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出陣前の参



 わしは康高と一緒に一階に降り、あさげの席に着いた。

「おはよう!」
「おっはよー!」

 わしらの元気よい挨拶に、キッチンにおった母上から挨拶が返る。

「あら、おはよう。康君? またお兄ちゃんの部屋行ってたの?」
「うん!」
「光成? 康君、邪魔じゃなかった?」
「ううん。全然だよ!」

 ここら辺は親子の会話じゃな。
 だけどじゃ。1つだけものすっげぇ気になる点がある。
 すでに食卓用の椅子に座っておった父上が、力なさげにうなだれておるのじゃ。

「うー……おはよう…… お前らは今日も元気があって……いいなぁ……」

 いやいや。父上……?
 疲れ過ぎじゃ。
 以前、国営放送でやっておった“倒れる現代人”に出てたサラリーマンみたいになっておるぞ。
 一体何があったのじゃ?

「光成ぃ……助けてくれぇ……ジャバスクリプトが上手く走らねぇ……あれが出来上がらないと、来週の納期に間にあわねぇんだ……」

 ふっ。そういうことか。
 どうやら父上はインターネットの世界で使うプログラミングという武器の生成につまづいておるらしい。
 ふっふっふ!
 ならば仕方あるまい。
 わしだってインターネットの世界で戦い始めて早5年の猛者。
 プログラミングの肝は“ひらめき”だと言うし、ここは10歳のわしの脳髄にひしめく若々しい脳細胞――それによって生み出されるひらめき能力を父上に献上せねばなるまいて!

 つーか父上はそのせいで、昨夜まともに寝ておらんのじゃな。
 それゆえの有様じゃ。
 されど今は朝の身支度忙しい時間帯。
 わしが目覚めた時にその話をしてくれればよかったんだろうけど、その件をわしが聞いたのは今じゃ。
 小学校に参陣する時刻も迫っておるし、今すぐにというわけにはいくまい。
 それ、今週末のわしはちと忙しい身なのじゃ。

「いいけど。僕、今日の夜はテラ先生のお家に泊りに行くことになってるよ。あと明日の午前中は野球の練習があるし、その後は三原コーチとご飯食べに行く予定だよ」

 ちなみに幼稚園を卒業した今も、わしは寺川殿と親交がある。
 当たり前じゃ。寺川殿はわしの数少ない転生仲間じゃ。
 転生者たちの勢力争いに巻き込まれないようにするための情報とかも欲しいし、そもそもわしらは“ねね様”と“石田三成”の関係だから、幼稚園を卒園したからといってはいそれまでというわけにはいかんのじゃ。
 毎年の春に行う“きらびやかネーム”の品評会の件もあるしな。
 なのでわしは今も月に2、3度の頻度で寺川殿の長屋に遊びに行っておる。

 あと三原も同様じゃ。
 1年生の時、野球の練習後に三原から食事に誘われた時はぶっちゃけ怖くて怖くてたまらんかったけど、あれ以降月に1度ぐらいの頻度で三原とのタイマン勝負に臨んでおる。
 会話の内容はあくまで世間話程度のものだけど、わしら転生者にとっての世間話とはやっぱそっち方面の話題じゃ。
 三原からもたらされる情報は平成の源平合戦の戦況についての詳細とか、戦闘時における武威の操作方法とかについてじゃな。
 京都陰陽師から情報を仕入れる寺川殿が教えてくださるのは、全国規模の勢力争いについてとかだから少し分野が違うのじゃ。
 あと三原は毎回ファミレスという超高級料亭に連れて行ってくれたりするので、その魅力にもわしは勝てん。
 チャーハンで出来た富士の山に、日の本の国旗が高々と掲げられたお子様ランチ。
 プリンも付くし、ちっちゃいおもちゃも付いてくる。
 遊園地のワクワク感をあの小さな世界で表現しておる様は圧巻の一言に尽きようぞ。

 でも……最近、三原からお子様ランチの卒業を促されてもおるのも事実じゃ。
 聞けばわしらが毎回会合するファミレスのお子様ランチは小学校の低学年までしか所望しちゃダメらしい。
 わしは4年生じゃ。
 店の店員さんには無理を言って頼んでおるけど、それも長くは続かんじゃろう。
 あと野球の練習で腹をすかせたわしは毎回2人前のお子様ランチを頼んでおる。
 だったら大人用のメニューを1人前頼めよと。
 三原からすると、そんな感じでなんかいらつくらしいのじゃ。

