2024.10.19
延々と、映画を見ている。本は読むのに気合がいるが、映画は流しておけばとりあえず格好がつくのでひたすら流している。洋画でも吹き替えにしておけば、画面を見ていなくても大筋が分かるので楽である。自分はここで字幕に対するこだわりを捨てた。何なら日本語の吹き替えに日本語の字幕をかぶせてみるなどしている。そうすると、吹き替えは口の動きに合わせてセリフを作っていることが分かる。言語的な正確さは字幕の方が上だと勝手に思っているが、吹き替えの日本語と字幕で表現が違う所もあり、思わぬところで楽しめるものだと感じている。自分は映画を見ている。
見ているなんて言うのは、恐らくおこがましいのだろう。映画を流している。それが一番正確な記述だ。自分はパソコンの画面を半分ずつにして、右半分で映画、左半分で別なことをしている。自分にはこの方式がしっくりくるようである。自分はどうにも映画を真面目に見れない。一つの画面をじっと見ていると、何だかじれったくなってしまう。別なことをやりながら見ると、何かかが良い感じに中和されて見続けることが出来る。自分は映画に対して不真面目な自分を感じる。しかしそれでも映画が見たいから、このような中途半端な方法を採用している。不真面目だが、不真面目なりにきちんと続けられる方法を模索していきたい。