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第1話 辛い時はとにかく楽しい事を考えるといいでしょう

 バスカヴィル暦二十二年の五月十二日。セゾン大陸の東側で海沿いにある大国、フルール王国の沿岸部にあるネルケ村で、私アンは生まれ育った。

 人口は数百人程度の村。大半が大人で、子供は少なくないものの近隣の村々の中では一番少ない村だ。

 そして私自身も、今月の初めに十五歳になり、この国における成人と見なされる年齢になった。つまりもう子供ではなくしっかりと仕事をして収入を得るようにしなくてはいけない大人になったという事なのだ。

 だがしかし、私は特定の仕事をしているわけではない。

 私や同年代の人たちで、下の年齢の子供たちの面倒を見て、大人たちの仕事の邪魔にならないように手伝っているのだ。決して仕事をしたくないから何かしら理由をつけてダラダラしているというわけではない。そうとも!

 それに子供が少ないとは言っても、村の周囲には野生動物も生息しているから危険ではないという事でもないし、大体の大人は仕事している時は子供がいる居住区から離れるので、さっき言った野生の動物や、盗賊なんかも来るかもしれないのだ。

 そういった面で私は防犯もしているし、保育もしている……もしかして、お金貰ってないだけでかなり仕事しているって言えるのかもしれない。

 だが、他の同い年の人たちの中には家の仕事を手伝ったりして働いている人や、すでに村を出て出稼ぎに出ていった人もいる。

 更に周囲の友人や年下の子たちはこの出稼ぎに行った人たちに憧れて、村から出たいという人が多い。

 人によっては毎日が同じような仕事ばかりだし、見慣れた景色に飽き飽きした、つまらないと言う子もいる。

 そういう子たちの意見も分からないわけではない。

 だけど、私自身はこの代わり映えのしない毎日を楽しく思っているし、子供たちのお世話もやっていて面白いと感じている。たまに話す幼馴染の男の子、ジュールともそういう話を昨日の帰り道に話して笑い合ったばかりだ。

 もしかしたら、もっと成長して大人に近づけば考えは変わるのかもしれないけど、今は町とかに行って仕事をしようだなんて思わない。

 …さて、そんな昨日友達と話していた事を思い出しつつ、朝食のキャベツとスクランブルエッグのサンドイッチを食べ終えてから牛乳を一気に飲み干して、キッチンに備え付けられている神棚にある木の像、私の村が信仰している豊穣と農耕の神であるデュー様に祈りを捧げてから家を出る。

 外の天気は晴れ。雲は少々あるものの、青い空とのコントラストがとても綺麗で上手い訳でもない絵にしてみたいと思ってしまう。

 …だが、今日はそんな綺麗な空でも悲しい気持ちになってしまう…。

 その理由は、幼馴染のジュールの母親のマジョールさんが昨晩、突然亡くなったからだ。原因は判明していないらしいけど、急性の心臓発作ではないかとお父さんは言っていた。

 昨日の夕方に魚屋さんで会った時は元気そうだったのになぁ…寂しい…。

 でも、私よりジュールたち家族の方が寂しいし、辛いよね…。

 早く慰めに行こう!

 家の前の道を駆け抜け大通りを右に曲がり、真っすぐ道なりに走っていく。

 段々と視界の奥に海が見えてきた、もう少し先、村の端っこにジュールの家はある。

 彼の家の方に人が集まっている。村の人気者だったマジョールさんが亡くなったんだ、当然だよね。

 しかし到着したものの、人が集まり過ぎていて中々ジュールの家の表にある玄関に近づけない。

 人込みを避けて、裏口側に回って来たんだけれど、流石に裏から入るのは気が引けるな…人が亡くなった家に盗みに入ってるみたいだ…。

 まあ私の感覚であって、周りからどう思われるかはわからないけど…。

 うーん…どうやって彼に会おうかな…。

 私が裏口にある石の階段に腰を下ろして、来た道からも見える人々を視界に入れながら、どうやって彼に会おうか悩んでいると、彼の家の離れから何か音がした。

 何の音だろう?

 気になった私は、こそこそと離れに近づいた。

 敷地内に入る時には小さな声で、「失礼しまーす…」と呟いた。

 …あれ、もしかして裏口から入ろうとするより失礼な事をしているんじゃ…いや、どっからどう見てもそうだよね!?

 ご、ごめんなさい!あとでちゃんとジュールとジュールのお父さんに謝らなきゃ!

