9話 "勇者"いろは メーシャ
とある都市の86階建ビルの最上階。それがメーシャの住む家である。このビルに住むのは国の有事に特殊な研究を行う研究者たちであり、政府公認の最高セキュリティを有し、地下から研究所へ続くリニアまで通っているやべー所だ。
建てられて以来一度も侵入者をゆるしていないのはもちろん、スパイもお手上げで、居住者や選ばれた客人以外近づくことすら不可能なほど。
そして、メーシャは
「──っていうカンジ」
両親は家に居たもののママは何やら電話で忙しいらしく、テーブルをはさみパパに今日の流れを説明するメーシャ。
もちろんチカラの事やデウスについても伝え、デウス自体も自己紹介を済ませてある。
「──世界を救うため異世界に行く……ね」
パパは始終険しい顔で話を聞いていたが、メーシャを危険にさらすのが嫌なのだろうか。メーシャたちが見守るなか少しの沈黙が流れ、パパは小さなため息を漏らした後口を開いた。少し力のこもった落ち着いた声で。
「ヒデヨシを連れて行きなさい……!」
「『えっ?!」』
まさかの言葉にメーシャとデウスが素っ頓狂な声を出してしまった。とうの本人……本ネズミであるヒデヨシは分かっていたのか『うんうん』と頷いている。
「ふふっ……。分かっているさ、こんなに可愛らしいネズちゃんに何ができるの? って考えはね」
パパは得意げに眼鏡をクイクイっと上げた。
余談になるがパパは仕事が多忙なのか、それとも気に入っているのかほとんど一年中白衣を羽織っている。
「それはまあ、そう。……ヒデヨシに打った注射が関係してるってこと?」
「そうだ。ヒデヨシは昨日までのかわいいだけのネズちゃんじゃない。まあ、元から他のハツカネズミと比べたら賢者相当の賢さだったが……それはそれとして。ヒデヨシはメーシャの言うとおり、パパの打った注射によってひとりでに進化を遂げたんだよ」
パパは実はメーシャに内緒でオヤツをあげたり一緒のベッドで寝たりするほどヒデヨシのことが大好きなのだ。
だからこそ、メーシャは疑問に感じてしまう。
「すごくなったのは分かるけどさ、ヒデヨシに実験しないって言ってたのになんで注射したの?」
そう、パパは自分の研究のために家族を犠牲にする人ではないはずなのだ。
「それはね……」
──バタンっ!!
パパが口を開こうとしたその瞬間、リビングのドアが勢いよく開き、そこから王様みたいなコスプレをした金髪の女性が現れた。
「説明しよう!」
ニッコニコで登場したこの女性こそメーシャのママである。ちなみにママはコスプレが大好き。
メーシャが小さい頃家族3人で撮った写真も、ママが勇者でパパが魔法使い、メーシャが僧侶のコスプレをして挑んだほど。
「ママ! メーシャに言って大丈夫? 一応機密事項なんだけど」
パパが心配そうにママに尋ねた。
パパやママが研究しているのは最高機密のもので、家族といえど口外すれば
「話はつけてきたよ!」
ママは研究所の所長なのでお偉いさんと直接交渉できるのだ。しかも、すごい情報網を持っており、話に参加していないにもかかわらずメーシャの話はひと通り伝わっている。
「じゃあ、詳しくは書類にまとめてるから、ここでは軽く説明しちゃうね」
分厚い紙の束をメーシャに渡すと、ママはパパの隣の椅子に腰をおろして説明を始めた。
メールじゃないのはハッキング対策。
パパママのしていた研究とは、実は邪神軍が実験に使っていたという
そのウイルスに特定の電気信号を送ると取り憑いた宿主の身体を変質(ミズダコがメーシャの戦ったタコの怪物に変わったように)させたり、ある周波数から放たれた命令に絶対服従になってしまうというもの。
そのウイルスによって変化させられた地球の生物(邪神軍の実験途中のものだったのか危険は少なかったが)世界各地で見つかったことでパパママたちは研究することになったのだ。
「それで、どうヒデヨシに関係してくるの?」
メーシャが首をかしげる。研究のことは分かったし、邪神軍がより放って置けない存在になったのは分かったが、まだヒデヨシに注射した理由は不明なままだ。
「ちうちうちい」
そこでヒデヨシ真剣な面持ちで言う。
『ヒデヨシが注射してくれって言ったんだな』
デウスはヒデヨシの言葉が分かるのだ。
「そう、初めはママも断ったんだけどね。危険な研究だったし、万が一なんてことは絶対に嫌だったから」
「ちうちう。ちゅうち?」
ヒデヨシはデウスに通訳を頼み、ママとパパと一緒にメーシャに説明をした。
それによると、半年前……つまりデウスが地球にやってきた時、デウスの他に禍々しい恐ろしい気配が来たのをヒデヨシは感じたようだ。だが、家族はもちろん他の人間やほとんどの動物が気付いていなかった。
日に日に強まる禍々しい気配にヒデヨシは危機感を覚えてパパやママに相談。もちろん、当時ヒデヨシに人の言葉を伝える手段はなく失敗に終わったが、それでも諦めずヒデヨシは毎日かかさず伝え続けた。
数日が過ぎた頃、ヒデヨシはパパの研究机にウイルスのサンプルを見つける。
