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近くで見ると、本当に見事な花を咲かせている。遠目に見ると桜にも見えると涼佑は思ったが、こうして近付いてみると、やはり桜とははっきり違うと分かる。薄く桃色に色づき、節くれだった枝振りはまた見事なもので、風に乗って花弁と共に梅の香りがほんのりと流れてくる。梅の木は川を覗き込むように枝垂れており、時折強い風が吹くと花弁が川の水面へはらはらと落ちていく。夜闇に浮かぶ枝垂れ梅は幽玄な趣があった。
「綺麗……」
「こりゃ、怪談付きじゃなくても、みんな見に来るわ」
絢と直樹があまりの美しさに感嘆の声を漏らすと、友香里が困惑した様子で「おかしい」と言い出した。その一言で皆、彼女へ注目する。
「おかしいって?」
「この梅の木、確か白梅だった筈だよ。私、覚えてる」
友香里の記憶では、幼い頃に家族でこの梅の木の近くでピクニックに行ったことがあるが、その時、確かにこの梅は白梅だった。あれからこの木がどこかに移されただとか、植え替えられたという話は聞いたことが無いとも。
「それじゃあ、なんでこの梅、薄くピンクに色付いてるの?」
「……わかんない」
何とも薄気味が悪い。一同の間に不穏な空気が流れるも、涼佑の「さっさと調べて、さっさと帰ろう」という言葉に皆同意した。殆ど無言のまま、取り敢えず梅の木周辺に何か手掛かりになるようなものは無いかと、手分けして調べてみることにした。
「何かあった?」
「いや、何も」
暫くの間、梅の木周辺を探してみた涼佑達だったが、特にこれといって変わったものも無ければ、手掛かりらしいものも無い。直樹達にも何か見えないかと訊いてみるも、何もいないと答えるだけだった。そもそもあの噂は本当なのかすら、現時点での涼佑達には分からない。涼佑達は一度、集まって互いに相談し、こうなれば本当に人魂が出るのか確かめてみようということになった。
梅の木から少し離れたところで、皆木の下に人魂が現れるのを今か今かと待っていた。その間、何か話していないと気まずいので、勉強のことだったり、学校生活のことだったりと他愛のない話をしていると、強い風が吹いた。ざわざわと梅の木が揺れて花弁が舞い散る。先程の幽玄さとはまた違う、どこか妖しい光景に、皆自然と沈黙して見入った。
突然、涼佑に寄りかかるようにして、隣に座っていた直樹が倒れ込んできた。一瞬、寝てしまったのかと思った涼佑だったが、そうではなかった。寝るにしては何の声掛けも無かったし、寝息すら聞こえてこない。不審に思って涼佑は直樹の肩を軽く揺すってみる。
「おい、直樹? 寝たのか?」
揺すっても反応しない彼が心配になってきた涼佑は、今度は本格的に起こそうと、声を掛け続けながら両肩を掴んで揺さぶった。その頃には会話に夢中になっていた真奈美達も涼佑達の様子に気が付いて、皆直樹の周囲に集まった。
両肩を揺さ振ってもなかなか起きなかった直樹は、やがて深い深い眠りから醒めたように眠たそうな声を発して、ゆるゆると起きた。かと思うと、心配そうに顔を覗き込んでくる涼佑達へ不審そうな目を向けた。直樹は涼佑達をまるで不審者でも見るような目つきで見つめながら、とんでもないことを言い出した。
「誰だ? お前ら」
「………………は?」
信じられない一言に一瞬、ふざけているのかと思った涼佑だが、どうやら彼は本当に涼佑達のことが分からないのか、不思議そうに周囲を見回していたかと思うと、「おれ、なんでこんなところにいるんだ?」と言って立ち上がった。そうして、未だこの状況が理解しきれない涼佑達へ直樹は忠告する。
「誰だか知らないけどさ、こんなとこにいたら風邪引くぞ。おれ、もう家帰るから、お前らも帰った方が良いよ」
