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第2話 魔法を妄りに使ってはいけません

 私、アンが住むネルケ村は総人口四千人前後の村。

 この村の周囲には人口が一万人以上いる街が点在しており、漁村でもあるこの村で釣り上げられた魚などを周囲の街に売っている。

 この売り上げが村の運営に使われており、潮風の影響で作物が育ちづらい土地であるため、野菜や小麦などは街から買っている。ただ、潮風から壁で守りながら育ててみたり、潮風に強い作物を作ろうと研究をする家もある。ジュールの家は後者にあたる。

 私の家は父が漁師、母は近くの街にある学校の教師をしている。父親はよく家にいるけど、母親は仕事が忙しいという理由から街の方に家を借りて主にそちらで住んでいて中々会えない。

 一週間前のジュールの母親、マジョールさんの急死があった事でものすごく会いたくなって手紙を出してみたけど、返事はまだ来ていない。

 お母さんは私の事をあまり好きじゃないんだろうな…私はお母さんの仕事の邪魔でしかない子供だった…いや今でもそうだ。

 はぁ…村の子供たちの中でも特に幼い子たちをお昼寝させてから、一歳年下の子にお世話を引き継ぎするまでの間に変な事を考えていたら気分が落ち込んできてしまった。

 …結局ジュールはあの日から変わってしまったままだった。

 後日、魔物と三百年前の戦争の事の関係性をユモン様にペンダントから質問してみたけれど、納得できるような返答をしてはくれなかった。

 だから結局わからないままだ。魔物の事を聞いたジュールの真意も、成功の意味も。

 マジョールさんのお葬式は来週行うらしい。昨日ジュールに聞いた。

 その時にユモン様と話していた時に思い切り頭を机に叩きつけた事を謝った。

 あれは自分が悪いから気にするな、と相変わらず偉そうな口調で私の事を許した。

 ううむ…やっぱりジュールの変化には慣れないなぁ…。

 昔みたいな静かなジュールが恋しくなってきた。

 だって会う人会う人に「うむ」って返事してるの見て…もうさ…なんだか私が恥ずかしくなって来たよ…。

 はぁ…今日も様子を見に行こうとは思っているけど、この一週間あの偉そうなのが治る気配がないんだなぁ…。

 ああ、何か色々考えてたらお腹減って来た…。時間はお昼時だし…ジュールがまだ食べてなかったら一緒に食べようかな?

 ジュールの雰囲気が変わってから、一緒にご飯食べた事ないな…思えば…。

 お葬式の準備で忙しいだろうと思ってそういう場には誘ってなかったし…今のジュールが誰かと一緒に食べているのが想像できない…家ではちゃんと食べてるよね…?

 「お~い、アン姉。お世話交代するよ~」

 私と一緒に子供のお世話をしている、年下の女の子ノワイエがおっとりとした声で私のもとへ駆けてきた。

 彼女は普段からゆっくりと生きている子で、いかにも世間を知らない村娘と言ったような子だ。見ていて危なっかしい所が多々あるのだけれども、子供のお世話をする事に関しては、この村で随一の才能を持っている。

 私ではまとめ切れない大騒ぎを彼女は一言で止めるのだ、「静かにしなさい」と。特別な言葉ではない、何なら私が何度も言っていたはずなのに、ノワイエが言うと子供たちは従うのだ。…なんで?

 正直、私は彼女さえよければこの村に子供のお世話をする仕事として村長さんに打診してみようかとも思っている。

 「ありがとー。ちょうどお昼寝した感じだから、よろしくね」

 「わかった~」

 ノワイエにお世話の引き継ぎをしてから私はまずジュールを探しに、彼の家の方に向かっていった。

 はぁ…ユモン様にお願いされてから本当に彼と一緒にいる時間が増えたなぁ。

 別に嫌と言うわけではないけれど他の友達と遊ぶ時間が欲しいなと思う事は時々ある。

 それもこれも彼に私以外の交友関係が乏しいのがいけない。

 もっと友達を作っておいて欲しかった…せめて同性の。

 そんな事を考えながら、しばらく歩いていると、居住区から商業区に入る丸太で出来た門の辺りで何やら不自然な光が明滅しているのが見えた。

 チラリと視線を下の方に移すと魔法陣が展開しているように見える。

 ……え!?村の中で魔法を使ってる!?

 ちょ、ちょっと待って!!村内で使っていいのは教会から与えられたペンダントや生活に必要な魔法だけで、生活魔法だって家の中じゃないと個人は使っちゃいけないんだよ!?

 うぅぅうんと……!ええい!とにかく、急いで止めなくちゃ!

