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黒く塗りつぶされた男 転

 ガタンゴトン、ガタンゴトン……
 ガタンゴトン、ガタンゴトン……

「……せ……せよ!……は……せよォォォォッッッ!!」

「…………?」

 遠くから男の声が聞こえる。微睡んだ景色を一目見て、ボクはすぐに夢だとわかった。なぜなら、家で寝ているはずのボクが――列車に乗っていたからだ。
 きっと今日のできごとが強く頭の中で印象づけられ、こんな夢を見てしまったのだろう。
 にしても……やけにリアルな夢だと思う。迷惑な話だ。早く覚め……

「あれ?」

 おかしい、という疑問が頭をよぎりはじめる。フカフカとしたロングシートの感触、夢であるにも関わらずボクの意思で自由に動かせる体、足元に感じる列車特有の揺れ具合、まるで、まるで――

「痛ったアアアアアア!!!!」

 とっさに夢か現実かを確かめる方法として、ボクはありがちな頬をつねるではなく、近くにあった窓ガラスを殴った。そのほうが確実だと思ったからだ。
 結果的にその目論見は当たったのか、拳は腫れ上がるようなズキズキとした痛みに襲われる。痛覚があるということは、もしかしたら、ここは……

「どうして、どうしてこれが現実なんだ……!!」

 それによりにもよってなんでこの列車に! と、ここで先ほど前の車両から声が聞こえてきたのを思い出した。もしかしたらボクと同じ境遇の人がいるかもしれない。
 半信半疑だったが、行かない選択肢はない。ボクは声のした車両へとグラつく足元など気にせず力の限り走った。車両と車両をつなぐ自動ドアが開いた瞬間、

「寒ッ……!」 

 一歩前へ足を踏み出すと、そこから凍りついてしまうほどに車内は冷え切っていた。その原因はすぐにわかった。乗降口のドアが、噂を試したときと同様に開いているのだ。そして、そのドアの前に、

「あ、あぁ……」

 暗くて詳しい色合いはわからないが、中折れ帽を深く被っていることや、傘を持っていて二メートルはあるんじゃないかと思うほどの背丈から、噂の黒男だというのは瞬時に理解した。
 よく見ると、黒男は片方の手で誰かを掴んでいることがわかった。もし離したら最後、その掴まれた誰かはあの世へ途中下車することになるだろう。
 助けないと――と思うより早く、握られた手はあっけなく開かれてしまう。
 窓越しに一瞬だけ落とされた人と目が合う。ボクはこの瞬間を、未来永劫忘れることはないだろう。 

「――ッ!! カラカ……」

 体が地面に叩きつけられた音は、列車の走行音でかき消された。黒男に掴まれていたのは……カラカラだったのだ。
 顔は老人のようにくしゃくしゃに歪み、怒りや悲しみなどの負の感情が集約されたような形容しがたい顔つきのまま、死へと落ちていった。

「……嘘、だよな? カラカラ」

 その|言葉《セリフ》はカラカラに問いかけるというより、そんな現実を受け入れられないボクの心の弱さから出たものだ。
 初めて人が死ぬ瞬間を間近で見たことによるショックで、金縛りのように体が動かない。やがて次はお前の番と言わんばかりに黒男は、ゆっくりとボクに向き直る。
 そのとき、カタンッ と手に持っていた傘を落とした。

「くっ!!」

 その音がスターターピストルの合図のようにして、ボクは駆け出した。
 走れ、走れ、走れ、走れ、走れ、脳内では蓄積していく疲労や足の痛みに関係なく、自分自身を鼓舞するかのように声が響き続けていた。
 幸いにも移動している方向は電車の進行方向と同じで、このまま運転室に行けばブレーキをかけてその隙に脱出できるかもしれない。そんな希望を抱いていたが……

「ハァ、ハァ……そろそろ、着くはず、なのに……どうして……!」

 すでに全力疾走して五分は経ったような気がする。にも関わらず、ボクは運転室に近づくどころか、ずっと変わらない景色を見せられているのだ。
 さらに恐ろしいこととして、黒男からかなりの距離を離したはずなのに、変わらず一定距離からタン、タン、タン、と規則正しい足音が聞こえ続けているのだ。
 逃げられない。しかし今更止めるわけにもいかず、走り続けていると、