 私は罪悪感に苛まれながら、離れの壁に耳を当てた。

 すると中では、「ここはどこだ?だが、よし成功だ!」と喋っていた。

 うん?この声は誰だろう。いや、声はジュールのものだ。でも話し方が全然違う。

 私の知ってるジュールは、もっとぼそぼそ話すんだ。下を向きながら、目はいつもキョロキョロと動き、人と合わせる事なんてしない。

 正直ちょっとキモかったけど…でも心根は優しい人だった、でも今聞こえてきた声の話し方はなんだか尊大で、どこか怖い印象を受ける。

 入ろうかな…?でももしこれで知らない人だったら?護身術を習っているから、対処できなくもないけど…怖いものは怖いもんなぁ…だけど気になる!気になったから開ける!!

 ガチャッとドアノブを回し、離れの建物の中を覗く。

 中にいたのは、白い髪を肩まで伸ばした黒の上下の服を着た私と同い年くらいの少年が、慌ただしく部屋の中を右往左往していた。

 背丈はジュールっぽいんだけど…髪の毛の色が違う…。彼は父親譲りの緑色の髪だった。ううん…大人だったら逃げてたけど、同い年くらいなら大丈夫かな?

 よし、声をかけてみよう。

 私がそう思ったと同時に、少年が突然こちらを振り向き「誰だっ!」と目を見開きながら言ってきた。

 さっきまでは後ろを向いていたからジュールかどうか確信を持てなかったけど…髪の色や喋り方…そういう違いはあるけどこの顔は、透き通った緑色の目は…ジュールだ…。

 「だ、誰って…私だよ?アンだよ?」

 まじまじと私を見つめて、誰かわからないような顔をするジュールに対して、私はそう答えた。

 「アン…?アン…オレンジ色のショートヘア…青色の瞳…。むっ!そうか、記憶にあったアンとは君の事か」

 「何を言ってるの…?え、えっと…その…とにかく、今日はきっと辛いだろうから…ジュールの傍にいてあげようと思ったんだけど…」

 私の言葉を聞いて、ジュール?は再び目を見開いて、首を傾げた。

 「辛い?何がだ?」

 唖然とした。確実に顔に出てるだろうし、信じられない…という気持ちが私の胸の中に膨らんだ。

 「何がって!ジュールのお母さんが亡くなっちゃったんだよ!?昨日まで…昨日まで元気だったのに…!悲しくないの!?何がってなによ!!」

 私は途中から涙を流していた。だって本当に、心の底から悲しかったもの。

 私の知ってるジュールは、お母さん想いで、できる事があったらすぐに手伝っていた。熱を出した時には看病だって、村の門番で忙しいおじさんに代わって付きっきりでやっていたのを知ってる。

 にもかかわらず、何が?って。心底どうでもいいみたいな表情をしてそう言ってきた。

 まだ状況が掴めてないなら、きっとここまで腹も立たなかったと思う。

 正直私はこの家の人じゃないから、踏み入る様な事は言う資格ないんだけど…でも今のジュールの言葉と表情は許せなかった。それだけなのだ。

 「ジュール……そうか!俺の事か!で、お母さんが…昨晩…亡くなった……な、なるほど…」

 ジュールは何かに気づいたような、思い出したような表情をしてから、急にしょんぼりとし始めた。

 え?え?何なの?その感情の上下はどういう事なの?

 私、訳わかんないよ!

 っていうかジュールが俺の事かって…もしかして…

 「あ、あの…ひょっとしてジュール…」

 「う、うん?」

 「お母さんが亡くなって…その…言いづらいんだけど…頭が混乱しちゃったの…?」

 「え?」

 そうだよ。考えてもみればそうだ。

 この髪色。白くなっている髪。神官様や私のお父さんから聞いた事がある。人は凄い重圧や、辛い事があると白い髪が出てきてしまうと。

 それは年を取った事で変化する髪色とは別で、とても不健康なものだと。

 もし、それによってジュールの髪が白くなったのなら…そうださっき私が怒ったとき思い出していたじゃないか、彼はお母さんを大切に想っていた…そんな彼が、突然母親を失ってどう思う?

 きっと私が想像できないくらい悲しかったんじゃないか…辛かったんじゃないか…。

 私はそんな事にも気づかないで、感情をぶつけてしまった…。

 「ごめんね…私なんかより、ずっと辛くて悲しかったはずなのに…そうだよね。心が壊れそうになってもおかしくないよね…」

 「あ、ああ…そうだな…?そうだ。あまりにも急だったから…気が動転してしまってな!」

 「そうだったんだ…気も動転するよね。私も昨夜聞いた時、凄く驚いたし悲しかったもん…」

 さっきまでの怒りというか憤りがウソみたいに、私は悲しい気持ちになって来た。

 改めて、マジョールさんが亡くなったのだと自覚してきたのかもしれない。

 「そ、そうだ。少しだけ気分を明るくしたいから…出歩かないか?」

 「え、うん…いいけど…」

 うぅ…やっぱりこの口調のジュールは違和感が凄いよ…。

 私は一旦外に出て、ジュールが着替えるのを待つ。

 大丈夫かな…あの話し方…ジュールのおじさんにも似てないし…どこから来たんだろう…?本に登場するキャラクターの真似とかかな?