 私は全速力で走り出し、門をくぐってすぐに目に入った、男性の光り輝く右手をガシッと掴んだ。すると、足元に展開された魔法陣は光を失い消滅し、男性の右手に集まっていた魔素も霧散していった。

 よかった…魔法の発動は間一髪、食い止められた。

 「な、何をするアン!?危ないじゃ…って魔法が使えない!?どういう事だ!!」

 魔法を使おうとしていたのはジュールだった。

 うん。何となくわかってた。最近の私の一日の流れは大体ジュールが問題を起こしてそれを私や周囲の人と解消するという感じだ。

 昨日だって、どっかに生えてたキノコを初めて話したという同年代の男子に生で食べさせて昏倒させていた。ホント、いつか捕まるって何回言ったか分からない。

 「お、おい!手を放してくれ!何でか魔法が…いやそもそも体の中の魔力を感じられない!」

 手を掴まれてジタバタと動き振り払おうとするジュール。

 もう…しょうがない子だわ…。

 「右手を放す前にいう事があるんだけどね!村の中では基本的に許可されている魔法以外は使っちゃダメ!!足元に魔法陣を展開するような魔法は使ってはいけないの!」

 「そ、それは承知していたが…俺は前世で…」

 「あんたの前世が軍の魔法師団にいたから何なの!!今のジュールの身体と前世の身体は別物なんだから、当時使っていた魔法がそのまま使えるわけないでしょ!!」

 私がそう言うと、彼はハッとした顔をしてジタバタするのをやめた。

 …ふぅ…これで魔法を使う気は無くしてくれたかな…。

 左手を話して、ジッときつい目をして彼を見つめた。

 「い、今のは何だったんだ?急に魔法が使えなくなったんだが…」

 ジュールの表情に困惑の色が戻ってきた。

 これは前までのジュールにも言ってなかったから、記憶が混濁しても知らないのはしょうがない。

 「私は手で触れた物の魔力の流れを止められるの。だから私が右手で掴んだ事で、貴方の身体の中の魔力の流れを止めて、集まってた魔素が散って行き、魔力の流れが止まった事で魔力で構築している魔法陣も消えるって仕組み?なわけ」

 私の説明が終わった後、ジュールはあんぐりと口を開け心底驚いたという顔をしていた。でしょうね。前世が魔法を扱う仕事していた彼には驚きでしょう。

 そしてこの能力こそ、私が魔法に興味を持てなかった理由なのだ。

 「凄まじい力だな…その力による君の魔力の消費はどれくらいなんだ?」

 ジュールは魔法使いなら納得の質問をしてきた。

 まあ気になるよね。

 「魔力の消費とかはないよ。私のこれは体質だから。太りやすいとか、髪の毛の伸びる速度が速いとか、人より声が低いとか高いとかと同じ。私の両の手の平がそいういう働きをしているっていうだけ」

 この体質は人だけではなく物にも作用してしまう。なので私が魔法で付けたランプに触れたらそこに灯っていた火は消えてしまうし、町を守っている結界なんかも結界そのものや結界を作っている装置に片手でも触れれば消し去れてしまう。

