ロールプレイ、そしてこれが【料理】の戦い方です
どもども、メイドの尻尾を追いかけている主人、マック・キュイジーヌです。俺達は今、屋敷の裏の小さな林に来ています。
「おぃ……ハティ……。待って……くれ……」
木々を縫うようにして全力疾走し、息も切れ切れの中、なんとか彼女の疾走を止めようと試みる。
「むぅ、マック遅い!」
空林の爽やかな香りの中、そよぐ葉の擦れる音や木漏れ日に飾られた彼女の耳や尻尾が艶やかに光る。しかし、顔は不満に膨れて、ジト目を僕に向けている。理由を察することはあまりに簡単で、それは急く彼女に俺が追い付けないからに他ならない。
獣人は種族にもよるが身体能力に優れており、狼獣人の彼女の身体能力はその中でもトップクラスに位置する。山野を統べる狼の素養が、狼獣人の彼女に悪路を駆ける体力と技術を与える。現に、根や石の転がる足場の悪い中を疾走しても、息一つ乱していない。
俺はそれを羨ましく思いつつ、呆れの色濃い言葉を返す。
「そんなに急いでどうするんだよ。何か目的の獲物でもいるのか?」
こんなちんけな林には大型の魔物はいない。というか、小型の魔物すらいそうにないが、彼女は一体全体何をしたいのだろうか。
彼女の返答は、俺が一番求めていたものであった。
「スライム食べる!」
「スライム!? ファンタジー定番の魔物だ!」
馬鹿馬鹿しい骨折りどころか、遂にモンスター食のチャンスが到来したようだ。現金なもので、ご褒美が目の前に吊るされた途端、活力が湧いてくる。砂袋の様に鈍かった足が、今は軽快に持ち上がる。
「狩りは早いもの勝ちが野性の掟。スライム弱い。早く探さないと、他の魔物に食べられる」
“つる×まほ”の世界では、魔物は人の生活を脅かす存在であって、魔物同士の食物連鎖など考えたことがなかった。スライムなんて大抵のファンタジー作品で最弱として設定されている、武器屋で”てつのつるぎ”を買うまでの小銭稼ぎという印象だ。ということは、魔物界食物連鎖においても最底辺の扱いなのだろう。
ハティは先程から鼻をヒクヒククンクンしている。流石は狼。匂いで周囲の状況を把握し、スライムの位置を探っているのだろう。肉体的には只人の俺はそんな彼女の後ろを大人しくついていくばかり。
――スライムってどんな臭いがするんだ? 味は? あんなゲル状の生物をどう捌けばいいんだ?
スライムを食べると聞いたその瞬間から、俺の脳内はスライム食のことで満たされていた。作品によっては、他者の排泄物を分解したり、自然のものはなんであろうと食べたりする。特定の匂いがあるのだろうか。そもそも内臓は? 疑問を挙げればきりがない。しかし、その懊悩こそが料理人の幸せなのだ。
「マック、ここから静かにする。あれ見て」
「おっと……すまん。どれどれ――」
浮かれ気分も程々に。
俺達が屈んだ
「あれ、狩る」
「どうやって?」
「マックはここで見てる」
そう言うや否や、彼女は気配を殺して森の一部となった。つい数瞬前まで話していたはずの彼女が、今や何処にいるのか分からない。その気配を追わせない完璧な隠密は、彼女のハンターとしての天稟を表しているようで、背筋がぞくりと震える。
高揚とも恐怖ともつかない意識をどうにかスライムに戻した瞬間、鬱蒼とした景色に灰白が一瞬煌めいたかと思うと、スライムの柔体が傍の木に叩きつけられ楕円に伸びた。樹皮に貼り付くような一瞬の後、それは力なく木の根元へ落下した。
――すげぇ。
一瞬の決着だった。
スカートをたくし上げ高く振り上げた足が地に付くと、物言いわぬ亡骸となったスライムに歩み寄る。それをむんずと掴み上げると、尻尾をぶんぶん振りながら満面の笑みで俺に駆け寄る。
「スライム倒した!」
先程の凛としたヒリつくような狩人の空気との差に呆気にとられる。手足など無いスライムの首根っこを掴んで俺に差し出すようにするハティは、まるで狩りの成果を報告する犬のようだ。
「マック?」
尻尾を振り舌を出すゴールデンレトリーバーの背後霊を幻視しながら、思わず頭を撫でようと手を持ち上げかけたその時、一つのことに気が付く。
待てよ、マックはそんな愛想の良いキャラじゃなかったはずだ、と。
マック・キュイジーヌは咬ませ犬と言えど、気位の高さだけは一級品だった。だからこそ不憫だったのだ。だからこそ愛されていたのだ。ここでメイドの頭に破顔し三角耳を撫で潰すような男では、興ざめだろう。
