38話 影の中の影
家族会議の後、アダンは自室へと戻った。
そして椅子に深く腰掛けて考える。
「『七色の夢商会』の店舗前で、初めて会ったヨアヒム殿下は、ボクを見て『ポム?』と言った。それが『朱金の少年少女探偵団』に出てくる、最年少メンバーのポムを指しているならば……その答えはひとつだ。ボクがごっこ遊びでポム役になったのは、あの日が最初で最後なのだから」
記憶を亡くしたアダンに、ファビオラが教えてくれた。
襲撃を受けるまでは、楽しい一日だったのだと。
オーズ役の男の子について、嬉しそうにファビオラが話すとき、その頬がうっすらと紅潮するのを、アダンだけが知っている。
「ボクがポムだと分かったヨアヒム殿下は、お姉さまがシャミだと気づいただろう。でも……ヨアヒム殿下がオーズなのかどうか、お姉さまは半信半疑みたいだ」
なにしろヨアヒムの髪は、朱金色ではなくなっている。
ファビオラが確信を持てないのも仕方がない。
アダンが口添えをしても、決定打にはならないのではないか。
それくらいなら、もっと運命的に、二人があの日のオーズとシャミだったと、分かったほうがいい。
しばらく様子を見よう、とアダンは結論付けた。
「ヨアヒム殿下がお姉さまの初恋相手だったのは、ボクにとって好都合だ。うまく利用して、お姉さまをレオナルド殿下から、もっと遠ざけられないかな」
しかし留意しなくてはならないのは、レオナルドだけではない。
アダンはエバについても頭を巡らせる。
「王妹の娘という立場を利用して、影を好き勝手に使っていたのか。下劣だな。これまでにも、数多の令嬢をねじ伏せてきたという噂があったが、どうせそれも影の仕業だろう。……まさか、お姉さまを殺そうとするなんてね」
司書にお願いされるまま、台車のある場所までついて行ったのをアダンは悔やむ。
おそらく影によって、うまく誘導されていたに違いない。
図書室に取り残されたファビオラが、狩りの獲物のように扱われたと聞いて、アダンのはらわたが煮えくり返る。
「こちらはお父さまが何とかしてくれる。……叱られる国王陛下には同情するけど、影の手綱はまともな人にしっかり握っていて欲しいからね」
明日の王城は荒れるだろう。
それも致し方ない、とアダンは寝る準備を始めた。
◇◆◇◆
「ダビド、大切な話がある。人払いをしてくれ」
財務大臣に宛がわれた執務室を通り過ぎ、出仕早々、トマスは国王の執務室に踏み入った。
忙しなく働いていた書記官たちは、トマスの凄みのある形相に怖気づき、命じられる前にそそくさと部屋を出て行く。
しかし、宰相のオラシオだけは、ダビドの隣から動かなかった。
「財務大臣、学生時代は国王陛下と親友だったのかもしれないが、礼儀知らずな態度は褒められないな。それに今は、私が話をしているのだ。大人しく順番を待てないのか?」
咎めるオラシオの物言いに、トマスは口角を持ち上げた。
「その教育熱心さを、ご息女に向けられてはどうですか?」
「……どういう意味だ」
「娘の躾がなってない、って言ってるんだよ」
トマスの口調が変わり、オラシオが面食らった顔をする。
慌ててダビドが二人を諫めた。
「おい、止めないか! 宰相、この話は急ぎではないから、また後にしてくれ。そしてトマス、もう少し血気を抑えろ。それでは私とも、満足に話せないだろう?」
その言葉で、この場がどう治まるのか決まった。
忌々しそうに出て行くオラシオを、トマスは睥睨する。
二人きりになった執務室で、ダビドは汗を拭った。
「やれやれ……そんなトマスを見るのは、久しぶりだな」
トマスはダビドの机の前にある椅子へ腰かける。
立ったままでは、いつ掴みかかってしまうか分からない。
「ダビド、影を呼んでくれ。お前の側には常に、トップの奴がいるはずだ」
「まとわりつくなと言っても、あいつだけは離れないからなあ。……出てきなさい」
ダビドの背後に、黒いローブで上半身を隠した男が現れた。
目深に下ろされたフードのせいで、表情はあまり窺えない。
この男こそ影の中の影、四人の部下を束ねる、一番の実力者だった。
ダビドへ恭しく頭を下げた影に、トマスが厳しい目を向ける。
「トマスよ、影がどうかしたのか?」
「こいつ以外の影が、今どこで何をしているか、ダビドは知っているか」
「影とは距離を置いているから、詳しくはない。お前は把握しているだろう?」
ダビドが振り返って尋ねる。
影は特徴のない声で返答した。
「現在はレオナルド殿下に二人、アラーニャ公爵夫人に二人、配置しております。アラーニャ公爵夫人の影は時おり、アラーニャ公爵令嬢にも呼ばれているようです」
「それぞれが何をしているのか、分かるか?」