 だから私の中で、魔法と言うのは何とも脆弱なものだと思って育ってきた。母や父にもランプには触れるな、時計には触れるなと様々な場面で注意をされた。

 「凄いな…それはつまり、どんな複雑な仕組みの魔法でも立ち所に解除できてしまうという事だろう?手の平でなければならないという条件はあるが…」

 「これのおかげで、魔法道具とか扱えないんだよ。物に少し触れるだけでも、道具に使っている魔法が解けちゃうんだよ」

 私がそういうと、ジュールは何か考えるように、右手を顎へ持って行き目を閉じた。

 まあ前世の記憶に引っ張られた性格になっているのだから、魔法師団としての好奇心が湧くのだろう。

 …そうだとしても、お昼食べたいな。

 「ねぇ、もしまだお昼食べてないなら一緒に食べない?私お腹空いちゃって…」

 私の提案にジュールはこちらに顔を向けた。

 「そうか、もうそんな時間か!俺も食べてないからアンのおすすめの場所で食べよう」

 流れる様に私に食事処を任された。

 いや別にいいけどさ。ジュールの好き嫌いは知ってるけれど、今のジュールもそうなのかはわからない。

 だから、無難なところへ行こう。この村一番のシェフであるオルタンシアさんの所のお店だ。あそこは安いし量が多くて、お腹にもたまるいい所。

 早速ジュールと共に、商業区の中心にあるオルタンシアさんのレストラン「グリ・ルー」に足を運んだ。

 行くまでの間に、ジュールに手持ちのお金は大丈夫そうかと聞くと、ご飯を食べるくらいならあるとの事だったので、安心した。

 流石にジュールの分を奢るとなると、私のお財布事情が大分厳しくなるので、考えてしまう所だった…。

 居住区と商業区を繋ぐ門から歩いておおよそ二十分、ようやく目的地に着いた。

 はぁ…遠い…。いやまあこの村の食事処で門に一番近いのここだからなぁ…仕方ないっちゃ仕方がない事なんだけれども。お腹空かせて二十分歩くのは辛いっす…。

 あとある食事処はもっと歩いた先にある海鮮系専門のレストランと、「グリ・ルー」のドアを背中にした時に左へもう十分ほど歩いた先にある喫茶店…くらいかな?

 もしかしたら、私も知らないレストランがこの村の何処かにあるのかもしれないが、今の私は知らないので…はい。

 「さ、入りましょ!お腹空いたー!!」

 絶対に大声出したらお腹減るんだけど、レストランに入る時は出ちゃう。だって楽しみなんだもん。

 私たちが店に入ると、カウンターの奥にある厨房からオルタンシアさんが顔を出し、「お、アンちゃんとジュールくんじゃあないか!!いらっしゃーい!」と大きな声で出迎えてくれた。

 オルタンシアさんは大柄の女性だ。肩幅も広くその隆起した筋肉はコック用の衣服を着ていても目に見える程で、袖なんてパッツパツだ。

 私たちはオルタンシアさんに案内され店内の奥にあるボックス席に座った。

 テーブルの上にあったメニュー表に目を向ける。

 「ジュールがメニュー見てていいよ」

 向かいに座っていたジュールにメニュー表を渡す。

 「かなりメニューの数が多いな…もうおすすめにしようか…」

 オルタンシアさんは料理研究が趣味だと公言しており、ここは特に専門店というわけでもないから、ジャンルに縛られず様々な種類の料理が楽しめる。

 そりゃ、迷うよねぇ。

 「ア、アンから選んでも…」

 「私はここに来たら食べるのいつも決まっているからいいの。ゆっくり選んでなよ」

 「そ、そうか?わかった…えぇ…?」

 あはは、迷ってら。

 さっきジュールに言った通り、私はこの店で食べるものは決まっている。

 絶対にここではミートパイとチーズグラタンを食べるのだ。

 アツアツでジューシー牛ひき肉とサクサクなパイ生地が絶品のミートパイ…トロトロのチーズとほのかな塩味が相性バツグン!隠し味のにしんと飴色オニオンも美味しいんだぁ…。ああ、想像してたらお腹空いてきた。

 この二つはかなりボリュームがあるけれど、ペロリと食べれる。私の胃袋はこの二つにだけは大らかなのだ。

 「よ、よしこのオニオングラタンスープ…とパンを二つ…にする!」

 お、ジュールも決まったみたいだ。ここはオニオングラタンスープも絶品だからいいの選んだねぇ…。

 「パンは黒と白どっちにする?」

 「両方にしようと思う」

 ジュールは堅めの黒と柔らかめな白、どちらの食感のパンも楽しみたいみたいだ。グルメだね。

 私たちは注文をして、各々の料理が来るのを待った。

 その間に聞いてみたい事聞こうかな。

 最近ずっとしてる質問だけど…。

 「ねぇジュール、魔物の事ってなんでユモン様に質問したの?ジュールだって本の中の存在だって知っててもおかしくないと思うんだけど」

 私の問いかけに、ジュールは目をそらす。

 そして、「あれは、記憶を確かめるためで、深い意味はない」と答える。

 毎度これだ。絶対に魔物の事を聞いた意味を説明してくれない。

 だってこの世界で暮らしていたら、そんな生物が存在していないなんて周知の事実のはずなんだもの。

 確かに最近西の方の国にあった大きな山が爆発して麓にあった村々が消滅したなんて、なんか物語で魔物がしそうな出来事があったけど、あれは確か火山の噴火?だったってその国のお偉いさんが発表していたはずで、魔物とかそういう超常の存在の話ではなかった。

 「ねぇ、三百年前の戦争と魔物、何か関係があるんじゃないの?」

 私はヒソヒソ声で、諦めず質問をした。

 ヒソヒソし始めたのは、レストランで戦争の話なんて周囲に迷惑かなって思ったから。なら、初めからするなってね。ごめんなさい。

 「…………――――関係ない」

 わぁ、絶対に関係あるじゃん。

 でもそっかぁ…戦争に関係あるんだぁ…。

 聞きづらーい!すっごくハードル上がった!

