか!?」
灰色の瞳がキラキラと輝き、まるで宝物をみつけた少女のようだ。
それもそのはず、ファビオラが見せた缶は、ヘルグレーン帝国では非売品のものばかり。
普通に販売店でミルクキャンディを買っているだけでは、どれも手に入らないのだ。
「ヘルグレーン帝国に輸入されているのは、日持ちする乳製品ばかりですが、カーサス王国ではそれ以外も販売されているんです。こちらの缶は、そうした日持ちしない乳製品の、贈答用に作られているもので――」
大きさがちょうどいいので、ファビオラは品物を小分けするのに使っている。
旅行中も、潰れて欲しくないものを入れたりと、よく活用していた。
「だから、たくさんあるんです。いくつでもお譲りできますよ」
「ああ……どうしましょう」
中が二段重ねになっているものや、秘密の宝箱のように鍵付きのものもある。
ひとつひとつ手に取って、ファビオラはポーリーナへ見せた。
「こちらには季節限定のバターキャンディが入っているので、そのままお土産としてお持ち帰りください」
用意していたリボン掛けの缶を渡すと、ポーリーナが感極まって泣き出してしまった。
「どうして、こんなに親切にしてくれるのですか。私は帽子をかぶったまま訪問したり、失礼な態度をとったのに……」
今度こそファビオラは、ポーリーナがハンカチを出す前にそれを差し出せた。
「涙を拭いてください。私もきれいごとばかりではないのです」
ハンカチを目に当てたポーリーナへ、ファビオラは打ち明ける。
「この女の子のファンでいてくれるポーリーナさまと、仲良くなりたいと思ったのは本当です。だけど私たちには、越えられない壁がありますよね」
それは第二皇子派と第一皇子派という、ヘルグレーン帝国で最も高い壁だ。
ポーリーナもこくりと頷く。
「ポーリーナさまが壁の向こうで幸せならば、私もこれ以上は踏み込みません。ですが、もしそうでないのならば、壁の向こうから引っ張り上げるお手伝いをしますわ。もちろん、そこには下心があるので、ポーリーナさまが遠慮されることはありませんよ」
「下心があるから、きれいではないんですか?」
にこりと微笑むことで、ファビオラは答えとした。
ぐすっと洟をすすったポーリーナは、考えながらぽつりぽつりと話し出す。
「……下心のない人なんて、この城にいるんでしょうか? 我が家は子爵なので、今まで領地でのんびりと暮らしていたんです。でも商都へ買い物に来たとき、お忍び中のマティアスさまと出会ってしまって……いきなり、婚約者候補に選ばれました」
そこにポーリーナの意思はなかった。
オーバリ子爵は大喜びして、その日のうちに借金をし、皇都内の屋敷を購入したという。
それ以来、ポーリーナは領地へ帰らせてもらえなくなった。
「少しでも長くマティアスさまの傍にいて、気に入られるように振る舞いなさいと父は言います」
そこでポーリーナが青ざめたのを、ファビオラは見逃さなかった。
「それが嫌なのですね?」
「っ……、私には、他の婚約者候補たちの真似をするのは、無理です。でも、父は私が見劣りしないように、ドレスや装飾品までたくさん買って……我が家は決して、そんなに裕福ではないのに」
回り始めた歯車は、なかなか止められない。
娘が皇子妃になるかもしれない夢に、オーバリ子爵はすべてを賭けたのだろう。
後戻りが出来なくて、ポーリーナは苦しんでいるのだ。
「ポーリーナさまは、第一皇子妃になるのを望んでいない?」
「とんでもないことです。私にとって、この城内は息が苦しいばかり。日々、爵位の高い方にとり囲まれて、身を縮めて過ごしているんです」
ポーリーナの置かれている状況は把握できた。
オーバリ子爵の抱える借金以外は、第二皇子派へ引っ張り込んでも、なにも問題がないように思える。
ファビオラは右手を差し出した。
「ポーリーナさま、私たち、お友だちになりましょう。そしてその辛苦から、脱却するんです」
ポーリーナはファビオラの右手と顔を、交互に見た。
まだその瞳の中の躊躇いは大きい。
