天艶の推理2
部室棟の前にやってきた。
玄関で靴を脱いでスリッパに履き替える。
「部室棟にも玄関があるんだね」
「あります」
「天文部はこの棟にあるの?」
「はい。二階の端です」
「なるほど」
部室棟も校内と同じく綺麗に掃除されているようだ。
多分ちゃんと掃除しないと評価が下がるのだろう。
みんなわんぱくクラブに入れられないように必死なんだな。
部室の前まで来た。
「ここです」
天艶が鍵を開けて扉を開いた。
「おお」
天文部の部室の中は望遠鏡が置いてあったり、合宿の時に撮ったのであろう夜空の写真が飾ってあったりした。
部屋の奥の床には畳が敷かれている。
大体部屋の三分の一くらいが畳になっている感じだ。
「いいね。畳」
「畳好きなんですか?」
「実家に畳の部屋があるんだ。姉ちゃんがよくそこで昼寝してた。僕もたまに昼寝してた」
そういえば夏にけいが育てていたひまわりが咲いていたのはあの部屋のすぐそばだった気がする。
あのひまわり、けいがハンバーグと名付けて可愛がっていたひまわりはもうとっくに枯れてしまったが、けいはハンバーグの種を大事に取っているようだ。
そのうちの一つは筆箱の中に入っているらしい。
「そうなんですね。……お姉さんがいるんですか」
「うん、まぁ一応」
天艶はものすごく小さな声で
「クノイチ……」
と呟いた。
「クノイチ?」
「え、今の聞こえてました!?」
天艶の表情筋が今日一番の活躍を見せる。
「僕結構耳いいんだよね。けいほどじゃないけど」
「……流石忍者」
天艶がまた呟いた。
「忍者?」
「あ、聞こえるんでした。いや、なんでもないです」
天艶は椅子を引いて座った。
部屋の中央あたり、床がフローリングのところに二つの長机がくっつけて並べられている。
席は四つ。
天艶は入って左側の奥の席に座った。
僕は真似するように左側の手前に座った。
隣に座る天艶はカバンから本を取り出した。
「さっきも言いましたけど、今はここに座って本を読むだけの部活になっています。ちょっと実演します」
「ん? うん」
天艶は本を開いて読み始めた。
別にわざわざ実演してくれなくてもいいのに。
一分ほど黙って本を読んでいた天艶はゆっくりとした動作で本を閉じて僕の方を向いた。
「こんな感じです」
「うん。実演ありがとう」
「天文部については大体分かりましたか?」
「よく分かった」
「それは良かったです。……それで、正直どうでしょうか。誘っておいてなんですけど、なんの面白味もない部活です。佐々木君が嫌なら全然入らなくても大丈夫なんですけど」
「う~ん。他の部活も見てみたいから今すぐには決められないかな」
「ですよね」
「でも仲いい人がいた方が楽しい気もするし結構前向きに考えてる」
「そうですか。それは嬉しいことです」
天艶はちょっとだけ笑顔を見せてくれた。
「あ、言い忘れてたことがありました」
天艶は気まずそうに言った。
「実は私、週に一回しか部活に来てないんです」
「あ、そうなんだ」
「はい。バイトがあるので。たまに週二回なこともありますけど、基本週に一回だけしか来れないんです」
「ふーん。……天艶はなんで天文部に入ったの? バイトがあって大変なら別に無理して部活する必要ないと思うんだけど」
「先輩に勧誘されたんです。初めはあんまり興味なかったから断ろうと思ってたんですけど、たまに来るだけでいいだとか緩い部活だから大丈夫だとか上手いこと口車に乗せられてしまって。でも今になってみれば入って良かったと思います。ここは私の居場所になってくれた。たまにしか来れなかったけど、来た時にはのんびりぽやぽやできて楽しかったんです。その恩返しってわけじゃないですけど、このまま廃部になってしまうのは悲しいので佐々木君を勧誘させてもらったという次第です」
「なるほどね」
さっきの疑問が解消された。
天艶のような性格の持ち主が自分から部活の勧誘をした理由。
妙に勘ぐってしまったが、そうか恩返しか。
納得だ。
これはとても天艶らしい行動に思える。
おそらく経済的に余裕なんてないはずなのに、それに本人が必要ないと言っているのにけいのスマホを弁償しようとするような子だ。
律儀というか義を重んじるというか。
そういう行動が似合うように思う。
僕は改めて部室を見渡してみた。
畳の上に濃い緑色で大きめのクッションが置いてある。
僕と天艶の正面には棚があって、カメラが置いてあったり星座に関する本が並べてあったりする。