 何それ!どういう事!?一体戦争と魔物の関係は何!?

 敵対していた国が動物を改造した生物兵器、”魔物”を作ってたとか…?

 それでジュールの前世の友人とかが死んじゃったとか…?

 今の時代に魔物が架空のものだと伝わっているなら、その戦争で全滅したって証だからあの時聞いたの?

 うう…これは全部私の妄想なわけで、事実ではない…くぅ…。

 はぁ…流石にこれを面と向かって聞く勇気は私にはない。

 話しかえるか…流石に空気が悪くなった。私がそうしたんだけれども。

 ええっと…何かいい話題…いい話題…。

 あ、そうだ。

 「ねぇ、さっき門の近くで何の魔法を使おうとしてたの?」

 結局私が発動を阻害した魔法。あれはいったい何だったんだろうか。

 一流の魔法使いは魔法陣を見ただけでどんな魔法を使おうとしているのかわかるらしいけど、ずっと言ってるが私はこれまで魔法に興味がなかったので当然魔法陣で魔法がわかるわけがない。

 「あれはただの探査魔法だ。この村の周囲にどんな生き物が住んでいるのか気になったからな。あの場所は村の真ん中に近かったから、あそこで使おうとして来ていたんだ。特に攻撃性がない魔法だから、何も考えずに使ってしまったんだ」

 探査魔法…へぇ、そういう魔法もあるんだ。何か言葉の後に魔法ってつければ何でもありなんじゃないかと思えてくるな。料理が出てくる料理魔法…とか?

 「じゃあ、ご飯食べたら村の外でやってみようよ。別に村の真ん中でやらなきゃいけないって訳じゃないでしょ?」

 私がそう言うと、ジュールは驚いたような顔をした。

 まさか私魔法嫌いだとでも思ったかな?

 「村の外って出ていいのか?」

 そっちかい!!

 「大丈夫だよ、各門にいる門番さんの誰かに許可貰って外出るの。そうすれば村の全ての門番さんに誰が今外に出ているのかが共有されるわけ。私は成人してるし、外に出るだけなら全然問題ないって」

 笑いながら私は教えてあげた。

 「じゃあ、同行してほしい。魔法を使うのにも慣れておきたいからな」

 「いいよ~」

 私がそう返事をした辺りで料理が運ばれてきた。

 ミートパイ、チーズグラタン、オニオングラタンスープに黒パン白パン。

 オルタンシアさんが自信満々な表情で持ってきたそれらの料理はお腹が空いていた私にはもうキラキラと輝く宝石の様に見える。はぁ早く食べよ。

 匂いからして自らは美味しいと主張する料理たちに舌包みを打った後、私たちは約束通りに村の外へ行くために、門へ向かった。

 向かっている門はジュールの父親が門番を担当している所だ。

 黙って息子が村の外に行くだなんて心配だろうし、ジュールも父親が担当している門から出た方が安心感があるだろう。危険があっても父親が真っ先に来てくれるだろうしね。

 グリ・ルーから西に歩いて二十分、目的の門に辿り着いた。

 村の西側にあるから西門。そのまんまの名前。

 そこは王都に続く道があるから一番大きな門でもある。故にそこに配属される門番さんはとても名誉で、村長さんから信頼されている人という事なのだ。

 私たちは西門に着くと、すぐにジュールのお父さんに少しの時間だけ村の外に出たいという事を伝える。

 「村の外?そうか…今は特に凶暴な動物が出ているという報告もないし…まあアンちゃんがいるから大丈夫か。あまり離れた所にはいかないように、何かあったらすぐに大声で呼ぶんだよ?」

 おじさんの注意をしっかりと聞き入れ、私たちは門を潜り抜けて外へ踏み出した。

 その時のジュールの顔は心なしかワクワクしているようだった。

 これはちゃんと心が休めてきている証拠かな?

