在城の壱
日曜日、わしは一軒家城の居間にて、だらだらとテレビを見ておった。
時間は……頭をあげて時計を見るのも面倒じゃ。
腹の空き具合からして、ひるげまであと半刻ほどじゃろう。
うーん……眠い。
わしは今ソファという、椅子とお布団が婚姻したような家具に胴体を預け、父上の太腿に頭を乗せておる。
この体勢がやたらとわしの睡眠中枢を刺激してくるので抵抗が辛いのじゃ。
というのも、今朝日の出とともに起きてしまったわしが悪いんじゃが。
「ふあぁーあぁ……ふいぃぃいぃ……」
わしが大きなあくびをしておると、その時、テレビを見ていた父上が低い声で呟いた。
「うーん……スライダーにキレがねぇ……」
ちなみにわしらが今見ているのは衛星放送という、なんか……その……わしにもよくわからんのじゃが、おっきな傘が天空高く飛んでいて、そこから放たれる波動を2階の縁側にある鋼鉄の傘で受け止めて……えぇーい。面倒じゃ!
“びーえす”というやつじゃ!
その“びーえす”という秘密の手法で、地球の裏側でやっている野球を見ておる!
そんで今日は日の本で生まれた若人がピッチャーじゃ!
ピッチャーとバッターの二刀流で凄まじいパフォーマンスを発揮するえげつない選手が海の向こう側で戦っておるんじゃ!
んでんで、試合は2回の裏!
だけど今日のあやつは横に曲がるスライダーという変化球にキレがないのじゃ!
おし! 眠気が引いてきた。体を起こそう。
わしはゆっくりと頭をあげ、父上と並ぶ形でソファの背もたれにおっかかった。
しかしあれじゃな。
まぁ、わしは野球もサッカーもよく見るが、それは置いといて……。
時差という神の御業。
わしは前世を生きている時に信長様から地球儀を見せてもらったことがあるし、その時にバテレンのおっさんから地球が丸いということを教えてもらっておる。
だけど地球の反対側では昼と夜が逆になるという旨は、今もピンとこないのじゃ。
いや、地球が丸く、お日様も玉の形をしておって、そのお日様の周りをわしらのいる地球が回っておるという話は知っておる。
なので、お日様の光の影になる部分は夜になるというのも、理論として理解できる。
だけど、わしらが生きたあの時代は飛行機がなかったし、時計もそんなに正確ではなかったから、時差を明確に感じられる方法はないのじゃ。
船で世界を回ったとしても、航海中にゆーっくり時刻がずれていくだけだからのう。
当時、理論として知っておる者もおったじゃろうが、それを体験することは不可能じゃった。
わしにとって“昼と夜が逆”と言うなら、それは天照大神と月讀命(ツクヨミノミコト)のなせる業。もはや人の世が滅ぶレベルの天変地異じゃ。
ところが今テレビの中で野球をやっておるところは夜じゃ。
わしは飛行機に乗ったこともないし、海外遠征をしたこともないから、現世においても時差を体験してことがない。
でも、間接的にせよ、それが目の前で起きておる。
46歳の低い声で「うーむ」と唸りたくなるのも無理はない。
喉も若いゆえ、そんな声出ないけど……。
まぁ、そんなことに驚嘆する前にテレビそのものに驚けという話じゃろうが、テレビはテレビでそういうからくりなんだもん。仕方あるまいて。
と、わしが地球の神秘に胸躍らせていると、その時、父上が再度呟いた。
「ツーシームも定まってねぇな」
さてどうするか……?
ちなみにわし、幼稚園に出陣するようになる前は毎日のように野球を見ておった。暇じゃったからな。
だからルールも知っておる。なんだったらインフィールドフライや振り逃げの発動条件まで詳細に知っておるし、ブルドックシフトやディレイドスチールといった戦術プレイの有効性も熟知マックスじゃ。
あとあと、わしは前世の職業柄他人の怪しい動きに敏感だから、キャッチャーのサインを解読する癖もある。
三回の表裏も終わればサインを暴き、両軍バッテリーの配球を投球前に知ることが出来るのじゃ。
ふっふっふ。父上よ?
