遠征の陸
寺川殿の長屋に到着し、わしは即座に車から飛び出した。
寺川殿が駐車にてこずっておったけど、付き合っておれん。
東京の車庫事情が厳しいのはわかるけど、軽自動車の駐車で5回も切り返しする方が悪いんじゃ。
「……」
部屋に入れば、目の前には7人の大男。
スーツを着たり、ポロシャツを着たり、またはジャージにTシャツといったラフな格好をしていたり。
多種多様な服装をしておるが、ほとんどの人物が腕や足などに怪我をしておる。
年齢も10代から60代までと様々で、一番若そうな小僧はこないだわしが京都でとどめを刺した刺客の2人と似たような若さじゃ。
でもその小僧はあやつらのような横柄な感じではなく、部屋の隅に小さく正座をし、部屋に入ってきたわしに気づいてビクって反応しておった。
まぁここまではよかろう。
敗残兵の雰囲気ばっちしじゃ。
でも40代と60代の男たちが今やってること……。
くつろぎながらテレビゲームをしておるどころか、わしのセーブデータを使ってやがる。
画面の右上に表示されている戦闘機の機体名が、わしのものなのじゃ。
「おい! ふざけんなよ! 勝手にわしの機体使うな!」
わしは武威の動きでゲームのコントローラを奪い取る。
その武威に反応しやつらも揃って武威を発動したけど、法威を覚えたわしの敵ではない。
「んな?」
たかが10歳のわっぱにこのような動きを見せられて、さぞかし驚いたことじゃろう。
まぁ、それでもこやつ等はそれなりの武威使いなのじゃろうな。
武威の総量は前世のわしよりはるかに多いし、後北条の政権を支えたこやつらの力は確かなものじゃ。
でもじゃ。
今はそれどころじゃなくて、わしのセーブデータじゃ。
「きっさまらぁ……わしが必死にチューニングアップした紫電改にこんなしょっぼい兵装しおってぇ……」
「ちょっと待ったぁ!」
その時、遅れて部屋に入ってきた寺川殿が慌てて叫ぶ。
わしは臨戦態勢の武威を放ったままだけど、流石に寺川殿に止められたら何も出来ん。
相手も相手で、助けを求めに来た立場上、寺川殿の声に逆らうわけにはいかんのじゃろう。
相手方は武威を収め、立ち上がっておったやつらも静かに座った。
ふーう。ふーう。
さすればわしも武威を収めようぞ。
わしの特等席たるソファーが占領されておるのもムカつくし、わし専用のコップを使って黒いしゅわしゅわを飲んでいるやつがいるのも気にくわん。
だけど、ここは寺川殿の抑えに従ってやろうではないか。
「ねね様? このガキは一体何ですか? いきなり部屋に入ってきて、しかも私たちに襲いかかろうとしました。
まさかこのガキが、さっきねね様が電話で助けを求めたという……」
“ガキ”ってか。
ねね様がわしに電話をした時隣に居たんだろうから、その電話の相手であるわしがおぬしらを助けに来たってことぐらい想像できるよな?
いや、助けるかはまだ決めておらんけど、普通そんな呼び方するか?
くっそ。やっぱ腹立つわ。
「えぇ。この子も転生者です。前世の名前はまだ言えませんが、私と一緒に豊臣を支えた人物の1人。外見はまだ子供ですが、頼りになる子です」
「おぉ! それではまさか、この子があの……」
「そうだ! 10年前に世間を騒がせた“記憶残し”の神童!」
「さっきの動きも我々を凌駕するものだったし、なんという!」
……どうでもいいけど、わし“記憶残し”って通り名ついておったんじゃな。
さすれば、華殿は“武威残し”、勇殿は“二つ残し”って感じかな。
今度2人に教えてみよう。気にいるかな?