「畳のとこにあるクッションは? 持ってきたの?」
「先輩の置き土産です」
「そうなんだ。座り心地が良さそうだね」
「はい、とても。座ってみます?」
「え、いいの?」
「どうぞ」
「やったー」
僕は立ち上がって畳の前でスリッパを脱いで揃えた。
そしてクッションへと腰を下ろす。
「おぉう……」
思わず声が出た。
お尻が吸い込まれるように沈む。
これはヤバいぞ。
「もう立ち上がりたくなくなった。ずっと座ってたい」
そんな僕を見て天艶は口元を手で隠して上品に微笑んだ。
このクッション絶対天姉が気に入るだろうな。
クッションに沈み込んで
「むほほ。これはたまらんですな!」
とか言ってる天姉の姿が目に浮かぶようだ。
「そのクッションはダメな人を作るクッションと呼ばれています」
「人をだめにする、ではなく?」
「はい。ダメな人を作るんです」
「へぇー。あーどんどんダメになっていってる気がする〜。確かにちっちゃい時からこれに座ってたらダメとまではいかなくても、ふにゃふにゃした子が育つかもね」
「あ、そういえば今日は急にお誘いしてしまいましたけど予定とか大丈夫でしたか?」
「ん? まぁ特に何もなかったし大丈夫だよ。強いて言うなら晩飯の……あ、晩飯」
天姉たちに連絡してなかった。
ってかけいには連絡できないんだ。
あいつスマホ壊れてるし。
どうしよう。
とりあえず天姉にだけ連絡しとくか。
「ちょっと電話していい?」
「いいですよ」
僕はスマホを取り出して天姉に電話をかけた。
「……もしもしー」
「もしもーし。恭介? どうしたの?」
天姉の声に混ざって若干音が聞こえてくる。
どうやら外にいるようだ。
「今忙しい?」
「今ねー友達といるんだー。燈花ちゃんと花火ちゃん」
「あーそうなんだ。じゃあやっぱいいや」
「ん? なんか用だったんじゃないの?」
「いや大丈夫。今日の晩飯、冷蔵庫の余りものでいい?」
「いいよー。なんかあったっけ?」
「ピーマンの肉詰めとかかな」
「おっけー。楽しみにしてまーす」
「はーい」
暇だったら買い出しに行ってもらおうと思ってたけど、まぁいいや。
確か冷蔵庫に他にもなんかまだあったはずだから大丈夫。
通話を終えると、天艶が
「もしかしてさっき言ってたお姉さんですか?」
と訊いてきた。
「お、なんで分かったの?」
「えーっと、少し長くなりますけど、いいですか?」
「ん? いいよ」
天艶は自分の推理を話し始めた。
「佐々木君の受け答えから考えると、電話をかけた相手は一緒に住んでいる人物だということが分かりますよね。そして昼休みの話では佐々木君と小野寺君は一緒に住んでいるとのことでしたが、小野寺君はスマホが壊れているので電話することができない。このことから佐々木君が電話をかけたのは小野寺君以外の同居人。つまり佐々木君と小野寺君は二人ではなく、少なくとも三人以上で一緒に暮らしているということになります」
「そうだね。まぁけいのスマホについては壊れてないらしいけど」
「もう分かってますから嘘をつかなくていいですよ。小野寺君のスマホは壊れています。私を気遣って修理できたことにしてくれているだけです」
「断言するね。自信があるんだ?」
「結構あります」
「そっかそっか。……中断してごめん。話の続きを聞いてもいいかな?」
「はい。ここからは突飛な発想に基づく仮定も含みますが」
「うん」
「結論から言うと……」
天艶はそこで言葉を切った。
そして娘が不治の病にかかったことを父親に告げる医者のように重く暗い表情を浮かべた。
それから天艶は祈るように僕の顔を見たかと思うと、ギュッと目をつぶり、顔を逸らしながら
「あなたたちは、忍者です」
と言った。
「……んぁ?」
あまりにも脈絡のない意味不明な結論に僕は思わず変な声を漏らした。
っていうかなんだその表情。
完全に『病気娘、父告げ医者顔』してる。
心中お察ししてるような顔の天艶に混乱しながら質問する。
「ちょ、ちょっと待って。何がどうして僕たちが忍者ってことになるの?」
「はい。私の推理を全てお教えします」
天艶は昼休みに頭の中で考えていた内容を教えてくれた。
僕は聞き終えてから唖然とした。
何だこの子。
途中までの核心に迫る、僕からすればかなり警戒すべき分析。
それを踏まえての嘘みたいな結論……。
マジでなんなんだ。
結論を出す時にだけIQが下がってるのか……?