 私が色々と考えていると、離れからジュールが先ほどの上下真っ黒の寝巻から、茶色のスウェットの上下に着替えて出てきた。

 あんまり色の変化が見られないな…正直地味…。ま、まぁジュールらしいといえばそうだからそれでいいのか…な?

 「それで、ジュールはどこに行きたいの?流石にお葬式とかの準備もあるだろうから一日中は出かけられないだろうけど…」

 「そうだな…この村の教会に行きたい。道を忘れてしまったから連れて行ってくれないか?」

 偉そう…なんなんだろう…すごく…すっごく偉そう…。

 別に連れていくのは構わないんだけど、道忘れたって…普通最初から道わかんないはずなんだけど…。

 だって教会は国教であるローリエ教の神事や冠婚葬祭、生れた時と成人になった時に受ける洗礼の時くらいしか行かないし…そもそも普段は神官様や許可を得た一部の人しか敷地には入れないし…。

 少なくともこの村の誰もは生れた時に初めて教会に行くわけだけど、そんなの覚えているはずがない。…だってジュールはまだ十四歳。同じ年に生まれた幼馴染の一人だけど、彼が成人するのは来月、六月の十一日なのだ。そして彼の家族に神官様はいない…だから絶対に、ぜーったいに!教会への道を元々知っていたなんて事ありえない。

 今日のジュールはやっぱり変!やっぱりマジョールさんのショックが大きかったのかな。

 「ど、どうしたんだ?アン。教会はそんなに遠いのか?」

 「遠くはないけれど…うぅん…ちょっと待ってて…」

 私は首からぶら下げていたペンダントに意識を集中させながら、瞼を閉じて祈った。すると、ペンダントがじんわりと熱を持ち、白く光り始めた。

 更に強く祈る手を握りしめ、(幼馴染であるジュールが母親の死のショックで変になってしまっている、神官様に診てもらいたい)と念を込める。こうする事で別の空間にいる、私たちの村の担当の神官様に私の声が届くのだ。

 果たして教会に行く許可はでるのかな。

 「ほぅ…綺麗な光だ…」

 隣から今のジュールの低い声が聞こえた。

 このペンダントは成人の洗礼の際にいただける物なので、まあ見た事がなかったんだ…いや貰った日に見せてあげた気もする…。あ、この教会への通信は見せた事なかったな。

 なんだかジュールの息遣いまで聞こえてきた。今目を閉じてるからわからないんだけど、どれだけ近くによって私の事見てるのよ!ジュールがこんな状況じゃ、強く言えないけど、普段通りだったら引っ叩いてるわよ!?

 あーもう!集中させて!なんか生暖かい吐息が手首辺りに当たってる!キモい!!キモすぎる!!

 早く!神官様!!お返事を!!!

 私の心からの祈りが通じたのか、頭に聞き慣れたネルケ村担当の神官様の声が響いた。

 (わかりました。今から扉を開けるから、ジュール君と共に教会に訪れるを許可します)

 やった!教会に行く事の許可が下りた!ありがとうございます!!

 私は目を開き祈りの手を解いて、神官様が教会に通じる扉を出してくれるのを待った。

 ちなみに、ジュールは私が目を開く時には既に、少し離れた所に立っていた。何故離れているんだろう。いや確かに、キモい!って思ってたから少し嬉しいけど…もしかして殺気とか出てた?出ててくれ。

 「今のは何をしていたんだ?」

 と聞いてきたジュールに、このペンダントの説明をしたところ、「そんな力が…便利だなぁ…」と言ってまじまじと私のペンダントを見つめてきた。

 やっぱり教会への道知らなかったんじゃない!

 「ジュールも来月に成人の洗礼を受ければその時に貰えるよ」

 「そうか…うーん楽しみになって来た!」

 すごい興味津々だ…その様子はやはり昨日までのジュールからは程遠く見える。そこまで感情を表に出すような人ではなかったのにな…それにお母さんが亡くなった子供の姿にも見えないよね…。

 私の祈りの返答から二分後、私の目の前に長方形の光の扉が現れた。

 これこそ私たちのいる空間と教会の敷地を繋ぐものだ。

 「これは転移魔法か?」

 「うん、神官様たちは転移魔法って言ってたよ」

 私は左手を前に出し光の扉に触れると、扉は静かに開いていった。

 開いた先にはまばゆい光があるだけだが、この光の中に飛び込む事で教会に行ける。初めてやった時はおっかなびっくりだったけど、流石に二回目ともなれば慣れたものよ。

 「さ、行きましょ」

 私はジュールの手を取り、光の扉を潜った。



―――――――――



 眩い光を抜けると、雲が全くない青空と大きな建物が三つ視界に入って来た。

 左側に見える建物は教会にお勤めになっている神官様方の住まいになっており炊事場や井戸なども併設されている。

 右側の建物はこれから私たちが向かう事になる応接室などがある建物で、主に相談や生まれた子供の洗礼時の登録などの受付もその建物で行った。成人の時にもあそこに行って洗礼の時の説明をされたなぁ…。