「信じられないかもしれませんが、私はそんじょそこらの貴族なんて目じゃないほどの富豪なんですよ。だからオーバリ子爵がいくら借金をしていようと、肩代わりできます」
「……ファビオラさまの下心って、何ですか?」
「そう言えば、まだ話してませんでしたね。第一皇子殿下について、ポーリーナさまが知っていることを教えてください」
「それは……間諜になれということ?」
「いいえ、それは私の役目ですから」
「え!?」
ポーリーナが素っ頓狂な声を出した。
ファビオラが分かり易く説明する。
「大それたことじゃなくていいんです。第一皇子派の人ならば、当たり前に知っているようなことも、私たちは知りません。その程度の情報でいいんです」
ウルスラも言っていた。
マティアスが取り巻きの中で、誰を最も信頼しているのか。
そんなことも知らないと。
「城内を歩けば分かりますが、私たちはくっきりと仕切られた中で生きています」
「私も驚きました。どこもかしこも、青か赤に色が分かれていて、最初はよく迷い込んで怒られましたわ」
「そのせいで、情報の行き来がかなり制限されています。ポーリーナさまの当たり前が、こちらでは貴重なんですよ」
ポーリーナが納得した顔をする。
「ポーリーナさまが私を助けてくれるなら、私もポーリーナさまを助けます。これなら平等でしょう?」
「ファビオラさまの負担の方が、大きいように思いますが……」
「情報はお金になるんですよ」
それは商会長をしていると、真実であると分かる。
時として、情報はお金よりも強い。
「オーバリ子爵家ごと、ポーリーナさまをこちらの味方につけることは、ウルスラさまも了承済みなんです。だからどうか、私の手を取ってください」
ファビオラの右手は、最初から位置を変えず、ずっと差し出されたままだった。
ポーリーナは自分の右手をじっと見て、それからおずおずとファビオラの手を握った。
「ありがとうございます。これで私たち、仲良しですね」
ファビオラが微笑むと、ポーリーナが頬を染めた。
もしかしたらポーリーナは、城内に友だちがいないのかもしれない。
(ずっとポーリーナさまを使い走りにするような集団と一緒だったのだから、あり得るわね)
借金の呪縛から解き放たれ、安堵したポーリーナの口はよく動いた。
とにかく知っていることを全てファビオラに伝えようと、聞かれなくてもしゃべり続けたのだ。
「マティアスさまは、胸の大きな女性が好きなんです。私は胸だけじゃなく、全体的に太いのですが、そんなことはお構いなしみたいで」
ぱくぱくとお菓子を食べるポーリーナのために、ファビオラはお茶を注いでやる。
「他の婚約者候補たちは、その……マティアスさまに胸をくっつけるんです。こうやって……」
ポーリーナが実演してみせる。
男性と腕を組む振りをして、そこに押し付けるのだそうだ。
「それをしないのは、私だけ。努力もせずに、胸の大きさだけで一番のお気に入りになって、他の令嬢からやっかみを受けるのは当たり前なんですよね」
こくりとお茶を飲み、ポーリーナが溜め息をつく。
「さんざん嫌味も言われます。子爵令嬢ごときでは皇子妃にはなれない、愛妾として囲われるのが精一杯、太った体だけが取り柄……どれも本当のことなので、反論はしません」
「ポーリーナさま、そんな環境に慣れてはいけませんよ」
ファビオラに注意され、ポーリーナがハッと顔を上げる。
「その令嬢たちとは、もう縁を切りましょう。ポーリーナさまへの悪影響しかありません。これからは私のお友だちとして、お茶会やパーティで楽しくお話ししましょうね」
「そ、うですね。私、言われて嫌だったの、に……笑って、ごまかしたりして」
わあっと、ポーリーナは堰を切ったように泣き崩れた。
たくさん我慢してきたのだろう。
爵位の差があるから言い返すこともできず、オーバリ子爵の借金のせいで逃げることもできず。
ファビオラはポーリーナの隣に座り、落ち着くまで丸まった背を撫でた。
そしてもちろん、全ての缶をポーリーナへ譲った。