3 影を融かす蹴り
銀髪の渋くて美しいオジサマに、あわやぱっくんちょされそうになったミチルだったが、タイミングよくトラブルが発生した。
どうやらここはそのイケおじの家らしいが、庭先に黒い影の獣が襲来。
何度も何度もごくろうさんね、でお馴染み(?)のベスティアだった。
「……」
銀髪イケおじが息を殺して、犬型のベスティアと対峙している。じりじりと、間合いをつめているようだった。
「ここにも、ベスティア!?」
そんな緊張感をぶち壊すように、ミチルの素っ頓狂な声が夜の庭先にこだまする。
ミチルは戦いの心得なんて知らないし、ましてや数分前にぱっくんちょされそうになっている。
興奮したそのままのテンションで叫んでしまったのだった。
「ちょっと、あなた! 何なんですか! 先生の呼吸の邪魔しないでください!」
銀髪イケおじから少し離れていた、先ほど彼を呼びに来た若い男がヒステリックに言った。
その言葉を受けて、銀髪イケおじは後方のミチルを振り返り、まるで軍神のような鋭い目つきで聞いた。
「貴様、アレを知っているのか……?」
「う、うん。アレはベスティアでしょ? 影で出来た、触れない魔物で攻撃が通らない」
ミチルがそう言うと、銀髪イケおじはミチルを見定めるように眺めた後、また視線と体勢を前に戻した。
「成程。貴様、命拾いしたな……」
言いながらも、銀髪イケおじは目の前の犬型ベスティアを見据えて、間合いをまたつめた。
「貴様を××殺す前に、聞いておかなければならない事が出来た……」
ちょっと!
真面目な顔で、しかもベスティアを目前にしてるのに、なんて卑猥な事言うの、この人!
「××を洗って待っておけ!」
だからァ!!
とんでもねえ助平じゃん! エロジジイじゃん!!
あけすけなワードをこれでもかと聞かされたミチルは、赤面したまま何も言えなくなってしまった。
その沈黙を利用して、銀髪イケおじは犬型ベスティアに向かっていく。
「ハアァッ!!」
空を裂くような蹴り。早すぎて見えなかった。少し遅れてヒュッと音がした。
え? 音速超えたってこと? ホントに人間技?
そんな思考をミチルが抱く前に、ベスティアは音速の蹴りを受けて、一声も発しないまま夜闇に溶けた。
「……ふむ。まあまあだな」
ベスティアが、倒された……?
ミチルは目の前で起きたことが信じられなかった。
「先生! お見事です!!」
脇で控えていた若い男が、直角にお辞儀をした。
「引き続き、警戒を怠るな」
「は!」
短く返事をした後、その若い男は何処かへ行ってしまった。
「え? 倒したんですか? ベスティアを?」
ミチルが目を丸くしながら辛うじてそう聞くと、息ひとつ乱していない銀髪イケおじは冷たい目のまま答える。
「おそらくな」
「ウ、ウソでしょ? アナタ、生身ですよね? 魔剣もないのに、ナイフもセプターもないのに、アレ、倒せるんですか!?」
ベスティアは、カエルレウム製の魔剣でないと倒せない魔物。もしくはイケメン三人の武器でも可。
ミチルが今まで刷り込まれていた大前提が、今、目の前で揺らいでいた。
「……どうやら、貴様はかなりの情報を持っているようだな」
「え?」
銀髪イケおじは口端を軽く上げた後、ミチルの腕を乱暴に掴んで部屋に引き戻した。
「うあっ!」
そしてまた固い床にミチルを乱暴に投げ、開いていた扉をバタンと閉めた。
部屋には再び、暗闇と静寂が戻る。
「さて……貴様の所業を許すかどうかは、これからの貴様にかかっている」
「ひええぇ……」
ミチルは今度は恐怖百パーセントで腰が抜けた。
銀髪イケおじは行燈のようなものに火を点けて、すぐ側の小机に置いた。
仄かな灯りを背負って仁王立ちする姿は、まるで地獄にいる鬼のようだった。
「じっくり聞いてやろう……貴様のカラダにな」
ミチルを見下ろすその顔は、怪しくも美しい地獄の使者。
拷問!? 拷問される!?
痛いヤツ? それとも気持ちイイやつ?
ミチルは恐怖で取り乱し、思考がバラバラに砕けていた。
「貴様、名は何と言う」
「はひ」
ミチルは恐ろしくて、唇すらも麻痺してしまっていた。
「……名乗らないなら、殺すが?」
「
ジェイ。
アニー。
エリオット。
ごめんね。
オレは生きて皆に会えないかもしれない。
再会出来たとしても、もうあの頃のオレではいられないかもしれない。
固い床の上。
悲壮な感情をミチルに植え付けるには充分の、冷たさだった。