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それからというもの、涼佑は夏神からの視線に晒されているような気がしてならなかった。実際は恐らくそんなことは無いのだろうが、弁当を食べている間にも彼からの視線が気になってそちらを向くと、こちらを見ているなんてことは無いので、本当に気のせいなのだろうがと思うも、どうにも気になって仕方なかった。
そうして極力気にしないようにして、何とか昼休みを終えようとしたところで去り際、夏神が座っている涼佑のすぐ傍まで来て、何事か呟いた。が、声が小さすぎて何を言っているのかまでは分からない。しかし、その時の表情でおおよそ何を言っているのか、涼佑には察しが付いていた。去り際の彼は今まで見たことの無い冷酷な表情を浮かべていたからだ。
「まずいこと、したかもしれない」
「そうだな」
昼休み後の授業の合間、一人でトイレに来た涼佑は洗面所で手を洗いながら傍らの巫女さんに話しかける。彼女は基本的に涼佑にしか見えないので、一人でいる時はなるべく周りに違和感を与えるような行動をしないよう心がけている。今も蛇口から水を出している間に小声で話し合っているので、不審には思われないだろう。
「巫女さんはさっきの夏神が言ってたこと、聞き取れたか?」
「いや、元々私は人間に憑いていなければ、現世のことは一切分からない。私には自分の体が無い分、現世での感覚はお前の方が勝っているんだよ。だから、お前が分からなければ、私にも分からない」
「そうか……」
夏神のことも気になるが、そこで涼佑ははた、と思い出した。そもそも何故、巫女さんが『鹿島さん』を追っているのか、興味を持ったのか、まだ訊いていなかった。もうこの時を逃したら、きっと訊ける時間は無いなと思った涼佑は、さっさと訊いてしまおうと口を開いた。
「そういえば、巫女さんはなんで最初に『鹿島さん』の話を聞いた時、『丁度良い』って言ったんだ?」
「ああ、あれは私の霊力を高めるのに良い材料になると思ったからだよ」
「霊力?」
何故、そんなものを高めるのかと続けて訊くと、巫女さんは何でもないことのように簡潔に答える。
「何の為って、神を殺す為だ」
「――え? どういうこと?」
そこからの巫女さんの説明は、現代社会では考えられない程とても現実味の無い、荒唐無稽なものだった。
元々彼女が霊となったのは、ひとえに彼女の復讐の為なのだという。相手は神。どこの何という神なのかは、残念ながら永く彷徨っているうちに彼女の記憶からすっかり抜けてしまったのだという。何故、復讐するのかという理由すらも。しかし、神殺しをするには生身の体を捨てざるを得ず、若い身空で肉体を手放さなければならなかったということだけは覚えているらしい。
「それで気が付いたら、この体って訳だな。刀とかもいつの間にか持ってたし」
「出所不明ってこと!? その刀。本当に使ってて大丈夫なのか?」
「悪いものは感じないし、むしろ魔を滅するやる気しか感じないから『ま、いいか』って」
「はぁ……そうなのか」
随分とアバウトな巫女さんに、涼佑はそれしか言えなかった。呆れている彼を「そんなことより」と置いて、巫女さんは夏神の方へ涼佑の意識を向けさせる。
「どうするんだ? 夏神の奴、私がお前に憑いてるって勘付いてるだろ」
「そうなん、だけど……。でも、オレ達もあんま言う必要も無いと思ってたから言わなかったってだけで、別にオレに巫女さんが憑いてるからって、夏神に関係あるのか?」
「私に訊くなよ。そんなの夏神以外分かる筈も無い。――可能性があるとすれば、私に対する『恨み』か、『興味』くらいか」
『恨み』という単語に涼佑は心底驚いた。確かに巫女さんは少々乱暴なところはあるが、基本的には人間の味方で、現に自分を守ってくれている。そんな彼女がどうして他人から恨まれるのか、彼には全く分からなかった。