父上も多少は野球に詳しいじゃろうが、まだまだ甘い。
このピッチャー、敵軍の打者が一巡りするまでは様々な球種を試すことに重きを置いておる。
だから序盤はキレの悪い変化球もそれなりの数を投げるのじゃ。
キャッチャーの指示もそれを匂わせておるし、フォーシームもカーブもウィニングショットになりえるから、今の段階でどの球種が悪いとか決めても意味がないのじゃ。
まぁ、普通のピッチャーがブルペンでやることを試合中にやって、それでもそれなりに抑えちゃうあたりが別格じゃが、やつの真髄は3回以降。その日調子のいい変化球がどれかという調査が終わり、調子のいい球を中心に配球を組み立て始めるあたりから、やつの真価が発揮される。
三成ピッチングコーチの読みでは、カーブの収まりが良さそうじゃ。
なので今日のあやつは緩急を利用した組み立てになるじゃろう。三振多め、だけど一発に気をつけよといった感じじゃな。
と、父上に忠言しようか悩んだが、さすがにこれはやめておこう。
この外見で発する言としては流石に違和感ありすぎじゃ。
されど――わしはチャンバラが好きなように、基本的には野球も打撃戦が好きじゃ。
玄人は神経を擦り減らすような投手戦を好む者が多いと聞くが、そこは譲れん。
今日は相手のピッチャーも調子が良さそうだし、わしにとってつまらない試合になりそうじゃな。
なので、わしは静かに立ち上がり、居間の反対側に向かうことにした。
こちらにはキッチンから運んだ料理を食す机と椅子が置いてあるのじゃが、そこに向かう。
その途中わしは眠気を完全に取り除くための大きな背伸びを行った。
「うーん……うーーーう……うー……」
あぁ、やっぱ眠い。
でも、もうすぐひるげじゃ。
寝るならば、ひるげの後がいいじゃろう。
こうやって土日に昼寝をしてしまうから月曜のショート暇タイムも眠くなってしまうんだけどな。
これも仕方なかろうて。
わしは5歳児じゃ。
先に述べたとおり、今朝のわしは夜明けとともに起きたのじゃから、夜まではもたん。
あっ、ついでじゃが、わしは日曜日だけ早く起きるようにしておる。
理由は単純。そうじゃ。日曜の朝のテレビはわしらにとってゴールデンタイムのような番組が並んでおるからじゃ。
新聞のテレビ欄がまさに金閣寺のように光り輝いておるのだから、これは早く起きるしかあるまい。
父上と母上がすやすやと眠りについているのを脇目に、日の出とともに目覚め、カーテンを開けてチュンチュン鳴く小鳥さんたちに挨拶とかしておく。
ついでに(丸焼きにしたらどれほど美味かろう)と思ったりして、でも手元には吹き矢の1つも置いていないのでそれを諦める。
そんな寝起きが日曜日限定のわしの日課じゃ。
だけど……実のところ、夜明けとともに目覚めるのはいささか早起き過ぎなのじゃ。
テレビの電源をつけても酔っ払いみたいなテンションの異国人が胡散臭い問答で商品を見せびらかす番組しかやっておらん。
それを知ってもゴールデンタイムが楽しみ過ぎてついつい早く起きてしまうわしもわしじゃが、例によって昔その番組に電話をしてみたこともあるぞ。
腹周りの無駄な肉を削ぎ落す訓練機じゃ。
父上の腹周りが悲惨なことになっておったから、父上のためを思っての行動じゃな。
でも電話の向こうにいるおなごは、わしの声色じゃとまともに取り合ってはくれんかった。だから嫌いじゃ。
なので、わしは金色輝く時間まで居間で座禅を組んで瞑想をしたり、新聞を読んだり……新聞に挟まっているチラシで剣を作ったり……たまにそのチラシが母上にとって重要なスーパーのチラシであることが発覚して、特売を逃した母上にあとで怒られたり……。
あっ、嫌な記憶が……
いや、いいこともしておる!
天気が良かったら縁側のガラス戸から外に出て、朝日に照らされる父上の車のタイヤやホイールをうっとりと眺めたりしてるしな!
