case5.普通の社会人
とある日の午前十一時五十七分。
午前はもう終わりだと思って、昼休憩に入る準備をしていた時。
ガラッ
扉が開く音。来客だ。
はぁー
溜息一つ、脱いだばかりの白衣をひっつかみ、強引に羽織る。こういう商売だし、こういう時間に来る客が悪いとは思わないが、何かこう、人生がスムーズに行かないもどかしさを感じてしまうのはなぜだろう。
「…すみませーん。」
呼ばれてるが、なぜだろう、足がなかなか動かない。うんしょ、うんしょ。
「すみませーん?」
はぁぁぁ、どっこいしょ。のろのろとした足取りで出迎える。
「すみません、お待たせしまして。」
「あ、はい、大丈夫です。こちらこそすみません、こんな時間に来てしまって。」
一応申し訳無さはあるんだな。それなら自重してほしかったが。
「全然大丈夫ですよ。お入りください。」
「はい。」
二十五歳男性。社会人三年目。中堅IT企業でSEを担当。仕事の飲み込みは早い方で、勤務態度も真面目。研修後は実践でそこそこの成果を出し、一年目の終わりごろから他県への出張も増える。待遇も若干良くなり、奨学金の返済含めてもそれなりの生活を送れている。趣味はゲームと動画・配信・映画鑑賞に、作曲。たまに歌詞がつかないインスト曲なるものを音楽制作ソフトで作成するらしい。
悩みは、社会人としての在り方。仕事の出来は悪くないとはいえ、失敗も多々あるという。二年目に入ったばかりの頃、出張先で大きなミスをやらかし、わざわざ先輩が駆けつけて対処してもらった経験がある。それ以降周囲への迷惑や失望されるのが怖くて、動けなくなる朝もしばしば。任せられる仕事の質も量も増えていき、後輩も増えていく中、自分はどれだけ仕事を頑張るべきなのかが分からなくなってきた。趣味も段々楽しく感じられなくなり、仕事のために生きている人生に疑問を感じている。
昔の俺なんだよなぁ。業界も職種も違うけど、やっぱ仕事なんてつまんねぇよな、分かるよ。
でももっと遅く来いよ。もしくは朝一。そういうとこだぞ。
「仕事はどうです?やっぱり楽しくはない、ですか?」
「そりゃあ、まぁ、どちらかと言えば楽しくはない、です。すみません、でも、達成感が無いことはないですし、頼ってくれる後輩もお世話になった先輩もいるので、何というか、その期待に応えたいなぁというか、いや期待されてるかどうかは分かんないですけど、すみません、とにかく、もう少し頑張りたいなぁとは、日々思っています。」
期待されてるのかもしれないけど、あんたが思ってるほどはしてないよ、多分。
「生活習慣はどうです?ちゃんと三食食べて、夜寝て朝起きてますか?」
「平日は朝食べないです。すみません、ギリギリまで寝ていたくて。会社に着いたらお菓子を一、二個口に入れてそれで済ませます。昼は会社周りの飲食店で適当に食べて、夜は近くの牛丼屋でテイクアウトするか、スーパーで惣菜かカップ麺を買います。それで家に帰ってご飯を食べた後は、洗濯とか掃除とか軽くやってから、パソコンを点けてゲームしたり、動画か映画を観ます。そうするうちに十二時前になっちゃうので、お風呂に入ります。上がった後もスマホで動画やらSNSやら見たりして、午前一時くらいになったら、スマホを置いて寝ます。」
すっごいあるあるな生活。新社会人の八割はこんなだろ、きっと。
「じゃあ寝付くのは一時半くらいですか?」
「まぁ一時半から…二時くらいになりますね、すみません。」
「それで翌朝何時に起きます?」
「七時半には起きないと遅刻します。」
六時間弱か。まぁ少ないな。八時間取れって皆んな言うけどさぁ、無理だよな?趣味の時間無いと死んじゃうし、でも仕事前倒しにするのなんて不可能だから、睡眠時間削るしかないよなぁ?