 少しづつ、少しづつ癒えてくれれば、私としては満足なんだ。今は一瞬でもいつか前みたいに自然に笑顔が見れるようになったらいいな。
 私たちは目視で西門が見える場所まで歩き、声も大声でなら門番さんに伝わるであろう森の入り口まで来た。

 森は王都まで行く道を右に曲がるとある大きな森で、ここには熊とかが出るらしい。怖い。

 「よし…早速やるか」

 ジュールは指をポキポキと音を鳴らしながら魔法陣を展開した。

 その指鳴らすやつは前のジュールもやってたんだよね…指太くなるからやめなさいって何度も言ってたのに聞かなかったけど。

 ううむ、どこか昔のジュールの雰囲気も感じさせてくるから調子狂うなぁ…。

 私は間違えて魔法陣に触れないように少し離れた所からジュールを見守る事にした。

 私の両手が直接魔法陣やジュールに触れなければ魔法は普通に魔法は発動する。

 だから転んで触れるとかしないように離れるのだ。うん。決して見た事ない魔法が使われるのが怖いからとかじゃない。そうなのだ。

 意識をジュールの方に戻すと魔法陣からキラキラとした光が溢れ出てきていた。

 あれは魔素なのだろうか、それとも魔力?大気中にあるのが魔素って本には書いてあったし…やっぱ体の外側に見えているのは魔素って事でいいのかな。

 魔法陣の方はもう複雑な模様で、どうやったらこれで使おうとしている魔法が分かるんだと思えた。

 更に魔法陣には何か文字みたいのが書かれているが、どう見ても記号の様に見える…。あれを読むと使う魔法がわかるのかな…?

 そして、そのキラキラとした光は少しづつ円を描くようにして、ジュールの左手の平に集まる。

 恐らく村の中で私が止めたのはこのあたりだろう。

 こうやって発動から見ていると危ないようには見えない。まあ知っていたとしても規則だし止めてただろうけど。

 ジュールの左手に集まった無数の光は、いつの間にか指先にある一粒に集約されていた。

 「探査魔法…”ケット・リチェルカ”…」

 ジュールはそう言いながら、指先を地面に向かって下ろし、指先にいた一粒の光が静かに地面に垂れた。

 その光が落ちた場所から緑色の光の波紋が広がっていく。大きい真円の形で何度も何度も繰り返し広がる。

 広がるたびに静かに光が瞬くので、なんだかとても幻想的な物を見ているような気になった。だが目の前にいるのはジュールだ。よく知っている…とユモン様から太鼓判を押された幼馴染の姿だ。

 だが私がなんとなしに見つめていると、彼の顔色がどんどんと青ざめていくのが見えた。一体どうしたというのだろう。

 「ね、ねぇ…大丈夫?」

 私がそう声をかけると、彼は「この近くに熊がいる…昨晩父からそう聞いた…」と呟いた。

 ああ、一応この森の事聞いてたんだ。

 でもそれがどうしたのだろうか。近くに熊がいたとしても、人間の魔力の匂いという物を嫌うらしい野生動物たちは滅多に人前には現れない。だが極たまにいるのだ、その匂いを頼りに人を襲う獣が。だが、それは冬場などの冬眠をしそびれた事で凶暴化した個体のみに発生する事態で、今みたいな春と夏の真ん中みたいな時期にはまず起きないのだ。

 「全長…三コンマ零四八メートルの熊が…森にいてこちらを見ている…」

 そうそうそんな個体が生まれる事は無いのだ。

 ならない…はずなの…だ…。

 私はもう声が出なかった。逆にそれでよかったのかもしれないが、全く声が出ない。喋ろうとしてもかすれた息の音しか出せない。

 「すまない…俺のミスだ…」

 ジュールはそう呟いた。とっても小さな声だったが、聞き取る事が出来た。

 どうやら彼も動揺しているようだった。

 「俺が探査魔法を使ってしまったせいで、この森の奥にいた大熊にこちらの存在を認知させてしまった…。あの大熊がどんな存在なのかはわからないが、魔法の波紋から一瞬で発動者を見つけられるくらい知能が高い動物の様だ…」

 魔法の波紋から…!?ていうか野生動物が魔法の発動した人間を見つけられるなんて初耳なんだけど…そんな事本に書いてあったかな…?

 「どうする…?どうやってアンを逃がす…?」

 ジュールはボソボソと喋る。

 大きな声で助けを呼ぶとかはできないのだろうか。もしかして、ジュールが言うところの大熊というのはもうそんなに近くに来てしまっているのだろうか?

 「魔法の流れを探知できるとするならば、耳もかなりいい可能性もある。つまり大声を上げれば大熊にも聞こえてしまうかもしれない…今はまず刺激をするのは避けたい。どうにかできないか、魔法を思い出しているから俺を信じて欲しい…」

 ジュールはそう言って汗をダラダラ流しながら両手で頭を抱えていた。

 彼にだけ考えさせるのも良くない!私も何か考えなくちゃ…!

 まずジュールが探査魔法を使った際の事から思い出して根本的な解決策を練る事にする。

 ええとたしかあの時ジュールは…「全長…三コンマ零四八メートルの熊が…森にいてこちらを見ている…」と言っていたな…。

 うん?熊が森にいて…こちらを見ている…?………見ている……!?

