在城の参
ひるげが終わり、わしは居間のソファでくつろいでいた。
「ふぃー……」
インスタント焼きそばという料理がまさかあれほどのものだったとは。
いや、あの味はインスタント焼きそばだけの功績ではなかろう。
青々とした海苔。ゴマの風味を存分に生かしたふりかけ。そして……マヨネーズ。
まさか焼きそばにマヨネーズが絡んでくるとは……いや、絡めてくれたのは父上じゃが、あの合わせ技は忘れられない衝撃じゃ。
焼きそばのソースとマヨネーズ。
両軍の軍勢がわしの舌を挟み撃ちに陥れ、わしはまともな抵抗すること叶わなかった。
瀬戸内をゆく我が軍を毛利と長宗我部に睨まれた気分じゃ。
ふーう。
父上……なんという料理の腕なんじゃろうな。
その腕前があれば戦国はおろか現代でも食の天下を極めることが出来るのではなかろうか……?
「光成? 今日は“オムライス”な? お母さん帰ってきたらそう答えろよ?」
ソファでぐったりしておると、父上が証拠隠滅の作業を進めながら、わしに念を押してきた。
「うん、わかった!」
もちろんじゃ。あんなもの、母上に禁止されてたまるか。
わしはインスタントラーメンを食べたことはない。
言わずもがなインスタント焼きそばも食べたことがない。
そういうことじゃ。
もし将来母上の前でインスタント焼きそばを作る機会があったら、お湯切りの時に麺ごと流し台にぶちまけてやるつもりじゃ。
それが初心者じゃと父上が教えてくれたからのう。
それだけ細心の注意を払う必要がある。その価値がある。
いやはや、なんとまぁ。わしがかつて生きておった頃から400年。この時代に転生できてよかったぁ……。
……
……
いいわけあるかぁ!
なんでこんなことになったのじゃ!?
全然わからん!
輪廻転生ってそもそもどういう仕組みだったっけ?
わし、あまりそういうことには興味無かったから、詳しく知らん。
つーか、今のわしの状況、輪廻転生の類でいいんじゃよな……?
そういえば、わし以外にも戦国の世の記憶そのままに現代を生きている者はおるのじゃろうか?
そういう噂はとんと聞かん。
もしかするとみんなはわしみたいにそのことを隠しておるのかもしれないが、それにしてはテレビも新聞もその気配すら匂わせておらん。
唯一は、5年前に世間を騒がせた“是非に及ばず”事件か。
わしのことだけど……。
そういうのを匂わせる者が他にいてもいいような気がするんじゃが、みんなうまく隠しておるのか?
じゃあなにか? あほなことやらかしたのはわしだけか?
あぁ、そう考えると凹んできた。
まぁいいや。考えるのはよそう。
そのうち仲間が見つかるかもしれん。
もしかするとインターネットという裏の世界に入れば、そのようなやつの情報が見つかるかも知れんのじゃ。
でもインターネットは10歳からだし、この幼い体じゃ運悪く敵勢力と遭遇しても勝てる可能性が少ない。
どのみちこの体がもう少し成長してからじゃろうて。
とりあえず今は昼寝して……起きたらもっかい撮影を……あっ、電池無くなっちゃって、今充電してるんだった。
じゃあ……ひさしぶりに電気ポットで遊ぼうかのう……あと……和室に置いてある座イスを華麗に乗り回す訓練をし……て……
すぴー……すぴー……
――夢の中――
寺川殿と華殿がわしの奪い合いを始め、その争いが徐々に激しい取っ組み合いへと発展する。
挙句、双方が巨大な怪獣の姿となり、口や目からビームの類を発射した。
建物が壊れ、生まれ育った町が瓦解していく。
町の者どもは逃げまどい、わしは勇殿と戦闘機に乗り、悪の怪獣に立ち向かう。
そして――
うん。夢じゃ。
わっぱのわしにふさわしい、完全懲罰系の夢……おっと! 体が揺れ……
昼寝をしていたわしの隣に父上が座り、その振動がソファを通してわしの尻に伝わってきた。
半刻ほど寝たじゃろうか。
とりあえずは寝起きの背伸びじゃ。
ふぁーあぁ……
満腹感も適度に収まり、おめめぱっちりのいい寝起きじゃ。
これは午後も活発に行動しなくてはいけないな。
そう思わざるを得ないほどの完ぺきな寝起きじゃ。
なんじゃろう。寝る前に何か考え事をしておった気がするが……どうでもいいか。
