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キュイジーヌ家の男たるもの。そして問題児に出会うようです

 悪役貴族マック・キュイジーヌの朝は早い。

 窓の外から、カーテンの合わせをすり抜けるようにして柔らかな朝日が部屋に差し込んでいる。眠りから覚めた俺は、天蓋つきの意味も無く大きなベッドから身を起こす。中々開かない瞼を擦って檄を飛ばすと、豪華な調度品のギラつきが朝のナイーブな目に悪い。

 朝の静けさが充満する部屋の中、伸びをすると、まだ重い頭を乗せてやおら立ち上がった。

 窓辺に立つと、豪奢な厚手のカーテンを開ける。好機とばかりに飛び込む朝日の奔流に目を細めつつ、それでも逆らい、ベランダに出た。深呼吸をする。僅かに寒さの残る若々しい空気が肺を満たし、肺胞の粒の沸き立ちに脳が覚める。梢の擦れる音に張り合う鳥の囀りが微笑ましく、耳に嬉しい。

 王都の貴族街でも一等地に建つキュイジーヌ王都邸二階からの眺めは、なかなかのものだ。
 足下には、主人の几帳面さを炉にくべて鋏を作ったのではと思わせる、手入れの行き届いた庭園が広がる。庭木はそこかしこの冬の名残に怯えながらも、若い緑に萌える。

 遠景は、風情もへったくれもない石造りの屋敷が立ち並び、各々が鉄柵で必死に肩幅を利かせるために、都会のコンクリートジャングルと大差なく土地を逼迫させていた。気分は東京西新宿。

「う~ん。これからどうすっかな~」

 大きな目的としては、
 ①強くなって認められる ②美味い料理を作る
 この辺りだが、②についてはかなり難しい道のりになりそうだ。

 ――ファンタジー食材は楽しみだけど、なんせ、料理のレベルがなぁ……。

 暗い先行きに頭を悩ませていると、コンコン、と規則正しくリズミカルに部屋のドアがノックされた。

「マック様、御食事の御用意が整いました」

 毎朝繰り返されるベテランメイドからの声かけに慣れるまでに数日を要した。それも今や、新たな朝のルーティーンの一環として馴染みつつある。人の順応という機能は良く出来ているらしい。

 鈴の音に似て穏やかな声に、「あぁ、今行くよ」と返し、俺はゆるゆると寝間着のシャツにガウンを羽織る。重いドアノブを押し開くと、家族の待つダイニングルームへ向けて足を引き摺るように歩いた。



 シックな色合いの何処か冷めたような長い廊下を抜けた先、ダイニングルームの食卓には、既に家族が勢揃いしていた。俺の姿を見るなり頭を下げる執事やメイドに軽く笑顔で応じ、引かれた椅子に腰を下ろす。

 父のアダム・キュイジーヌと、夫人のクロエ、そして長兄オーガスティンと次兄ボガートの八個四対の視線が俺に注がれる。窓から差す陽光が生唾を飲む俺を面白がり、野次馬のフラッシュのようにチカチカと明滅した。

「……揃ったようだな。では、いただこう」

 父上のバリトンボイスが食事開始の合図だ。女神に祈りの聖句を捧げ、食事の許しを得て、各々白パン、肉料理、魚料理、ワインとエールを口に運ぶ。現代日本の飽食に舌を肥やされた俺には、焼き立てであろうパンの温柔が嬉しく、同時に改善点が浮かぶ自分の下らない品性が疎ましく感じる。そんな自虐はさておいても、飲む粥と呼ばれるエールの喉越しは最悪で、食道に未練がましくへばり付く麦の粕が胃に重く落ちる感触がした。

 咀嚼音すら聞こえそうな重苦しい沈黙に鯱張っていると、アダムの太く重い声が沈黙を破った。

「我が家は興国以前より王家に仕える名門。王家の剣。王国王家国土国民を支え続け守護し続けてきたこと、それこそが誇りなのだ。にも拘らずマック、貴様ときたら……。ファン王国キュイジーヌ家の一員として、貴様はこれから何を為す。下働きの能力を授かった貴様が」