 嘘でしょ!?私たちのいる方向を向いているってわけじゃなく、私たちを認識しているって事?

 えぇ…そんな事ってあるの…?視力どうなってるの?

 三メートルを超えた全長の熊…これまでそんな大きさの熊が発見されていたなんて情報はなかったと思うんだけど……多分逃げられない速度で走って来るだろうし、攻撃されたらひとたまりもないだろう。それは私たちだけじゃない、村の人たちもだ。

 子供たちに被害が及んでしまうかもしれない…!

 ジュールと協力してここをどうにかしなくちゃ!

 「隠密魔法を使えば大丈夫か…?いや、発動を気取られてしまう可能性もあるか…」

 ジュールは前世の記憶から打開策となる魔法を探している。

 ああ!何でこんな時にいい魔法や行動が思いつかないんだ!これもずっと子供のお世話を理由にして、新しく何かを学ぼうとするのをやめていたからだ!

 ぐう…決してこれまでの生活をダメな生活だとは思わないけれど…もう少し改善できたなって今更になって思うよ…!

 「こっちを見てるってさ、近づいて来てるってわけじゃないの?」

 私は打開策を生むべく、状況を整理するためにジュールに質問をした。

 「そうだな…一応探査した時は動いていなかった。一度目の波が大熊に触れた時に顔だけが動いて俺の方を見つめていたんだ…もう一度探査魔法を使いたいんだが…それがきっかけでこっちに興味を持って走ってくるかもしれないから迂闊に使う事も出来ない…くそっ…」

 ジュールは悔しそうな表情をした。

 森の方を見ながら後ろ歩きをして門まで戻る事はできるかもしれないけれど、それだと結局この森に大きな熊がいる事には変わりないし、今私たちの背中側にあるのは村で、今大熊がどのように動いているのか、こちらに向かって移動しているのかもわからないけれど、私たちが逃げた事でそのまま村に大熊が入ってきたら大騒ぎどころの話じゃない!

 なんか魔法…魔法…熊を撃退するための魔法…熊を……ん!そうだ!

 「ね、ねぇ、熊を撃退するんじゃなくて、興味を逸らせる魔法ってないかな?」

 「興味を逸らす?」

 ジュールは私の急な提案で怪訝な表情になった。

 「そう、撃退は多分今すぐは無理だと思う。ジュールだって直ぐには良い魔法思いつかないでしょ?」

 「まぁ…そうだな…」

 「だからとにかく、今こっちに来るのを防ぐのだけを目的にしよう。この森かなり大きいんだけど、さっき探査した時は大熊は村に近い所にいたの?」

 「……なるほど、確かに今すぐ倒すのは難しいかもしれない…わかった。今はとにかく大熊を遠い所へ誘導しよう。で、最初の探知の時だが、その時は今俺がいる位置から十キロ先にいたんだ。だからかなり近いと考えていい」

 「十っ…キロ…」

 私は大熊と自分たちの距離の近さに驚いて大声が出そうになった。

 危ない危ない…。

 「光とかはダメかな?」

 「光を打ち上げる魔法はあるが、打ち上げられた先に興味を持たれたらおしまいだ。いい案だとは思うが…しっくりくるものではないな…」

 「そっか…確かに必要以上に派手な魔法発動は控えた方がいいのか…」

 恐らく目と肌の感覚が鋭い熊のはずだ。そうじゃないと波紋の広がった時の中心にいたジュールを的確に見つめるなんてできない。

 だからこそ、こちらに意識を向けさせずに大熊を森の奥に誘導しなくてならない。

 …ううむ…どういう魔法が誘導にいいんだろうか…食べ物…とか?

 熊の苦手な食べ物って…なに?

 「目視できる所に大熊はいない。だから、まだそこまで近づいて来てはない無いのだと思う…」

 「ね、ねぇ熊の苦手な食べ物って何かわかる?」

 「急にどうしたんだ?」

 「いや、動物って凄く苦手な食べ物があったりするじゃない?熊にもそれがあったら、匂いとかで近づけないようにできるんじゃないかって思って…」

 「あぁ…確かに。そういうのはあるな、犬にチョコとか…」

 熊…熊…。

 「あ、そうか熊って……ネギか何かが苦手と聞いた事あったな…これは昔じゃない現代の記憶だ、本か何かで読んだんだ」

 「ネギかぁ…あ、今日のお昼って、ジュールはオニオングラタンスープ食べてたよね?」

 「ん?ああ、そうだな。今言うのもなんだが、かなりオニオンが大きくて…おいし…かった……」

 ジュールも何かに気づいたような顔をした。

 そうだ、オニオンはネギなのだ。別の国では玉ねぎと呼ばれている。

 つまりネギの仲間というわけだ。

 「対策魔法を考えているのと同時に、何故あの大熊はこちらに近づいていないのか疑問だったんだ。だが、もしかしたら敏感な肌、異常な視力…これだけ揃っていて嗅覚は通常の熊だとは思えない…」

