10 おててつないで
「あー……」
エリオットが唸る。
「あー……」
数歩歩いては唸り、また数歩歩いて唸る。繰り返すこと一時間。
「疲れたァ!!」
エリオットはついに立ち止まってヒステリックに叫んだ。それを隣で見守っていたミチルは目を細めて、ついに来たかと溜息を吐く。
「エリオットぉ……」
「うるさいな、まだ二時間も歩いてないだろ」
先行して歩くジェイのすぐ後ろでアニーが振り返ってエリオットを嗜めた。
アルブスを出発した四人は、一路カエルレウムを目指していた。
スノードロップからチル一族とフォラス鋼という武器の原材料の知見を得て、更に詳しく調べるためにベスティア研究が最も盛んなジェイの母国へ向かっている。
その道中は大国から大国へと渡るだけあって、比較的安全でなだらかな道が続いていた。
とは言え、十年も外に出ず部屋の中で読書くらいしかして来なかったエリオットにしてみれば、二時間歩き続けることは拷問でしかない。
そんな彼にまだ十分の一も進んでいないなんて残酷な事実はさすがのミチルも言えなかった。
「なんで馬車で行かねえんだよ! 歩いていくなんて聞いてねえぞ!」
「いや、普通歩きだろ」
エリオットとアニーの育ちの差がでる認識のズレ。曲がりなりにも王族のエリオットに徒歩で移動する頭はそもそもない。
「ふむ。王子は魔法を使うのだろう?飛翔魔法などで飛んだらいかがか?」
先頭を歩いていたジェイも振り返って言う。
飛翔魔法!
魅惑の響きに、ミチルは思わず期待の眼差しをエリオットに向けた。
「エリオット、飛べるの? やっぱり箒使うの?」
「はあ? 箒で飛ぶとかいつの時代の話だよ。今のトレンドはブーツだな。ブーツに飛翔魔法をかけて空を歩くんだ」
「へええ! すごい! やってやって!」
ミチルもそこそこ疲れてはいるのだが、そんな魔法が見れるとあっては興奮で疲れも吹き飛ぶ。
だが、エリオットはふいと視線を逸らして呟いた。
「……できねえ」
「うん?」
「飛翔魔法は習ってないから出来ねえよ! クソ魔ジジイの本に書いてあったのは、派手な攻撃魔法だけだったんだ!」
エリオットは軟禁されていた部屋の魔術書を全て読んだと言っていた。だが、そんな偏りがあったとはミチルも想像していなかった。
「ほんとかあ? どうせ目に止まった派手な魔法ばっかり斜め読みしたんだろ。コドモは気に入った所しか見ないからなあ」
ハハッとアニーが笑い飛ばすと、エリオットはムキになって声を荒げる。
「お前ェ! このおれをバカにしたな!? ルブルムの野蛮人め!」
「エリィ! メッ!!」
ミチルはエリオットの手をペチと叩いて怒った。
「人種差別発言、ダメ! 謝りなさい!」
「エリィって呼ぶな、ミチル! おれはもう25だ!!」
「……フッ」
ミチルに頭ごなしに怒られるエリオットを見て、アニーはとっても冷ややかな視線で嘲笑った。
「身体は25歳でも、精神がまだ15のコドモだとはねえ……おいたわしいことでぇ」
可哀想に、それじゃあミチルに恋愛対象だと見てもらえないねえ、とアニーは暗に言っている。
「お前ぇえ! おれとひとつしか違わないくせに、遥か高みから見下ろしてんじゃねえぞ!」
「ええー? ああ、ごめえん」
真っ赤になって怒るエリオットに、アニーはニヤニヤが止まらない。
第3の男は取るに足らない、心配する必要がないという余裕の笑みだった。
「アニー! エリオットだって好きでこんな風じゃないんだから、あんまり挑発しないでよ」
ミチルの、キューン♡なおねだりに、アニーは悶えながら頷いた。
「うん、わかった。ミチルが言うなら♡」
そんな三人のやり取りを聞いてはいたが、特になんとも思っていないような顔をしてジェイがミチルに話しかける。
「ミチルはどうだ? 疲れないか?」
「え、オレ? ああ、まあね……疲れてないと言えばウソになるけど。まだ歩き始めたばっかだし、もうちょっと頑張る」
テヘ、とはにかむミチルの表情に、アニーとエリオットはクラクラしていたが、ジェイは表情を変えずに少し笑った。
「ミチルは頼もしいな」
「おい……アイツ、人の心がねえぞ」
「やっぱり王子サマもそう思う?」
都合のいい時だけ結託するエリオットとアニーだった。
それから更に三十分。疲れたと喚くエリオットをなだめすかして歩かせるのも限界を迎える。
「もうヤダァ! 休みたいぃい!」
「お前、25のオトナなんだろ!? もっと頑張れよ!」
温厚なアニーが顔を顰めて怒るほど、エリオットの駄々こねは目に余るものだった。
エリィの見た目ならいざ知らず、図体のでかいエリオットが地団駄踏んで喚く様は、とても父王には見せられない。
「エリオット……もうちょっと頑張ろうよ」
「……」
ミチルが優しく言ってみても、エリオットは口をへの字に結んでその場にしゃがみ込んでしまった。
「もう……」
どうしたものかとミチルが途方に暮れていると、アニーが揶揄うような口調で言う。
「根性ねえヤツは置いてくぞー」
「ほら、エリオットならもうちょっと頑張れるよね?」
ミチルは目の前の大きなコドモに笑いかけた。その姿は、今はもう会えなくなったエリィと重なってなんだか可愛く見える。
「……じゃあ、ミチル。手、繋いでくれよ」
「手? 繋いだところで、オレだってエリオットを引っ張ってなんて歩けないよ」
「違う! そんなことしなくていいっ! 手、繋ぐだけでいいから!」
ぶんぶん降る首に合わせて、夜空のような群青色の髪が揺れる。陽射しが星屑のようにキラキラと反射していた。
眩しい!
イケメンのサラサラヘアーが眩しいっ!
ミチルはチカチカする目をしばたかせて、エリオットに手を差し出した。
「わかった、ほら」
するとエリオットはにまぁと笑って、勢いよく立ち上がり、ミチルの手をぎゅっと握る。
「へへへえ! 元気になったかもしんない!」
「そうなの?」
年齢も背丈も相当上なのに、エリオットはコドモのように可愛い。ミチルはなんだかほわほわした気分で笑った。
「ああああ、あんなことして! ちょっとジェイ、見た!? アイツ、どうしとく!?」
「何がだ?」
アニーが騒ぐので、ジェイはエリオットの方を見た。
ミチルの手を握って、嬉しそうに顔を緩めてその手をぶんぶん振って歩いている。
「む……少し胸が焦げる……」
「だろぉ!? もっと焦がせよ! 俺はとっくに黒焦げだよ!」
「む? アニー殿は陽に焼けたのか?」
「ちげえよ、ぽんこつ野郎!!」
ジェラっている前列二人を他所に、エリオットはにこにこ笑ってそこから三十分頑張った。