今日は日曜日。午後からもしっかりと気晴らししておかねば、明日からの書物調査に太刀打ちできんからの。
ストレスは大敵。“泣く現代人”のおねえさんが言っておったからこの格言は忘れずに気をつけねばなるまいて。
さてさて。
ふと隣を見ると、わしと入れ替わるように今度は父上が昼寝に入ろうとしておる。
時刻は午(うま)の刻が終わり、未の刻(午後1時ぐらい)に差し掛かろうというところ。
南向きのこの居間はガラスの引き戸からお日様の光が差し込むので、ぽかぽかした陽気に父上もお手上げ降参モードじゃ。
父上? わしはしばらく一人で遊ぶから、父上はしばし寝るがよいぞ。
あっ。でもでも、もう少ししたら母上が帰ってくるかもな。そうしたら父上も起きて、3人揃って軽く買い物などに行くかも知れん。
でも、そうなればその時。わしは自由なわっぱじゃ。
好き放題遊ぶことになんのとがめがあろうて。
「さぁーてぇ……じゃぁ次はぁ……」
父上の眠りを妨げないよう小さくつぶやき、わしは忍び足でキッチンに向かう。
何をするか? 料理ではない。
電気ポットで遊ぶためじゃ。
まずは部屋の隅の棚に置いてある電気ポットを持ちあげ、床に下ろす。
ふたを開け、中にお湯が入っているか確認する。
この時、八割以上の貯水がなければ、わし専用の青いカエルさんコップで水を足すのじゃが、今回は父上がインスタント焼きそばを調理する時にお湯を費やしたばかりだったので、残りは少なくなっておった。
なので、わしは水道とポットを5往復ばかりして、お湯を満タン近くにしておいた。
これでパワーは十分じゃ。
そして、次に“沸騰”ボタンじゃ。
我が家では基本的にお湯を必要としない時は電気ポットのコンセントを抜いておくゆえ、中のお湯がぬるくなっていることが多い。
今回は比較的温かい状態じゃったが、いかんせん先ほどわしが水を足したため、もう一度沸騰させておく必要があった。
なので、“沸騰”ボタンをポチっと。
おっ、もしかして父上が召喚術を使う時はこのような気持ちなのじゃろうか? なんかその気持ちがわかったような気がしたぞ!
と、父上のその本意を問いただしてみようとしたが、父上は今現在お昼寝の最中じゃ。そのまま寝かせておくか。
じゃ、そんな感じでお次。
お湯が沸騰するまでしばらくかかるので、その間にわしは和室へと向かった。
この部屋は1階の隅、わしらが寝たり着替えたりする部屋のさらに奥にあり、普段はほとんど使われていない部屋じゃ。
畳が6枚と、床の間と、あと出書院。
父上は若いわりにこういうところにも理解があり、床の間に置いてある怪しい壺も趣深い。
わしにとって昔を思い出させる和室じゃ。
その部屋から座布団を1枚運び出し、わしは再び居間へと戻る。
ポットの脇に座布団を敷き、流し台の下の扉を開けて小さな鍋を取り出す。
鍋を手にとってポットのところに戻り、あとはお湯が沸くまで座布団の上で正座。これで準備万端じゃ。
……ぽこぽこぽこぽこ……
沸騰を伝える軽やかなお湯の調べに身を任せ、同時に瞳の方では“保温”ランプに暖かな橙色の灯が入るのを鋭く見つめる。
ほどなくしてお湯の沸く音が激しさを収め、橙色の灯がわしの眼に飛び込んできた。
おし!
わしは小さくこぶしを握り、脇に置いていた鍋の取っ手に手を伸ばす。
鍋を給湯口の真下に構え、“給湯”ボタンをおもむろに押した。
とぽとぽとぽとぽ……
あぁ、なんて綺麗な音じゃろうか……まるで沢辺に佇んでいるかのようなこの調べ。
と見せかけて、その実、清流を思い起こさせる冷たい水ではない。
わしの鍋に注ぎ込まれるは熱湯たぎる地獄の河川流じゃ。
瞳をつぶれば、あの頃の田舎の風景。
目を開ければ湯気の激しいお湯と、それを注ぎ出すハイテクからくり。
これじゃ。
わしの求めていた桃源郷はこの瞬間にあったのじゃ。
と、あっちの世界に旅立っておったら、ポットが“ふしゅー”と空気を吐きだしよった。
ちっ、お湯切れか。
まぁ大した問題ではない。鍋に入ったお湯を再びポットに戻せば、同じことを繰り返せるしな。
あぁ、すっきりした。
たった1回の給湯でこれほどまでに心癒されるとは。
電気ポット。いとあなどりがたし。
なぜこんなことをするのか?