「基本的には護衛をしていますが、レオナルド殿下とアラーニャ公爵令嬢からは、密命を受けているようです」
影の台詞を聞いたトマスの怒気が膨らむ。
敏感にそれを感じ取ったダビドが、すくみ上った。
「トマスはどうしてそう荒れている?」
「王城の図書室で、ファビオラが襲われたんだ」
「っ……!?」
「誰がやったか、お前は知っているよな?」
トマスは影に言葉を投げつける。
しかし返事はない。
「ダビド、こいつに命じろ。洗いざらい吐けって!」
「まずは落ち着け」
立ち上がりかけたトマスの肩を押し留め、椅子に座らせる。
いつもは冷静沈着なイメージが強いトマスだが、それはそう振る舞っているからだ。
本来のトマスが好戦的であるのは、ダビド以外にはあまり知られていない。
ダビドは影へ直々に問うた。
「これは由々しき問題だ。もしも影のせいならば――解散も視野に入れる」
ダビドはそもそも、影をよく思っていなかった。
だからこそ、その言葉には真実味があった。
影は気が進まない様子で口を開く。
「グラナド侯爵令嬢に対し、直接的な干渉をした影はおりません」
「間接的には?」
ダビドは影の言い逃れを許さない。
「……アラーニャ公爵令嬢に命じられた影が、手を貸しました」
「手を貸したというのは、具体的には何をしたんだ?」
「グラナド侯爵令嬢と図書室内で二人きりになれるように、差配したようです」
影の言葉を受け取り、ダビドがトマスに確認する。
「影がしたのは、ここまでのようだ」
「だったら今すぐ、アラーニャ公爵令嬢を捕縛してくれ。王城内で武器を携帯していた」
「エバが武器を……?」
「髪飾りに模した小刀を、ファビオラに向かって投げつけたんだ。不法所持と不正使用だ、禁固刑に該当する」
ダビドが影を振り向くが、影は首を横に振る。
それに関して、影たちは関与をしていないということらしい。
先ほど、トマスがオラシオに放った言葉を、ダビドは噛みしめた。
「姪がとんだことをした。私からも謝罪させてくれ」
「もう二度と、起きないようにして欲しい」
「私から、宰相とブロッサに話そう。そして今後は、全ての影を、私の支配下に置く」
ダビドが重々しく影に命じる。
「すぐに他の影にも伝えよ。私の護衛以外の仕事を、請け負ってはならない。もし反すれば、影を消滅させるとな」
「かしこまりました」
もとよりダビドに仕えたがっていた影は、声に若干の喜色をにじませる。
そして次の瞬間、音もなく姿を消した。
直ちに、部下たちへ指示を出すのだろう。
「すまなかったな、トマス。影の在り方については、曖昧なままではいけなかった。永年の風習だからと、放っておいた私の責任だ」
「影はいつだって、盲目的に王族を信奉している。それをどう利用するか、個人の判断に委ねるのは危険だ。神様の御使いの一族と言っても、倫理観がまともな者ばかりではないからな」
ここぞとトマスがエバをこき下ろす。
「いっそのこと、私の代で影など無くしてしまいたいよ。法に囚われない存在なんて、危なっかしいだけだ」
「昔はそれでも、よかったのかもしれないが。いつしか王族と影の関係は、歪み始めたのだろう」
奉仕される側の慢心ゆえか、信愛する側の妄執ゆえか。
神様の目には現状が、どう見えているのだろう。
◇◆◇◆
「それで? 僕にはもう、仕えられないってこと?」
「申し訳ございません」
二人の影が、レオナルドへ深く頭を下げていた。
先ほど、トップから号令がかかり、全員で国王の護衛につくと決まった。
これまでレオナルドの命令で、ファビオラの安全に専心していたが、それが出来なくなったのを詫びる。
「いいよ、別に。結局エバの影に出し抜かれて、ファビオラを護れなかったみたいだしね。……とことん僕は、手足となる人間に恵まれないな」
レオナルドが零す愚痴に、影たちはますます首を垂れる。
図書室でファビオラが逃げた先の、書庫から裏口へ続く扉には、実は鍵がかかっていた。
それをすんでの所で開錠したのは影たちだったが、言い訳にもならないだろう。
「しかし、エバは影を取り上げられるだけでなく、王城内での武器の所持と使用で罰せられるのか。しばらくはファビオラに手を出せないだろうし、幽閉されて社交界からも遠ざけられるはず……それなら差し引きで、僕に分があるな」
そう己を納得させて、レオナルドは無用となった影たちを退かせた。
これからのことを考えると、心が浮き立つ。
「ファビオラと仲良くなるために、何かプレゼントを贈ろう。ドレスがいいか、宝飾品がいいか……。今ならエバがいないから、パーティにだって招待できる」
ファビオラが怖がっているのはエバだと、レオナルドは信じて疑っていなかった。