じゃなくて、こやつら慌てた様子で正座し始めたわ。
「失礼いたしました。それがし、“北条氏康”と申します」
「氏康の子、“氏政”と申す」
「わ、私は……う……氏康の孫であり、氏政の子……“氏直”と言い……ます」
うじうじうじうじうるっせぇな。
あと、やっぱわしは氏直が嫌いじゃ。
予想通りわしの入室にびくついておった小僧が氏直だったけど、いちいち怯えすぎじゃ。
よみよみ殿のような可愛らしいわっぱが怯えるのは愛くるしいけど、貴様のような“男”がそんな態度してると、虫唾が走るんじゃ。
なのでわしは不機嫌そうな顔を隠そうともせずに、近くにあった化粧台の椅子に座る。
「んで、他の者たちは?」
わしの問いに、氏康殿が言を返す。
「他の者は我が家臣団の生き残り。右から……」
「いや、それだけ分かればよい。覚えるのが面倒じゃ。どうせ、おぬしらはこれから源氏に引き渡されるのじゃからな」
次の瞬間、目の前の7人が武威を放ち、ついでに武威を発動した寺川殿がわしの頭をひっぱたいた。
「ふっざけんな! そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!?」
「じょ、冗談じゃ! 軽い冗談!」
「冗談で済むか! ここで戦いが始まったら、私の部屋めちゃくちゃになるんだからねっ!」
北条さんがどうなろうと、それより自分の部屋の心配をする寺川殿。
でもまぁ、今のわしらのやり取りで。この7人も気付いたことじゃろう。
わしらが北条さんの助勢にあまり乗り気じゃないということにな。
「やはり……お2人は私どものお力になってくださらないのでしょうか?」
どうやら氏康殿は気付いてくれたらしい。
でもじゃ。それもただの布石。
1つでも嘘を言うようなことがあれば、わしらは即座に手を引く。
という意思表示をすることで相手をけん制し、嘘偽りのない情報を引き出す算段じゃ。
わしらに協力を求めたいのであれば、誠心誠意を持ってわしらに応えるべきなんじゃ。
「それはおぬしたちの話を聞いてから考える」
その時、わしの視界の左端に座っておった氏直がプルプル震えながら立ちあがった。
「爺様! 父上! 俺はもう我慢できません! なんでこのような年端も行かぬ子供に我が一族の運命を託さねばならぬのでしょう!? 他を当たりましょう!」
うぉっは! 突然キレる10代じゃ!
さっきまでびくびくしておったくせに、いと面白い!
でも、真面目に考えると……こやつ、今の状況分かってんのか?
「ふーう」
ならばこやつに現実を教えてやらねばなるまいて。
「氏直殿?」
「あぁ?」
「近くに公園がある。森もあるからその中ならば、人目も付くまい。ちょっと教育してやるわ」
「な、なんだと? この氏直に喧嘩を売る気か?」
「ちょっとさき……あんた! 何言ってんのォ!?」
「名前も存ぜぬ“記憶残し”の御方。さすがにそれは……源氏の手の者に見つかってしまいます」
ちなみに最後にわしを諌めたのがお祖父ちゃん世代の氏康殿な。
あとわしのニックネーム、“記憶残し”で決まっちゃったらしいわ。
でも氏康殿の懸念はわしにとって大きな問題ではないのじゃ。
……
わしは静かに武威を発動し、それをうすーく均一に広げる。
武威センサー発動じゃ。
300メートルほど離れた所に、勇殿の反応と華殿の反応。
あとショッピングモールの例の事務所から三原の反応。
武威の感じじゃ、勇殿は起きてるけど華殿はもう寝ちゃったっぽい。
昼間はみっちりお勉強したし、その後は三原との訓練があったから、流石の華殿といえども家に帰ってばたんきゅーだったのじゃろう。
あと三原は仕事中かな?
わしの武威に一瞬だけ反応したけど、「あぁ、光成か……」って感じで即座に武威を収めたわ。
そもそもこの部屋の惨状を作り出したのが三原っぽいから、わしがそこに巻き込まれるのも予想してたんじゃろうな。
武威を収めたと思ったら、三原は次に三三七拍子のリズミカルな武威の出し入れをし始めた。おそらく「どんまい。がんばれよ!」みたいノリのメッセージだと思うけど、モールス信号じゃあるまいしなんか腹立つわ。
さすればわしは武威センサーの濃度を微調整して、三原にだけ敵意満々の武威を……じゃなくて。
やはり東の方――東京の中心部のあたりにはかなり強さの武威使いがうようよしておる。
でも、この近くにはわしが知っておる武威使いしかおらんな。
「それ……もしかして……」
唯一、7人の男のうち後列で静かに座していた男が、わしの武威センサーに気づいたっぽい反応をした。
ん? わしのこと知っておるのか?