 そして真ん中の一際大きな建物。そここそが大聖堂、礼拝や洗礼を行う場所。もの凄く内装が綺麗な場所だった…洗礼の時は思わずステンドグラスに目を奪われてしまったもの…。

 「おお、なんだここは…何と言うか、遠くの場所というか…全く別の空間に来たような雰囲気を感じるな。空も雲がなさ過ぎて綺麗なんだが、不気味にも感じてしまうな」

 ジュールはじっくりと、景色を見てからそう言った。

 確かに空に関していえば、不気味に思えるくらいには深い青色だ。

 そういう感性はジュールらしいんだよなぁ…まあやっぱり話し方は変だけど。

 私がこの教会の敷地の事を説明しようとしたところで、一人の真っ白な祭服を着た茶髪の男性が神官様がこちらに来たのが、私の視界の端に入って来た。

 あの方はサンティ・ユモン様だ。私たちのネルケ村の担当をしてくださっている神官様で、洗礼の時などに私もお世話になった。

 「丁度ユモン様がいらっしゃったから、この空間の事を説明してもらえば?多分私から聞くよりわかりやすいと思うわ」

 ジュールは私が見ている方を向き、なるほどといった表情を浮かべた。

 「確かに確実に詳しい人間に聞いた方がいいかもしれんな」

 全く持って正しいんだけど言い方が腹立つわぁ…。なに『しれんな』って。

 日常会話で使う?余程身分が上の人じゃないと使わないんじゃない?知らないけど。

 「やあ、待たせたねアン君。ええっとお隣の男の子がジュール君かな?」

 「そうです、彼の事をユモン様に診ていただきたくて…」

 「えぇ、わかりました。早速応接室へ行きましょう」

 ジュールはぺこりと頭を下げた。

 …何で急に静かになったんだろうか。流石のジュールも神官様の神々しさに圧倒されたのかな。

 それはさておき、私たちはユモン様の後について行き応接室のある建物に向かった。

 歩いている最中に今向かっている場所は西方聖堂という名前だと教えてもらった。という事は左にあったところは東方聖堂と言うのだろうか?…でもあそこは神官様の住まいだって聞いたし、聖堂とは違うよね。

 ま、どうでもいい事か。今はジュールの様子だ。

 西方聖堂の中に入り豪華絢爛な内装に驚きつつ、階段を上り三階の角にある応接室に入った。応接室に入る時に、ユモン様はドアに付いていた白いプレートに『ネルケ村住人』と書かれた。へえ、対応中の地域の名前を書くんだ…。ていうかペンとか持ってるように見えなかったけど、どうやって書いたのかな……流石神官様ね!

 応接室は木製の大きな長方形の机が部屋の真ん中に置かれており、その左右に四つづつ木製の背もたれ付きの椅子が配置してあった。

 ドアから向かって正面に窓があり部屋全体が明るく、入り口から見て右側に設置されている茶葉などを入れる棚が太陽光…?で照らされていてとても綺麗だ。

 へー、ここでお茶を入れる事もできるんだ、便利ぃ…。

 「さ、椅子に座りなさい。お茶も入れなくてはね」

 ユモン様はそう言って、棚から茶葉が入っているであろう陶器を取り出した。何か紙みたいのが貼ってある。もしかしたらお茶の名前かな。

 ジュールは右側の一番奥の席に座った。私はその隣に座った。

 ユモン様は私たちの背後からとても良い匂いのするお茶を出してくれ、そのままジュールの真正面にお座りになった。

 「ではジュール君の話を…ああいや、違いましたね、まずはジュール君今日はお悔やみ申し上げます」

 ユモン様は手を重ねて祈りの形にして、マジョールさんの魂が天へ導かれる事を願った。なんて綺麗な所作だろう…横から照らされている事も相まって、物凄く神々しく見える。

 「気遣い感謝する」

 次の瞬間私はジュールの後頭部を掴んで目の前の机に叩きつけ、私も頭を下げた。

 「すぅいませんでしたああぁぁぁあ!!!!」

 「がっ…!?な、なにをする!痛いじゃないか!!」

 「何が痛いよ!?何でそんな偉そうなのよ!ここまでは同じ生まれ年だし、マジョールさんの事でショックもあるだろうしって思って、会話の中の口調は特に何も言わなかったけど!神官様の前でその態度は良いわけないでしょ!?身分が高いのもそうだけど、相手は大人なのよ!お馬鹿!」

 私は痛いと額を押さえているジュールに波の様に言葉を放った。

 流石の私も我慢のできなかった。そう、幼馴染である私に対してなら別に良い。心の中で延々とツッコむだけだから。

 でも神官様に対して尊大な口調をするのは全く持って良くない!