それまでの分析をちゃぶ台返しのように台無しにして、
「ゴザル口調ということは忍者に違いない!」
という結論……。
正直途中まではヤバいと思ってた。
聞きながら
「なんか凄い鋭いんだけど。え、やば。真相にかすってんじゃん。片足突っ込んでんじゃん。ヤバいじゃん」
って心の中ではヤバいヤバいと思っていたのに。
天艶は語っている時も今もずっと『病気娘、父告げ医者顔』のままだ。
「……うん。とりあえず天艶の考えは分かった。なんでそんな顔してるのかは分からないけど」
「だって、忍者であることは絶対秘密にしなければならないことなんじゃないんですか?」
「……あー。僕たちのこと心配してくれてるんだ? 忍者の掟的な感じのものに正体がバレてはならない、みたいなのがあってそれに違反した僕たちが罰せられるんじゃないか、とかそんな感じ?」
天艶は黙って頷いた。
あー。
いい子だなー。
ははは。
もういいや。
忍者ってことにしよう。
「そうそう。天艶の言う通り僕たちは忍者なわけだけど、実は忍者ってことは機密事項みたいな感じでバレたらマズいんだよね」
「ですよね」
「だから秘密にしておいてくれると助かる」
「はい。誰にも言いません。というか言う人がいません」
真剣な顔をして言う天艶に苦笑いしてしまう。
「そういえばそうだったね。ところで僕たちが忍者だってことはいいとして、あとその結論に至った推理の過程についても説明してもらったから置いておくとして。僕たちが忍者だったことが分かって、それでどうして電話の相手が分かるの?」
「ああまだその説明を完全には終えていませんでしたね」
天艶は推理の続きを話し始めた。
「さっき言った通りの理屈で佐々木君たちが三人以上で暮らしているということは分かりました。そして雑な考えかもしれませんが、同時期に三人も転入してきたのに、この三人がまったくの赤の他人であるということは考えにくいと思いませんか? 三人姉弟だと考えた方が違和感がないと思います。つまり家族でここに引っ越してきたということですね。そして佐々木君にはお姉さんがいるとのことです。それならば二年生に転入してきた先輩は佐々木君のお姉さんであるとするのが自然ですよね」
「僕とけいの苗字は違うのに兄弟だと思うの?」
「私の中で一番納得できる形で佐々木君と小野寺君の関係性を表す言葉が兄弟なんですよ。でも確かにそこが難しいところです。なぜ苗字が違う、おそらく戸籍上他人である二人が一緒に住んでいるのか。正直そこについてはあんまりよく分かりませんけど、何らかの事情によって幼い頃から家族として一緒に暮らしているんじゃないかなと思っています」
「何らかの事情ねぇ。……苗字が違うのは親戚同士だからっていう可能性は考えられないかな」
「それについても一応検討しました。確かに親戚であれば一緒に住んでいても、まぁ珍しいかもしれませんけど全然あり得ない話ではないと思います。苗字が違うことの説明にもなります。しかし、聞くところによれば二年生に転入した先輩の苗字は白石さんというそうです」
「あー」
「絶対無いとは言い切れませんが、一緒に住んでいる人間が三人もバラバラの苗字であることを親戚同士だからだとするのは私としては納得できないです」
「うん。僕も天艶と同じ立場ならそう言うかも」
「ここまでの情報をいい感じにこねくり回すと、二年の白石先輩と佐々木君と小野寺君は何らかの特殊な事情で家族になった人たちである、ということになります。そしてこれが正しいと仮定した時、一緒に住んでいる人がこの三人の他にいないのであれば、電話をかけた相手は佐々木君のお姉さんである白石さんだということになります」