じゃあ、豊臣方か? それとも徳川方か?
関ヶ原以外の国内の争いは小田原攻めがわしらの最後の戦いだったし、その後の朝鮮出兵には北条は参加しておらん。
なのでこの部屋におる男たちにはわしの特技を知る機会がなかったと踏んでおったけど、これちょっと失敗じゃな。
でも……。
「それ以上は言うな。後で話そうぞ」
「はい!」
わしはその男に沈黙を命じ、相手も嬉しそうな顔で頷いた。
そう、嬉しそうに頷いたのじゃ
どうやらわしに親近感を抱いておる人物のようじゃから、心配はいらなさそうじゃ。
その前にまず、氏直の根性を叩き直さねばなるまい。
「寺川殿? 10分ほどで戻る。大丈夫じゃ。周りに敵はおらん」
「え? でも……」
「こやつのこの感じ。自分の立場というものを分かっておらん。劣勢な今の北条さんの状況で、こういう輩は本当に致命的なミスを犯しかねん。
そうじゃろ? 氏康殿?」
「んな! ふざけんな! 俺がこの戦いでどれだけ頑張ったか、貴様みたいなガキに何がわか……」
「氏直。この方の言う通りだ」
おぉ。ここで父親の氏政が出てくるとは。
お祖父ちゃんは孫を甘やかし、お父さんはそれを嫌がる。
こんなもん世の常じゃ。世界の真理とも言える。
だから、わしとしてはここであえて祖父である氏康殿からはっきり言ってもらいたかったんだけど、まぁ仕方あるまい。
氏康殿とて戦国の大大名。その息子である氏政殿もこのように聡明な言動を見せた。
意外としっかりした人材の揃った勢力なのかも知れんな。
「氏直? お前が任務中にスマートフォンでSNSなどやっておったから、一緒に動いていたお前の部下は待ち伏せに遭って死んだんだぞ? いつになったらそのことを理解するんだ?
“記憶残し”の方、ぜひともこやつに現実を……」
「んな? あれはたまたまスマフォのアプリがウィルスにかかっていて……みんなだって必死に俺のこと守ってくれたんだし……そんな仲間のことを……」
次の瞬間、わしは大きな声で奴らの会話に割って入った。
「GPS機能を舐めるなぁ!」
こやつ、黒物家電派のわしの前でそんな暴言を吐くなど!
こやつのスマートフォンが黒いかは知らんけど、今のでわしの怒りが限界を迎えたわ。
しゃー……
わしはベランダに続く居間のガラス戸を空け、氏直の首根っこを掴む。
相手も武威を使って抵抗してきたが、わしの敵ではない。
「じゃ、行ってくる。10分ほどで戻るから」
最後に皆に向けてかっこよく挨拶し、わしは氏直もろともベランダから飛び降りた。
……
そして10分後。
「すみませんでした……僕が調子に乗ってました……」
体中傷だらけの氏直殿と、その返り血を浴びたわし。
居間に戻った後、北条さんとこの面々に対して氏直殿自身に謝らせ、これにて一件落着じゃ。
一度プライドが折れた男は強くなるからな。
どっちかっていうといらついておったわしがあれこれ理由をつけて憂さ晴らししたかっただけなんだけど、なにはともあれ一件落着なんじゃ!
「寺川殿? わし、風呂入ってくる」
「あっ、うん。いいけど。お湯は追い炊きしといてね」
「あぁ。次に氏直殿を入れさせてやってくれ。怪我してるからしみるだろうけど、全部かすり傷じゃ。部屋が汚くなっちゃうから、泥んこのまま部屋をうろつく方が問題じゃ。だから氏直殿を次に入れさせてやってくれ。でもその前に消毒などしてあげてくれ」
「お、おっけい。じゃあ、氏直君? 次お風呂ね。その後に一旦お湯入れ替えて、他の皆さんも」
「ははッ! 私のような地べたを這いりまわる団子虫にそのようなご配慮。ありがたき幸せ!」
風呂へと向かう途中、背中の方から(佐吉? この子に何したの?)といった寺川殿の視線を感じたけど、気付かなかったことにしよう!