ならば、俺はロールプレイをやりきって、マックらしい人生のIFストーリーを完遂させたい。それが、彼の人生を乗っ取った俺の責任ではないか。推しキャラになり替わるのは幸せだけではないのだ。生き死にが現実的課題として人生に立ちはだかれば、そう悟るに十分であった。
「よくやった」
そう言うに留め、スライムに視線を移す。
“つる×まほ”ではモンスターを倒すと黄緑色の結晶になって砕け、素材がドロップしていたが、目前の亡骸はそんな素振りを見せない。ぐで~っとしたままだ。
――よくよく考えれば、一匹倒してアイテムが一つ二つドロップするだけなら、残りの部位が勿体ないからな。肉も部位に分けてドロップしたりしなかったから、この仕様でなければ【料理】スキルも宝の持ち腐れになるところだった。
生きるも死ぬもスキル次第のこの人生、女神様が俺如きのことを考えるはずもないのだが、心の中で一礼しておこうか。
「次は俺にやらせてくれ」
俺達は次の獲物を探しながら森を歩く。変わらずハティの後塵を拝する並びだが、こればかりは致し方ない。もし父上に見つかれば大目玉を食うだろうが、天網もこの程度のことを断じたりするまい。
ハティが強いのは今の戦闘で理解できた。であれば、次は俺自身の強さを知らなければならない。悪役貴族がメイドにおんぶにだっこでは恰好がつかないからだ。
「マックはお料理のスキルで戦えるの?」
スライムを抱えたハティが気遣わしげに疑問を述べる。至極当然だ。
【料理】スキル持ちは、平民であれば食堂や料理屋の厨房で働くものだと相場が決まっている。縁が無くスキルと関係ない仕事をしている者もいるが、それは少数だ。スキルに適した人生を歩むことが正道なのだ。だからこそ驚かれ、罵倒される。
「あぁ、【料理】スキルの戦いを見せてやろう。物はやりようさ」
そう大見得を切った俺は、次の瞬間、水中にいた。
あ……ありのまま 今起こった事を話すぜ!
俺は林を歩いていたと思ったらいつの間にか溺れていた……。
な……何を言ってるのか、分からねーと思うが、俺も何をされたのか分からなかった……。
頭がどうにかなりそうだった……。
催眠術だとか超スピードだとかそんなチャチなもんじゃあ、断じてねえ……。
もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ……。
心の中のポル〇レフがそう言っている気がするが、そんなことを呑気に考えている暇は無い。溺死してしまうからだ。
「モガモガ! ブクブク!」
「あ、スライム」
――言うのが遅い!
どうにかしなければ、マック・キュイジーヌの歴史に幕を下ろしてしまう。本史よりもダサい最後なんて許されてなるものか。
「ボコボコ!(【料理】スキル 着火!)」
スライムを掴んだ俺の両手から青い炎が一気に燃え上がり、スライムを包む。「――!」抵抗なのか、ゼリーのように上下左右に揺れるスライムに頭をシェイクされて、非常に気持ちが悪い。
――早く死ねやぁ!
おそらく五秒にも満たない抵抗の後、スライムはその粘度を失い、俺の頭からどろりと溶け落ちた。
ゲームと同様の戦い方が出来たことに胸を撫でおろす。
“つる×まほ”での【料理】スキルキャラは、こうして調理過程を再現することで戦うのだが、ゲームと現実では大違いだ。コマンドを選択して○ボタンを押せばキャラクターが魔物をぶった切ってくれるゲームの戦闘とは違い、常に動き続ける状況で戦うというのはこの上ないスリルを伴う。何をしようかな~、なんて言ってる間に死にかねないのだということを、改めて感じたのだった。
「マック、大丈夫?」
ハティが心配の色濃い顔で駆け寄ってくる。
「あぁ、この程度どうということはない」
マック・キュイジーヌはこの程度で狼狽えたりしないはずだ。
――【流水】! くっそ、あやうく溶けるか溺死するところだった。
スキル名を脳内で唱えると、両手から滾々と澄んだ水が溢れ出した。スライムの体液でずぶ濡れの銀髪を清水で洗い流し、かき上げる。悪役貴族らしく流し目で答えれば満点だ。
「凄い! 火魔法と水魔法二つも!」
「それだけじゃないが……。【料理】もなかなか悪くないだろ?」
ハティは激しく同意を示すように頭を上下に振る。一泡吹かせてやれて満足だ。
「さぁ、帰って美味い飯を食わせてやろう」
「うん!」
ハティに持たせたスライムからは甘い香りが漂い、林の青さに彩りを加える。キッチンに戻って何を作ろうか。俺達は期待に胸を膨らませ、木漏れ日を掻き分け来た道を戻った。