 まぁいいや。
 三原は三原でわしがもたらす情報に価値を見出しておるし、そこはギブアンドテイクじゃ。
 それに三原は弁護士収入の他に転生者界の手練れとしてよからぬ仕事をこなす時の報酬もあるらしいから、お子様ランチの追加分ぐらい気前よく払うべきなのじゃ。

 それはそうと、父上の仕事の件じゃな。

「今日の夕方、学校終わった後にお泊り道具と野球道具をとりにいったん家に戻ってくるけど、その時でいい? お父さんいないけど」
「あぁ、じゃあソースコードと要求仕様書をプリントアウトして書斎の机に置いとくから、それ見て間違ってるところ訂正しておいてくれ」
「うん。わかった」

 そんで、ここから重要じゃ。

「んで、いくら?」

 次の瞬間、キッチンからあさげを運んでおった母上が引きつった顔をした。

「冗談だって」

 冗談に決まっておろう。
 いや、わしが手伝うのは父上の仕事の中でわりと中核に位置する作業じゃし、その期限が迫ってるという現状では商人組織の栄枯を左右しかねんのかもしれん。
 さすればそれを救うわしは正当な対価を貰うのも当然じゃ。

 でも、金に固執するわっぱは見ていて気持ちのいいもんではない。
 母上としては、将来わしにそんな大人に育ってほしくはないだろうしな。
 なので、さっきのはちょっとした冗談じゃ。
 わしだってそれぐらいの常識はわきまえておる。
 と思っておったら……

「ん? 2千円? 3千円?」

 さすが父上じゃ。
 あれ以来父上がわしの前世について探りを入れたりすることはなかったけど、わしの心に大人の精神が宿っておるということをうっすらと理解し、こういう時だけわしを1人の大人として見てくれるのじゃ。

「じゃあ2千5百円で」
「よしわかった。大事に使えよ」

 おっしゃー! 大金ゲッチューじゃ!
 今度、康高連れて近所のコンビニさんにアイスクリーム食べに行こうぞ!

「あなたは……すぐにそうやって光成をお金で釣って……」
「別にいいだろ? 頑張ったらご褒美がもらえる。世の真理だ」

 まったくもって当然じゃ。
 父上、相変わらずかっこいいぞ!

「ぼーくーもー! 僕もお手伝いするぅ!」
「ん? 康君はまだ無理だよ。でもそのお小遣いもらったら、今度一緒にアイスクリーム食べに行こうね!」
「うん、わかった! お兄ちゃん、約束だよ!」

 結局なぜか割り込んできた康高をわしが優しくなだめたため、母上はわしに対する攻撃の手を緩めてくれた。
 さすれば一件落着。
 父上もいくらか元気を取り戻し、わしらは家族そろってあさげをむさぼり始める。

 メニューは食パンと目玉焼きと牛乳。
 あと忘れてはならんのがヨーグルトじゃ。
 わしはプリンとゼリーにも多大な敬意を払っておるけど、やはりヨーグルトは捨ておけん。
 でも、最近気になることもある。
 ヨーグルトは乳製品を腐らせたものじゃ。
 ならばヨーグルトと牛乳を同時に摂取する必要はないのではなかろうか?
 わしとしては寺川殿が懇意にするしゅわしゅわ唸るあの液体。あれをこの食卓にも並べてはどうかと思うのじゃ。
 聞けば近所のスーパーで箱買いすればかなり安く入手できるらしいし、さすれば家計的にも負担にはならんはずじゃ。

 けど、うーむ……。
 そんなわしのロマン輝く請願は、すでに結構昔の時点で母上に一蹴されておる。
「あほか……?」と。
 ぐうの音も出ないほどの一蹴っぷりじゃ。
 ……まぁいいけどさ。
 このヨーグルトさえあれば、わしの人生はバラ色じゃ。

 でも、このあさげタイムにも嬉しいことが起きておるのじゃ。
 康高が離乳食を食い始めた頃から食パンに塗るトッピングメニューが増え、バターやマーガリンの他にピーナッツバターや数種類のジャムも定期的に変更されながら食卓に並ぶようになったのじゃ。
 康高はまだ自分で食パンの表面を彩ることができないから、それは母上がやってあげておる。
 けどわしはバターナイフの扱いも習得し、そういうのを自分でしてもいいように許可を貰っておるのじゃ。

 ふっふっふ!
 今日は……イチゴちゃんジャムと……夏みかんちゃんのマーマレード……これじゃ。
 人類未踏の境地を目指すには、この2つのコラボレーションを完成させるしかあるまい。

 ひゃっひゃっひゃ!
 いつも同じ品が並ぶ現代のあさげ。
 でも工夫することでこういう楽しみ方出来るのじゃ!