わしは血の付いたおしゃれな甚平を寺川家の洗濯機に放り込み――いや、待てよ。流石に血がついた装束を寺川殿の洗濯物と一緒に洗うのは可哀そうじゃ。
まず洗面台の洗面器にぬるま湯を入れて。洗剤もちょっと入れて、手もみ洗いじゃ!
「おいしょ。おいしょ」
わしは2分ほど甚平を優しくもみ洗い、本日2度目の入浴に入る。
風呂の中で鼻歌などしておったら、脱衣室に1人の男が入ってきた。
扉のすりガラスの向こうに、その男が片膝をつくシルエットが見える。
「入浴中ですので、ここから。石田三成様ですよね?」
この声、さっきわしの武威センサーに気づいた奴の声じゃな。
誰じゃろうな。
三原ほどじゃないにしろ、武威センサーに気づいたぐらいだから、こやつも相当の手練れじゃ。
わし入浴中だから、さすがに今襲われたら勝てる気がせんわ。
一軒家城じゃプランプランさせても平気だけど、今は可愛い可愛いわしのちっちゃなわしを他人の視線から守らねばならんからな。
「いーしーだぁー? みつなりぃー?」
「誤魔化さないでください。私は“上杉景虎”です。前世であなた様にお会いしたことはございませんでしたが、現世で再開した義理の兄“景勝”から話を聞いたことがあります。あなた様の武威の技術のことを。さっきのあれ、その技術でしょう?」
……
……
ちなみに……。
謙信公には実子がおらず、何人かの養子を貰っておる。
そのうちの有力な跡継ぎ候補の1人だったのが、今ガラスの向こうにいる“景虎”殿。
実は北条さんとこから上杉さんとこに養子に出された御方で、氏康殿の子。つまり氏政殿と兄弟なのじゃ。
んでもう1人が、この景虎殿と“御館の乱”という相続争いを行い、それに勝った“景勝”殿。
うじうじうるっせぇのが終わったと思ったら、こっちもこっちでかげかげうるっせぇけど、相続争いに勝利した景勝殿はその後、上杉の頭領となり、果ては豊臣傘下に入ることとなった。
なので景勝殿はわしの特技を知っておるし、なんだったら関ヶ原の時にわしと景勝殿は対徳川勢力として連携しようとしておった。
でも謙信公が死んだ直後に起きた御館の乱の頃は、わしらは織田軍の末端として中国攻めに行っておったし、景虎殿と出会うことはなかったのじゃ。
まさか前世であんな兄弟げんかをしたにもかかわらず、現世で出会っていたとはな。
しかも景虎殿の言の様子じゃ、2人は結構仲良さそうじゃ。
あと、わしの大好きな上杉の人物が目の前に現れてくれたのじゃ!