その理由はわしにもわからん。
おそらく父上と母上にはもっとわからんじゃろうて。際わしがこれをやっておる時は、ゴミを見るような視線をわしに向けるしな。
しかしこれもやめられんのじゃ。お湯が鍋に注ぎ込まれる音がたまらんのじゃ。
たまらんものは仕方あるまいて。
おそらく……そうじゃな。
庭に“ししおどし”を設けるやつと同じ気持ちじゃろう。
マイナスイオン増量中なのじゃ。
なのでわしはこれを2、3日に1回の頻度でやっておる。
父上や母上から、「電気代がもったいないからやめろ」と言われたこともあったので、代替案としてわしが庭に池とししおどしの設置を請願したところ、双方妥協の上でこの遊戯を許可してもらっておる。
2、3日に1回。その1回におけるお湯の出し入れは上限10回。
最初にお湯がなかった場合の水の補充はノーカウント。
つまりあと9回の至福が残っておるわけじゃが、これがわしの“電気ポット遊び”じゃ。
というわけで、あと9回。
ぐへへ……ぐふぃふぇ……
心の中では興奮した46のおっさんの声を響かせつつ、現実世界では黙々とお湯を出し入れする。
次の瞬間、わしの背後に百獣の王が立っていた。
「光成?」
う……ごめん。父上じゃった。
あいかわらずのことじゃが前世の仕事柄、背後に忍び寄る者に過剰反応してしまうのう。
声をかけてきた相手が普通にしてくれればわしも気配を察知しやすいのに。
なぜみんなしてわしの背中に忍びよろうとするのじゃ?
……あっ、わしが何かに熱中してるからか。
ならば仕方ない。
でも……
そういえば一昨日の話。
普段ねね殿と間違ってきた寺川殿の不意を突く一声に、わしは武将の殺気を感じ取った。
もしかしたら今生のわしの体にもやっと殺気を察知する能力がついてきたのかも知れん。
だからあの時は寺川殿の気配をいつもと違うものに捉える事が出来た……とか。
……
……ん?
ちょっと待て。
それはつまり……やっぱあの時の寺川殿は機嫌が悪かったのだろうか?
一体誰のせいで――わしじゃった。
くそ、嫌なこと思い出しよったわ。由香殿のこんちきしょう……。
……
……ん?
ちょっと待て。
それはつまり……今の父上も機嫌が悪いの?
一体誰のせいで……?
え? なんで?
原因不明な父上の怒りを察し、わしは恐る恐る返事を返す。
「ん? なぁに?」
父上の顔を見れば、めっちゃ機嫌が悪い。
やっべ。マジこえぇ。うるさかった? わし、うるさかった?
ここは何も知らない振りをして無邪気な笑顔を返しておこうか?
それとも即座に土下座をすればいいのだろうか?
もちろん、わしにとって土下座などなんの意味ももたん。前世ではしょっちゅう頭を下げておったからのう。
土下座はそれをする人間の価値による。土下座はむしろ悪意ある脅迫。
よく言ったもんじゃ。あんなもん、ただの所作じゃ。
でも……でも……やっぱ土下座しようかな……。
父上が口をへの字に曲げてるもん。何か言いたそうだもん。
そりゃ、普段から穏やかな父上がいきなり怒鳴り散らすことはありえん。
特にこれは父上の仕事上の立場も関係しておるのじゃろうが、父上は言いたいことを一度飲み込む癖がある。
わしもそうじゃが、わしの場合は自分を隠すため。父上は自分の言により強い効果を持たせるため。
理由がちょっと違うんじゃ。
そんで、父上は特に頭の中でじっくりと言葉を選び、それを的確に発射する技術に長けておるのじゃ。
その発射が大筒のような一撃の場合もあるのじゃが。
なので、相手がだれであれ――たとえそれが家族であるわしや母上であっても一度言葉を飲み込み、選んでから発するのじゃ。
でも、今はとんでもない一撃が出そうな気がする。
それがいと怖い……。
などと、びくびくしながら怯えていると、父上が重苦しい雰囲気で言った。
「お前のせいで、溺れる夢を見た」
あっはっは! 面白い。面白いぞ、父上!
……いや、バカにしてはいけない。
わしだってさっき変な夢を見たし、父上がかような夢に苦しんだのはわしのせいじゃ。
ここは素直に謝ろう。うん、謝ろう。
わしは体ごと父上に向け直し、両手を床に着ける。
出来るだけ大きな声で謝るために、大きく息を吸い……
「お前、またそんな変な遊びやってんのか? うーん。ちょっと待ってろ。その遊びの場合は……あれかな……?」
父上のこの言を聞き、わしの不安が摂り越し苦労だった事に気づく。
そういえば、父上は低血圧じゃ。
加えて、わしの嗜みにまた何か助言をしようと思案してくださっておった。
あの顔は寝起きの辛さと、考え事をしておる表情が合わさったものじゃったか。
ならばよい。一安心じゃ。
わしがほっと胸をなで下ろしておると、別室に消えた父上が戻ってきた。
今度も怪しいからくりを右手に携えて……。
「これ、ボイスレコーダーとヘッドフォン。その遊び、これで録音してヘッドフォンで聞けばいい音で楽しめるんじゃね?」
父上……おぬしは全知全能か……?
その後、わしはお湯を注ぐ音を何パターンか録音し、それを堪能する。
四半刻(約30分)が過ぎたぐらいに勇殿から「一緒に遊ばない?」というお誘いの電話が来た。