 あぁ、私が急にジュールの頭を叩きつけて大声をあげたせいで、ユモン様は唖然としていらっしゃる…すいません…。

 「ご、ごめんなさい…急に大声をあげてしまって…」

 「い、いや…そうですね…。何か理由があったとしても、まず手を出すというのはよくないですね…。特段私は怒りはしませんが、ジュール君は年上の人には基本的に敬語を使うようにした方が良いでしょうね。見た目で身分はわかりませんから」

 ユモン様は、私たちを丁寧に諭された。お優しい方だ。

 低くも心地よい声色が胸に響く…。

 「ほら、ジュールも謝るのよ」

 私がそう促すと、ようやくジュールは顔を上げてユモン様の目を見て謝罪した。

 「た…大変申し訳ございませんでした…」

 そうして深々と頭を下げた。今度はどつかれたからではなく、謝罪のためだ。

 うんうん。最初からそうすればよかったんだよ。

 まあ私もやり過ぎたなって思ってるから村に戻ったらちゃんと謝るね?

 「で、本題ですが、確かジュール君の様子がおかしいという事でよろしかったですか?」

 ユモン様の疑問に私は「はい!」と元気よく答えた。その後に少しお茶を飲んだ。

 いい香りだし美味しい!!これってなんてお茶なんだろう?村でも飲めたらいいのになぁ!

 「では、まず以前のジュール君がどのような少年だったのかをお教えいただけますかな?私も担当の村の子供ではありますが初対面ですし、アン君は異変に際し、誰かに相談したいと思われる程度には関りがあったのではと想像しているのですが…」

 確かに私とジュールはよく話していた。でもよく話していたかと言われれば…うーん…?となる。他の同世代の人たちと比べたらよく遊んでたし、話していた気もするから…っていうかここに来たのは、ジュールが行きたいって言ってたからだし……ま、細かい事はいっか。

 「ええっと、まず大きな違いなんですが、ジュールは緑髪だったんです。今はびっくりするくらい真っ白ですけど」

 「ほう…髪の毛の色ですか…」

 ユモン様はまじまじとジュールの髪の毛を見つめた。

 うーん、やはりユモン様は目の色が綺麗だ…。あ、そんな事考えてる場合じゃない。

 「あとは、以前はもっと静かな雰囲気でした。そのなんて言うか…あまり目を合わせようとしませんでしたし、声も小さくボソボソと話していましたしかなり大人しい主張が控えめな人でしたね。ただ家の庭にある畑を耕すのを手伝ったり、迷子の子供と一緒に親を探してあげたり、優しい面もありました」

 こうやって話していると、案外ジュールと一緒にいたんだなぁと思う。

 ただ村で暮らしていたら気づかなかったかもしれないな。

 「ふむふむ…なるほど…。そうなると、今のジュール君はかなり変化している…という事ですか…」

 首が引きちぎれるんじゃないかってくらい頷いた。

 「ふむ…そんなに違うか…」

 ジュールも言ってる。……いや何であんたがしみじみと聞いてるの!?

 …なんか記憶も曖昧なのかな?そういえば、私の事もマジョールさんの事も覚えてない様な感じだったよね…。

 「ねぇジュールさ、今日私に初めて会った時、ピンとこない様な反応してたよね?マジョールさんの事も忘れてたみたいだったし…」

 私の質問に対し、ジュールは何やら難しい顔をして「うぅむ…」と腕を組んで悩み始めた。

 「マジョールさん…お母さんの事についてはショックな事ですから一時的に記憶が混濁や喪失はある事かと思います。喪失というより封印に近いかもしれませんね」

 ユモン様は人と言うのは心が耐えきれない程のショックを受けるとそのショックの記憶を抑え込んで忘れようとするという事を教えてくださった。

 そういう働きが人の身体にはあるんだ…不思議がいっぱいだ…。

 確かにマジョールさんの事は唐突だったし、納得のいく話だ。流石ユモン様。

 「じゃあ、私の事髪色とかから判断したのは…」

 「ううむ…」

 まだ唸ってる…。何か心当たりでもあるのかな?