「『恨み』って、なんで? だって、巫女さんは人間を守ってくれる存在だろ?」
「……涼佑、たとえばだ。夏神が恨みを持っている相手を私が守っていた場合、私が恨みを買わないなんてことは有り得るか?」
あまりの言い草に一瞬、頭に血が上った涼佑が抗議しようと口を開くが、それを遮るようにして巫女さんが「たとえばの話だ」と念を押す。彼女曰く「絶対に無いなんてことは言えない」ということだ。現に、涼佑は望の恨みを極めて理不尽な理由で買ってしまっている。呪いを受けた身を思うと、「確かに」と彼も否定し切れない。人はどんな理由であれ、人を呪う。
「その時は……戦うしか、無い、の、かな……?」
「分からない。夏神がどう出るかで結果は変わってくる。私の刀は生者を斬る為の物じゃない。生者に仇成す死者を滅し、あの世からもこの世からも一切存在を消滅させる為の道具だ。そんな物を生者に使えば――」
その後はわざわざ言わずとも分かるだろうと言いたげに、巫女さんは深く嘆息する。
彼女の言わんとしているところは、涼佑にも何となく分かる。彼女の刀は霊達の世界でしか使われない物だ。魂を直接焼き、消滅させる物。そんな物を生者に使えば、魂の無い肉体が出来上がるだけだ。人格も精神も焼き尽くし、二度と元に戻らない廃人同然の人間が一人在るだけとなる。そんな光景を思い浮かべて、涼佑はぶるりと怖気に震えた。
「な、何とか……何とかしてみる。そうなる前にオレが何とか――」
「どうする気だ? まだ夏神が本当に私に恨みを持っているのか、確証は無いぞ。下手に突けば、それこそ衝突する原因になる。止めておけ。まだどうなるか、分からないんだ。逆に言うと、まだ判断する時間はある」
「そう、だよな……」
急ぐ必要は無い。そう諭されて、涼佑は静かに頷いた。丁度次の授業開始のチャイムが鳴り、涼佑は慌てて蛇口を閉めて男子トイレから出た。
鏡に映る男子トイレの壁。掃除用具が入っている個室が見える。その前、先程まで涼佑が立っていた場所に、ふ、と白い靄のようなものが立ち、まるでドアを開けて出て行くように出入り口のドアへ吸い込まれて消えた。
放課後、いつものように鞄へ教科書などを突っ込んだ涼佑と直樹は先にそれぞれの自宅へ帰り、私服に着替えてから真奈美の家に行くことにした。昼休みに真奈美達には連絡しているので、メッセージを送る手間は無い。さっさと帰ろうと昇降口まで行くと、「ねぇ」と背後から声を掛けられた。振り返らなくても、二人にはその声の主が夏神だと分かった。彼に一方的な敵意を向けている直樹は直ぐ様反応して振り返り、涼佑は今はあまり話したくないなという気持ちを悟られないよう、一拍遅れて愛想笑いを作り、振り返る。
夏神は厭に真剣な面持ちで涼佑を真っ直ぐに見つめていた。「どうした?」と涼佑が発する前に彼は口を開く。
「岡島君とは勝負をしているけれど、新條君はそういうのに遭ったことはある?」
「……どうしたんだ? 突然」
涼佑にとってよく分からない趣旨の質問をされ、夏神の真意が読み取れない彼は上手く躱そうと質問し返す。だが、そんな小手先の話術で騙されてくれる夏神ではなかった。ふふ、と余裕すら感じる苦笑を漏らし、「いや、ただ少し気になったから。それで、どうなの?」と打ち返してくる。もう少しはぐらかすこともできたなと心中で反省しつつ、これはちゃんと答えなければ解放してくれそうにないと判断した涼佑は、素直に答えた。
「あるよ。一度だけだけど」
その答えを聞くと、夏神はどこか納得したように思案し、頷き、「そうか」とだけ言って、丁度彼の傍に来た女子生徒達と一緒に「じゃあね」と校庭へ出て行った。
「なんだ? あいつ」
「さあ。取り敢えず、今は真奈美の家に急ごう」
「そうだけどさぁ」
夏神にまた何事か言いたいことがあるらしい直樹を宥めて、涼佑は彼を連れて校庭へ出て行った。