そう言って、直樹はさっさと一人で帰ってしまった。自分の家は分かるようで、あおの足取りに不思議と迷いは無い。何が何なのか、全く分からないまま、一同はその背中を呆然と見送ることしかできなかった。
「なに、あれ」
「さあ……?」
「…………記憶喪失っていう感じでも無さそうだけど。でも、私達のことは覚えてないみたい」
「――巫女さん、直樹はどうなっちゃったんだ?」
涼佑達だけでは何が起こったのか分からなかったので、涼佑は巫女さんに訊いてみるも、彼女も涼佑同様、「いや、私にも分からない」という答えが返ってきたのだった。
結局、その夜のうちには何も分からず、ざわざわと風に揺れる梅の木が何だか不気味に思えた一同は、今日のところは帰ることにした。いまいち腑に落ちない涼佑は、先程の直樹の態度を考えながら帰路についていたが、やはりよく分からなかった。
翌日、直樹は学校に来なかった。空いている彼の席を見て、やはり涼佑はどこか腑に落ちないと思いつつ、午前の授業を受けた。一応、直樹の為にノートをいつもより丁寧に取りながら。
昼休みにいつものように真奈美達と弁当を食べつつ、やはり話題に上がるのは直樹のことだった。最早当たり前のように夏神がいる中、絢が心配そうに言い出した。
「やっぱり、今日、直樹ん家行ってみようよ」
「うん。昨日のこともあるし、気になるよね」
「今日の放課後、みんなで行ってみよう」
「……もしかして、昨日行ったの? あの梅の木」
夏神が少し言いにくそうに皆に問う。彼に少し気があるのか、絢は「なんで夏神くん、知ってるの?」と積極的に質問する。それに夏神はやはり言いにくそうにしながらも「実は……」と昨日のことを話した。
「僕のせいかもしれないね」
「そんなこと無いよ! その……あいつがちょっと変になったの、別の原因かもしれないしっ」
「――変になった?」
「うん。なんか昨日、寝たと思ったら私達のこと忘れてたみたいな、ちょっと変な態度だったから。まぁ、あいつが何か変な物食べただけかもしれないし!」
「絢もなかなかに酷いことを言うな」と思った涼佑だったが、そんなことを口にしたりすれば、自分がどうなるのか分からないので、口にも表情にも出さなかった。夏神は「そうなんだ……」とやはりどこか元気が無く呟いて、何事か思案した後、徐に口を開く。
「僕のことも忘れちゃってるのかな……?」
「――あ、それ、どうだろう」
夏神の言葉に真奈美は何かに気付いたのか、はっとした顔をする。彼女も何か考え事をしていたかと思うと、他人に聞かせるというよりは、自分の考えをまとめる為に声に出していく。
「もし、直樹くんが夏神くんのことを覚えていたら、もしかしたらそこから何か分かるかもしれない」
「え? そうなの?」
真奈美の言ったことに絢と友香里は希望を見出したようで、「それだ!」とほぼ同時に声を上げた。
放課後、相変わらず何人かの女子達に話し掛けられたりしていた夏神は、集合場所である昇降口に着くと、既に靴を履き替えていた涼佑達に声を掛ける。
「ごめんね、待たせちゃって」
「う、ううんっ! 良いの良いの! そんなこと!」
爽やかな夏神の困ったような笑顔に、いつもは「おっそーいっ!」と迷わず文句を言う絢らしくなく、照れて妙な語尾になっている。この光景を直樹が見たら、おそらく「おれらとエラい扱い違うんですけど」と文句を言うに違いない。その光景が目に浮かぶようで、涼佑は一人苦笑いを零した。
「じゃあ、行こっか」と差し出されたその手を絢は迷わず「はいっ」と組む。涼佑の隣でそれを黙って見ていた巫女さんは「お前らの時とエラい違うな」と想像の直樹と同じようなことをぼそりと呟くのだった。