 「ジュール君、もしなにか思い当たる節があるのであれば言ってみて欲しい。勿論話せる範囲で大丈夫ですよ。もしアン君がいると話しづらい事ならば、離席していただく事もできますから」

 おっと、私に言いづらい事の可能性もあったのか…。言われてみれば性別が違うんだ。色々あるだろう男子の悩みが…。どんな事だろう。

 「いいえ、アンにいてもらっても問題は無いのですが…。少々話辛いと言いますか、まず俺から聞きたい事がいくつかあってそれによって、話せる事が変わるのです」

 びっくりするくらい丁寧な言葉。学習能力の高さを感じつつ、前までのジュールとの違いに驚きを隠せない私。多分今口があんぐりと空いている。

 だって一人称が俺だし…なんか頭よさげなこと言ってるし…。

 昨日までだったら、私が伝えた事を三歩歩いたら忘れるくらい、お馬鹿だったのに…。常識…というか礼儀以外は高スペックになってるのかな…?

 「なるほど。わかりました、私に答えられる範囲であればなんでも答えましょう」

 ユモン様は真剣な表情で、少し前傾姿勢になって正面のジュールを見据えた。

 「聞きたいのは三つ。魔法の事と、魔物の事、そして世界の事をお教えいただけますか」

 この質問にユモン様は少々驚かれたような様子を見せたものの、「そうですねぇ…」と言って、何から答えるか悩んでいるようだった。

 ジュールが聞きたい事の中で一つだけ私が分からないものがあった。それは魔物の事。魔物ってあれだよね、物語に出てくる怪物の総称みたいな…。

 あれ違ったっけ…?

 「まずそうですね、アン君も気になってそうですし、魔物について答えましょうか」

 流石ユモン様だ。私の表情から一番気になっている事を読み取ったのだ。…多分。

 私の顔ってそんなにわかりやすいのかな…?

 「魔物というのは物語に登場する生物で、実在はしません。物語で描かれる姿というのも画一的ではなく、画家や作者によってその特徴は様々です。犬の様な四足歩行であったり、二足歩行の大男の様だったりなど…大体の魔物は現実の動物をモデルにしているみたいですがね」

 ユモン様の行った解説は私の持っている知識と変わらなかった。

 でもそんな事、ジュールだって知ってそうだけど…。

 私がそう思い隣の方を向くと、彼は「そうか…」と本当に小さい声で呟いた。

 一体何を納得したのだろう。ジュールの質問の意図が掴めないなぁ…。ユモン様は何かわかってらっしゃるみたいな表情だし…私だけわからないのは何か悔しい気がしてならない。

 「では次に魔法の事を教えしましょうか」

 ユモン様はジュールからの返事を待つ事なく、次の質問の答えを話し始めた。

 「魔法は誰しもが扱う事の出来る魔力を使った技術の事。もっと詳しく言えば、体内の魔力の流れをコントロールし、大気中の魔素と呼ばれる物質と混ぜ合わせる事で反応した現象の事で、魔力と魔素を混ぜ合わせるのに魔法陣という物を使うのです」

 はぁ、難しい…。成人した時に同じような説明をされて、教本を貰ってけれどまだまだ理解できていない事が多い。

 特に私は体質的に、人より習得が難しいのもあるけれど…。

 「魔法に関しては…俺の知識通りか…」

 またジュールが呟いた。今度はユモン様にまで聞こえるくらいの大きさの声だ。

 へぇ、魔法の事ちゃんと理解できてるんだ…知らなかった…。

 私は元々興味がなかったとか諸々の事情で、成人の洗礼まで全く魔法について知らなかったけど、同い年くらいだと案外知っているもんなのかもなぁ…。

 ……まあ部屋の灯りをつけたりするのも魔法を使っているし、これに関していえば、詳しくない私が異常なんだよね…。

 「ほう、そうでしたか。では最後にこの世界の事?…でしたか、それにお答えしましょう」

 なんか凄く大きな話だ…今日一日で終わる?

 「とは言っても、歴史を成り立ちから現代にいたるまでを詳しく説明してしまうと今日どころか一ヶ月かかっても終わらないので、今の世界の形を掻い摘んで、ざっくりと要約しお伝えしますね?」

 ユモン様は左手の人差し指と親指でつまむ様な仕草をして、ニッと笑った。

 か、可愛い…すごすぎる…。このお方、お茶目さも持っているなんて…逆に何ならないんだ…。

 「まず君たちの住むネルケ村があるセゾン大陸を含めて七つの人類の住む陸地があり、国は二十二ヵ国が確認されています。ちなみに特に大きな陸地はセゾン大陸で、西と東に大きく広がっており、両端で大きく気候や文化が違うのが面白いんですよ。あと、世界的に使われている暦はバスカヴィル暦、これは偉大な発明を数多くしたバスカヴィル様の名前から付けられているのです」

 私も勉強になってる。この世界にはそんなに多くの国があったんだ。

 しかも二十二年前から使用されていた暦が人の名前が由来だったなんていうのも知らなかった。今でも生きている人なのかな…。

 「あとは歴史…歴史は…ううん、どう説明したらいいでしょうかね…。とりあえず今の時代の事を説明……と言ってもこの数十年は大きな戦争や、弾圧、国家間の緊張なども特にないんですよね。それこそ君たちの住むフルール王国なんて歴史的に見ればまだまだ新興国でありますが、周囲の国との関係はかなり良好という素晴らしい国ですし」

 ユモン様の現代における歴史について教えていただいている時、ジュールは口を開いた。

 もう私ここにいて全く声を出してないから置物になってしまっているけど、うん!仕方ない!!気にしない事にしよう!人の話を聞くのは楽しいからね!!!

