第1話 忘れてしまった夢
「体は大丈夫か?」
酒を手にしたハルが俺の所へやって来たのは、月が高くなって随分と経ってからだった。
「何がだ?」
事後処理が忙しいだろうに、夜が明ける前に俺の様子を見に来てくれたことが照れ臭くてしらばっくれる。
するとハルは笑いながら隣に座って杯を差し出した。
「あれだけ化け物の返り血を浴びたんだ。何か異常をきたしてないか心配で心配で」
「──夜も眠れないか?」
「そうそう。だから一杯付き合ってもらおうと思って」
笑いながらハルは俺の杯に酒を注ぐ。
「うまい」
「だろう? 奥の秘蔵のやつをくすねてきた」
「格別だな」
月と酒。それにお前がいれば、俺の心は満たされる。
「──で、眠れない原因はあっちの方だろ」
離れ屋の方を指してやると、ハルは「ばれたか」とまた笑った。
「あれから少し塞ぎ込んでいると聞いてな」
「そりゃあ、あんな化け物を間近で見たんだ。お前は忘れてるかもしれないが、あいつはまだ子どもだぞ」
「それはその通りなんだが──」
言いかけて、酒を一口飲んだ後、「これは戯言だ」と前置いてからハルは語った。
「リンは、何かを抱えてるんじゃないかと思う」
「何かって?」
「わからない」
お前がわからないことが俺にわかる訳ないだろう。酔ってるのか。
「まあ、でも、そうだな。今日び何も抱えてないヤツなんていねえよ」
こんな戦ばかりの世で。血と泥にまみれて、それでも生き残った者なら、色んなものを背負っている。
「お前もか?」
純朴な顔をして聞いてくるので、安心させるように笑って言ってやった。
「俺はお前を背負うので精一杯だ」
「──そうか」
安心しろよ、俺が守ってやるから。
「朝になったらリンに干し柿を持っていってやろう」
「また奥からくすねてくるのか?」
「なあ、おれの家のものなのに、どうしておれは自由に持ち出せないんだ?」
「知らねえよ」
夜はこんな風にお前と笑い合えるから好きだ。
そういう夜をずっと過ごしていけると思っていた。
◆ ◆ ◆
「…………」
不思議な夢を見たような気がするが、もう何も覚えていない。ただ、懐かしい匂いがした。何の匂いかは思い出せない。
忘れてしまった夢が、心に穴を空けたようだ。言い表せない寂しさが残る。
「あ──くそ!」
蕾生は苛立ちをかき消すように、勢いよく起き上がった。