 「じゃ、じゃあ今はジュールの口から匂ってるオニオンの匂いを嗅ぎ取って近づけないって事…?」

 んなアホな…それは嗅覚がいいとかそういう段階ではないのでは?変態とかそういう話になって来るのでは?

 「恐らく…これは仮定の話だ。だが、相手の嫌がる匂いで接近を防ぐというのはよくある防衛手段のはずだ」

 「じゃあ、ネギの匂いを出す魔法を使おう」

 私の提案に、ジュールはけげんな表情をした。

 「そんな魔法あるか…?いや、要はネギの様な鼻にツンとくる匂いを作ればいいわけだよな…」

 「刺激臭って事よね。何か組み合わせでそういう匂いにできれば…」

 足元の草に視線を落とす。

 流石に雑草に関する知識は持っていないから、この中にネギみたいな匂いのする草を判別する事はできない。ただ何か思いつかないかと見つめてみた。

 …うん!思いつかないな!!!だって草の事なんて知らないもん!!!

 「アン、この近くにペッパー系の植物が野生にあるといった事はないか?」

 「ペッパー系?ああ、香辛料も確かに刺激的な匂いと言えばそうか…。この辺りには無い…と思うけど…。村でも大体が王都や近くの街から買ってるしね」

 「くっ…そうか…ええいならやってみるしかないか…!」

 ジュールの手元に魔法陣が二つ展開される。

 一体どんな魔法を使うのだろう…?

 やけくそになってないかな…?

 「今から二つの魔法を使う…。一つは植物を生み出す魔法だ。これでオニオンを創り出す…ただこの魔法でどれだけ再現できるかはわからない。そして二つ目だが、これは一部の動物が体から出す刺激臭を出す魔法だ……正直匂いが服に付くから奥の手として取っておきたかったが、自分の身体にどれだけ負担が掛かるかわからない状態で攻撃魔法を使うよりはマシだと判断した。この二つで、大熊を森の奥に追いやる…!」

 す、すごい……そんな変な魔法が世の中にはあるんだ……。

 なにその、一部の動物が出す刺激臭を出す魔法って……めちゃ気になる…。

 でも匂いが服に付くのか……それはなんか…やだな…。

 まあ生きて帰るためなのだから、仕方がない!!

 「お願いジュール。頑張って…!」

 魔法が使えない私は応援しかする資格はないのだから。

 「はぁっ…!」

 二つの魔法陣は探査魔法の様に強い輝きを放つことは無く、ただ静かにその術を発動した。

 ジュールの右手には皮の付いた丸々としたオニオン、そして左手の魔法陣は何やら黄土色の煙?を出していた。

 彼は右手のオニオンを握りつぶして、より匂いが拡散されやすいようにした。

 流石に庭で農作物を育てているからか、「ごめんなさい…!」と言いながら握りつぶしていた。

 私は正直片手で丸い野菜を握る潰せるその握力にびっくりした。

 ジュールは握りつぶしたオニオンを森の方へ投げ入れ、左手の魔法陣は森側ににじり寄りながら地面に置いた。

 「よ、よし、これでやりたい事は出来た…後は大熊がどう出るかだ…」

 ジュールがそう呟いてから、数秒後の事だった。森の中から獣の低い雄叫びが聞こえた。

 地響きかとも思えるその叫びは、二分強聞こえ続けた。さらにその後にズドンズドンと大きな生物が大地を力強く踏みしめる音が揺られる地面と共に聞こえ、その音が段々と私たちから遠ざかっていった。

 私たちはやったのだ。大きな熊を、見てはいないけれど三メートル以上ある大きな熊を森の奥に追いやれたのだ。

 「今のうちに、村に戻りましょ!」

 私がそう言うと、ジュールは「勿論だ」と答えた。

 加えてジュール曰く、「軽い視力強化魔法を使ってみたが、さっきまでいたであろう地点に大熊はいなかった。その代わりかなり大きな足跡が森の奥の方に向かっていた」との事。