 「話の途中に申し訳ないのですが、その…今の時代に争いが無いのは理解しました。ではその…最後に戦争があったのはいつか記録はあるのでしょうか?」

 ジュールのその言葉に、私は首を傾げた。

 なんだかジュールの聞きたい事の要領を得ない。まあ結局のところ、彼がなにを目的に三つの質問をし始めたのかが分からないからだろう。

 今新しくした質問も、戦争について知りたがっているという事なんだろうけど…ジュールってそんな事に興味あるのかな…?

 あんまりそんなところを見た事がないけれど…。まあ男の子だしそういうのに興味があってもおかしくはないか…。

 「最後にあった戦争ですか…。そうですね…勿論記録には残っています。しかしかなり昔ですよ?」

 「お願いします!それについて聞きたいんです!」

 前のめりになって頭を下げるジュール。おお、凄い熱意。

 その戦いに何があったのだろうか?それがジュール…というか今の変わったジュールと、どのような関係があるのだろう…?

 「人類史上最後にあった戦争はおおよそ三百年ほど昔に十年間続いていたと言われているカルボーネ戦争です。この戦争はセゾン大陸の西南に位置する大陸ピエトラ大陸にて起こったもので、戦っていたのは二つの国。今はもうない国で、オファーレとアンブラという名前の国ですね。滅んだ理由もこの戦争が原因らしいと推察されています。で、この戦争はとある会社が化石燃料を掘り当てた物の、その場が両国の国境の上だった事が原因で起こったとういう記録が残っています」

 ユモン様は付けたしとして、滅んだ理由が曖昧なのは、両国の晩年はどちらもエネルギー不足が問題視されていたらしく、それは魔法では補えないくらいの大きな問題だったとの事で、その結果記録するためのあらゆる媒体を使ってエネルギーを作り出そうとした結果、戦争末期になればなるほど、情報が曖昧になってしまったと教えてくださった。

 エネルギにーにするために記録する媒体を使うってどういう事?今の時代より、色々な技術があったのかな?

 ていうか戦争の終わりくらいが曖昧で、始まったあたりの方が記録残ってるって事は、その記録媒体のエネルギー利用には使用済みの物は使わなかったって事なのかな。昔の事って気になるけど、わからない事も多いからもどかしいよねぇ…。

 「そう…ですか…」

 ジュールは何か、残念そうな顔をしながら背もたれに寄り掛かった。

 そういえば、敬語使っていると偉そうな雰囲気出ないね。やっぱり喋り方の与える印象ってあるんだなぁ。

 「さて、キミの質問には粗方答えたかと思うんですが…君の雰囲気が変わった心当たりについて話せそうかい?」

 そう言われたジュールは頷き、話し始めた。

 「俺の雰囲気や喋り方が変わったというのは、前世の記憶が呼び起されたからでしょう。その前世というのが、先ほど教えていただいたオファーレの人間でした。それも戦争のきっかけになった化石燃料を掘り当てた会社の一人だったのです」

 声出そうになった。びっくりした。

 まさかそんな事ある?前世の記憶を思い出して、性格に影響を与えたって事?

 ユモン様の表情は、特に変化はなくジュールの言葉に驚いている様子はない。もしかしたら、ユモン様はこういう事も予測されていたのかもしれない。もしそうなら凄すぎると思うけど。

 「そこで魔法を使う部隊に従軍し、三回目の出撃で参加した作戦で大怪我を負い死亡しました。その事を今日目を覚ました時に思い出したのです」

 なるほど…?という事はその三回目の作戦で亡くなったジュールの前世は次に目が覚めた時は今朝だったって事になるのかな…?瞬きしたら三百年後って凄く怖いなぁ。

 …ていうか前世の影響でこんなジュールになったって事は、あの尊大な話し方は前世の彼の口調って事なのかな。どんな立場の人だったんだろうか…。

 「なるほど…恐らくジュール君のお母さんが亡くなったショックにより、元々あった記憶より魂が持っていた前世の記憶が表に出てきてしまった結果、一時的な記憶障害と、口調や雰囲気の変化が生じた…とするのが今はわかりやすい結論なのかもしれませんね」