「それで、仕事中眠くなります?」
「すみません、眠くなっちゃいます。特に昼休みの後は。だからできるだけ昼ご飯は手早く済ませて、さっさと会社に戻って十分くらい寝ます。それだけでも結構変わりますから。」
分かるわー。俺も昼休みは寝なきゃ無理、午後耐えられなかった。だから先輩が「飯食いに行こうよ」とか誘ってくれても正直ダルかった、寝れないから。そういう時は仕方ないからトイレに籠って五分目を瞑ったりしてなんとか凌いでた。
そう思うと厚意って自己満だな。
「土日は大丈夫です?夜更かしとか、しちゃってます?」
「あー…しちゃって、ます、ね、すみません。金曜の夜は、溜まった動画とか配信のアーカイブとか映画とか、それとゲームのタスクとかダラダラ消化しようとして、午前三時くらいまでずっとやっちゃうことが、まぁ、しばしば…というかいつもですね、すみません。作曲もできればしたいですし、どんどん時間が過ぎちゃって…それで、全部済ませてベッドに入るのが四時過ぎ、いや、五時前…くらいになってしまいます、すみません。土曜も同じ感じです。」
「それで、起きるのは?」
「大体昼の十二時から十三時…十四時くらいですね。本当はもっと早く起きるべきですよね、すみません。日曜は明日仕事っていう意識があるから、前日早めに寝て、十時くらいには起きて、それで一時過ぎに寝ます。本当はもっと本読んだり、作曲して投稿したりしたいんですけど、でもなかなかその元気が無いというか、やる気が出なくて…すみません。」
だよなー。平日の鬱憤晴らすために、どうしても金曜の夜と土曜の朝昼は犠牲になるよなー。正直金曜の夜から土曜の夕方までが一番楽しいわ。土曜の夜と日曜は正直楽しくない。『月曜のための準備しないと』って気持ちになり過ぎちゃって、何かを楽しむ気がなくなっちゃう。そんなことより休んでリフレッシュしておかないとって。それで実質的には一日くらいしか休んだ気にならない。
本当につまんない人生だった。
「なるほど。趣味をやる気力も無くなっている、と。確かにそれはちょっと、お辛いですね。」
「は、はい…」
シーン
沈黙の時が流れる。
あぁもういいか。結構境遇が重なるから親身になっちゃうけど、慰めの言葉なんて思いつかないし、さっさと抜いちゃおう。
「それで、今日は抜いていきます?」
「すみません、どうかお願いします。」
ぺこ
律儀に頭を下げてくる。引っ叩きたい。
スッ
スゥゥゥウウウウウ
そこそこの靄。
こういう悩みはタチが悪い。前の…誰だったか?OLもそうだが、誰が悪いとか、何が駄目とかが無く、解決すべき対象が無い。あるとすれば、自分。自分の劇場型主観を直す他無い。真面目なのを良いことに、「自分はこうあるべき」「あの人はこう思っているに違いない」「今これをやらないときっと困ることになるだろう」と勝手にストーリーを作る。しかもその中では、自分は悲劇のヒロイン。一生懸命頑張っているけど報われない、可哀そうな存在。
そしてそれを理由に堂々と墜ちていく。誰にもケチをつけられないよう、「頑張ったけど駄目でした!」という言い訳を掲げ、胸を張ってリタイアする。
そうだ、お前や昔の俺は、諦めるための理由を仕立て上げるために働いてるんだ。それで俺は本当に諦めてしまった。
まぁ変な才能が開花して金ぼったくれるようになったけどな。人生分からんもんだ。
「ヒロインにならず諦めもせずに仕事を続けるにはどうすればいい?」なんて、知るわけねぇだろ。知ってたらこんなことしてねぇよ。
勇者になるしかないんじゃない?仕事の中に魔王や四天王を思い浮かべて、民衆のために立ち向かう自分でも永遠に想像してみたら?もしそれで最後までやり抜いたら、伝説になれるかもね、知らんけど。
それかお父さんにでも聞け。
スゥ…
「はい、もういいでしょう。目を開けて。」
「すみません、楽になりました。ありがとうございます。」
「いえいえ、また何かありましたら、いつでもどうぞ。」
『永原修太郎』
『二十代半ば』
『普通の社会人であろうとする生真面目さ』
何回「すみません」って言われたろうな。染み付いちゃってんだな。もはや悪いと思ってなくても言うだけ言っちゃえって感じだ。
失礼にはならんだろうが、重みも無くなるし、謝るべきタイミングを見分けられない自信の無さにも思える。
俺は自分のせいでも謝るの嫌だったなぁ。「は?俺なりに頑張ったんだから受け入れろよ。」ってスタンスだった。その結果、上司や客から詰められるのは減ったけど、話しかけられるのも減った。
まぁこんくらい卑屈でじゃないと世間の荒波は越えれんよ。
あ、それでも病んだのか俺。じゃあ無理じゃん。オワオワリ。
「生まれるだけでハードモード、初見に優しくない死にゲーだわ。」
今度こそ白衣を脱ぎ、昼飯を買いに行った。