 つまり、結局のところ大熊は私たちは視認する事は出来なかった。まあできてたら死んでいただろうからよかったと言うほかない。

 森の奥の方に追いやる作戦が成功したのは本当に良かった。

 私たちは命からがら、できる限り早く村の西門に駆け込んだ。

 門を出た時の空は青かったし、今もまだ真っ青な空模様だ。

 ああ、私たちのあのドキドキはほんの数分の出来事だったのだ。

 そして、門に辿り着いた私たちは門番であるジュールのお父さんに森であった事を説明した。

 おじさんは一気に顔が真っ青になり、他の門番さんに伝達。多分今日中には村長さんの所まで話が言って村中に周知されるだろう。

 「生きててよかった!本当に!無事で何よりだ…!!」

 とおじさんは繰り返しジュールを抱きしめながら言っていた。マジョールさんを亡くして一週間で一人息子まで失ってしまうかもしれなかったのだ、どれだけ恐ろしかっただろう。

 正直、真っ青になった顔色は空の色の様だったとか言ってしまいそうだったけど、ここは黙っておこう。

 私とジュールが門番さんの事情聴取から解放されたのは、さらにそれから三十分後だった。

 まだ空は綺麗な青だ。

 「はぁ…疲れた…」

 村の中を目的もなく歩きながら、ジュールは呟いた。

 「そうでしょうねぇ。私もめっちゃ疲れた…」

 肩がすっごく重く感じる…。

 門番さんに何か匂うねって言われた時に負った心の傷の治りが遅いのもきっと疲労感のせいだ。

 「すまない、俺の魔法のせいで迷惑をかけてしまった…」

 素直に謝るジュール。この性格になってからは珍しい反応だ。

 非を自覚した時に謝れるのは素晴らしい!子供にもよくそうやって教えてる。

 「いいって、私だってまさか森にそんな危険な動物がいるだなんて思わなかったしさ」

 両手を体の前で振って、否定の意を表す。

 それでもまだジュールは申し訳なさそうな表情をしている。

 「まだ何かあるの?」

 私がそう聞くと彼はため息交じりに答えた。

 「いや、服の匂いさ。しょうがなかったとはいえ、女性の服にあまり良い匂いではない物を付けてしまったから…」

 あー…それを気にしていたのか。ううむ、気にし過ぎで少しキモいと思っちゃうけど、あの大熊との遭遇が予想外だったわけで、仕方がない事なんだと私は自覚しているんだけどな………細かい所を気にしすぎるのは……まぁジュールっぽいか。

 「いいんだよ、そんなの気にしなくてさ。洗濯すればいいんだから」

 「そ、そうか?あ…ありがとう…」

 大分気落ちしているみたいだ。

 うーん、何か気の利いた事を言ってあげたいけど、私も正直に言うとまだ心臓がドキドキしているからあまりいい事は言えなさそう…。

 ただ、あれは褒められる点だと、先ほどのピンチを振り返って思う。

 「大熊をどうにかしなくちゃって時、最初から自分の魔法で攻撃するって考えなかったのは私よかったと思うよ。ちゃんと今自分が使える、身体に負担が掛からない魔法を選んでたみたいだったしさ」

 そう。彼はお昼の前に村の中心の近くで魔法を使おうとした時にした私の説教を覚えていたのだ。

 それをちゃんと飲み込んで、あの時はそれを前提に考えて行動していた。

 私はそれが凄いと思う。人はどれだけ説明されても中々すぐに納得して行動に起こす事はできないからだ。少なくとも私はそう。

 だから、すぐに私の言葉を聞き入れたジュールは十分凄いと思う。

 「あ、あぁそうだな。あの時言われてハッとしたんだ。確かに前世の自分と今の自分、身体が違うんだから魔法への耐性だってどれだけなのか分からない。結果的にアンが止めた俺の探査魔法は別に体に負担が掛からない部類の魔法だったわけだけど、そういう事じゃない。今の自分の事を考えて魔法に向き合わないと…って思えたんだ。アンが叱ってくれたからな」

 あらまぁ、随分と殊勝な事で…。

 「分かってくれたならよかった!これからは村の中で決まった魔法以外は使っちゃだめだよ?」

 私がそう言うと、彼は苦々しく笑って、「勿論さ。今回の事で魔法をやたらと使うと危険な事になるとわかったからな」答えた。

 私としてはそれで危険な熊の存在を発見できたのだから、結果オーライな所はあると思うのだけれど、彼的には違うらしい。

 「ま、そうね。魔法は妄りに使わない!これに越した事はないと思うわ」

 私とジュールはクスクスと笑った。

 道行く人に「あいつ等、臭すぎじゃない!?」と言われながら。

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