「――ッ!! そんな……!!」

 この異様なまでの肌寒さ、記憶に新しい。その原因は……乗降口のドアが開いているせいだ。その近くには黒い配色の大きな傘が一つ。どうやらボクは、電車内を一周してしまったらしい。
 まさか、そんな、ありえない。ボクは一直線に逃げたはずなのに。
 まさか無我夢中に走ってしまったせいで知らないうちにUターンを? だったら黒男とすれ違うはず。と、とにかくまた逃げ―― 

「ヌリヌブシタイッテ……イッダジャアアアアアァァァァン……!!!!」

「――ッ!!」 

 ……初めて聞いた黒男の声は、コオロギやキリギリスの鳴き声と、声変わりする前の子どもの声を何十人も重ねたようなかん高い声で、思わず耳がキーンとしてしまうほどうるさかった。
 とても正気じゃないのは自明だった。
 それよりさっきの黒男の|言葉《セリフ》、まさかあの呼び寄せる呪文のせいで、ボクがこんな目にあっているということか? だとしたら……だとしたらとても、どうしようもないほど、

「バカだな……」

 ボクは足元に落ちている黒男の傘を拾い上げ、RPGの勇者のようにして構えた。勝つ保証なんて皆無だ。
 でもほんの少しでいいから黒男に一矢報いたくて、プルプルと震える手を必死で押し殺す。タン、タン、タンという足音が徐々にこちらへ近づいてくるのがわかる。そして、

「ヌリヌブシタイッテ……イッダジャアァン……」

 さっきと同じ言葉を吐いて、黒男はドアを通過しボクの前へと姿を表した。他にもなにかをブツブツと喋っているみたいだが、なにも聞こえない。
 今がチャンスだ! ボクは先手を打たんとするばかりに大股で前へと突っ込んで、

「ウワアアアアアアア!!!!」

 バコンッ! と叫びながらボクは、黒男の脳天をかち割るようにして思いっきり傘を叩きつけた。
 その衝撃で目元まで深く被っていた中折れ帽がスルリと取れて顔があらわになる。その顔を見てボクは―― 

「ヒッ……!!」

 驚きすぎて、声の出し方を、ついでに呼吸の仕方さえも忘れてしまった。黒男の顔は――原型もとどめないほどぐちゃぐちゃに潰れていたからだ。
 皮膚や肉の部分がごっそりとえぐれており、骸骨が剥き出しになっている。両目ともぽっかりと底の見えない空洞になっていて、口元は火傷のように無惨にただれている。

「ミタ……ネ……?」

「あ……やめ――」

 再度逃げようとした瞬間、がっしりと首元を掴まれボクはそのまま乗降口まで引きずられる。足元は高速で移動する床……いや地面だった。
 ジタバタと体をめちゃくちゃに動かして抵抗を試みたが、圧倒的な力の差の前ではまったくの無駄だった。

「ご、めんなさい……呼び……せて……ごめんなさい…………」

「ヌリヌブシテ、ネェッ? ヌリヌブシテ、ネェッ? ヌリヌブシテ……」

 力が、抜けていく。ギリギリと首を絞められ、頭に酸素が行き渡らない。
 そんな死の間際にいるせいだろうか、逆に苦しさが薄れてきて、徐々に心は花畑のように穏やかになってきた。今なら、いい夢が見れ……

「そ、そう、か……」

 ――そうか、これは|夢《・》|な《・》|ん《・》|だ《・》。やけにリアルすぎて現実と誤解していたけど、まごうことなきこれは夢なんだ。
 第一、まだ高校生のボクが、未来があるはずのこのボクが、こんなところで死んでいいはずがない! そうだよ。そうじゃないか!
 夢だとしたら、今首元を絞めている黒男の存在が、だんだんと滑稽に見えてきた。よくよく見たら、面白い顔をしているじゃないか。笑える、笑える、笑える。

「ヌリヌブシテ、ネッ? ヌリヌブシテ、ネッ? ヌリヌブシテ……」

 パッ

 黒男が手を離した瞬間、ボクの体は一瞬宙を舞ったあと、吸い込まれるようにして地面に落ちていった。
 世界が回転して……違うな、回転しているのはボクのほうだ。痛みは……これっぽっちもなかった。
 たしかネットで見たことがある。自分が殺される夢は、悪い人との決別やツキを呼び寄せる意味合いがあると。
 きっとそれだ。そうに決まっている。目が覚めたら暖かいベッドの上で、ボクは夜食のカップ麺とチャーハンを食べるんだ……。
 ゆっくりと目を閉じる。あぁ……カップ麺は、何味を食べようかな――

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