「そうであったか。からかってしまってすまなかった。確かにわしが“石田三成”じゃ」
「おーっ! やっぱり! さっきのすごかったですね? どうやるんですか?」
ん? 意外とフランクじゃな。さすればこっちも軽いノリで行こうぞ。
てゆーか、こやつとは仲良くなれそうな気がする。
「うーん。難しいと思うぞ? わしだけしかできない特技っぽいし。でも、あれ実はそう簡単に気付くことできないんだけど、景虎殿はよくわかったな?」
「えぇ。私は法威もできますので。つーか、こないだ輪生寺に行ったのって、もしかしてあなたたちだったんですか? 陰陽師の拠点の勤務表見たら、寺川さんが輪生寺に居るってなってたんで。しかも三原さんまで居るとか。まさかエース級が2人も輪生寺に行って、しかも新人さんを3人もつれて来たなんて。ほんとビックリしましたよ」
「ん? ちょっと待って。景虎殿? 景虎殿って、陰陽師の諜報員なのか?」
「えぇ。そうですよ。私は本来上杉の人間ですから、米沢と越後高田の上杉を行き来して、上杉やその他周辺勢力の情報を収集しておりました。義父の謙信が治める越後高田。義兄弟の景勝が治める米沢。どっちかを奪おうにも、かつてのような身内争いはもう嫌ですし、そうなると私が落ち着ける場所がありません。なので表向きは陰陽師に籍を置き、任務として米沢と高田に足を運びつつ、自分の居場所を開拓しておりました。でも私は北条の生まれでもありますし、今回の件が勃発したことで、三原さんが源氏側、私が北条側に入って双方から監視することになったんです」
三原? ごめん。
おぬしじゃなかった。
この男じゃ。
この男が寺川殿の長屋を北条さんに教えやがったんじゃ。
でも、それじゃ三原と景虎殿は間違いなく連絡を取り合っておるな。
三原はわしの武威センサーに慌てなかったし、今この部屋で起きていることを結構詳しく知っておるはずじゃ。
あと、それなら……じゃあ、寺川殿は?
「ん? ちょっと待ってくれ? 寺川殿はおぬしのこと知っておるのか?」
「いえ。さっきまで知りませんでした。でも三成さまが氏直をしつけに行っている間に、こっそり陰陽師同士の合図を送ったら、寺川さんもそれに気づいてくれました。なので、まだ自己紹介はしてませんけど、私が陰陽師の人間だということは知っております」
「そ……そうか」
「寺川さんって陰陽師の諜報員の中じゃ相当ランクが高いんで、私のような下っ端でもあの方の顔を知っておりますけど、あの方はそもそも私なんて知らないんですよ。まぁ、そのおかげで今日の夕方街を歩いている寺川さんを見つけることができて、父上(氏康)に教えることが出来たんですけどね」
なんかもう原因は全部こやつにあるような気がする。
あとで寺川殿にチクってやろう。
「おぬし、それでもわしの武威センサーに気づいたんじゃ。相当武威の扱いに長けておるじゃろう?」
「いえ、いや……うーん。なんといいましょうか。武威の強さは確かに自信ありますけど、法威の方はてんでダメで。
さっきの三成様の動きを見るに、法威を覚えたての今のあなた様ならなんとか勝てるでしょうけど、2年もすればあなた様の方が強くなるでしょう。私の強さはそれぐらいのものです。
でも上杉家の人間は子供の頃から熱心に読経をさせられますので、元々武威の荒れ具合が小さいのです。
さっきのも、私が座って黙っていたから空間の武威にうっすら気づくことが出来ただけです。私がもし街中を歩いていたりしたら多分気づきませんでした。
あれ、武威センサーっていうんですか? すごいですね」
ふーん。
なんとなく納得じゃな。
でもじゃ。
こやつの発言が全て本当だとは限らん。
信頼できる人間の口から信頼できる状況で。
新田殿の言いつけじゃし、わしのおぞましい体験でもある。
「そうじゃ。いずれ長々と話し合おうぞ。でもわし、そろそろのぼせそうじゃ。もう風呂上がるから、脱衣所から出てくれ。あと、ここで長々と話しするのはおぬしとしてもまずいじゃろう?」
「そうですね。お気遣い感謝いたします。それでは……」
「あっ、あと2つだけ!」
「はい?」
「おぬし、現世での名は?」
「上杉です。“上杉虎之助”といいます」
「そうか。わしは“石家光成”と申す。今度からおぬしを虎之助殿と呼ぶ。おぬしもわしの外見に合わせて、“みつくん”と呼ぶがいい。
ちなみに転生者以外がその場にいたら、わしはわっぱの言葉遣いに切り替えるから、それに合わせてくれ」
「承知いたしました。お互い幼少期は苦労しますね」
「今してるとこじゃ。それともう1つ。兼続はおるのか? 直江兼続じゃ」
「いえ、あやつはまだ現世で会っておりません。会いたいですか?」
「そうじゃな。会ってみたい」
「ではもし私があやつに会うことがあったら、そう伝えておきましょう」
「よろしく頼む。止めてすまなかったな」
「いえいえ。では失礼」
ふーう。
さてさて、虎之助殿の気配が脱衣所から無くなり、わしもそろそろ風呂を上がるか。
この際、寺川殿専用のふかふかタオルで体を拭いてやろうぞ。
拭きながら……。
そう。今この脱衣所にいるうちに、今後のことを思案せねばなるまい。
まず、今回の件。
思わぬ大物が釣れおった。
上杉の関係者であり、北条の人間であり、やつの発言が真実ならばわしの最も信頼できる陰陽師という組織の人間でもある。
それにわし個人としては、謙信公にすっげぇ会いたい!
