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狐酔酒家

 僕が天文部への入部を決めた後、僕たちは荷物を持って部室を後にした。

話しているうちにいい感じの時間になってしまったので、帰ることにしたのだ。

部室棟の玄関まで来て、靴を履き始めた天艶に僕が
「それにしても、昼休み天艶がボーっとしてた理由が分かってすっきりしたよ」
と言うと天艶は
「すみませんちゃんと聞いてなくて。何をお話しされてたんですか?」
僕の方を振り返りながら訊いてきた。

昼休み、天艶は頭の中で僕たちの正体について考察していて、結局忍者であるという結論に辿り着いたわけだが、そのせいで天艶はボーっとしていて僕たちの会話をあまり聞いていなかったのだ。

僕は狐酔酒が話していたことを天艶に教えてあげることにした。
狐酔酒は自分の家の話をした。


 オレ、狐酔酒飛鳥の父親はアホである。
口癖は愛と勇気とお金があれば大抵のことはなんとかなる、だった。

オレが小学生だった時のことだ。
その日、オレは家の廊下で正座させられていた。

誰がオレにそんなことを命令していたのかというと、かあちゃん、もといオレの母親で、なんでかあちゃんがオレにそんな指示を出したのかと言えば、オレが学校のテストで酷い点をとったからだ。

オレが一人でブツブツ文句を言いながら正座しているところにアホ、もといオレのとうちゃんがやってきた。

とうちゃんはオレを見ると笑いながら近づいてきた。

「はっはっは! 飛鳥なんで正座してるんだ? さてはかあちゃんに叱られたな?」

オレは不貞腐れていたので、とうちゃんを睨むように見上げた。

「……ああ。そうだよ。テストの点が悪かったから正座させられてんだ。悪いかよ」

とうちゃんはおどけるように肩をすくめてみせた。
「なにも悪いなんて言ってないだろ。俺も子供の頃は俺のかあちゃん、つまり飛鳥にとってのばあちゃんによく叱られたもんだ」
「ふーん」

「まぁ待ってろ。今からちょうど俺もかあちゃんに言わなきゃならんことがあるんだ。ついでに飛鳥をフォローする感じのこと言っといてやるよ」

とうちゃんはそう言ってオレの頭をくしゃくしゃと撫でた。

なんだかとうちゃんがヒーローに見えた。
とうちゃんが言ってくれれば、きっとかあちゃんもオレのことを許してくれるはずだ。
頼むぞとうちゃん……。

とうちゃんはリビングに向かった。

しばらく内容を聞き取ることはできないが何か話していることは分かるくらいの音量での会話がうっすらとリビングから聞こえてきていた。

数分後、とうちゃんはオレの元に戻ってきた。
そしてオレの隣に正座した。

「……まぁ、なんだ。俺もかあちゃんに叱られちまった。廊下で反省しろだとさ。……一緒に反省するか」
「とうちゃん……」

やっぱりとうちゃんはアホだった。

オレたちの間に気まずい沈黙が訪れる。
とうちゃんは取り繕うように話し始めた。

「そういや酷い点とったってのはなんの教科のテストだったんだ?」
「理科だよ」

「ああ。理科な。とうちゃんも苦手だわ。なんだっけ。貸そうかな、やっぱり貸さないリアカー無きK村がどうとか、なんか覚えさせられた覚えがあるわ」
「なんだそれ」

「分からん。なんだったっけ。忘れた。まぁ俺は国語とかの方が好きだったな。俳句とか」
「俳句?」

「ああ。じゃあせっかくだし久しぶりに詠んでみるか。……よし。ここで一句」
「おう」

「ホトトギス、俺にしみ入る、君の声」

「なんか混ざってね? 内容もキモいし」
「キモいとはなんだ! 失礼な奴め!」

「はいはい。ってかとうちゃんはなんでかあちゃんに怒られたんだよ?」

「脱いだもんその辺に放り出して置いといたからだな」

「それは洗濯機に入れなかったとうちゃんが悪いだろ」

「返す言葉もねぇな。……よし。結構反省したぞ~。足も痺れてきたし、そろそろ仲直りしに行くか」
「どうやってかあちゃんの機嫌とるんだよ?」

「いつも言ってるだろ? 愛と勇気とお金があれば大抵のことはなんとかなるのさ」

「最後の一つが占める割合が随分とデカそうだよな、その言葉」

「そうだな。お金は大事だ。しかし、今回は愛に頼る」
「愛でどうやって解決するんだよ」

オレたちがそんなことを話しているところにかあちゃんが来た。

「あんたたち、ちゃんと反省した?」

とうちゃんが得意げに答える。
「おう。結構反省したぞ。ここで一句」
「はぁ?」
かあちゃんが呆れた顔つきでとうちゃんを見た。

「我が妻よ、許しておくれ、ごめぇんね」
「もう一時間くらい反省する?」

「ちょ、ちょっと待て。間違った。もう一回いきます」
「……」
かあちゃんの顔が険しくなっていく。

とうちゃんは構わず詠んだ。
「我が妻よ、愛する妻よ、ごめぇんね」
「愛する夫に、鉄拳制裁」
そう返すと、かあちゃんは構えを取った。

「ま、待て待て! 分かった、分かったから。俺が間違ってました。はいはい、仲直りのちゅー」
かあちゃんは、唇を突き出しながら近づくとうちゃんの右頬を軽くビンタした。

「バカな事やってないの。ほら、ご飯にするよ。お皿テーブルに運ぶの手伝って」
そう言ってかあちゃんはリビングに戻っていった。

とうちゃんとオレは顔を見合わせてニヤリと笑った。

「かあちゃんの機嫌直ったな」
「とうちゃんのアホさ加減に呆れただけだと思うよ」
「こいつ~言ったな~」

とうちゃんはオレの頭を拳でぐりぐりとやった。

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