17 躊躇うなよ
「アニーよぉ、なんだこのガキは?」
マリーゴールドが首ねっこ掴んで持ってきたのは、しおしおと落ち込んですっかり大人しくなったミチルであった。
格好つけて窓枠に頬杖ついていたアニーは、その姿を見るなり肘から落っこちた。
「ミ、ミミミ……!」
「アニー……」
マリーゴールドはミチルのパーカーの帽子部分を無造作に掴んでおり、軽々と掲げて上下に揺さぶった。
ワインの瓶でも持つみたいに、軽々と。
「ぐえええ……」
長らく足が地面から離れているミチルは、首まで締まる形になって目を白黒させていた。
「アニキ!やめて!離してっ!」
アニーは慌てて立ち上がり、悲鳴にも近い声で懇願した。
「ほお……?」
マリーゴールドは珍しいものを見るような顔で、高らかに掲げていたミチルのパーカー帽をパッと手放す。
それでミチルは尻もちをついて、痛さに顔を歪めた。
「あいた……っ」
「ミチ──」
アニーは手を伸ばそうとして、躊躇った。その表情には困惑ともどかしさが同居している。
「アニー?」
「……」
ミチルが見上げても、アニーは戸惑いがちに黙ってしまっていた。
「ははあん、このボウズがそうか」
「アニキ、このことはボスには……」
「まだ言ってねえよ。こんなガキんちょの侵入を許したなんて知られたら、オレが殺されるわ」
ミチルには二人の会話の意味がよくわからなかった。だが、このヒグマのおじさんはミチルを見て少し態度を和らげる。
「はっは、アーちゃんもヤキが回ったな。まあ、まだ時間はある。二人で話し合うんだな」
「ど、どうも……」
ミチルが少し頭を下げると、マリーゴールドは目尻にシワを作って笑った。
「なるほど、確かにアーちゃんにゃ高嶺の花かもしれんなあ。いやいや、こいつは驚いた」
さっきから何を言ってんだ、このヒグマは。
ミチルがそんな気持ちを素直に顔に表すと、マリーゴールドは更に面白そうに笑う。
「だが、こんなとこまでお前を追っかけてきたんだ、脈ありなんじゃねえか?」
「アニキ!」
アニーは少し頬を赤らめて焦っていた。
そんな態度のアニーをミチルは初めて見た。
……相変わらず何を言ってるかわかんないけど。
「はっはっは!あいよ、邪魔者は去るのみだ」
「……」
「──躊躇うなよ、アニー」
「……ッ」
マリーゴールドは謎の言葉を残して部屋を出て行った。
残された二人の間に沈黙がずうんとのしかかる。
アニーはまた窓際の椅子に戻って何も言わなかった。
「あの……アニー……怒ってる?」
ミチルは尻もちをついたその場所で、遠慮がちに立ち上がりおずおずと聞いてみた。
「いや……」
アニーはようやくミチルを見て、困ったように笑った。
「ちょっと、いやかなり、嬉しい……かな?」
はい、どーん!
国民の彼氏級笑顔、復・活!
……などと、ミチルの心はいつものように一旦舞い上がったが、アニーの今の笑顔は今までとは違うような気がした。
「よくここがわかったね」
「あの、えっと、街のおじさんに聞いて!川のほとりだって言うから、そこを目指したんだけど、なんか森の中に入っちゃって!」
なんだかドキドキしてしまったのを紛らわすべく、ミチルは矢継ぎ早に説明した。
「まったく、君は無茶をするね。マリーの兄貴に見つけてもらえて良かったよ」
「あ、あはは……そうね……」
「それで、どうしてここに来たの?」
「そりゃ、あのままアニーと離れたくなかったから!」
「──!」
ミチルの言葉にアニーは目を丸くして固まった。そして、両手で顔を覆い肩を震わせる。
「ア、アニー?」
「ミチル……君は、本当に……」
アニーは顔を覆ったまま深呼吸を数回した後、顔を上げて微笑んだ。
「確かに、俺の方が性急過ぎたね。ミチルに聞かずに決めてしまってごめん」
「あ、ううん!アニーの気持ちは嬉しかったよ!でも、やっぱり申し訳ないって言うか、いきなりで心の準備もできてないって言うか……」
「まあ、何も知らない世界でミチル一人で船旅しろって言うのも酷な話、か……」
アニーは呟くように独りごちて、何かを考えた後急いで首を振った。
「いや、いいや。とりあえず、そのことは今夜の仕事が終わってから相談しよう。ミチルのペースでゆっくりと、ね」
「うん!」
アニーの言葉でようやくミチルも一息つけた。なんだかどっと疲れてしまった。それでミチルは部屋の端のソファーに腰かける。
「ところで、今夜の仕事って何なの?」
ミチルは少し怖い気持ちを隠して、なんでもないことのように聞いてみた。
「ああ、今夜は大きな取引があってね。相当な大金が動くから俺達はボスのボディーガードなんだ」
「なあんだ、じゃあ命の危険はないんだね。あのヒグマのおじさんが『テンノシシャ』か、なんて言うからさあ」
ミチルは天の使者、あるいは死者かもしれないと想像して恐怖していた。
でもそうではない。きっと異世界特有の知らない言葉なんだろうと結論づける。
だが、それを聞いたアニーの顔は途端に険しくなった。
「テン、の使者だって……?」