第56話 深淵の迷宮⑭
引き続き俺は一人防戦一方の状態で虚無の魔神を引き付ける。
視界の端に龍型となったエレナさんが見えるが相も変わらず大きい、全長30m以上はありそうだ。
深淵の迷宮では基本龍の姿で戦うことはなく、主に我々を乗せて飛んでいるだけの状態だったので、もしかしたらストレスが溜まっていたのかもしれない。
あれ?なんか憎しみのこもった目でこっち見てない?
あ、いや?俺の後ろの虚無の魔神ですよね?
およそ仲間に向ける視線ではない、爬虫類がキレた時に見せる理性を一切感じさせない無機質な目で俺と俺の奥にいる虚無の魔神を見据え大きく息を吸い込む。
え?これ俺も対象になってないかな?
「Grrrrrrrrrrrrrrrrrr!!!」
ちょっとこのままの位置だと直接ブレスの攻撃範囲に巻き込まれそうだから、虚無の魔神とエレナさんの対角線上からずれようかな。
……なんでエレナさんの炎零れる口元が俺の動きに合わせてずれてくるんだろうか?
違うな、これ完全に俺を狙ってやがる!
「Grrrrrrrrrrrrrrrrrr!死ねぇぇぇえええええ!!」
あ、いつものエレナさんの優しい声ではなく、龍の体躯に見合った野太い声で俺を睨みつけつつ死ねって言いながら俺にブレスを打とうとしている…これは自分でコントロールするしかないじゃないか。
俺は再びエレナさんと虚無の魔神の対角線上に入り、龍型のエレナさんが凶悪な表情で放つブレスを紙一重で躱す。
まぁどちらにせよコンマ数秒で虚無の魔神を通して俺に向かってくるんだがね。
予想通りというべきな狙い通りというべきか、虚無の魔神に直撃する瞬間今までと比べ物にならない程大きく俺の目の前の空間が大きく切り裂かれ、そこから極太の魔炎龍の本気のブレスが俺を襲う。
あ、これ避けられない奴だ。
こんなことであればエレナさんではなくて龍型のレイラのブレスの方が良かったかもしれないなと考えながらも、取りあえず虚無の魔神を倒すことを優先する。
俺はエレナさんのブレスを、もろに全身に受けながら深く腰を落とし刀の切っ先を切り裂かれた空間に向ける。
元々不殺を目的にスミスさん達ドワーフに作ってもらった逆刃刀ではあるが、突きであればそれも関係ない。
見た目は俺の知っている魔神と同じだが、良くも悪くもあいつはこんな無感情な奴ではないので、これは魔神とは別物と判断する。
仮に本物の魔神だとしたら、それはそれできっとこれくらいじゃ死なないだろうからどちらにせよ問題はないだろう。
俺はブレスの身体が焼ける痛みに耐えつつ、力を込めて思い切り逆刃刀を切り裂かれた空間を突く。
ブレスを全身に浴びているの視認は出来ないが確実に何かを捉えた感覚が手に伝わるとその直後、およそ刀の直撃とは思えない衝撃音が辺りに響き渡る。
土煙が晴れるのを待つ俺、俺を心配そうに見つめるゾラスとレイラ、その横でじっとお座りの姿勢で佇む豆柴。その後方に口から炎をこぼしながら俺を見つめる大型の龍。
ようやく煙が晴れると…
そこに虚無の魔神の姿はなく、魔神のいた位置には『臓器』というようりも宝石の輝きに違い心臓が浮いていた。
恐らくあれが『魔神の心臓』だろう。
「ふぅ、やっと終わりましたね」
流石にドロップアイテムがあるので、まだ虚無の魔神が生きているようなフラグにはならないだろう。
「魔王様お疲れ様です~」
「魔王様、次のボスはあたしが倒すからね!」
レイラさん、もうダンジョン攻略はどちらにせよお終いですからね?
「……………」
エレナさん、龍の姿のままモジモジされていますけど早く人型に戻って下さい。
「あ、あの、龍型になって魔王様を見ていたら、以前全く攻撃が通用しなかったことを思い出して…少し理性が飛んでしまったみたいで…」
人型に戻って必死に言い訳をしているけど、やはりレイラの母親である。
やっていることはレイラより酷い。
「ま、まぁ結果オーライですね。次……からは気を付けて下さいね?」
「は、はい///」
よし、取りあえずやることはやったので早くアイテムを拾って家に帰ろう。
そうして俺は『魔神の心臓』に向かって近付くと、その目の前にはちべえがお座りの姿勢で俺を見つめている。
「……魔王様、この心臓を手にした時点で、恐らく魔王様が望む安定した日常を送る人生は手に入らなくなると思います…」
どうしたはちべえ?いつになく真剣な表情をして…なんて茶化すことが出来ない程真剣な表情の豆柴。
これが人の言葉を発していないアフレコみたいなものであれば非常に可愛らしいのだがそうではない。
「…それでも宜しいですか?」
「いや、それは困るな。では諦めよう」
そういって俺は踵を返し、他のパーティーメンバーの元に戻る。
ワープに入って温泉に……
「ちょ、ちょっと魔王様!」
初めて焦ったはちべえを見たわ。他の仲間たちもドン引きしているし…
だって明らかに面倒なことになるじゃないか……
「なんだよはちべえ?俺に触らせたいのか触らせたくないのかどっちなんだよ…俺はただ俺に必要だと言われたから来ただけなんだぞ?」
「あ、いや、まぁそれはそうなんですが…。先代の魔王様の意図は私にはわかりませんけど、『魔神の心臓』とは、初代魔王様の記憶の塊なんです」
ほぉ?
なんでそれを先代魔王が知っていて俺に必要だと思ったんだろうか?
そういえば先代魔王は予知夢の能力があったな……あーもう、そんなの触って確認するしかないじゃないか!
畜生、なんか誰かの手の平の上で踊らされれている気がして面白くないけど仕方ないな。
もうどうにでもなれだ!
そして俺はそっと宙に浮かぶ『魔神の心臓』に手を触れる。
ー刹那
膨大な量の初代魔王の記憶が俺に流れ込む。