兼続は無理っぽいけど、謙信公にもすっごい会いたいんじゃ!
会って車掛りとか車掛りとか、あとタイヤとかホイールとかについても語り明かしたい!
いっひっひ!
いつか虎之助殿がそれを実現させてくれるのじゃ!
あと虎之助殿が北条さんに関与している限り、わしもおめおめと北条さんを見捨てるわけにはいかなくなったな。
北条さん、上杉さん、陰陽師。
あと敵である源氏。そのまた敵である平家。
わしが上手く立ちまわれば、いくつかの勢力とのパイプを強めることができようぞ。
さらには上杉さんと北条さんを経由して、武田さんや今川さんなどにも接触できるかも知れん。
でも……。
それは、“今”でいいのか……?
わしはまだわっぱだし、わしの周りにいる転生者――つまり勇殿も華殿もわっぱじゃ。
わしが余計な事をしたばっかりに、2人に危害が及ぶことになるかも知れん。
わしの家族もみんなの家族もそうじゃ。
転生者っぽい康高だってまだまだ幼いし、“泣き始めたら止まらない”っていう康高の性格は、いざという時にわしの両親を危険な目に合わせるような気がする。
何もかもが早すぎるんじゃ。
でも関東に覇を唱えた北条さんの人材の良さは、さっき直に見て確認済みじゃ。
氏直はもう少し叩き上げないといけない気もするけど、磨けば光る気もする。
うーん……。
いや、車の中で寺川殿から聞いた話も忘れてはならん。
助けてもらう立場のくせに、ずいぶんと偉そうな言い方をしたらしいな。
虎之助殿は違うだろうけど、他のやつらはやっぱ心にいちもつ持っておる。
さすればこっちも強く出て、やつらがわしの要求を受け入れないならそこまでということで。
寺川殿だって困っておられたし、やつらがこれ以上迷惑かけるなら心を鬼にするしかあるまいて。
「ふーう。いい湯じゃった」
脱衣室を出て、わしは居間へと入る。
いつものように準備よくドライヤーを構えてくれておった寺川殿の膝の上に座り、頭を乾かしてもらった。
多分、北条さんたちから見れば、立派な親子じゃ。
でもいつものようなお泊りイベントを楽しむような状況ではない。
「さて、わしの風呂は終わった。次は氏直殿? 入ってまいれ」
「はい」
髪が乾くと同時に、わしは低い声で下知を出す。
つーかこいつら、わしが風呂に入っておる間、ずっとこんな感じで正座して待っておったのか?
ここを抜け出て脱衣所に来た虎之助殿は、さぞかし違和感のある行動だったのじゃろうな。
まぁよい。氏直殿がいなくなったところで本題じゃ。
あの小僧、わしがさっきやつのプライドをズタズタにしてやったから、今宵はこれ以上辛い思いに耐えられまい。
それゆえの配慮じゃ。
んで、
「なぜここに来た? なぜ北条とは関係のない寺川殿に助けを求めに来た?」
……
わしの鋭い口調に、一同が気押される。
ついでに寺川殿まで気押されたけど……なんでじゃ? そなたはこっち側じゃろ?