 ユモン様はそう仰った後、背もたれに寄り掛かりながら、お茶の入ったカップを手に取り、少し口に含んだ。

 まさかマジョールさんの死がそんな影響を及ぼしてしまうなんて…仲の良かった肉親の死の衝撃は恐ろしい…。

 でも確かに、家にある創作本の話でも家族を失って温厚だった人間が残忍な復讐鬼になる…なんてよくあるネタだし、現実の人でもそういう事になってもおかしくはないのか…。

 「ユモン様の推察で間違いないと思います。俺自身、詳しい事はよくわかってはいませんが…まあ体調などに問題はないので」

 「体調が悪くないのならそれが一番ですな、他に体に異変があれば、アン君を通じてまた私を呼んで下さいね」

 「ありがとうございます」

 ジュールとユモン様の会話は終わろうとしていた。

 この時間、私は殆ど空気だったな。ジュールを連れてくる人力車って感じ…でもまぁ私もジュールが心配だったし何ともないなら安心したし。

 何ともないでいいんだよね…。

 あ、そうだ。ジュールが聞きたがってたこと他にもあった!

 「ね、ねぇジュール!この教会の空間の事聞かなくていいの?」

 私は、既に席から立ち上がりお茶のお礼と質問の答えのお礼を言っていた彼に慌てて声をかけた。

 私の言葉にジュールは忘れてたという表情をした。握手していた彼は空いていた片手で頭を掻きながら、「この空間ってセゾン大陸のどこかなんですか?」と聞いた。

 ユモン様はあっはっはと笑い声をあげ、ジュールの疑問に答えた。

 「ここはあなた方が暮らしている世界とは違う空間なんですよ。なので、アン君が持っているようなペンダントなど特別なアイテムを使用しないとここには来れないのです」

 「それは…どうしてそんなややこしい事を…?」

 私は思わず声に出してしまった。

 ああ!しまった!この会の始めにあんなにジュールに厳しく言っておいて、自分も詳しく知らなかった事を聞いて湧いて出た疑問を、無遠慮に言葉にしてしまった!

 せめて言い方を考えるべきだった!!

 とにかく謝らなくては!!

 「あ、す、すいません…急に失礼な事を!」

 「いやいや、大丈夫ですよ。まあ確かに出入りが完全に制限されているのは不思議でしょう。一応これはその他のこちらを敵対してくる宗教や国からローリエ教の聖地を守るためなんですよ。この空間はローリエ教の聖書に書いてある聖地をそのまま異空間に移動させ、そこに教会を建てたわけです」

 「なるほど…守るため…」

 ジュールは噛みしめる様に呟いた。

 「さて、ではお二人を元の村に戻しましょう。位置は光の扉を作った場所の近辺で大丈夫ですか?」

 私は「はい」と言って、ユモン様の転送を待った。

 はぁ…ユモン様が寛容な方で良かった…。でも人に失礼な事するなって言っておいて自分が失礼な事をしているのはよくないよね。うん、しっかり反省しよう!

 すると私とジュールの足元に四角い魔法陣が現れ、私たちを光で包んだ。

 これが教会の神官様が御使いになられる転送魔法…見るのは二回目だけど、やっぱり綺麗だなぁ…。

 「では、ジュール君はあまり気を落とさず、お母さんとしっかりお別れをしてください。アン君、ジュール君の事をこれまで以上に気にかけてあげてください。今のジュール君の頼れる友人はアン君だけですから」

 転送される直前に、ユモン様は私たちにそう告げられた。

 返事をしようと思ったけれど、そうする前に目の前が光に包まれ、ギュッと目を瞑ってから光が落ち着いたと思い開く頃には、既にネルケ村のジュールの家の裏側に戻っていた。

 その後ジュールはお葬式の準備もあるだろうからと、家の方に戻っていった。

 私はあまり変化をおじさんに見せないように、驚かせないようにしなよと注意はしたものの、どれだけ効果があるものか…はぁ…。

 それから私も家に戻るべく、朝来た道を歩いていた。

 その道中、ユモン様から頂いた言葉を思い返した。

 ジュールが頼れる友達が私だけってどういう事なんだろう…。いやまあジュールは友達が多い方ではなかったけど…でも私だけって…?

 なんかジュールが自分の前世の事話す前から、何となくわかってたみたいな表情をしていたし…ジュールの身に起きた事は本当に、彼が話してくれた前世の記憶の蘇りなのかな?なんだか違う様にも思えてきた。

 ……そうだよ、だってもし前世の記憶を思い出して喋り方や雰囲気が変わったのだとしたら、魔物の事なんて何で聞いたの?とても三百年前の戦争と関係があるようには思えないし……。

 そういえば私が離れの外から聞いた、ジュールの「成功した!」って…何の事だったの?

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