そのサンプルはまだ禍々しいものだったが、なぜか少し
パパママたち研究者は、そのウイルスを無力化や命令に絶対服従してしまう事の対策、身体の変化のコントロール、それらを可能にするようウイルスのナノマシン化などを研究していて、ヒデヨシが見つけたのはその試作品の入った試験管であった。
ヒデヨシはその試験管の前でジェスチャーをして『自分に使って欲しい』とパパとママに頼みこむ。これがあればあの恐ろしく禍々しい気配を出す存在に対抗できると思ったからだ。
しかしママが断固拒否。そう、家族にそんな危険な事をゆるせるはずがない。
だが、ヒデヨシの意思も強く、断られたからといって引き下がらず、むしろ今までより増して熱心に頼み込んだのだった。
「ずっと諦めずにお願いするヒデヨシを見て、本気で頼んでるのは伝わってね。でも、とは言え実験や危険に晒したくはないから、
完成品とはつまり、何の不確定要素も無く完全にコントロールができ、命令に染められる事なく己で意思決定ができ、周囲のウイルスを無力化し、己もその悪影響を受けず、暴走もなく、宿主の意志で変化し何のデメリットも無く元の姿に戻れるという、まず奇跡でも起きない限り実現不可能なものだった。しかも、それを生物実験を行わずにである。
「すご……それが完成しちゃったんだ」
メーシャが思わず感嘆の声を漏らした。
「そうだ、すごいだろ? だから
パパとしては完成して嬉しいような、むしろ完成してしまって悲しいような複雑な感情であったが、ウイルスを改造してできたその完成した
「本当はパパかママが対象になりたかったんだけど、どうやっても人間では数値が安定しなくて。それに、完全機械化しようにも難航してしまってね……」
今日、禍々しい反応が一段と強くなり、邪神軍のタコが出現。間に合わなかったのだ。
「今後メーシャやヒデヨシの役に立つはずだから研究は続けるつもり。もし何か困ったことがあったら教えてね」
ママは優しくそう言った後ゆっくり立ち上がった。
「つまりヒデヨシがいれば、邪神軍と戦う時に協力できるから連れて行けってことか。……わかった。注射もヒデヨシの意思みたいだし、あーしから言うことはもう無いかな。あんがとママ、パパ」
メーシャも納得したのかスッキリした顔で立ち上がる。とうとう異世界に行くようだ。
「……無理はするなよ。これ、パパとママの特製お弁当だ。お腹が減ったら食べなさい」
パパは子供たちの旅立ちに感極まって少し泣きそうになるも深呼吸をしてなんとかこらえ、いつの間にか用意してあった重箱をキッチンから取ってきてメーシャに渡した。
『メーシャ、準備はできてんのか?』
「大丈夫。さっき全部アイテムボックスに入れたから」
メーシャは帰ってきて部屋に入るや否や魔法陣を展開。『考えんのめんどいな』と言いながら家具ごと部屋にあるものをまとめて全部吸い込んでしまったのだった。そして流れるようにキッチンに行ってエゲツない量の水をアイテムボックスに入れていた。
ちなみに帰る途中である程度の保存食やすぐに食べられそうなものは買ってあるので準備は万端だ。
『っし。……じゃあゲートを開くぞ』
「……うん」
メーシャは部屋の隅に開かれた転移ゲートを見つめる。
まだ見ぬ世界、新たな出会い、想像もできない発見を思えばワクワクが止まらない。でも同時に両親や友達、見知った世界との別れ、想像もできない危険や苦しみを思えばなかなか足が前に進まない。
「…………メーシャ」
そんなメーシャの背中にママが声をかける。
「ん?」
メーシャが振り返ると、ママが神妙な面持ちで立ち、その後ろで慌てて西洋の重装鎧を装着しているパパの姿が目に入った。
「
「──あっ。……はい、陛下。ぬかりありません」
意図に気付いたメーシャはそう言いながらひざまずく。
ゲームでよくある王様や城のものたちが勇者を見送るシーンだ。ゲーム好きなメーシャへ両親から最大限の祝福である。
「では仲間のヒデヨシとデウスとともに、邪神を倒すため世界を救うため、英雄たちよ旅立つのだ!!」
「皆、武運を祈る。信じているぞ……!!」
ママ王様に引き続き、騎士パパがメーシャたちに激励を送った。
「必ずや邪神を倒し、全員そろって無事に帰還するとここに約束します……!!」
涙が出てしまいそうになるのを大きな声で吹き飛ばし、メーシャは旅立ちを固く決心した。
「ちう!!」
ヒデヨシも負けじと声を張り上げる。
『俺様まで……。へへっ! 陛下の仰せのままに!』
自分も仲間の一員としてカウントしてくれたことが嬉しくなったデウスはノリノリでそう答えた。
「……ママ、パパ、ありがとね」
メーシャはボソッと呟いて息を整えると立ち上がり、送り出してくれる両親や思い出の詰まった部屋、これから旅を共にする仲間や力のこもった己の手のひらを順に見つめる。
もう歩みに迷いはない。
「──満を持して……!
────こうして世界と世界、時間と時間をこえた勇者の物語が幕を開けたのだった…………!