1話 神様の恩恵
「朱金の少年少女探偵団、ここに結成よ!」
もともとは銀色だった髪を、朱金色に染めた9歳のファビオラが、ぎゅっと握った拳を前に突き出す。
するとその拳に、少しだけ大きい拳と、少しだけ小さな拳が、こつんとぶつかった。
これが子どもたちに大人気の物語『朱金の少年少女探偵団』における、メンバー間の挨拶だ。
「ボク、ポム役をしたいです!」
ファビオラの弟アダンが、探偵団の最年少メンバーの名前を出した。
この三人の中で、8歳のアダンは一番年下だ。
「適役ね。じゃあ、私は副リーダーのシャミ役をやるわ!」
「僕が、リーダーのオーズ役をやってもいいの?」
ファビオラが紅一点メンバーを担うと宣言すると、目の前にいた男の子がビックリして赤い瞳を見開く。
「もちろん! 我らがオーズがいないと、始まらないじゃない」
物語の中の台詞でファビオラが返事をすると、男の子は嬉しそうに顔をほころばせる。
子どもたちの間で、探偵団になりきるごっこ遊びをするとき、頭脳明晰なリーダーのオーズ役は取り合いになるほど大人気なのだ。
だが、オーズを真似してわざわざ髪を染色したファビオラと違って、地毛が朱金色の男の子がやる方が当たり前に思えた。
なにしろ、『朱金の少年少女探偵団』とタイトルにもあるように、物語の主人公である元孤児オーズは、見事な朱金色の髪の毛をしているのだから。
「さっそく、事件を探しに行こう! シャミ、ポム、僕に続け!」
オーズ役の男の子の掛け声で、ファビオラとアダンは一緒に駆け出す。
この町は、カーサス王国とヘルグレーン帝国の国境付近にあり、行きかう大人は元気なファビオラたちに目を細めた。
「あらあら、今日も探偵団は大忙しね」
「そう言えば近頃、シリーズの最新刊が出たんでしょう?」
「おや、メンバーが増えているな。いつも姉弟のどっちがリーダーになるかで、揉めているのに」
ごっこ遊びを見慣れている地元の民にとって、辺り一帯を治めるエルゲラ辺境伯の、姪と甥であるファビオラとアダンの顔は見知っている。
だが今日はそこに、ちょっと目を引く赤い瞳の男の子が混じっていた。
「一体、どこの子だろう?」
「この辺りじゃ、見かけない子ね」
「辺境伯さまにお知らせした方が、いいだろうか?」
そんな大人たちの思案顔など、少年少女たちは知る由もない。
町中を探索しては、ここが怪しい! と指さすだけで楽しかった。
三人は、空が夕陽に染まる時間まで、声をあげて笑い走り回る。
お互いの名前も知らず、素性も尋ねず、『朱金の少年少女探偵団』が好きだという共通点だけで仲間になった三人は、最高の一日を過ごした。
――だが、そろそろ帰ろうかという頃、状況が一変する。
遊び疲れた三人が、町外れの草原で寝転がっているときだった。
「殿下! 逃げてください!」
どこからか、男性の鋭い声がした。
なんだろう? とゆっくり首を持ち上げたファビオラだったが、それよりも早く男の子が覆いかぶさってきた。
ファビオラとアダンを護るような体勢になった男の子が、ぐっと苦しそうに眉をしかめる。
「どうしたの?」
そう口にした瞬間、ファビオラは左胸に熱を感じた。
視線を落とすと、男の子の肩を貫通した矢じりが、ファビオラの体に刺さっていた。
「っ、痛い!」
「ごめん……っ」
食いしばった歯の間から、男の子がファビオラに謝る。
その表情があまりに悲壮で、ファビオラは「これくらい大丈夫よ」と、軽口を叩きたかった。
しかしその前に、駆け付けた数人の男性が男の子を抱き上げてマントで隠すと、周囲を警戒しながら走り去っていった。
連携の取れた動きからして、男の子の護衛か何かだろう。
ファビオラの隣にいたアダンが、恐る恐る辺りを見渡し起き上がった。
そして――。
「おねえさまあああ!」
ファビオラの赤く染まったワンピースに気づいて泣き出す。
大声を聞きつけた大人たちに発見され、屋敷に連れて行かれるファビオラの意識はそこで暗転した。
◇◆◇◆
――あの男の子と会えないまま、月日は流れていった。
「ファビオラ、ここにいれば安全だから」
「それでは家族の無念を晴らせません!」
王太子レオナルドによって、19歳のファビオラは豪奢な屋敷に軟禁されている。
財務大臣であった父のグラナド侯爵が、国庫から多額の金を横領したとして、一家は連帯責任で絞首刑になった。
にも関わらず、長女のファビオラが生きているのは、レオナルドが侍女のモニカを身代わりに仕立てたからだ。
父と母とアダンとモニカの遺体は、今も並んで処刑場に吊り下げられている。
