郷愁と興奮、そして家令
国境でもなく長くもない、トンネルではなく門を抜けると故郷であった。
衛兵や行商、カンパーニュの領民達が馬車を避ける。馬車の側面、そして騎士団の鎧に施された、交差する剣を月桂樹らしき植物が丸く囲う金の紋章は、この世界では実際の影響力を伴っていることを実感する。
月桂樹の葉の花言葉は”栄光・栄誉・勝利”、そして”私は死ぬまで変わりません”だ。キュイジーヌ家の有り様を表すのに、これ以上の意匠は無いだろう。
領都カンパーニュは、辺境と呼んで憚らない立地でありながら、生き生きと活気に満ち溢れている。脳に焼き付いた公式設定資料集によると、ストーリー開始、つまりは勇者誕生の数世紀前に三圃農法が王家主導で広まった。これにより各地の都市は人口増加の一途を辿り、商業的利点のある都市はそれが顕著であったという。
マック・キュイジーヌの記憶が郷愁を感じると同時に、俺は幾度となく見てきたはずの‟つる×まほ”の街並みに、改めて胸を打ちふるわせていた。断罪イベントで主人公を操作して歩いたのは、まさしく門から一直線に続くこの通りであった。
「凄いな……」
「マック、どうしたの?」
ハティが怪訝な顔で俺の顔を覗く。
「いや、父上の名代として帰ってきたと思うと気の引き締まる思いがするな、と思っただけだ」
誤魔化すようにして、急いで言葉を継いだ。
「推定人口は三千人くらいでしたか?」
「あぁ、資料しゅ……ではなく記録によると概ねその辺りらしい。王都や王都周辺の都市は経済的な旨味があり万を超すそうだが。この辺境では、そこまでの人口は望み薄だな。ただでさ稠密な感が否めないのだから」
ファン王国の南端を守護するこの城塞都市は、その強固な外壁が魔物の襲撃を悉く退け、そして人口増加の枷としても機能しているのだった。
「ままならないものだな、何事も」
漏れた呟きは、馬車の小さな揺れに掻き消された。
門を潜ってからというもの、馬車の揺れが大分マシになった。カンパーニュの大通りは石畳で舗装されており、道行く馬車馬も心なしかご機嫌に見える。
門から少し入ると、通りの左右に様々な露天が現れた。食料品から宝飾品まで、人から本まで、様々雑多な色に客引きの声が飽和し、混沌としている。品の豊富さはその露天の勢いを象徴しているようで、実店舗を持つとそれを壁で隠すようになるというのは面白い。
建物に奇抜さは無いが、質実剛健な白い壁が陽光を弾く。塗装の剥げかけた古い店は、当時最新のものだったであろう時代遅れのデザインを隠すように木箱を表に積んでいる。
庶民では到底手の出ない艶の反物をこれ見よがしに店頭に飾っている店に冷めた視線を投げつけていると、ハティが鼻をヒクつかせた。
「良いにおい……」
ハティから遅れること数秒、俺も食欲を誘う香りにようやく気が付いた。煙と脂の香り。肉の焼ける香りだ。
「さぁさぁ、キュイジーヌ領名物のオークの塩焼きだよ~! 朝どれのオークを捌いた一品だ! それが今なら一つ銅貨五枚! お! そこの格好いい冒険者の兄さん。思い出にどうだい?」
小さな木造の屋台の前には大きな鉄製の焼き網が置かれ、その上に肉と野菜が刺さった鉄串が並んでる。店主は中年の男で、大きな笑顔と声で客を引いている。時折、思い出したかのように串を返すと、また顔を通りに向けた。
屋台を囲むようにして、様々な種族が串焼きを手に取り談笑している。ボンレスハムのような四肢の、ずんぐりむっくりした髭面のオヤジはドワーフ。トウモロコシの髭のように滑らかな長髪から尖った耳を覗かせている彼女はエルフ。二足歩行のトカゲはリザードマン。彼か彼女かは定かでない。異なる姿に服装、種族や文化の違いもあるが、串焼きを囲んで浮かべる笑顔は皆一様だ。
「オークの塩焼きを売る屋台ですね。懐かしいです」
カロリーヌがガラス越しの思い出に浸っている。一生分食べたような料理でも、こうして感慨を擽るのだと思うと、料理人を志した自分を少し褒めたくなった。
「折角の里帰りだ。どうせなら魔物を片付けるだけでなく、新しい名物の一つでも残したいものだが……。ああして多くの種族や商人が集まるのだから、新しい名物が生まれれば領都の発展に寄与してくれるだろう」
それは巡り巡って俺の評価に繋がる。一石二鳥と言う奴だ。
「味見は任せる!」
「どうせなら試作も手伝いなさいよ。あんたがメイドだってこと、時々忘れちゃいそうになるのよね」
「全くだ」
俺とカロリーヌの呆れを受け流すように、ハティは窓の外を眺めていた。
通りを進むと、大きな広場があった。噴水を囲うようにして広がるそれを通り過ぎると、緩やかにカーブする坂道の上に豪奢な屋敷が現れた。俺の生まれたキュイジーヌ邸だ。そして、シナリオに則れば、俺が勇者に殺される場所でもある。揺り籠から墓場まで。自然の丘を利用し、鉄柵に囲まれたそれは、今は大掛かりな墓標のようにも感じられた。
屋敷に続く坂道の足元には、大きな建物が軒を連ねている。行政区画とでも呼ぶべきそこは、背後の広場から僅かに聞こえる喧騒雑踏によって、その重苦しい雰囲気を色濃くしている。今は用が無いとばかりに、御者は馬を屋敷に急がせた。
坂道を上ると、鉄の門扉が立ちはだかった。左右に伸びる鉄柵の向こうには、手入れされた品の良い庭園が広がり、美しい庭木と花々が揺れている。庭園の奥には壮麗な屋敷が聳え、主人のいない今はどこか寂し気に見える。
門番を走らせ馬車を滑り込ませた広い玄関口では、使用人と騎士達が左右に整列して出迎えてくれた。
俺が馬車のステップを降りるのを見計らい、ロマンスグレーの執事が傍に寄った。
「お帰りなさいませ、マック様。王都よりの長旅お疲れ様でございます」
「あぁ、出迎えご苦労、トーマス。なかなか刺激的な道中だったぞ。早速だが、執務室で報告を聞かせてもらおうか」
「かしこまりました」
重厚な木の玄関扉の奥には、客人を飲み込むようにしてエントランスが吹き抜けていた。富や権勢を誇るように豪華な調度品や美しい絵画が飾られている。正面には二階に続く大階段があり、踊り場に掲げられた初代の肖像画を挟むようにして二手に分かれている。
「こちらへ」
執務室の扉を開ける前に廊下の窓から外を見ると、視界の下端に中庭の噴水が見えた。龍頭の意匠から吹き出す水が見事な光華を放っていた。