と、予期せぬ裏切りを感じわしまで凹んでおると、氏康殿が口を開いた。
「申し訳ございません。敗戦に敗戦を重ね、この近所にある使われていなさそうな倉庫に潜んでおりましたが、そこも見つかり、しかしながら運のいいことにそちらに座る景虎がねね様を街中で見つけました。
ねね様には関係のない戦いと重々承知の上ですが、藁をも掴む思いでここに来てしまいました」
「ん? ちょっとまて。近くの倉庫? そこが見つかった? じゃあ今この近辺には、おぬしらを探そうと源氏の者がうろついておるのか?」
それはおかしい。わしの武威センサーでは、この長屋近辺にはそれっぽい武威使いの反応はない。
「いえ。それはわかりませんが、あの気味の悪い子供は間違いなく私たちを探していた源氏の兵……」
「気味の悪いわっぱ?」
「はい。使われていないはずの倉庫にいきなり現われて、私たちの姿を見た途端にやーって笑い、そして逃げ出したのです。
もちろん近所の子供が遊びに来ただけとも考えましたが、他言無用をお願いしようにもその子供が異常な速度で逃げてしまって。我々武威使いが全力で追っても、その差は縮むどころか伸びる一方でした。
おそらくあれは源氏方の者に間違いない。あんな子供にあれだけの武威が……あの若さで一体どれだけ辛い経験をしたのでしょう。
源氏――なんと非道な者たち……。
それが2日前です。あの子供が源氏に報告しているとしたら、あの倉庫は昨日今日にも敵の手にかかり……」
「ちょっと待った」
「はい?」
「いや、ちょっと待った」
「えぇ」
どうでもいいけど、華殿。
なんでこういう時にこの件に関与してくんのじゃ?
奇跡のキャスティングか?
うーん。どうしよう。
華殿、あの倉庫はたまに探検したりする娯楽スポットって言ってたし、本当に全然関係ないんだけどな。
あと今日の夕方の訓練場所として華殿があの倉庫を選んだ理由。
三原をあそこに連れて行くことで、自分の秘密基地を横取りしたこやつ等を追い払わせようとしてたんじゃ。
なんと卑怯な。
そもそもあの倉庫は華殿の土地でもないし、使われていないといっても建物の所有権だってどっかの誰かのものじゃ。
華殿だっておなごなんじゃし、そんな遊びしてないでそろそろお人形さん遊びやおままごとに目覚めるべきなのじゃ。
いや10歳でその遊びは若干遅いような気もするけど、遅くても華殿は1度そういう遊びを経験しておくべきじゃ。
将来華殿がどんなおなごに育つのか不安で仕方ないわ。
――じゃなくて。
なら、こやつらもっかいその倉庫に戻ってもらってもいいんじゃね?
「そのわっぱはわしの手のものじゃ。安心せい」
「んな? そんなばかな?」
「ひとのこと、“ばか”いうなや」
「はっ。すみません」
「でも、そのわっぱは確かにわしの友達なのじゃ。源氏とはなんの関係もない。だから安心せい」
「そ、そうなのですか……」
「だから今日は倉庫に戻れ。でもその前にやっぱり風呂ぐらい入っていけ。寺川殿? いいじゃろ?」
「えぇ、もちろん。それと、潜伏中の食料の買い出し係は私がしてあげる。あなたたち、外をうろつくのもヤバい状況でしょ?」
「はい。助かります」
「でも、わかってるでしょ?」
「な……なにが?」
この外道、ここでそれを求めるか?
「お・か・ね!
まさか北条ともあろう人たちが一銭も持っていないなんて、言わないわよね? それに、まさかただで助けろなんて言わないわよね?
悪いけど着手金として半分もらうからね」
あぁ、最悪じゃ。外道じゃ。悪魔じゃ。鬼畜じゃ。
でもそれでこそ寺川殿。
その後、男たちが順番に入浴し、長屋を後にした。
久しぶりに風呂に入ったらしく、皆喜んでおったわ。
わしもこの件に絡むにあたっていくつかのメリットを見い出したし、危険が及ばない範囲で協力してやろうとも思う。
だけど、いい話もそこまでじゃ。
田舎だったら家一軒買えるぐらいの値段を寺川殿が着手金として提示し、氏康殿が涙を流しながらそれを飲んだのじゃ。
わしにもいくつか分けてくれるっぽいけど、あまりいい光景とは言えんかったな。