 蔑みと疑念を眉間に湛えた鋭い視線が突き刺さる。高い身長と筋肉質な肉体、撫でつけた金の短髪に整えられた口髭の放つ威厳が、圧力にジリジリとした実体すら与えるようだ。

「……父上。俺は【料理】で貴族の世界を生きます。貴族としての務めを果たし、自分の有用性を示すつもりです。そこで死のうものなら、それまでの器だったということでしょう」

 真正面から視線を返すと、父上は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。【剣術】を極め、数多の戦場にてその剣閃と名声を輝かせた男には、理解が出来なかったのかもしれない。誰よりも戦場の厳しさを知るが故に。対して、普段の厳めしさとのあまりのギャップに、俺はしてやったりと口角を上げた。

 俺の返答が気に入らなかったのだろう、兄達が父上によく似た顔から不服を全面に押し出した声を上げる。

「貴族たるもの力こそが全てなのだ。戦闘に向かないスキルのお前が、一体どう我が家の役に立つ?」

「いやいや、そんなの無理っしょ!? お前自分が役立たずってこと気付いてねぇの? 【剣術】を継いだ兄上と【弓術】のオレがいれば、キュイジーヌ家は安泰なんだよ。【料理】はお呼びじゃねぇの」

 父上の真似をしたような話し方がオーガスティン兄上で、RPG最初の街にいそうなチンピラ話法が次兄のボガートだ。

 なんとも二人らしい反応だが、それがこの世界の常識である。貴族は戦うことで貴族足り得る。そんな常識を破るためには、行動で示すしかない。

 父上は一瞬逡巡した後、ワインの入ったコップを干すと、二人に続く。

「その覚悟や良し。くれぐれもキュイジーヌの家門に泥を塗らぬように」

 それだけ言うと、父上はテーブルクロスで口元と手を拭い席を立つ。執事の開けた扉を潜り、「各々励むように」捨てるように言うと、ダイニングを出ていった。

 ”気位と誇りが服を着たような男”
 
 それが設定資料集におけるアダム・キュイジーヌの紹介文だ。

 そんな彼に、「貴族の誇りを捨てて料理人になります! こんなスキルじゃ無理ゲーです!」などと言おうものなら、勘当されていた可能性すらある。強気の姿勢が功を奏したようだ。

 一先ずの危機を乗り越えて肩を緩めると、不快を隠そうともしない声が邪魔をする。

「見栄を張りおって。無様を晒すだけだろう。【料理】なぞ、貴族のやることではない。下賤な仕事だ」

 蔑みを隠すことをしないオーガスティンの口ぶりが癪に障り、思わず言い返す。

「ならば、その料理を高尚なものにしてみせましょうとも。文化の保護と発展も貴族の務めですから」

「はっ。料理なんてしたことねぇお前が、大層な口きくもんだな」

 次兄の的を得た悪態に心の内で賛辞を送りつつ、頭は既に悲劇回避に向けて動き出していた。

――キュイジーヌ家には、()()()()()がいるはずだ。彼女を今の内に味方に出来れば、この先の大きなアドバンテージになるはず。

そのためにも、ここで無駄な時間を費やすわけにはいかない。

 二人はまだ言い足りないとばかりに粘ついた視線を向けてくるが、「それでは、行く所がありますので」と、口元と手を拭い足早にダイニングルームを後にした。


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 ――それにしても、朝から塩辛い肉と魚に酒とかキツイな。料理のレベルは中世並みか。

 飽食の時代に生まれ、料理の道を志していた俺にとっては、なかなか厳しいものがある。朝は白ご飯に味噌汁と納豆と卵焼きが理想だが、この世界でどれだけ再現できるのだろうか。何が有って何が無いのかも分からず、今出来ることと言えば、とりあえずキッチンに行くことのみだ。



 屋敷の片隅にあるキッチンに到着すると、扉越しにメイド長の静かな怒声が沁み出している。

「ハティ、貴方またお皿を割りましたね。今週何度目ですか、まったく」

「わふぅ……。ごめんなさい……」

「”ごめんなさい”ではなく、”すいません”です。言葉遣いも先日注意しましたね」

 ――ハティだと!?