父上も母上もまだ寝てるから、玄関の扉には魔よけのまじないがしてあるままだけど、縁側のガラス戸からなら外に出ても怒られないのじゃ。
あと、その時間車庫にいくと高確率で隣のおばちゃんと遭遇するから、そん時に挨拶などしておくと菓子をくれたりもするしのう。
とにかくそんなことをして時間を潰しておるのじゃ。
そして時刻になったらわしは居間に戻り、いざ視聴タイムじゃ。
最初はわしの大好きな乗り物が数多く登場し、そやつらが人間のごとく喋る番組じゃ。
もちろんわしは登場する各種作業車のホイールに焦点を当てておる。
以前工事中のブルドーザーのタイヤを見ようとして轢かれそうになって以来、母上からその種の作業車への接近禁止を申しつけられておるので、こういう時に自身の欲望を果たしておくしかないのじゃ。
そんで次は腰の帯に設置された摩訶不思議なからくりを操ることで装束を早着替えする昆虫系のヒーローじゃ。
ぶっちゃけわしは昆虫が苦手なのでこやつらはあまりわしの心に響かんのじゃが、やっぱかっこいいので見ておくことにしてる。
どちらかというと戦隊ものよりは装束が鎧姿っぽいし、バイクを操る感じは騎馬兵に良く似ておる。
わしに昔を思い出させ、センチメンタルな気分にさせてくれる貴重な番組じゃ。
んでその後は、お馴染みの“オチムシャFIVE”。
躍動感あふれる死に損ないの武者がテレビの画面を所狭しと動き回り、血しぶき舞う切腹を相手に強要する番組じゃ。
放送開始当初はそのエグさによって日本全土のわっぱたちが精神不安定に陥り、PTAというこの世で最も怖い組織の各支城を激怒させることとなった放送法ぎりぎりアウトな番組じゃ。
わしら園児としてはそのエグさに心がどこまでついていけるかというチキンレース的な楽しみ方が一般的で、毎週月曜の朝は勇殿たち足軽組メイトと、
「お前どこまで行けた? 俺、Bパートの開始3分」
「お前マジやべぇ。俺Aパート終了1分前……」
「くっくっく。はんぱねぇリアルだったな」
といった会話をかっこよく交わすのが流行りの嗜みじゃ。
あと、こっから先はわしとしてはどうでもいいんだけど、最後にわしはおなご向けの番組にチャンネルを合わせることにしておる。
この頃には父上と母上が起きてくるので、朝げを食べながらになるのだが、この番組ははっきりいってわしはあまり興味がない。
だけど華殿がドはまりしておって、これを見て話を合わせないと月曜日の華殿が怖くなっちゃうから仕方ないのじゃ。
そんでそんで、今日はおなご向け番組の後に父上が野球を見始めたという次第じゃ。
あっ、母上は毎週日曜のこの時間は近所のお茶の教室に通っておる。
……うーん。
なんだったら、わしは利休殿とお茶会をしたほどの人間じゃ。
現代の世の中で茶道にかかわる者どもがよだれを垂らすほど羨ましがる体験をわしはしておる。
母上の先生殿はどこぞの流派の師範代とのことじゃが、わざわざそんなところに通うよりわしが教えてやってもいい。
でも、そういうことではないのじゃ。
なんというか……あの……その……えーと……。
わしはようわからんが、おそらくお茶の教室に行くのは母上にとって一種の気晴らしなのじゃろう。
わしはようわからん。ようわからんぞ。
だけど……現代の夫婦はそういうもんらしいのじゃ。
……
まぁいいや。母上はわしの妻ではないからのう。
それに母上が昼過ぎまで帰って来ないから、日曜の昼は父上が料理を作ってくれることになっておるのじゃ。
世にも貴重な男の中の男の料理。ザッ! カップラーメンじゃ!
この食料、母上がいる時は絶対に食べさせてくれないし、空になった器は洗った後父上が秘密の箱に隠して秘密の処分をするぐらいの気の使いようじゃ。
でもその努力を補って余りあるほど、やつらは極限に美味い。
父上から得た情報によると、今日はカップラーメンの一角をになう人気商品“インスタント焼きそば”とのことじゃ。
お湯でふやかすのに……焼き……とな……?
