染子無情
(桂昌院の菩提寺である法受寺)
安子の騒動から数カ月が過ぎた。
その日未明、飯塚染子がかくまわれている龍興寺は、軍勢によって取り囲まれた。
「一体これは何事ですか?」
僧侶たちは真っ青になった。
「上様の命である。この寺に飯塚染子なる女人がかくまわれているはず、中をあらためさせてもらう」
将軍の命を受けたという武士たちは、寺に土足で乱入した。
「染子殿! お逃げくださいませ!」
僧侶の一人が叫んだ。その僧侶は、万が一の時の処置を吉保より命じられていた。染子を寺の地下室へと、素早く案内した。
ただならぬ事態を聞きつけ、吉保が馬を蹴って寺に急行する。
「そなた達! 一体これはなにごとじゃ!」
「これはしたり! 何故かようなことになったか貴殿が一番存じているはず。これは上様の命でござるぞ! この寺に、飯塚染子なる女人がかくまわれているはず」
綱吉の名をだされては、さしもの吉保も、もはやどうすることもできない。やがて寺の地下へと通じる道までもが発見され、僧侶数名と共に染子が姿を現した。
「いたぞ!」
「吉保殿、全ては上様の命なれば、ご無礼はご容赦のほどを……」
「吉保様!」
染子は思わず叫ぶ。
吉保はどうすることもできず、連れ去られようという染子に背を向けるも、染子が今一度名を呼ぶと、
「待てい!」
と思わず刀に手をかけた。
「よもやそれがしを斬るとでも? 女一人のために柳沢家は断絶にござるぞ!」
「おやめくだされ! 吉保様!」
染子は改めて叫んだ。
「もうよいのです吉保様。私は信じています。次の世も、その次の世も、再びお会いできる日のことを!」
吉保は断腸の思いで、再び背を向けるのであった。
この後、将軍の命を受けた武士は染子が抵抗したため、腹に一撃をみまい気絶させる。馬の背にその身を横たえ道中を急ぐも、途中染子は意識を取り戻し再び暴れた。ついには落馬して、人事不肖の身の上となるのであった。
ほどなく吉保は将軍綱吉の呼び出し受ける。
「吉保! そなた余に申すことがあろう!」
と将軍は厳しくいう。
「こたびのこと! まこと面目次第もござりませぬ!」
と吉保はまず詫びをいれる。
「何故、余に偽りを申してまで染子をかくまった?」
「されば、あの刺客の一件があり、かの染子なるおなごは怯えており申した。大奥へ戻れば必ず殺されるであろうと……。それがし人の情として、これを放置すること忍びがたく」
と吉保は顔面蒼白ながらも、必死の言い訳をする。しかし将軍は、それを鼻であざ笑った。
「何が人の情じゃ。そなた染子と男女の仲となったのであろう」
「恐れながら! 決してかようなことは!」
「隠さずともよい。余はそなたと染子の間に何があろうと咎めたりはせぬ。それより、そなた染子に刺客を放った者は誰と思っておるのじゃ?」
吉保は思わず言葉につまり、しばし沈黙した。
「我が母と申したいのであろう」
桂昌院が染子を好かぬ理由は、数えあげれば三つほどもあった。
一つ目は、染子が京の貴族の出自であることである。八百屋の娘であった桂昌院は、己の出自について強いコンプレックスがあった。下流とはいえ貴族の出身である染子を、決して好いてはいなかった。二つ目は染子が敵対する右衛門佐に、かって仕えていたということである。そして今染子は、人事不肖の身の上で、長局の右衛門佐の部屋で介護を受けていた。
さらにかって染子が桜田屋敷で、徳川綱豊の正室照子に仕えていたこともまた、気に食わなかった。綱豊の祖母は夏といい、いうまでもなく祖父は三代将軍家光である。かって桂昌院が家光に側室として仕えていた頃、同格の側室である夏とは馬が合わなかった。なにか事ある毎に、いがみ合う仲だったのである。
「実はのう。母もはっきりとそう申しておった。生まれてくる孫は愛おしいが、子さえ生まれれば染子に用はないとな」
吉保は思わず顔を上げた。薄々察しがついていたこととはいえ、この言葉は吉保にとり衝撃的だった。
「吉保、余は染子が生きていること、とうの昔に存じておったのじゃ。寺にかくまっておることもじゃ。なれど母のことがある故、今日まで黙認しておったのだ」
この言葉に、吉保の額を汗が伝った。
「なれど、もはや母の目を気にする必要ものうなった」
「何故でございます?」
「母は病じゃ。もはや先行きそう長くはない」
と綱吉は何事かを憂えるような目でいった。
この後、将軍と吉保は染子のその後のこと等を語りあった。
「昨今、面倒事が多くて疲れた。余はもう休むゆえそなたも下がるがよい」
将軍は立ち去ろうとした。その時、事件はおきた。吉保には将軍の後ろ姿が、それが錯覚であるのか呪いであるのか、由希の姿に見えたのである。
「己! 化け物! 上様に取り憑くとはもう許せん」
吉保は抜刀すると将軍に背後から襲いかかった。将軍は吉保の一撃を間一髪でかわした。
「誰かある! 吉保が乱心じゃ!」
将軍の叫びに応じて、すぐに小姓や近習の者たちが集まってきて、吉保を取り押さえてしまった。
「違う! これには訳があるのだ! 俺は乱心などではない!」
必死の叫びも将軍には届かない。吉保は、この前まで安子を軟禁していた地下牢に、入れられてしまうのであった。
それから間もなく、桂昌院は七十八年の波乱の生涯を終える。そして同じ頃、あの飯塚染子もまた馬から転落して以降、生死の境をさまよっていたのである。