「これは冤罪です。それを証明しないと、いつまでも四人は野ざらしのまま……」
泣き崩れるファビオラをレオナルドが支えようとするが、その手はパシリと跳ね除けられる。
「私をここから出してください!」
「それはできない」
二人の問答は平行線に戻る。
堪え切れずにファビオラは、レオナルドが屋敷にいない時間帯を狙って抜け出した。
監視の目を欺くのは大変だったが、これも全ては家族の名誉のためだ。
「モニカの弟にも、謝らなくては――」
闇夜に紛れて脱走したファビオラだったが、それを外で待ち受ける者たちがいた。
「見ィ~つけた。こんなところに隠れてたんだ。なんかァ、怪しいと思ってたんだよね。レオさまの行動を見張ってて良かった!」
「っ……! アラーニャ公爵令嬢……」
栗色のツインテールと紫色の瞳が特徴的な美少女が、黒いローブをまとった怪しげな男たちを引き連れていた。
レオナルドの婚約者の座を巡って、アラーニャ公爵令嬢エバとファビオラは、かつて対立関係にあった。
ファビオラが密かに生きていることを、見逃してもらえるとは思えない。
(一旦、屋敷に戻るしかないわ――)
踵を返そうとしたが、一足遅い。
男たちの手によって、素早くファビオラの細い首にロープがかけられた。
「何を……!?」
「あなた、目障りなのよォ。のうのうと生きてないで、さっさと家族のもとへ旅立ったらどう? きっとォ、みんな青白い顔して待ってるわよ?」
くふふ、と笑うエバにファビオラは憤怒した。
家族を揶揄され、悔しさに涙がにじむ。
「お父さまは絶対に、横領なんてしていない! 私がその汚名を、必ず返上するわ!」
逃げるためにロープを外そうとしたファビオラを、男たちが難なく地べたに這いつくばらせる。
そして――エバは握ったロープの端を、一切の躊躇いもなく思い切り引っ張った。
ファビオラの白い首に、容赦なくロープが巻き付く。
「ぐ……ぅ」
「あなたが大好きな家族と、同じ苦しみを味あわせてあげる。私って優しいでしょ?」
薄い皮膚にぎりぎりとロープが喰い込んでいった。
首が絞まるのを防ごうと、ファビオラが懸命に爪を立てるが、その手を男たちに掴まれ阻まれる。
「私ィ、こう見えても人を殺すのは二度目なの。だから遠慮とか全然なくって、ごめんねェ!」
ファビオラの狭くなる視界の中に、エバの無邪気な笑顔が映り込んだ。
「こんな、ところで……!」
死にたくない。
まだ死ねない。
いつかは家族のもとへ行くとしても。
「残念でしたァ。時間切れよ!」
抗うファビオラの顔を踏みつけ、エバがきゅっとロープを締め上げた。
「っあ……!」
かすれた声が漏れ、それきりファビオラの呼吸は止まる。
ぱくぱくと口を動かすが、空気はもう肺には入ってこない。
「いい気味ィ! レオさまを惑わす悪女を、退治してやったわ!」
きゃはは、と響くエバの嘲笑は、ファビオラの耳には届かなかった。
そして全ての感覚と共に、命も闇に沈んだのだった。
◇◆◇◆
「……は、っ!」
がばりと跳ね起きると、そこは見慣れた寝台の上だ。
12歳のファビオラは思わず、首に手をやる。
先ほどまで喰い込み、巻き付いていたロープがない。
安心して思い切り空気を吸い込み、ドキドキと跳ねる心臓の鼓動を、ファビオラは手のひらで確かめた。
「生きてる。私……死んでないわ。ということは、あれは夢?」
右手を置いた左胸の辺りを、寝間着の隙間から覗き込むと、盛り上がった星型の古傷が見える。
これは、あの襲撃の日に受けた、矢じりの痕跡だ。
「最初は、いつも通りの夢だった。オーズ役の男の子と遊んだ日の……」
懐かしさと寂しさが同居する、切ない思い出。
夢の最後に、ファビオラは男の子へ向かって手を伸ばすが、それは届かない。
必ずその場面は、過去の出来事に忠実なのだ。
「でも今日は、それで終わりじゃなかった。そこから長い長い、続きがあったわ。19歳で、私が死ぬ瞬間までの……」
妙に現実味のある夢だった。
痛みも苦しみも、感じられた。
12歳までは、過去の振り返りだったが、その先は――。
「もしかして……これは、神様の恩恵?」
ファビオラの暮らすカーサス王国は、神様の御使いと呼ばれる一族が興した国だという。
千年以上続く一族の歴史の中に、神様の恩恵としか思えない不思議な伝承が、いくつも残されていた。
「神様の恩恵が与えられるのは、危機に陥った王族に限られると思っていたけど」
グラナド侯爵家には数代前、王家の姫が嫁いだことがある。
その御使いの一族の血が、間違いなくファビオラにも流れているという証か。
「だとしたら――私が見たのは、予知夢なのかもしれない」