まぁいい。
料理は味で語れ。
わしはこの格言に従って、目の前に出された食事をただ味わえばいいのじゃ。
それ以上でもそれ以下でもない。それが料理というものじゃ。
ふっふっふ! またテンション上がってきた。
ちなみに今さらだけど、父上はインターネットという裏の世界で暗躍する商人組織の長じゃ。
でも、長といっても配下のものは3人だけという小さな組織であり、わしも周りにいる現代のわっぱたちに比べて、特段いい生活をさせてもらっておるわけではない。
まっ、前世のわしからしてみれば、今は神の国に住んでいるようなもんじゃが。
歳は35。
母上とは会社で知り合い、新人だった母上を上手く口車に乗せて手にか……母上と真剣な交際を経て婚姻に至ったらしい。
母上は父上の4つ年下で、普段は一軒家城を守っておるが、父上の商いが忙しくなった時だけたまにそれを手伝っておる。
あと、父上の商い組織は新宿の小さな城の一部屋に拠点を置いているとのことじゃ。
わしはそこを訪れたことはないが、一昨日の“おはようの会”にて寺川殿がナンパされたと言っておった場所じゃ。
寺川殿をナンパしたのが父上だったら爆笑もんじゃが、あの夜父上は堺に行っておったし、たまに父上も幼稚園の儀式に参加したりするので、お互い顔見知りじゃ。
いや、それをわかった上で父上が寺川殿をナンパしておったらさらに爆笑もんじゃが……。
うん。一瞬、殿下にキレるねね様の顔が浮かんだので、これ以上の野暮な想像はやめておこう。
浮気、だめ、絶対。
まあわしの両親はそんな感じだとして、さてさて。そろそろじゃ。
何がそろそろかと言うと、昨日父上に買ってもらったラジコン。あやつの充電がもうすぐ終わる。それを待っていたんじゃ。
充電器をぶっ刺したコンセントの位置が食事用の机の下にあるゆえ、わしは机の下に潜り、そこで正座をする。
ぴこん、ぴこんと点滅する充電器が命を失うかのように徐々に灯火を弱め……いや、これが逆に充電完了間近の合図なのじゃが、それが完全に消えたところで、充電完了じゃ!
「しゃーーッ!」
思わず叫んでしまったゆえ、ソファのあたりから父上がビックリする物音が聞こえてきたが、そんなことは関係ない。
わしは充電器をコンセントから素早く抜き、机の上に待機させておいたラジコンに電池を詰める。
流れるような動きでラジコンとコントローラの電源を入れ、煌く車体を近くの図鑑の上に置いた。
タイヤ交換の時に車体を浮かせるあの感じで。
「ふっふっふ……」
不敵な笑みを浮かべ、いざ遊戯!
ぎゅるぎゅるぎゅるぎゅる……
コントローラの左のレバーを手前に倒し、ラジコンの車輪が機動音とともに空転を始める。
瞳を近づけてその様子を観察し、同時に耳から入るかっこいい音に聴き入ったわしは快楽の極みに達した。
「うひゃひゃひゃひゃひゃ……」
ふはっ! ひゃっひゃっひゃ!
うん。これがおかしな遊び方だというのは……くく! ……わかっておる。
ぷっ! でも、床にラ……ぶはっ! ラジコンを置いて走らせちゃうと、車輪の様子が観察できないであろう?
げほっ、げほっ……興奮しすぎた……げほ……。
「どうしたぁ? 大丈夫かぁ?」
その時、心配した父上の声が背後から聞こえてきた。
「うん。ちょっとむせただけ。大丈夫だよ」
「あぁ、ならいいや。でも、気持ち悪いから“ちゃんと”遊べぇ」
だからそれは無理じゃ。部屋の中ぐるぐる走らせても楽しゅうないもん。
ホイール見守ってる方が心躍るもん。
車掛りじゃぞ?
あの伝説の車掛りの陣が、目の前の小さなホイールに表現されておるのじゃぞ?
いやはや、買ってもらうラジコンをホイールのデザインだけで選んで良かったわ。
あの時の苦難も今の感動をより一層強めておるようじゃ。
ふぇっひっひ!
いやいや。落ち着けわし。まだじゃ。まだ右のレバーが残っておる。
今度はこっちじゃ。これを左右に倒すと……。
きゅる……きゅる……
このーうぁーー!
ハンドルじゃ。このレバーがハンドル代わりになっていて、タイヤが左右に向きを変えるのじゃ!
はぁはあはぁはあ……はははっ……ふぇへへへ……。
ヤバい。息が辛くなってきた。
ふーう。ふーう。
「じゃあ、もう1回……ぐぅへっぇっへ……」
ちなみにこの遊び、昨日父上と母上と買い物から帰ってきて以降、2時間ぶっ続けでやってたからの。
一昨日の幼稚園のいざこざで若干気持ちがもやもやしておったが、それも吹き飛ばしてくれた。
もっと続けたかったが、家じゅうの充電池を全部使い切ってしまって、さっきまでおあずけをくらっておったのじゃ。
ふふふ。
これはやめられん。やめられるわけなかろうて!
「……ん?」
その時、背後から悪意のある気配を感じ、わしは恐る恐る振り返る。
目の前には、黒光りする怪しい小箱を持った父上が不敵な笑みとともに立っていた。