「そうなるね」
「さっきの電話で佐々木君は相手に買い出しを頼もうとしていたように思いましたが、どうですか?」
「まぁそうだよ」
「しかし相手が頼みづらい状況であるようだったから諦めた、私にはそんな風に見えました。佐々木君の様子からしておそらく緊急を要するわけでもなかったのでしょう。だから簡単に引き下がった」
「まさにその通り」
「転入したばかりだと、学校に慣れることだったり新しい友達を作ったりと色々忙しいと思います。電話の相手が買い出しを頼めるような状況ではないと佐々木君が判断した理由は、相手が部活の見学をしているだとか友達と一緒に下校しているなどであるとすれば自然な流れだと思います」
「それは電話の相手が姉であるという微妙な根拠になりこそすれ、僕たちが三人だけでなく四人以上で暮らしているということを否定することには効果がないと思うけど。僕たちが三人暮らしであることが確定しない以上、電話の相手が姉であると確定することもできない」
「確かにそうですね。では佐々木君たちが三人暮らしだとするにはどのように考えるべきでしょうか。ここでさっきの話を思い出して欲しいのですが」
「さっきのってどれだろう?」
「私が昼休みに考えていた佐々木君たちの正体についての考察です」
「あの話か」
「私は佐々木君たちが世間から隔絶された生活をしていたと考えました」
「そう言ってたね」
「それにはやはり何か理由があったはずです。その理由については見当もつきませんが、何かから隠れていた、避難していたと考えるのがしっくりくるかなと思います。それならこうして世間に出てきたということは、隠れる必要が無くなったと考えることができますよね。脅威が去ったと。ではその脅威からは佐々木君たちが自分たちだけの力で逃げていたのか。多分違うと思います。いくら何でも子供だけではそんなことできません。大人がいたはずです。その方、もしくは方々が佐々木君たちの保護者となったのでしょう。……ここからは私の勝手な想像ですけど、いいですか?」
「いいよ。聞かせて」
「佐々木君たちの保護者は、佐々木君たちを匿うことによって身の安全を守ることはできたが、それと引き換えに自由を奪ってしまったことにずっと罪悪感を抱いていた。だから危機が去ったタイミングで自由に過ごすことができるようにした。この先、自分たちの元を離れても生きていくことができるように、自立するための練習として三人で暮らせるように手配した……みたいな感じです」
「ありそう。普通にあり得るよそれ。すごく先生っぽいと思う。すごいね天艶」
僕は素直に感心した。
「先生?」
「あ、それは気にしないで」
「そうですか。えーっと、それで結論なんですけど」
「うん」
「やっぱり佐々木君たちは忍者ですね。間違いないです」
「おぇあ!? なんで!? 今の話の流れからどうしてそうなるの!?」
「佐々木君たちは子供忍者の時に道で倒れていたところを忍者の里の人に拾われたんです。でも佐々木君たちはその里とは対立した里が出身の忍者だったので迫害を受けてしまった。それで佐々木君たちを拾った人物は里の外れの家に佐々木君たちを連れて行ってそこで暮らし始めた。このように考えれば全て辻褄が合いませんか?」
あ、だめだこりゃ。
もう天艶が頭いいのかアホの子なのか分からない。
警戒した方がいいのか気を許してもいいのか。
判断がつかない。
わけわかんなくなっちゃった。