「光成! また気持ち悪い食べ方して!」

 んでもって、また母上に怒られてしまった。
 なぜじゃ?
 とても美味そうに出来たのに。
 なぜ母上はそんなに怒るのじゃ?
 さすれば今ここで母上にフォローを入れておかねばなるまいて。

「そんなこと言ったってしょうがないじゃん! 僕はお母さんみたいに上手にお料理できないんだから!」
「んな? そんな……わ、私だってそんなに料理が上手い方じゃないわよ……」

 などと謙遜しながらも誇らしげな母上。
 息子のわしにどさくさまぎれで褒められて、とても嬉しそうじゃ。
 かっかっか!
 この程度の世事に怒りを忘れるなど、母上も寺川殿と変わらんな!

 あと父上が安っぽい世辞で難を逃れようとするわしの思惑に気づき、ついでに安っぽい世辞にまんまとだまされた自分の妻にも幻滅して引きつった顔を見せおるけど、そこはごめんなさい!
 わしちゃんと生きる。
 今はものすっごい薄っぺらい言を放ってしまったけど、正々堂々と生きることを誓おうぞ!
 安心してわしの成長を見守ってくれ!

 と、わしは父上の期待に答えようとキラキラした瞳を送ってみた。

「見るな見るな。さっさと飯食え。学校に遅れるぞ」

 あれ? わしのキラキラ光線、弾かれてしまったか?
 ならば仕方なし。
 パンの表面を覆う渾身の一作も完成しておることだし、それを楽しもうではないか!

「もぐもぐもぐもぐ……」

 こんな感じであさげが終わり、次は待ちに待った歯磨きタイムじゃ。
 10歳ともなれば“くちゅくちゅぺー”の技術も向上し、洗面所で霧吹きのごとき“くちゅくちゅペー”もできるようになった。

「おい。きたねぇよ。普通にうがいしろ」
「うげ!」

 たまたま背後に迫っていた父上に頭を小突かれてしまったけど、まぁよい。
 歯磨きを終え、ついでに洗顔も終えたわしは2階の自室へと戻る。
 着替えじゃ。
 5歳の時に比べて、遥かにスムーズな動きで服を着替えられるようになったのじゃ。

「きょ・う・はー……ど・れ・に・し・よ・う・か・なぁ♪ ふーっふふー♪」

 クローゼットという押し入れの扉を開け、小声で歌いながら中を吟味する。
 ちなみに夏のわしはパジャマ派ではなく、おしゃれ甚平派じゃ。
 戦国武将たるものいつ寝込みを襲われるかわからんのだから、たとえ寝るときでもそういう恰好をせねばならんのじゃ。
 たまに夜コンビニに行く父上にその格好で同行すると、店内におった知らないおなごから“かわいい!”って言われるしな。

 まっ、寝巻きの話はどうでもいいか。
 学校へ赴く時の装束じゃ。
 幼稚園の時と違い、小学校では装束の統一という分国法はない。
 なので足軽組メイトはそれぞれ好きな装束を着ておる。
 わしも近所の格安衣料品店で揃えた衣服の数々を、日々着回しておる感じじゃ。

 んで着替えが終わったら、お次は“ランドセル”じゃ。
 これは牛革や、牛革に見せかけたパチモンの牛革で仕上げた荷物箱じゃ。
 背負うことができるよう、内側にクッション性のある素材で構成されたベルトも備えられておる。

 うーむ。

 このランドセルの素晴らしさ。
 頑丈な作りといい、収納力の高さといい、側面に設けられたキーホルダー用のフックの遊び心といい。
 なんという素晴らしい箱なんじゃろう。