 目的の少女の名前を聞いた俺は、期待に胸を高鳴らせつつも思春期男子のような恥ずかしい姿を見せまいと一息呼吸を整え、扉を押し開いた。

「やぁ、メイド長。仕事を邪魔して申し訳ないが、少しハティを借りるぞ? 彼女と話したいことが有る」

「これはこれはマック様。もちろんでございます」

 思いがけない人物の登場に、メイド長は面食らった表情を一瞬浮かべたものの、すぐに平常運転に戻った。

「ハティに何か用ですか?」

 お冠のメイド長から逃れるように、少女が足早に離れ俺の目の前に立つ。

 頭の上に灰白の三角耳を乗せ、スカートの後ろではふさふさの尻尾が揺れている。くりくりとした金色の瞳に白い肌が美しい狼獣人だ。彼女はメイドのハティ。適材適所とは到底言えない人材配置によってキッチンメイドになった彼女は、何を隠そう”つる×まほ”屈指のぶっ壊れキャラである。

「ハティには、今日から俺の専属メイドになってもらう。【料理】の相棒だな」

 突然告げられた辞令への驚きを全身で表現するように、耳と尻尾がピンと立つ。

「お料理……美味しいものいっぱい食べられる?」

「無論だ。この世界の誰も食べたことのない、美味しいものをいっぱい食べさせてやろう」

 謳い文句に胸を撃ち抜かれたように目を輝かせ、彼女は飛び跳ねて感奮を示す。

「お共するのです!」

「あぁ、よろしく頼む」



 こうして俺はハティという相棒を手に入れた。

 公式設定資料集にてSティア(最高評価)≪月下の狼姫ハティ≫とされているものの、”塩焼き事件にて勇者と渡り合った”という驚異的な設定のみが残されているキャラクターだ。彼女もまた、スチル一枚の被害者と言えるのかもしれない。

――なんかアホの子の匂いがするけど……。まぁ、いいか。

 そんな冗談のような少女との出会い、安心と不安を心に同居させていると、ぐりゅぐりゅ地の底から響くような音が水を差した。

「ごはん……」

少女は腹を宥める様に手を添えている。音の出処はどうやら彼女の胃の腑らしい。

「うん? もう朝食は終わりだろ?」

現に、彼女はメイド長と洗い物をしている中のヘマでお説教を受けていたのだ。貴族の食事のように、とはいかないが、それなりの食事が約束されているはずなのだが。どうしたことか。

「食べ足りない、狩りに行く」

そう言うや否や、少女は主人を置いてキッチンの窓から飛び出した。

 

 キッチンには、茫然と立ち尽くす俺とメイド長が取り残されている。

「旦那様が連れてこられたメイドなのですが、彼女、家事教育を受けていないようでして……。申し訳ございません」

深謝を体現するように腰を直角に曲げたメイド長が、落ち着きと敬意のない部下の非礼を詫びる。想定では料理のサポーターを兼ねていたのだが……浅薄な妄想は露と消えた。

 邸の裏に続く搬入口の戸を押し、外に出る。朝食の間に気温が上がったようで、冬の余韻は溶かされ、今やぬるま湯のように温かい。風に膨らむ重いガウンをメイド長に預け、俺は駆け出した。

――メイドの尻を追いかけるってこう言う意味じゃないだろ。

 先行きにそこはかとない不安を感じながら、物凄い速度で小さくなる彼女を追いかける俺であった。

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