 聞けばわしらのようなわっぱが6年間毎日のように使用し続ける過酷な環境にも耐えられる仕様になっておるらしい。
 さすれば、ランドセル業界に多額の公金を注ぎ込み6年といわず10年、20年でも使い続ける文化をこの国に植え付けるべきではなかろうか……?
 それほどの価値と未来性がある。そういう逸品じゃ。

 加えて、縦笛教育の意味のなさ。
 実用性を考えるならほら貝吹く訓練の方がいざという時に役に立つし、音楽性を考えるならギターじゃ。
 まぁ、リズムにうるさいわしとしてはベースやドラムも捨てがたい。
 それなのになぜか小学校では小さな縦笛を教育に取り入れ、挙句わしの小学校はランドセルの側面に縦笛を常日頃から装備する風習がある。
 その理由を先生殿に聞いたら、「それが小学生だから」というよくわからない返しをされた。

 うーん。

 もしかするとこの縦笛は有事の際に身を守る武器として持たされておるのかも知れん。
 この手頃な太さ。重み。
 楽器に見せた武器と言えよう。
 敵を欺くには十分だし、それならば納得じゃ。

 あとわしのランドセルの側面のフックには可愛らしいにゃんにゃんのお人形さんのキーホルダーが取り付けられておる。
 わしの居城、佐和山城の名物で、左近を模したにゃんにゃんとのことじゃ。
 にっくきクズダヌキの配下、井伊直政がすぐ隣に築城しやがった彦根城のキャラを暗殺すべく、400年の時を超えて世に生み出された左近の怨念じゃ。
 とわしは願っておる。多分違うけど……。
 あと、悲しいことに彦根城のにゃんにゃんキャラの方が圧倒的に知名度が高いらしい。

 それと帽子について。
 幼稚園の頃はうざ黄色い帽子の着用を義務付られておったし、小学校に上がった後も1年生のうちは黄色い帽子をかぶる習わしとなっておった。
 んで一昨年。わしが2年生になった時じゃ。
 帽子の着用の義務が無くなり、かつ帽子のデザインに関する規律も解除となった。

 さすれば兜しかあるまいて!

 と思って、昔兜の試着に行った近所のおもちゃ屋さんに出向き、五月人形の兜をおもむろに試着しようとしたら、わしの頭蓋が大きくなってしまってて兜が入らんかった。
 わしが悲嘆にくれるのも無理はない。

 だけど、それで諦めるわしではないのじゃ。
 この世には、いまだに兜産業も存在しておる。
 そうじゃ。オーダーメイドじゃ。
 オーダーメイドでわしの兜を作ることができるのじゃ!
 と意気揚々とインターネットの世界に入り、値段を調べてみたら、わしのお小遣い30年分ぐらいの価格設定だったんじゃ。

 ……

 もうね。泣くしかなかったわ。
 あの時は父上の書斎のパソコンで調べていたんだけど、風呂上がりにわしの様子を見に来た父上が真剣にビビるほどの嗚咽で泣いてしまったわ。
 いや、聞くところによるとわしのお小遣いは年功序列のごとき上昇をしてゆくらしいけどな。
 さすれば30年ローンもいくらか短くなるだろうけど、それだったら本物のホイールとタイヤを1個だけ購入して、この床の間に飾るほうがいい。
 うーむ。
 ウサギちゃんを二羽手に入れようとすると、どっちも掴まえることができん。
 ならば仕方あるまい。
 今日の給食はお好み焼き定食とのことだし、テンション上げていこう。

「よしっと!」

 装束を着替え、ランドセルも背負ったところで時計を見ると、時刻は7時半。
 康高はもう少し遅くになってから出陣だけど、わしは近所の集団登校の集合地へ赴く前に、勇殿の家で勇殿や華殿と合流しなくてはならないのじゃ。
 なのでそろそろ一軒家城を出る時間じゃな。

 いざ出陣じゃ!

「ぼーぐーもー!! ぼぐもおにいぢゃんと一緒にいぐーーー!! がっごーいーぐーのー!!」

 一軒家城の玄関で康高に捕まり、泣き叫ぶ康高を無理矢理母上に取り押さえてもらう。
 外に出てからも扉を隔てて康高の泣き声が響いてきたため、後ろ髪を引かれる思いをしながらわしは出陣した。


しおり